とりとめのない落書きです

感情の垂れ流し場所 というか・・・。





’11.1.23.
主に写真の部分で、久しぶりの大編集をして大幅にページを増やしました。
山、国内旅行、海外旅行・・・

こういう作業をして改めて思い出すことも多く、写真やその頃の記録を見直しながら
よくこんなことやったなぁ、と過去の自分に感心したり
感動した景色とその時の気持ちが記憶の中に鮮やかに蘇ってくるのを楽しんだり


去年結婚したので一人旅をすることはもうないと思う。

若い頃は、どこにでも一人で飛び出して行ったし、そこでたくさんの出会いがあった。
寂しいと思うようなことはなかった。
自分ひとりの目で見て、自分の感じることがすべてだった。

あの頃、馬鹿なこともしながら、実に色々な経験をして、自分にどんどん吸収させていくことがもぅ、
楽しくてたまらなかった。

30代になっても、旅をしたり興味のあることに挑戦したいと思う気持ちは変わらないけど
感動や喜びや失敗や苦労を、分かち合う相手
かつては欲しいと思わなかったそういう存在を、自然に受け入れて、一緒に歩いて行くことができるようになった。
ありがたいとも思うし、分かち合うことを喜びとする自分に変わってきたようにも思う。

自分が年を重ねていく過程で、求めるものは変わっていくし 感じ方も変わってくる。
これからどういう変化が訪れて自分がどう変わっていくか、わからないけど
自分の大切と思うこと、もの、ひとを、きちんと大切にしていきたい と思う。


’09.12.6.
2009年6月29日から30日にかけて
千枚小屋が焼失しました。


自分はその知らせを、赤石小屋での小屋開け準備中に知りました。
さぁこれから 今年のシーズンが始まる
そういう思いで、大きな期待と ほんの少しの不安をもって誰もがいたときで
千枚小屋のスタッフも小屋開けを始めた そのときでした。

幸い というべきかどうかわからないけど、
千枚小屋スタッフは小屋開けの作業をしてから一度全員椹島に下山していたので
誰も現場にはいませんでした。
それもあるし、とにかく損傷が激しすぎて 火事の原因特定はできませんでした。

千枚小屋はすべてが燃え、その晩に降った雨でほぼ鎮火していたそうです。
次の日にまた小屋開け作業のため現場に上がった人たちが見たのは、基礎の上に屋根が落ちた
変わり果てた千枚小屋の姿だったのです。


千枚小屋は当山域において最も集客数の多い、いわば要の小屋
そのシーズン前の焼失というのはどんなにか影響の大きいことか
またその光景を真っ先に目撃した小屋スタッフの衝撃と悲しみと後悔は いかほどであったか

そして たった独りで一晩中燃え続けた千枚小屋の痛みと悲しみは どんなに深いものであったろうか・・・


千枚小屋に様々な角度から関係するすべてのひとたちが、そのことに言語を絶する衝撃を受けました。


自分は 今年から赤石小屋の管理人になったけど、千枚小屋は去年小屋開けから小屋閉めまでサブチーフとして働いた場所
それまでには 客として泊まったこともあったし、休みをとって遊びに行ったこともあった。

今まで山で働いてきたなかで特に千枚小屋は 最も離れがたい親しみを覚えた、大切な小屋でした。
すごく念入りに磨いて小屋閉めしたし、去年は管理人が交代して最初の年で、無限の可能性を感じていた。
だから


その千枚小屋全焼の知らせはまるで すごく大切なともだちを亡くしたかのような衝撃を自分に与えたものだった。
火事 というのは 本当に哀しい。大切なものが、たくさんなくなった。


それでも 今年の夏山シーズンはスタートした。
千枚小屋も、なんとか形を整えて営業ができるようになった。
千枚小屋スタッフはもちろん全力で接客に当たったと思うし、
椹島を含めまわりのすべての小屋も いつもと違う登山者の流れに対応し、サポートしつつ自分の小屋をより良くするよう
いつもと同じように、努力した。

なによりも、千枚小屋をとりあえずは避難小屋として営業再開させるために、
時間が迫る中労力を惜しまず力を尽くしてくれた関係各所のたくさんの人たちの力強い協力や
お客様方の温かい応援と 理解と協力があって
今年は、なんとかシーズンを乗り切ることができた。


来年がどうなるかは、まだまったくわからない。
でも、なにも生み出さない事柄なんかこの世にはあり得ない と思う。
あの千枚小屋はなくなった。それはどうしようもない事実で、もう終わったことだ。

千枚小屋焼失によって、なにかまた新たな事が始まるんだし
自分は 赤石小屋を今年よりもっと良い小屋にする そのことだけなのだ。


’09.1.20.
ここに何か書くの久しぶりやなぁ。

2008年は・・・ボリビア、沖縄、椹島、千枚小屋、二軒小屋、椹島、長野
あちこちでまたたくさんの人たちと出会ったり 別れたり しました。

その中のひとりに、お前はもっと 忘れる ということをしないといけない
というようなことを忠告してくれた人がいました。

自分はどうも、人にもモノにも執着しすぎる というか
未練たらしい というか

自分がされたこと、してしまった失敗、大切なモノ、人、イヤなこと
色んなことを忘れず根に持っていて、確かにそれで良いことはあんまりないかもしれない・・・

なるほど忘れる ということも、日々を気持ちよく 人に対しても気持ちよく 過ごすのには大切なことなのかも


また こういうことを教えてくれた人もいた。

人とうまく付き合うには、距離を上手にとることが大切

なんとなくうまくいかない人間関係も、上手に距離をとることで気にせずにいられたり、自分の良い所を損なわないで接したり また人の良い所を素直に評価したり できるようになるのである。

なんか消極的手段のように思うけど、なにもかもが上手くいくわけではないのがヒトノヨノツネ というものだから
そういうふうにして回避できる負の部分があるなら 世の渡りが少し楽になるかもしれない

色々挫折してしまった2008年
今年はもうちょっとうまいことやりたい と思う。


’07.12.30.
2007年も、もう終わり。今年はなかなか苦しい1年でした。


思い知らされたこと。

しばらくは、祖母の死から立ち直れそうにないこと。

人間関係。自分がいかに、争うことから逃げてきたか ということ。
大学時代は結構勢いもあって周りも見えなくて ぶつかることも少しはあったけど、今思うとその時ですら、ちゃんと人と向き合ってきた、とはいえない気がする。

言いたいことはいっぱいある。でもそれを言うまえに、何かを失うことのほうに気を取られてしまう。
ひとを傷つけないように心がけることはそれなりに必要なことだけど、言いたいことを飲み込んで確かな人間関係が築けないのは、寂しいことだと思う。

ひとと正面から向き合うのは怖い。でも薄っぺらな付き合いだけでただの仲良しを増やすのは孤独だ。

もうひとつ、自分があまりにも弱い ということ。
自分がもっとも恐れるのは、孤独
わがままだからひとりになるのは好きだけど、それは孤独ではない場合のことで

周りにひとがいるとかいないとか は、あんまり関係ない。
それはじわじわとやってきて、こころを浸していく。
だれでもいいから、それを取り払って欲しい、と思う。
だれでもいいから。。。そこが、自分の弱さ
孤独を感じていないときは、もっと強いくせに


来年は、もっと心を鍛えて、優しい人間になろう。
優しいひとは、強いひと。


今年も、本当にたくさんのひとに支えられて 立っていることができました。
自分の弱点についてこんなに考えた年もなかった、、、ような気がする。

来年も頑張ります。また、よろしくお願いします。
自分も だれかの支えになれるように・・・


’07.6.25.
トップページを変えてみました。


今、一ヶ月ぶりに山から3日半の休みをもらって実家に帰ってきています。ただいるだけで汗が出る、もう夏。


あれは3月27日、実家の、生まれたときからずっと自分を見守ってくれていた祖母が亡くなりました。

1月末、メキシコに行くときには・・・良かったね、健康で、メキシコに行けて
といって送り出してくれた。まだ、普通に元気で、自分はなんの疑問も不安も持っていなかった。

2月半ば、帰国したとき、祖母はウチで横になっていた・・・背中が痛い

しばらくして、自分は祖母に付き添って検査のために病院に診察に行った。

その美しいひとの体は、すでに全身が癌に侵されていた。

2月末、それでも自分は沖縄に行った・・・病名を聞かされていない祖母は、まだ元気に いってらっしゃい、と言ってくれた。
うらやましい、と言って今まで自分が歩んできた道を振り返り、
戦時中ハルピンに渡り、結婚し父を授かり命からがら日本に帰ってきて 焼け野原から新たな生活を始めた その強いひとは、
おばあちゃんもっと生きていたい と、自分だけに そう言った。


沖縄からは毎日かかさず手紙を出した。


3月始め、帰ってきたら、祖母は放射線治療の影響ですっかり元気をなくしていた。
3月半ば、退院、自宅療養。


言葉を交わすことが どんどんできなくなる。
その優しいひとの最後の言葉は
ありがとう だったと思う。


さいごのとき。最初に静かな祖母に出会ったのは自分だった。ウチにはそのとき自分しかいなかった


ウチに帰ったって 祖母はもういない
写真を撮ったって もう 見せる相手がいない
この期に及んでまだ 自分は泣いている


あぁあ。


世界は悲劇に満ちている。

喜びは、自分でそれを信じて 見つけてこないと手に入らんし


いろいろあるし


まぁ だから 前向きに、頑張るしかないんだよね
自分なりに、せいいっぱいのところを、やってみる。

・・・はい。


’07.1.14.
「たびだち」−「山登り」を、少し書き換え・書き足しました。

「旅の写真」−「青」「緑」を1ページづつ新たに増やしました。
「青」「山と空」に2枚写真を加えました。
「赤」に2枚写真を加えました。

「自己紹介」を、少し書き換え・書き足しました。

「リンク」を、少し書き換え・書き足しました。


こういう作業をしてると、自分のたどってきた道を振り返ってみることになります。本当に、たくさんの人たちに出会い、助けられ、支えられている。

「出会い」の質っていうのは、自分次第で決まる と思う。
出会ってもただ通り過ぎるだけの時もあるし、ほんの少し、すれ違いざまに挨拶しただけ のような出会いでも、メディアを通した一方的な出会いであっても、「自分」の在り方次第でときに大きな影響を受けるときがある。

傷つけることも傷つくこともあるし、幸せな気持ちになることも、もしかしたら、幸せな気持ちを誰かに渡せるときもある、かもしれない。

良い言葉やすごく優しい気持ちに出会っても、心は動いているはずなのにどうしてだか扉がひらかないときも、あって、でもそういうのも、いつか自分がもう少し何かを経験したときに、しっくりと入ってくるのかもしれない。と、思うことにする。

それではもう遅すぎて もう取り返しがつかない場合も あるかもしれないけど、でも、無駄じゃない。
なにも、無駄なことなんてないんだよね。


’06.3.18.
3月15日に、母方の祖父、「三重のおじいちゃん」が亡くなりました。
それで、今いるスキー場から休みをもらって母の実家の三重県最南部まで行ってきました。


いままでずっとずっと一緒にいた人に先立たれた祖母。
まだ、そこにいるような気がして、
いつもどおり、祖父に声をかけようとして 気づく。

あの人はもういない。

その瞬間に襲われる、胸が張り裂けそうなほどの寂しさ。

もう、あの人に煩わされることはない。
もう、あの人を心配する必要もない。
もう、あの人と一緒に笑える日はこない。
もう、あの人は、この世のどこにもいなくなってしまった。


久しぶりに子供たちや孫たちが集まって、おじいちゃんの話をしたりお互いの今のことを話したり思い出話をしたりして、賑やかに笑う。
写真の中のおじいちゃんも、少し笑っている。
一緒に話したり笑ったりする中、祖母は時々、ふいに襲ってくる悲しみに、ひとり小さくなっていた。


ああ、強く、優しかったおじいちゃん。
久しぶりに行ったその田舎には、おじいちゃんとおばあちゃんと過ごした子供の頃の夏休みの思い出がいっぱい詰まっていて切なかった。

さあ、私は、恥ずかしくない人生を送ろう。


’06.1.1.
写真を増やしてみました。

あけましておめでとうございます。
今年は地元で正月を迎えました。今日は本当にあったかい。やっぱり南国は良い。

近所の公園では久しぶりに子供と遊ぶお父さんたちがいっぱいいて、日の光が温かく降りそそぎ、全く平和そのものといった感じです。


さて、今年はどんな年にしていこうか。
去年もだいぶ充実してたけど、今年はまたいっそう充実した満足の年に・・・


皆様にとっても、この年がめっちゃいい年になりますように。
今年もよろしくお願いします。


’05.7.8.
明日山小屋の仕事のためにウチを出ます。入山は13日なのですが、山梨と東京の友達に会ってから入るので。

なんとなくパソコンに向かったら手が動いて、ペルーの旅記録と沖縄チャリの旅記録を完成させました。イツノダヨ
で、北海道までやりかけたのですが、一ヶ月の記録を一からとなると気が萎えて。
こういう生活をしてると記録に留める作業が旅に追いつかないので、なんかさらっと上手いこと記録をするようにしないといけません。

次帰ってくるのは11月中旬だからなー・・・

ところで、この間友達と大阪で遊んだときに、友達が通っているダイビングスクールの事務所のようなところに行って、そこにいたダイバーの人たちと話をしました。
自分の山の話もいろいろ聞かれてしたのですが、何回くらい山に登っているのか、と聞かれてびっくりしました。そんなん数えたことない。

そういえばダイバーさんたちは、確かに今まで何本もぐったとか言ってますよね。
で、このホームページの山のとこのを数えてみたら、登山回数はのべ63回で、おもなピークは数えようとしたけど面倒くさくなってやめました。
それが何だというのだ。

山小屋から帰ったら、一週間ほどスペインに遊びに行って、その後合宿で運転免許を取りに行って、そのうち上海の友達のとこに遊びに行って、
春になったら屋久島に山登りに行って、そして沖縄にダイビングのライセンスを取りに行きたい。
で夏は山小屋。

どこまで実現できるでしょうか。


’05.6.27.
あつい。
北海道から帰ってから、暑い、ばっかり言いながらへたっている。
そして、ちょっとでも時間があれば働き蜂のようにバイトを入れて一生懸命にやっている友人がまぶしくてたまらない。

ところで、自分の気持ちを他人に伝えることの難しさを感じることが時々ある。
それは誰しも経験することなのかもしれないけど、自分はとても口下手で、さらに相手を傷つけまいとしてしまうから余計に伝わらない。
相手を傷つけまいとすることは実は保身で偽善。
相手を傷つけるくらいなら自分が傷つく方がマシだと思ってしまう。その傷ついた自分に酔うのかもしれない。相手にとってはなはだ失礼で恥ずかしい心理。

今までは、大学のクラブで議論を交わし続け寝食を共にした仲間や気の合う友人に囲まれて、
説明しなくても気持ちを汲んでもらえたり気持ちが言葉になるのを根気強く待ってもらえたりしたことに甘えていた、
そういうことに思っきし気付かされた。

自分の気持ちを正確に(というか、その人が理解してくれるように)伝えなければ誤解が生じる、という関係は、自分を鍛えてくれる。
それは自分の気持ちについてより深く考えることであると同時に、相手のこともわからなければならなくて、
ひとの気持ちを汲み取るのも下手な自分にとっては結構キツイ作業だ。


’05.5.19.
久しぶりにこのページをさわっている。
(さわるときはいつも久しぶり)

ひとつの仕事が終わって次の仕事(あるいは旅)に行く前、という時間は、仕事をしているときとは比べ物にならないほど自分のために有効に使えるはずなんだけど、くだらないことをして夜更かしをして、朝寝坊をしてネットサーフィンしてだらだら過ごすうちに過ぎてしまう。

まあそれはそれで良いと思っているけど、仕事をしながら計画していたことが思うように進まないのも事実。


で 今回もまた、色んなことを置き去りに旅に出る。

今から北海道に行ってきます。一ヵ月後くらいに帰ります。MTBソロツーリング、一周です。


’04.12.6.
えー、写真ばかり、そこはかとなく更新中です。

下界に降りて約1ヶ月。
自分はやはり、山の中や旅に身を置いているほうが活き活きできるのだと思う日々。
大切なのは気の持ちようだとは思うけれど。

ところで、人と人との出会いというものは、今更ながらではあるんだけど、本当に不思議なものだと思う。
あの日あの時あの場所で、というのはまぁ言うまでもなく、一緒にいる時間の多さと親しみの深さがいつも比例するわけではない、ということ、このことになにやら神秘を感じるのだ(ちょっと大げさだけど)。

今年を振り返るにはまだ少し早いけど、今年もいい出会いがものすごくたくさんあった、と思った。悲しい別れもあったけど。

うん、つまり今の時間のある日々は、そんなことを考えるための日々なのです。
スローやなぁ。


’04.7.6.
やっと、ペルー紀行を(7割がた)完成させました。ここでタイムリミットです。エピローグと旅記録は、4ヵ月後のおたのしみ・・・

明日から、11月の半ばまで南アルプス南部の赤石小屋に働きに行ってきます。
正確には、10月半ばまで赤石小屋で、小屋閉めの後は登山口の二軒小屋で働く予定です。
ケータイからBBSにアクセスできるので、山小屋日記を時々書き込めたらと思っております。

そして、本気で10キロ痩せてきます(笑)。できなかったらチャリで一人で四国一周北海道一周(!)します。この誓いにピンとくるのはこの世で4人だけですが。

いざ、雲の上へ、樹のなかへ!


’04.5.5.
ヒトを撮った写真をのっけました。
色んなことを思い出しながら写真を選んでいて、
ああ、この人たちと出会えて本当に良かったな、としみじみ感慨にふけったのでした。
あえて何のコメントも書かないことにしたのですが、
その写真の状況を知らないヒトが見たら、どんな風に感じるのでしょうか。


’04.4.24.
ホームページ久々の大更新。
内容のほうは、あんまり進んでないのですが。
素人っぽいところは前とさほど変わりませんが、こつこつHTMLを積み重ねて、前よりは自分の理想に近づけました。
自己紹介のとこの写真の坊やは、もちろんVIATORです。
15年くらい前でしょうか、我ながら男前・・・

ぜひ、ご意見ご感想およせください。


’04.4.24.
葬式が終わり、少しずつ 落ち着いてきた。
満州に出征し、結婚して、祖母と生まれたばかりの父を生きて日本に連れて帰ってくれた祖父。その後の波乱も、乗り越え、時には回避することもあったかもしれないが、とにかく最後まで一生懸命生き抜いた人。
みんなを育て、心優しく見守りつづけてくれた。
この喪失感を、どうやって受け止めればいいのだろう。

血のつながりのない祖父の看護を、苦労を厭わず行なう母の姿は、美しかった。祖母も、気丈であり続けた。
人間の尊厳というものを考えた数日間だった。
自宅で、家族の看護を受けて、眠るように息を引き取った祖父は幸せだったろうか。


寂しさという感情は、自分にとって最も耐え難いものである。旅をしながら数々の別れを経験してきたが、別れの時の寂しさは、どうにも処理しきれるものではない。
できることはただ、時が経つのを静かに待つことだけ・・・


’04.4.19.
今日、祖父が永の旅路についた。
かなしくて、さびしくて  胸が張り裂けそうである。

そして自分は、どうすれば良いかを考えることもできず、
ただ 涙の海に流されている。


’04.4.17.
今、更新作業を進めている。
最初は良かったが、だんだん面倒になってきた。いつもそんな感じで、だからいつも書きかけで手をとめてしまうのですが。
だいたいホームページなんて自分にとっては自己満足のためのものみたいなもんだから。

ペルーで出会った人の中で、自分にたくさんのモノを与えてくれる人がいた。
素敵な人と出会うと心が痛くなるのはなぜだろう。子犬に見つめられるときに似た、得体の知れぬ罪悪感のようなものを感じて、目をそらしてしまう。
まだまだだなあ、と思う。


’04.4.6.
3月23日、無事日本に帰国した。
1ヶ月ペルーにいて、一番良かったのは友達がたくさんできたということだろうか。
それなら、今までやってきたような国内の旅をしても同じことなのだけど、
外国の旅でできる友達というのは、国内でのそれとは少し違っていたようだった。

自分の心もちが違うせいもあるが、南米という地域が、海外に慣れない旅人を寄せ付けにくい性質を持つせいもあるかもしれない。

すべてが、とにかく面白かった。
国内の旅と匹敵するくらいに。考えさせられることも、多かった。

・・・これから稼ぐお金は、たまらないかもしれない。





Ave Migratoria
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