大正時代の出生事情 〜「大正デモグラフィ」を読んで
よく、昔の人は兄弟姉妹が多かったという話を聞く。貧しい国では子どもを産む割合が多く、国が発展するとともに出生率が下がるというのもよく耳にする話である。とすると、大正時代の日本は現在の日本よりも出生率は高かったということになる。
自分もいつかは子どもを産むことになるのだから、大正時代の出生事情について知るのも何かの役に立つかも知れないと思った。本書の中では出生に関するさまざまなトピックが挙げられていたが、特に出生率に関して述べられた部分について触れる事にする。
出生率を測定する方法として、一番簡単に行うことができるのが、「普通出生率」あるいは「粗出生率」と呼ばれる方法である。これは、一年間の出生数を年末の人口で割った率である。しかしこの率は出生数と人口さえ分かれば簡単に計算できるのだが、出生に関する正確な指標とは言えない。なぜなら、粗出生率はその年ごとの例外的な人口変動に影響されやすいからである。したがって、この粗出生率を使って、出生に関する長期的な変化を考察することにはあまり意味がない。
ここで登場するのが「合計特殊出産率」と呼ばれる指標である。これは、女性の出産可能年齢(満十五歳から四十九歳まで)の、各年齢の人口と、各年齢の出生数を使って、粗出生率と同じようにして年齢別の出生率を求め、それを合計したものである。なぜこのような指標が考え出されたかという理由は、この合計特殊出産率が、「一人の女性が生涯に産む子どもの数」、と読みかえることのできる点にある。男性と女性が1対1で結婚・出産するとすれば、女性は一人あたりおよそ二人以上の子どもを産まなければ、人口が減少していくことになる。大雑把に言えば、合計特殊出産率が2.0を下回ると、今後人口は減少するということになる。(ただし、実際には産まれた子どもが出産可能年齢に達する前に死亡する場合もあるので、これを考慮して2.08とされている。)このことから、人口現象を考える上で、合計特殊出産率は非常に重要な指標なのである。
大正時代の合計特殊出生率は、現存の資料からでは、大正十四(1925)年以降のものしか分からないのだが、これを見ると、第二次世界大戦後のベビーブーム(第一次ベビーブーム)の時代を除いてすべて低下していることが分かる。よって、日本の出生力の低下は1920年代(または1920年代後半)に起こったとする説が一般的だそうだ。
しかし筆者は「それ以前の正確な資料もないのに、出生率低下の始まりを1920年代とするのは早計ではないか。1920年代以前からすでに低下が始まっていた可能性も考えられるはずである」、あるいはまた、「"日本"という大きな単位ではなく、地域ごとの差異にも目を向けるべきである」「大正十四年のデータはその当時のものではなく、後の聞き取り調査によるものであり、その正確さに対する信頼性は低い」としている。
こうした理由から、筆者は独自の方法で大正十四年以前の合計特殊出生率を計算することにしている。この計算に使用された資料が、大正十四年の「父母ノ年齢別出生統計」という統計の附録として刊行されたもので、大正五年、全国十五府県の、出生児の母親の年齢について調査したものがあったので附録として採録することとしたとのことである。大正五年の女性人口についての資料は、信頼性の高いものがないため、もっとも信頼できる大正二年の「日本帝国静態人口統計」と、大正九年の「第一回国勢調査」の間をとるという形で算出している。
こうして、大正五年の十五府県ごとの合計特殊出生率が得られる。十五府県というのは、東北3県、関東1府、北陸2県、東海3県、関西1府、中国2県、四国1県、九州1県に北海道、沖縄県を含み、全国各地域を代表する府県となっている。
この合計特殊出生率から分かることは、まず東京府、大阪府における出生率は4.0以下であり、他県を大きく下回っていることである。東京府と大阪府は、当時の日本の都市人口第一位の東京市と第二位の大阪市をそれぞれ含んでおり、大都市における低い出生率を反映していると言える。次いで低いのは福岡県で4.0強であるが、これは福岡市を中心とした北九州工業地帯の形成過程に伴い、都市化がすすみつつある結果とみられる。逆に出生率が高い県を見てみると、5.5を上回るのが7県で、これらはいずれも農村人口の多い県である。
農村より都市の方が出生率が低いというのは理解できることであるが、これに関して、本書の電灯の普及について述べている部分を併せて読んでみると、面白い説も出てくる。大正時代には急速に家庭に電灯が普及するのだが、農村より都市の方が普及が早かったことは言うまでもないだろう。この電灯の普及により、夜でも明るい生活を送ることが可能になった。そしてこれが出生率を下げたのではないかというのである。冗談のような説だが、これは実際に考えうることではないだろうか。
また全体としては、西日本よりも東日本の方が出生率が高いことが分かる。これは、女子の結婚年齢の地域差と深く関係がある。女子の平均結婚年齢は、西より東の方が低いのである。したがって、妊娠する確率の高い二十〜二十四歳の女子の有配偶率に大きな差があり、その結果出生率の違いにも影響が出てくると考えられる。
ところで、現在の日本は、世界でも稀なスピードで高齢者人口が増加している。この一つの要因としてあげられるのが少子化である。上で、大正十五年の東京府と大阪府の合計特殊出生率は4.0を切る低い数値となっていることに触れたが、現在(2002年)は何と1.32にまで減少しており、2007年には、これまで増加の一途をたどってきた日本の人口はいよいよ減少に転じると予測されている。
原因としては、女性の晩婚化、非婚化傾向や女性労働者の社会進出などがあげられているが、豊かになった日本では当然の結果だと言える。所得が増えるにつれて、人は子どもを出産したくなくなる傾向があると思う。所得が多い世帯は、基本的に仕事が忙しいため、子どもの面倒を見る時間がなくなるということになる。最近では保育所が整備されてきてはいるが、それだけでは子どもを育てるのに十分な環境が整っているとはいえないだろう。日本は、よく総中流階級社会といわれるが、これがアメリカなどと異なる点である。めだった貧富の差はなく、誰もが一定の教育を受けている。このことが出生率の低下を促進しているのだと言える。
参考文献・・・・・・・・・・・・・・・
速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ 歴史人口学で見た狭間の時代』文春新書(2004)
(約2600字)
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