ことばのバリエーションの存在意義

  (1)地域差(方言)
 そもそも、ことばにはなぜ地域差が生まれるのか。
 一つ目に、ことばというのは時間とともに変化するものであり、またこの方向は不定である。
 二つ目に、われわれは制限された空間内で生きている。これは自然の地形の問題、社会的制約の問題、日常生活を送る上で必要な空間の問題などが絡んでいる。 例えば山に囲まれている村では、周辺との交流が減り、その結果ことばが独自の変化をすることになる。
 また、日常生活を送るには、必要十分な活動範囲というものがある。大阪で暮らしている大学生にとって、生活するために東京に行かなければならない理由というのはそれほどあるわけではない。
 三つ目に、われわれの生活環境は地域によって気候・社会・文化の差があり、それがことばに影響する。
 例えば、漁村では海に関する語彙が豊富であることなどが挙げられる。

 これら三つの要素は時代にかかわらず常に起こりうる事象であるといえる。とすると、ことばの地域差というものも必然的に存在するわけである。

 これと、方言使用者・受容者の意識について、あわせて考えてみることにする。
  かつてまだメディアの発達していない頃、地方在住者にとって、最先端の流行や最新の情報が流れてくる都会は憧れの対象であり、これに伴って、都会で話されることばもまた憧れとなったのではないだろうか。しかし、現実には、地方と都市との交流は移動手段の未発達などの理由で今ほどには活発ではなかったため、お互いの話すことばをよく理解する機会も少なく、地方に共通語はそれほど浸透しなかった。一方、都市在住者にとっては、方言は田舎臭さを感じさせるマイナスイメージのものであっただろう。
 しかし現代では、メディアが発達し、地方への共通語の浸透がすすんでいる。(逆も然りと言える。)これは一見すると全国の共通語化につながるように思われる。
 そういう面も確かにあるが、それとは逆の動きもあると思われる。つまり、都市と地方との交流が増えたことにより、方言の認知度も高まり、かつての方言コンプレックスがなくなりつつあることで、方言は、使用者の出身地に対する愛着や誇り、独自性を示すために好んで使用されるようになっているという事である。また、長年慣れ親しんだ方言には、共通語では表しきれない微妙なニュアンスを的確に表現できるという事もある。


 (2)性差
 言語を通して位置づけられている女性の社会的な地位と、女性同士、男性同士、あるいは男女で会話をするときに、女性はどういう役割を担っているのか、という二つの問題、更にそれを取り巻くジェンダー・イデオロギーの再生産に焦点を当ててみたいと思う。

 まず、女性の使う言葉には大きく言うと二つの特徴がある。
 一つ目は、「自己主張和らげの原則」である。言語というのは、ある程度自分の意思とか感情とかを主張しなくては意味がないが、それをあまりにあらわにすると女らしくないと思われるので、「〇〇だわ」と語尾を上げて言う終助詞の使い方がある。これは断定しないで相手に同意を求めるような効果ももっている。
 他にも、「宿題をやったか?」というような普通の疑問文は男性が使うもので、女は「…かしら」というような婉曲な言い方を使ったりする。
 命令文では、「早く行け」「静かにしろ」「聞け」などを、女性の場合は「行きましょう」「行ってください」、「静かにしてください」、「聞いてください」「聞いてね」などと、依頼形の言い方をすることになる。
 一般的に女性は自己主張をしすぎるのはよくないという規範があるため、自己主張を和げて相手の抵抗を少なくするような表現をするように、という意図のある、女性規範の言語的な表現といえる。

 二つ目に、丁寧な言葉は男女共に使うが、男性の場合は必ずしも使わなくてもいい、という違いがある。
 男性の場合は、相手との関係で、「行け」と言っても「行ってください」と言っても「行きなさい」と言っても良い。男性が丁寧語を使わねばならないのは、 一般的に言えば社会的な下位者が上位者に向かって話す時であるが、女性はあらゆる場合に丁寧な表現を期待されている。
 これは、女性が社会的に下位者として位置づけられていることの言語的な表現であろう。

 次に会話というコミュニケーションのなかでの男女の位置づけを見てみる。

 社会的な上下関係がある人たちの会話では上位者が割り込む、たとえば医者と患者が同性だったら医者のほうが割り込む率が高い、という研究結果がある。では、女性が上位者で男性が下位者の場合、例えば男の患者と女性の医者という関係の会話ではどうかというと、その場合には社会的な上下関係よりは男女というジェンダーのほうがより優位に機能する、という結果が出ている。
 また、会話では、相手の話にあいづちを打つのは女性が多い。
 一方、自分に関係のない話、自分に興味のない話のときに沈黙するのは比較的男性に多く、沈黙の末に割り込んですぐ別の話題に変えるのも、男性の方に多いという調査結果もある。

 更に言えるのは、公的な言語行為やメディアの影響によるジェンダー・イデオロギーの再生産である。
 例えば、外国人歌手の音楽CDの歌詞に日本語対訳がついている事があるが、これが女性歌手の場合、たいてい「○○だわ」とか「〜なのよ」といった表現がなされている。実際には女性がこのようなことば遣いをすることは現代ではあまりないが、こういった表現が不思議に思われることもなく蔓延している。
 これらには男性優位の社会が当たり前に機能している現状を窺うことができる。


 (3)集団差
 まず、職業語や専門語などの場合、これは職業上必然の発達である。一般社会で生活している上ではまず関わることのない分野においては、当然それに関する語彙もほとんど発達しない。逆に、そのような専門分野の語彙がいくら発達しても、日常生活でわれわれが一般に使用することはない。
 つまり、この集団語は、相互理解を妨げるという以前に、相互理解できない人々にとっては最初から必要のないことばである。

 次に、キャンパス語や隠語などの場合、相互理解を妨げることが逆に意味を持っているといえるだろう。集団内でのみ通じる表現は、所属する集団の結束性を高めることになる。その話し手の連帯性を象徴的に示すという社会的機能をもつのである。逆に、あるグループにおいてそのグループとは関係ない集団語を用いると、その話し手は差別を受けたり、疎外されたりすることになる。これも同じく集団語の社会的機能によるものである。

 人は、同時にさまざまな集団に属している。ある集団に属しているという事が、別の集団内においてはマイナスに働くこともある。このような場合は、意図的にその集団語の使用を避けることで、その集団との関わりを否定することも出来る。それぞれの集団内でことばを使い分けることで、人はさまざまな自分を確立しているのだといえるだろう。


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参考文献:
トラッドギル著 土田滋訳『言語と社会』岩波新書、1975年
徳川宗賢/真田真治編『新・方言学を学ぶ人のために』世界思想社、1991年
ロビン・レイコフ著 かつえ・あきば・れいのるず/川瀬裕子訳『言語と性―英語における女の地位』有信堂、1985年
井出祥子『女のことば 男のことば』日本経済通信社、1979年


(約2800字)



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