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芽音岩生 縁(えにし) 2021年を佐渡の大観光交流年に! めざせ!トキマラソン おぼえ書き
おぼえ書き
 
  File No.1 順徳 第一皇女 慶子女王につい
 承久の乱で順徳上皇が佐渡に配流になったのが、御年24歳。
 この時の佐渡守護代も、依智の本間殿だったのでしょうか? いずれにしても、鎌倉の幕府から佐渡での生活の費用等は出てたみたいですので、佐渡守護代が間接的にせよ、面倒を見ていたのだと思われます。 
 
 そして、佐渡在住時の1225年に 慶子(よしこ)女王が誕生しています。
順徳28歳の子供です。母親は誰でしょうか?
 
 また、順徳上皇が自害したのが、1242年10月7日(仁治3年9月12日)。
和暦だと45歳、西暦だと44歳!?。慶子女王が17歳のときの出来事です。今だと多感な年頃です。
 
 慶子女王がご逝去したのが、1286年(弘安9年)といわれております。満年齢61歳。 
 
 そうすると、1272年(文永9年)の塚原問答時は慶子女王47歳。本間六郎左衛門の守護のもと、生活していたのでしょうか? 慶宮寺付近の宮川が住居でしょうか?
 私、慶子女王も佐渡歴史伝説間のロボットでしか知りませんでしたが、結構美人に作ってあります。
実際の御容姿は、どんな感じだったのでしょうか? 男女関係とか? 子孫とか?
 
 どちらにしても、慶子女王と本間六郎左衛門、そして日蓮さんの3人は、同じ空間で過ごし、同じ月を見ていたことになります。
 特に日蓮さんと慶子さんは3歳違い。同年代は関係なしに、面識があったかも知れないですね。
そう考えると、ワクワクしてきます。歴史って、わからないから、おもしろいです。 
 See You Again 岩生
 








 
 
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