斉藤光悦 たちこめた夕もやに家々の灯りがにじみ、わずかな明るさの底にあじさいの一叢(ひとむら)がある。十個くらいの花鞠(まり)。赤紫と青紫色が薄闇に溶け込みつつあった。その上をほのじろいものがただよっている。一匹の蝶だった。ささやかな風が吹いている。右に左にふられ、時折り舞い上がり、行ったり来たりしていた。蝶は蜜(みつ)をさがし求めているのではなく、花のにおいに導かれながら、人間にとっての思い出や記憶のようなものをなつかしんでいる。夕方の路地を堂々めぐりしている自分。自分と何も変わらない。健一はそう思った。
彼は、その日の朝、美智代の歌声で目覚めた。カラオケで録音した声の再生だ。赤ワインとヴェネツィアングラス、そしてノートパソコンを、緑と赤と白のチェックのクロスを敷いたダイニングテーブルに置き、自分の向かい側に美智代を立たせる。電子レンジで温めたピザ、モッツァレラチーズとトマトのスライスにオリーブオイルをたっぷりかけバジルの葉を散らしたサラダ。赤ワインを注いだグラスを美智代に掲げ、「おはよう」と元気に声を出す。目覚めてから初めての水分。乾ききったのどが音を鳴らして、冷えたワインをむさぼる。空になったグラスを陽光にかざし、縁取りの金色を見つめると、目がくらむ。午前十一時。健一自身が名付けた「思い出暮らし」の一日の始まり。
パソコンをつけ、インターネットにアクセスする。ネットは開かれた世界だ。健一はそのデータ貯蔵庫に、夥(おびただ)しい記憶を預けている。ほとんどが美智代との思い出だ。カメラマンという仕事がら写真が多いが、動画、音声、日記などテキストも含めすべてのデータは健一のホームページ【思い出暮らし】の中にある。
信じられない。蜃気楼(しんきろう)じゃないかしら。町が水に浮かんでる。列車の窓からの遠望。海上に忽然(こつぜん)と現れたヴェネツィアは現実の風景とは思えなかった。蜃気楼。目を閉じると次に目を開けたときにはすでにそこにないもののように非現実的だった。健一の脳裡に突然、ダリの絵が浮かんだ。熱のせいなのかぐにゃぐにゃになった懐中時計が枯木の枝に垂れ下がっている「記憶の固執」という絵。時間が歪んだ(ひずんだ)気がしたから、そんな絵を思い出したのだろうか。美智代を振り向くと彼女の目は風景に向かって見開かれていた。はめ殺しの窓に顔をつけて。吐く息が窓を白く曇らす。
健一のホームページには、ヴェネツィアで撮影した動画だけを集めたページがあり、タイトルは「ヴェネツィアと美智代」だ。サブタイトルとして、大運河、ゴンドラ、サンマルコ広場などおよそ二十項目がリスト化してあり、そのリストをクリックするとそれぞれ十五分くらいの動画が始まる。列車からの遠望もその一つで、タイトルはヘプバーンの名画にちなみ「旅情」。健一と美智代は雑誌の取材のため、空路で成田からミラノ、そこから列車でヴェネツィアに入った。十五時間以上の長旅だった。美智代は赤いセーターに紺色のコート、黒いパンツ姿でヴェネツィア唯一の駅に降り立った。カメラマンの健一は先に広場に出て、駅舎を出てくる美智代を待ち構えた。一月中旬、夜半から小雪が降った寒い日の夕方だった。
ヴェネツィアに乾杯。健一はまた、グラスを美智代に掲げた。きょうの彼女はヴェネツィア到着の日と同じ服装だった。気分次第でどうとでもなる。大学のコンパで初めて一緒に飲んだときの水玉模様のワンピース、卒業式での大正袴、リクルート時の黒スーツ、バリ島での水着、祖父の葬儀での喪服…。クローゼットには、何十体もの美智代が入っている。電気店やレコード店でみかける歌手や俳優の等身大ディスプレイをまねて作ったものだ。大型のプリンターで写真を等身大に引き延ばし、発泡スチロールに貼り付け、ひとがたに切り抜き、自立できるようにバルサ材と針金で支持した「美智代さん」たち。この日のように一人だけ置くことも、壁際に数体並べることもある。思い出のシーンに合わせて健一のコーディネートだ。そして彼女が使っていた香水をふりかける。記憶が次々とよみがえる。
大学の入学式から数日後の肌寒い午後だった。健一は大学の教科書を買いそろえるため、キャンパスの中庭を生協売店に向かっていた。売店の入った四階建ての建物のベランダで一人の女性が中庭を見下ろしていた。都会的で大人びていて、どこかつんとすましていた。田舎には女子大生はいなかった。ベランダの女性は健一の視線に気付き、見返した。健一は恥ずかしさと激しい拍動に耐えきれず視線を地面に落として、売店に歩き出した。教科書を書棚に探しながら、自分が今いる場所の数メートル上のどこかの部屋にいるはずの女性の面影が頭から離れなかった。レジで勘定をすませ、スポーツバッグに十冊近い教科書を入れ肩に担いだ。そのまま出て行きかけてふと立ち止まり、レジに戻った。
レジの職員に言われたとおり、売店の入り口とは反対側に開け放してあるガラス扉があった。「M大学文化部連合会」と墨書された木製の標札。階段の手すりは錆びつき、コンクリートの踏段はあちこち欠けて鉄がむき出しになっていた。学費値上げ反対! 日帝の○○訪問阻止! △△学生部長の横暴を許すな! 派手なビラが階段と踊り場の壁に無造作に貼られ、端が破けたり、めくれたりしている。この建物の上には何があるのですか。法律とか英会話、文学、漫画なんかもあるな。そういう文化部の連合会に加盟しているサークルの部室。二階から四階まで、そうだな五十くらいはあるのかな。今は昔みたいに物騒じゃない。何も問題ないよ。見学してくれば。だが、売店の職員が気楽に説明してくれた雰囲気はそこになかった。学生運動のアジトみたいなものかもしれない。こんな所にあのひとがいるのだろうか。健一はそれ以上先に進むべきか迷った。学生運動にだけは関わるな。思想にかぶれるな。上京するとき、父親はもちろん、おじからも念を押されていた。
二階、三階そして四階へと階段を昇っていく。うすぐらい廊下が二十メートルほど伸び、その両側にたくさんの部屋があるらしかった。一番奥の方のドアが開いた。女性がふたり出てきて、話しながらこちらに向かってくる。軽く会釈してすれ違っていった。ふたりが階段を下りていったのを確認すると、健一はドアまで歩き標札を確認した。マスコミ研究会。危険な部なのだろうか。いや、そんなことはない。あんなおしゃれな女子大生たちがいる部が学生運動なんてしやしない。中からは数人の男の声が聞こえた。議論が激した声や机をたたいたりするような音はしなかった。ドアの前でためらっていると、さっき出て行ったふたりが戻ってきた。五分もたっていない。ここはマスコミ研です。うちにご用ですか。はっきりした口調のやや高い声だった。かすかに柑橘(かんきつ)系の香水のにおいがした。やさしい目で答えを待っている。両頬にえくぼがあった。うすいピンクのくちびるが少しあいて、白い歯がのぞいていた。
そのときから四年間、健一は部室に入りびたった。美智代は三年生で、そのころの女性としてはめずらしく幹事長を務めていた。同じ私鉄沿線から通ってきており、郷里が同じ東北地方ということもあって、美智代は卒業するまでの二年間、健一を弟や秘書のようにあつかい、時には都合のいい恋人もどきとしてつきあった。健一は憧れを恋に昇華させることができないままの片思いを大学時代、そして卒業してからもずっと続けることになった。最初から最後まで、本当のラストの頃は除いて、相手の思いを尋ねたことはなかった。もちろん愛して欲しいと求めたこともない。寄り添っていられるだけで満足だと思おうとしていた。ある距離以上に近づけば撥(は)ねつけられて、微妙な平衡を保っている関係が終わってしまうという予感を持っていた。
一緒に美智代の故郷に行ったことがある。彼女の祖父が亡くなったときで、健一が社会人になって二年目の初夏だった。北東北の小都市まで健一が車を運転した。五、六時間走った高速道をおり、県道に入って西の山脈方面に向かう。信号のほとんどない道を二、三十分走らせると道の左右に濃緑の山が迫ってきた。フロントガラスに雨滴がとまる。天気雨だ。ちょっと前から降ったりやんだりしている。やがて橋にさしかかると、下を流れる川の水は透きとおり、川底の石がはっきり見えた。水中眼鏡をつけ、ヤスを手にした上半身裸の子どもたちが魚突きをしている。右側の山裾は、県道から二百メートルくらいのところから勾配が始まり、そこまでは一面の田んぼだった。右側に見えていた山に向かって進んだ。中腹を墓地が這い上がっている。濃緑の木々に囲まれた、そこだけ黒や灰色の蝟集(いしゆう)した墓地の間に細い道が昇っていくのが見え、そのさらに上に寺の瓦屋根が鈍色(にびいろ)に見えた。上り坂に入ると道の両側から低木の枝が伸び放題で、車の脇腹を引っ掻いてくる。小さい頃は砂利道で、坂を登るのに車がスリップしていたと彼女は昔を振り返った。
美智代は親類たちに驚きと歓迎の表情で迎えられ、連れの健一にはぶしつけな勘ぐりの視線が集まった。法事の間、住職の読経が聞こえてきて、美智代の家族の宗派が健一のそれとは違うことが知れた。急に雨が降り、一分ほどでそれがあがると、蝉が四方から鳴き始め、読経は聞こえなくなった。健一は境内を離れて墓地に向かった。草いきれがし、土のにおいが強かった。線香のにおいもした。水の流れる音が聞こえてくる。沢があった。清冽(せいれつ)な水が流れ、すこしずつ移動している細かい砂粒の上に蟹が一匹じっとしていた。
美智代の家の墓は、一族の墓が三つ並んでいるうちの向かって左側だった。健一は墓石の後ろに回り、埋葬されている人々の名前と没年を調べた。彼女が高校生の年代に没した男性の名前が彫ってあった。信夫。享年五十。何度か聞いてうろ覚えしていたのと一致する。彼女の父に間違いない。正面に戻り、合掌した。墓石の向こうには、雨で洗われた青空に純白の大きな雲が浮かび、その下に田園が広がっていた。さっき子どもたちが遊んでいた川が銀色に光っている。渡ってきた橋がみえる。健一はこのありふれた田園風景のなかのどこかで美智代が生まれ、高校まで暮らしたと思うと、それまで憧れるだけの存在だった彼女が、急に身近な存在として感じられた。健一は自分の妹のアルバムをめくるような親しさで、美智代の誕生の時から自分と出会うまでのそれぞれの年代の姿を想像した。
健一は彼女の写真を時系列的にデータ整備した経験があったから想像するのは難しくなかった。プリント写真をスキャンしてデータ化してあげるという名目で、持っているアルバム全部を一時借り、その時のデータのコピーを手元に残しておいたのだった。小学校か中学校の校舎らしき建物も遠望できた。広い校庭で美智代はどんな遊びをしたのだろう。どんな男子に好かれ、どんな友達とどんな話をしながら登下校したのだろう。いつのまにか健一も、故郷の小学校への通学路を歩いていた。先を行く妹が、隣家の同級生と肩を並べて語り合っている。振り向くと母が手を振っている。妹にそれを教えると振り返り、両手を頭上に挙げて大きく振った。母の面影の中でもとくに印象に残っている場面だった。ゆっくりだが雲が流れ、雲の大きな影が田んぼの上を横切っていく。その影が川にさしかかったとき、美智代の声が後ろから聞こえた。
「何を見ていたの」
「美智代さんのふるさと。小学生の頃の美智代さんを想像してた」
「どうしてそんなことを…ばかね」
「理由を聞かれても…。自然にそうしてた。あなたにちょっとだけ、近づけた気がした」
「わたしたちは、ずっとこのままでいいんじゃない」
「本気で追いかけようかな、って」
「それはやめてね。私と一緒にいたかったら。冗談でなら、すこしつきあってあげてもいいけど」
美智代が川を見ていた。健一は目を合わせようとしない美智代にカメラレンズを向けて声をかけた。
「ぼくは変わりますよ。変われるって気がすこしした。ここにいるとそう思える」
健一はシャッターを切った。その音を聞いても美智代は遠くを見ているだけだった。
帰京すると、美智代から電話がかかってこなくなった。健一から何度電話をしても、会ってくれない。好きだと告白した。マンションを訪ねてインターホンで、電話で、メールで。街角や駅で待ち伏せもした。美智代から差出人の住所が書かれていない、消印も押されていない手紙が届いた。郵便受けに自ら投函したのだろう。「健ちゃん、探さないでね。おねがい。これまでありがとう」
それから三年が経つ。風の便りに、サークルの先輩で、健一も顔だけは見たことのある堀内と結婚したことを知った。「おまえは、遊ばれてたのかねえ」と、消息を伝えてくれた友達は言った。
半分ほど残っていたワインを飲み干すと、健一はウイスキーのロックをつくった。琥珀色の液体を注ぐときに氷がひび割れる音は思い出に耽るための一つのトリガーだ。動画ホームページの「ゴンドラ」をクリックする。船頭に手伝われてゴンドラに美智代が乗り込むところだ。
ヴェネツィア本島は、逆S字型に流れる大運河によって大きく二分されている。その二分された島それぞれが数知れない縦横無尽の水路によって区切られた小島の集合体だ。小島と小島はアーチ状の橋でつながっており、二輪も四輪も自動車は走っていない。自転車も許されていない。車といえば、乳母車と車いすだけだ。交通は徒歩と船。水上バスや荷船、渡し船、救急や警察やタクシーのモーターボート、そして観光用のゴンドラが航行している。自動車が走っていない。それだけで、タイムスリップした気になる。
「カメラなんか回してないで早く乗って」
ちょっといらつき気味の美智代に促され健一も乗り込んだ。カメラは、ゴンドラの後方にすっくと立ち櫂を握った船頭を写したのち、進行方向に向いた。そり上がった船首を画面の中央部に据え、座った美智代を右側に配置。彼女の視線はもう前方に釘付けだ。カメラもそのカメラを回している存在もすでに眼中にない。ゴンドラがゆっくりと進み出す。拍手する美智代。それに答えてイタリア語で船頭が威勢のいい声を上げる。水路は健一がほとんど見たことのない景色を、風景の奥から、そして幻術のように大昔の世界から、次から次と引き出してくる。灰色がかった緑色の不透明な水はよどんでいるように見えるが流れはある。狭い水路の両側には岸がなく、建物が水の中からそそり立っているように見える。塗り壁が剥(は)げ、古びた煉瓦がむき出しになっている。四、五階建ての建物と建物の間で狭い水路は左右から圧迫され、光も遮(さえぎ)られうす暗い。直進と蛇行を続け、右折左折を繰り返す。建物には水路からの裏入口があり、小型ボートが係留されている。煉瓦が積み重なったデコボコの壁に縦長の窓がくりぬかれ、鉄格子がはめられている。前方からほかのゴンドラが曲がってきて、ゴンドラ同士がすれちがう。美智代が向こうの船頭に手を振る。後ろから軽快な音が響いてきた。野菜や果物、飲み物を入れた段ボールを満載したモーターボートが追い越していく。波を受けてゴンドラが揺れる。
建物の窓から窓へ渡したロープに洗濯物が干されていた。出窓には花籠が飾られている。老女がひとり水路を見下ろしていたが、カメラが向けられるとすぐに顔をひっこめた。しばらく別の船とはすれ違わず、追い抜かれることもなかった。櫂が水を送る音と波が建物にはね返る音、そして船頭の息づかいしかしない。耳を澄ませば、壁の中からいろいろな時代の音や声が聞こえてきそうだった。団欒(だんらん)の笑いさざめき、夫婦の諍(いさか)い、死者を悼む嘆きの声、子どもたちがふざけあう声…。「なにか聞こえてくるわ」と壁ぎりぎりに通ったときに壁に耳をあてるしぐさを美智代がしたのもそう感じたからだったかもしれない。光が射したりかげったりするなか、ゴンドラはなお蛇行、直進、左折右折を繰り返して進み続けた。どこへ行くんだろう。健一の声をマイクが拾う。美智代はそれを聞き取り、言った。何百年も前に行けそう。時間。重苦しいほど時間が積み重なってる。一千年以上の歴史を持つ水と時間の迷宮。まっ、そんなとこかな。これだけの迷路が陸にも水上にもあるってことは、何百年も人跡未踏って所がありそうですね。その場所では最後にどんな感情が生まれ交錯して消えていったんでしょうね。カメラマンも珍しく饒舌(じようぜつ)だった。やがてゴンドラは出発場所に戻った。船頭の手を借りて石段に渡った美智代のアップ。画像は四隅からフェードアウトしていき、最後に顔の周りが丸く残り、それもすぐに消えた。
健一は泣いていた。いつものことだ。声はだしていない。それは、映像観賞の邪魔になるから無意識に脳が身体を制御しているのだろうか。ロックウイスキーをその間、二、三杯は飲んだ。泣き始めたという記憶はなく、映像を見終わってみると滂沱(ぼうだ)の涙なのだ。あの頃に戻りたい。健一は胸を締め付けられ、どうしていいかわからなくなる。ウイスキーを嚥下(えんか)するときの熱い感じがなぐさみになる。ほっと息をつく。美智代の等身大ディスプレイに寄り添う。香水のにおい。姿見の鏡を見ると、ほんとうにふたりが並んで立っているようだ。美智代さん、ぼくらはいつも一緒だ。ヴェネツィアに行こう。また、ゴンドラに乗ろう。
結婚したと知ってから半年後、健一は美智代を新宿で見かけた。彼女は夫の堀内と一緒だった。気付かれないように後をつけて、電車に乗り込み、二人が住んでいるマンションの玄関を入っていくまでを見届けた。二人が降りた駅は、健一が定期券で降りられる急行電車停車駅だった。黙って逃げるように引っ越していくなら、もっと遠くに行っていて欲しかった。こんな目と鼻の先では、彼女見たさのあまり、どんな行動に出てしまうか分からない不安があった。何かがうずき始めた。希望というほど強いものではなく、予感といったようなもの。未来に対してかすかだけれど期待できることがやっと一つ見つかった気がした。その予感のようなものに導かれ、美智代との邂逅(かいこう)を求めて、彼女たちの住む街をさまよい歩く。大通りを歩く。大店舗に入る。商店街を見下ろせる喫茶店の窓際に座る。公園のベンチに帽子を深くかぶって本を読む。いろんな路地に入っていく。夜遅く居酒屋に入る。店主と懇意になり、こんな二人連れの客はこないかと話してみる。タクシーをつかまえて、ただ街中をゆっくり流させたりもした。一度だけ、遠くから彼女を見かけたことがあった。公園のベンチに座って三十メートルほど離れたスーパーの入り口を見ていたときだ。健一は思わず目を伏せてしまった。彼女は気づきもしなかっただろう。会いたいのではない。むしろ実際には会えない方がいいのだ。ただ、彼女が確かにそこに生活していて、会おうと思えばいつでも会えるという期待をもっていられること。それが健一の現実生活において唯一といっていいほどの、そしてもろくて小さいけれども、未来に向けたベクトルだった。
町歩き、路地逍遥(しようよう)をするのはそれだけが理由ではない。その町には街川が二本流れていた。路地の中にも川があり、橋がいくつもあった。清流ではなかったけれど、どぶ川というほど汚れてはいなかった。健一はヴェネツィアでの思い出を反芻していた。動画ホームページ「地上の迷路」。
ホテルの玄関から美智代が出てくる。カメラに向かって「それではまいりましょう」と声をかけて、人気のない朝の道に進む。幅三メートルほどの舗石の路は濡れて黒々している。雨か雪が朝方まで降っていたのだ。それまで美智代の後姿を追っていたカメラが彼女を追い越し、正面をとらえ、上半身そして顔へとクローズアップ。視線がカメラの方向を離れ右に向き、やがて建物と建物の間に彼女の姿が消えた。やっと人ひとり通れるほどの細い路地。右側に湾曲していく。彼女は両腕を軽く伸ばし両脇の建物にさわりながら歩く。薄闇の中、靴音が狭い空間に反響し、それに彼女の声が重なる。向こうから人が来たらすれ違えないわよ。すいませんはイタリア語でなんて言うんだっけ。前を向いたまましゃべる彼女の向こうに別の建物の壁がある。たぶん行き止まり、袋小路。彼女はそこまで行かず、予告なく左に消える。カメラからは見えなかった抜け道。突き当たりに壁があり、光が反射していた。健ちゃん、そこで止まって。美智代は突き当りまで歩き、後ろを振り返り、にこっと笑う。右に曲がって姿を消す。小走りしていく靴音が響く。しばらくして彼女が戻ってくる。広場よ、小さな広場。迷路遊びに夢中になった子供のようだ。
「待ってください」。健一は、コンピューター画面に向かって声をかける。「待ちなさいってば」。食卓をたたいて声を絞り出す。健一はふと、その場面の撮影者としての過去の自分と、その画像を見ている現在の自分が、連続した存在であることが信じられなくなる。あのときの健一はあのときだけの誰かでいまもあのへんで暮らしている。ここに今いる自分とは縁もゆかりもない人だ。そういう人が健一にはたくさんいる。無限にいる。どの人が自分なのだろう。現在とはどこだろう。そう思い惑う狂おしい時間がときどきやってきて、健一を苦しめていく。過去と現在と未来の自分の連続性を当然視できていた頃が不思議でならない。健一の時間の分身は空間や時間のあちこちで浮浪している。画面を見ている健一はもぬけの殻だ。人間が椅子に座った形の物体があるだけ。
広場は四方を中層の古い建物に囲まれていた。ちょうど真ん中あたりに井戸があり、蓋がかぶせてある。いまやってきた路以外にも、いくつか路が入り込んできていた。矢印と行く先がかすれた字で書かれた古びた看板が壁に打ち付けてある広場の四隅だけでなく、塗り壁がほとんどはげて煉瓦がむき出しになった建物の半地下にトンネルのような通路があった。ソットポルテゴ。ガイドブックによれば、地下の抜け道。美智代は三、四段ある階段の降り口でかがんで、向こう側をのぞき込んだ。出口が明るいわ。きっと運河よ。風も吹き抜けてる。大運河じゃないかしら。水上バスに乗ってサンマルコ広場までいきましょう。あっ、財布もってきてない。健ちゃん、もってきてるよね。階段を下りていく。身体がかくんかくんと四回沈み、そのたびに下半身が見えなくなる。頭しか見えなくなったところでカメラが後を追いかける。地下道は、両方の出口から通路の奥へ二メートルほど差し込む光と、その光の届かない中央付近を天井の弱い灯りが照らしている。向こう側の出口は十メートルくらい先で、出口の形に光が充溢している。美智代の後ろ姿が逆光のためシルエットになって先に向かう。階段を昇る彼女の脚。一段、二段、三段、四段。下脚が先へ進み見えなくなる。カメラが追う。暗がりにすぐには追随できない画面が暗転し大きく揺れる。
美智代は緩やかな勾配の太鼓橋の頂上部に立っていた。大運河じゃなかったね。でも、明るいところへ出るとほっとする。ヴェネツィアは光と陰のコントラストが強いわ。めまいがしてばっかり。
橋はやや広めの小運河にかかっていた。運河の両側に石敷きの小径があり、散歩している人が何人かいた。見て。美智代が運河の先を指さす。一艘のゴンドラが角を曲がって橋の下へ向かってきた。笑い声が響く。聞き慣れた言葉が交じる。日本人の女連れ三人だ。美智代と同じくらいの年格好。橋の上の美智代を見上げて、こんにちはと手を振る。心の底からはしゃいでいる。手を振り返す美智代の表情も朗らかで、かげりがない。健一は、美智代は自分といるとき、あんなふうには楽しそうじゃないと、さびしい思いがかすめたのを思い出す。カメラは橋下を過ぎていったゴンドラの後ろ姿をしばらく追って、美智代の横顔に戻った。作り笑顔は消えていた。画面から消えた女三人組の嬌声(きようせい)をカメラのマイクはまだ拾っている。覆い被さるように鐘の音が降ってきた。最初は一方向から、すぐに四方から聞こえてきて、音の共鳴に身を包まれる。腹にまで響いた。美智代は目を閉じて、音がおりてくる空を仰ぎ聞き入った。鐘の音がやんでも、空気の震えはおさまらなかった。残響が鼓膜から離れないわ。自動車の騒音がないから静かさに慣れっこになっていたのね。カメラは上空に向けられ、やがて鐘楼(しようろう)をとらえた。
ヴェネツィアには五日滞在した。取材に三日、観光に二日。まだ帰りたくないね。美智代は言った。健一はそれをどう解釈していいか迷う。単なる土地の魅力か、それとも一緒にここにいることを長続きさせたいのか。モーターボートのタクシーをホテルに呼んだ。陸路への玄関から外に出て、ホテルをバックに写真を撮ってもらった。水際の出口から岸辺にでて、そこから運河に突き出した細い木板の桟橋から乗り込んだ。小運河にモーター音がこだまし、ボートがゆっくりと滑り出した。ゴンドラとすれ違い、追い抜き、いくつもの橋の下をくぐって、大運河に出た。ふたりは船尾に立って、左右を遠ざかっていく大運河沿いの壮麗な館や建物を見やった。駅前広場の前を通り過ぎると大きく右に旋回し、広々とした潟(がた)に出る。イタリア本土とヴェネツィアを結ぶ長い橋を頭上に見上げながら過ぎ、本土側にある空港を目指す。白い航跡を潟に残し、モーターボートの速度が上がる。水面から高低様々に突起していた建物や尖塔が形を見分けられないほどに遠ざかり、水上に浮かぶ真っ平らの薄い島のようになった。やがて横長の線となり、ついには消えた。もう一度来れるだろうか。美智代さんとふたりで。健一はそう思っていた。映像をよくみると、遠ざかるヴェネツィアを美智代が見る目も心なしかうるんでいるようだ。また、来れる。ボートを下りる頃にはそこまで思った。けれども、その可能性はあっけなく潰えた。健一は、アルコールがめぐり昏迷してきた意識の中に、いくらでもヴェネツィアの幻影をつくることができた。そこに架空の美智代を生き生きと行動させることもできるようになった。ディテールが不足するときは、ビデオライブラリーをひもとけばいい。
ウイスキーをグラスに注ぎ足す。氷が溶けきって、ほとんどストレートだ。頭がくらくらしている。休憩の時間だ。寝室のベッドに倒れ込む。天井に貼られた美智代の写真。等身大ディスプレイと同じように顔のサイズを実物大に引き延ばしたものがきっちり十枚ある。普段の日はカーテンを閉め切っていて、寝るときに蛍光灯を点けることもないので、美智代の写真は天井の面の中に隠れている。だが、この一日、「思い出暮らし」の日だけは、蛍光灯をともし美智代の顔に囲まれる。美智代が結婚したとき、彼女の写真はすべて燃やしてしまおうと思った。プリントだけでなく、デジタル写真データも、録音した音声も、ビデオライブラリーも、美智代に関するあらゆるデータを抹消しようと一度は思い詰めた。だが、できなかった。健一は、それらを削除してしまった後の自分に残るものが想像できなかった。美智代のデータは、健一の生き甲斐だった。現実の美智代を見られない、声を聞けない、匂いをかげない、歌を聞けない、身振り表情の変化を楽しめない。それらの空虚感を埋められるのはデータだけだった。知り合ってから撮影した写真は数知れない。知り合う前の写真は彼女のアルバムを預かってスキャニングし、すべてデータ化した。一枚につき十分から二十分はかけた。高解像度で読み取り、色や輝度、コントラストの補正をすると、どうしてもそのくらいの時間はかかった。作業を終えたのは三カ月後だった。写真とデジタルデータは美智代に渡したが、コピーは手元に残した。なにひとつデータを捨てず、そのデータを元に彼女を執拗(しつよう)に思い返す。記憶は想起を繰り返すことで強固になる。健一はそう信じるようになった。
ベッドで目をつむる。ヘッドフォンを装着する。ICミュージックプレーヤーとつなげて、美智代の声を聞く。どれだけの場面の会話があるか数えてみたことはなかったが、かなり多い。腕時計の形をしたボイスレコーダーでこっそり録音したものだ。時刻合わせのねじのような突起が録音開始・停止のボタンになっていて、その正体を明かしさえしなければ録音していることを気付かれる心配はまずない。歌声は、カラオケに行ったときに録音した。美智代は松田聖子や中森明菜のバラード系の曲がお気に入りだった。高音はときおり、はずれた。健一は何度も聞き込んでいるので、曲がかかると音程が外れるパートを最初から指摘することができた。歌ではなく、会話を再生する。ランダムにいろんな場面の会話が再生される。時系列にはなっていない。話されている内容から季節や時間、場所、一緒にいた人たちが思い浮かぶ。酔いが深いと推理力が落ち、あれはどこだっけ、いつだったかと時間・場所を定められない時間が長くなっていき、堂々めぐりのうちに眠ってしまっているという状態に陥る。
眠りの間、夢をみる。夢はさきほどの会話が誘導している内容が多い。健一はストーリーの途中で夢が終わったとき、もう一度その続きをイメージすることができる。それが再び眠りに落ち夢をみている状態なのか、それとも寝ぼけているとはいえ覚醒状態なのか、はっきりしなかった。夢ならたぶんストーリーを操作できない。だから、ストーリーを好きな方向にコントロールできているということは、夢に現れたイメージを基盤にした、意識的な想像の働きだろう。
再開したストーリーは、毎度ハッピーエンドだ。出会いの場面はいつも違う。彼女の名前が美智代でなかったり、それぞれの故郷が外国であったり、ストーリーの現在が高校生であったりもする。だが、わかる。彼女は美智代だ。結婚したこともあった。さらに子供に恵まれたことも。ハネムーンの途上であったり、結納(ゆいのう)の格式張った儀式の最中であったりもした。健一は失敗しない。彼女は従順についてくる。完璧にうまく事が運んでストーリーが切れる。うまくいきすぎるから夢ではないかもしれないと疑う。だが、そんなことはどうでもいいことだった。夢であろうと、想像の産物であろうと、快感とか幸福感、そういったものをもたらしてくれればいい。健一はそう思っていた。
こんな一日の暮らし方、生き方を疑問に思わないわけではなかった。キーワード検索で見つけた「人生デジタル化委員会」というチャットルームで相談をもちかけたことがある。『チャット』は、コンピューターネットワークを通じてリアルタイムに文字ベースの会話を行う。
Jun=人生データを全部デジタル化してハードディスクに保存しておこう、ってのは理解できるけどさ。
Toshi=そうそう。理解はできる。というか、全面賛成。たとえばさ、自分に関するデータが全部一枚のディスクに入ってて、それを持ち歩いてるなんて、なんか近未来的でいい。だけど…
Ken=みんな、なんか条件付き賛成の口ぶり。
Jun=うぅん だって…。保存したり、それを再生したりするだけで、そのほかに現実生活がないなんて極端なこと言うから…
Toshi=そう、そう。それ、人の気を惹くための悪い冗談だよね。
Jun=ジョーク、ギャグ?
Ken=……
Jun=だんまりしちゃった。
Toshi=もしかして、怒っちゃった?
Ken=……
Toshi=だって、そんなこと不可能でしょう。
Jun=私もムリだと思うよ。
Ken=怒ってなんかないよ。ダイジョウブ。ちょっと考えてた。
結論から言うけど、可能。ゼッタイ! 実際、ぼくはそういう生活。未来に期待しない。再生を見たり、聞いたりするだけで、充分時間はつぶれる。酒でも飲んでたら一日なんてあっというま。仕事のある日は、ぼくは感情のないサイボーグになってるし。
Jun=データは無限じゃない。飽きてこない?
Toshi=彼女とはもう会えないんだから、データはもう増えないわけでしょ。
Ken=素材は限りがあるけど、組み合わせは無限だよ。飽きるわけがない。再生の順番を変えたり、素材自体に編集を加えたり、方法はいくらでもある。技術が進んでもっといろんなことができるようになる。
Toshi=そこまで言い張る?
Jun=言い張るよねぇ。
k=ひとつひとつの素材だって、よくみればいつも新しい発見がある。よーく写真を見たことあるかな。読み取ろうと思えばいくらでも背景ストーリーは想像できるし、気付かなかったディテールに驚くこともある。
Toshi=問題から逃げるようだけどさ、だからといって、別に過去データにだけ固執しなくたっていいわけじゃん。
Jun=そうだよね。それはそれ、これはこれ、って生き方してみてもいいのでは。なぁんて、お説教口調してみたりして。
Ken=それも一理あり。認めるよ。でも逆に質問。きみたちの言っている普通の生活って、そんなに期待値ある? いつも新しい発見に充ち満ちて、未来に目標を定めて、外に向かって、人に働きかけて、生き生きとして、それなりに後悔したりショックを受けたり環境からインパクトを受けて、それでも負けないで、また立ち上がって。そういうことも含めていつも生き生きとしてる? 人生の素材なんて、そんなに目新しいものばかりじゃない。同じ事や同じものの使い回しや配置し直しだよ。
それからさ、ずっと我慢してきたんだけど… Jun、説教なんて聞きたくないんだよ。
Jun=あれれ、急にぶち切れちゃった。こうなるんじゃないかって思ってたのよ。
Toshi=君もか。ぼくもなんだ実は…
Jun=こうなる前に、出て行こうって思ってたんだけど、ちょっとまにあわなかった。
Toshi=じゃあ、いっしょに出よう。
Jun=最後に忠告。説教じゃないよ。いつか駄目になっちゃうよ。現実と想像の区別、できなくなったら、やばい。やばすぎ…
目覚めると、リビングで音楽が鳴っていた。健一は思い出す。自分自身が設定したスクリーンセーバーが作動しているのだと。曲はエリックサティの「ジムノペディ」。次はベートーベンの「悲愴」のはずだ。起き上がり、テーブルのパソコン画面をのぞく。プログラミングも自分でしたスクリーンセーバーが作動している。プログラムの名前は「マイ・ライフ」。横長のディスプレイ。背景写真は三枚あり、一定の時間がくると次の写真に変わる。美智代の故郷を流れていた川の夕景、ヴェネツィアのサンマルコ広場から撮影した優美な姿の教会とゴンドラのシルエット、キャンパスから見た部室棟の殺風景なセピア色の写真。いま背景に収まっているのは、画面上部に夕焼けの空と黄金色に縁取られた彩雲を配し、中央部は夕日を反映した朱色の川が、上部の空に向かって画面下から流れている。光が下から上へ移動するしかけで、水が流れるように錯覚する。これが背景画面だ。三種類いずれの背景でも、画面の右下端に人間のシルエットが一人立ち、短いストローで画面中央に向かってシャボン玉を吹き出す。麦わら帽のようなつばの広い帽子をかぶっている。音楽はクラシックの静かな曲を選んで、順番にかかるようにしてある。
シャボン玉の中に幼い美智代がいた。二、三歳だろう。このころ健一が生まれた。シャボン玉は、縁を虹色に輝かせながら吹き出された直後は小さく、中央に行くにつれて大きくなり、中央部に来たとき画面の半分を占めるほどの大きさになり、ゆっくり回転する。やがて画面左上端に向かって今度は小さくなりながら移動する。最後は二度回転してはじけて消える。童謡のシャボン玉にヒントを得てプログラミングした。これが一個のシャボン玉の軌道で、現れてから消えるまで時間は約十秒。その一個目が消える頃、次のシャボン玉が吹き出される。これが延々と繰り返される。表示する写真の枚数が尽きれば、また最初の写真から繰り返す設定だが、その心配はいらないほど健一は美智代や自分の写真をストックしている。これまでの二人の人生で撮影された写真をほぼ網羅しているはずだ。写真登場の順番を時系列順と設定してスクリーンセーバーを稼働させることにしていた。
健一は冷たい水を何杯も飲んで渇きを癒すと、左右両こめかみの頭痛をおさめるために、またウイスキーを飲んだ。不思議とおさまる。だが、これが翌日、どんな結果を生むかは知っている。夜は長い。がぶ飲みはもうしない。ちびりちびりやりながら、徐々に脳を麻痺させていき、今度こそ深い眠りに落ち、長い長い夢を見るのだ。
音楽がバッハの「G線上のアリア」に変わる。赤ん坊の健一。盥(たらい)の中で母の手に頭を支えられて沐浴(もくよく)。生後一週間くらいと母から聞いた写真だ。水の中で緊張して身体を縮め、うっすら目を開けている。写真を包んだシャボン玉が次から次に画面に吹き出されてくる。母方の祖母に抱かれている。隣に立っているのは祖父で、この後半年くらいで他界した。健一は祖父の思い出がない。この写真一枚が残っているきりだ。父方の祖父は健一が生まれる前に死んでいる。写真で見たことも数度しかない。父と母の間にしわくちゃな泣き顔。両親はいまの健一より若い。父と写った写真が少ない。思い出も少ない。健一はこの写真を見るたび、接点の少ない親子だったと振り返る。父は酔うと母をなぐった。物心ついた頃から、健一はそんな父と話をしなくなった。いろんな人が健一を抱いて登場してくる。おじやおばはもちろん、近所の人もいる。知っている人も知らない人も、ちょっとヒントをもらえば思い出せそうな人もいる。誰だったかは思い出せないが、洋服の柄を覚えているということもある。自転車や三輪車といったなつかしい乗り物、我が家初めての自動車。壁時計、テレビの型、ふすまの鯉の図柄、障子にあいた穴の数々、こたつ机の大きさに覚えがある。小学低学年のころに家を建て替える前の居間だ。中に入っている食器までは形が判別できないが、四段になっている食器棚、木目の模様、忘れていない。こたつの上にビール瓶とコップ。父のひざに抱かれた健一。父の笑顔がはちきれそうだ。愛されていたのか。しかしそれに応えてこなかったと振り返る。
次に美智代の写真がきた。そり遊びをしている。ヤッケの帽子を深くかぶり、父親らしい大人の男性に牽かれたロープを手袋をした手でしっかりつかんでいて、顔だけカメラを向いている。モノクロ写真なのに真っ赤なほっぺだとわかるような濃淡が頬にある。健一も雪国の生まれ育ちだから、こんな写真がたくさんある。へっぴり腰のスキー姿。美智代も健一もあった。
健一が小学生になるころから、ふたりの写真がカラーになった。写真の枚数がぐんと増える。行事が増えたからだ。卒園式、入学式、運動会、臨海学校、遠足、芋煮会、虫取り、プール、川泳ぎ、学芸会、授業参観、自転車講習、ドッジボールやキックベースの大会、スポーツ少年団の大会、家族旅行、タイムカプセル埋設式、そして最後は卒業式。担任の先生、保健の先生、事務員、給食のおばさん、営繕のおじさん、同級生、町内会の子どもたち、いとこ、おじ、おば…。みんな覚えている。姓名とも言える人、名字だけいえたり、名前だけだったりの人、住んでいた場所や仕事の種類だけを言える人、いろいろだ。美智代の方も同じようなラインアップなのだろう。知っている顔は美智代だけだから、推測しかできない。小学生のときの写真はとても多い。
美智代がセーラー服を着た。小学校の卒業式か、中学の入学式かどちらか。このころから美智代の写真は数が減り、健一も中学からは数が段違いに減る。スナップ写真をとる場面が減った。学年が改まったときの新クラスの集合写真とクラブのメンバーの集まり。そんな程度だ。運動会で食事中なんていう写真はなくなる。親が子どものスナップを撮るという年齢ではないのだ。高校も同じだ。クラス替え、入学式、卒業式と、体育祭や文化祭、スポーツクラブの地区大会で、カメラ部がアトランダムに撮った写真にたまたま写っていたというくらいの写真しか残っていない。携帯電話やデジカメ、プリクラで友達同士で写真を気軽に撮影し合うという時代ではなかった。それでも美智代は健一より高校時代の写真の数が圧倒的に多かった。というより、健一の枚数があまりにも少なすぎた。カメラ部員として撮る側にいたせいもある。
美智代の大学時代が始まった。千鳥ヶ淵の武道館での入学式。お堀の石垣の前でひとりで、母親とふたりで。サークルの新入生歓迎コンパ。たぶん初めてのお酒。数十人の学生がテーブルの周りに集まって集合写真。その中央にいる美智代。そのクローズアップ写真。周りには酔っぱらった顔の男子学生が数人。大きなテーブルを囲んでまじめな雰囲気。サークルの研究会だとあとで美智代から聞いた。右端に堀内先輩の顔。合宿は伊豆大島に行ったという。研究会漬けで遊ぶ暇はなかったと言ったけれど、海岸で砂遊びをしたりボートに乗ったりしている。食堂で何かのカードゲーム。酔っぱらった男子学生にびんたを張るまね。波止場の写真、船内、駅、車内。いろんな仲間と様々な表情とポーズで。そんな写真が二年分続いたころ、健一の高校卒業式の写真が現れる。友達と一緒に破帽を空中に投げあげている。バンカラの高校。応援団でない一般の生徒も、学生帽をわざと破り、ぼろぼろにして、斜めにかぶった。破れ目から髪の毛がみえていても、それが流儀だった。東京に出る前に、家の前で撮った家族写真。父と妹、そして健一。だれが撮影したのか。それともセルフタイマーで撮ったのか。健一は覚えていない。撮影した人は覚えているだろう。あの記念写真は私が撮ったのだと。そんな周囲の人の記憶に積まれていく思い出。一人の人生は、自分自身の記憶と、周りの人間の記憶とがいろんな機会に相からまり、作用し合い、重層的に複雑に、だからこそ掛けがえのないものになっていく。妹の目に涙。無愛想な父。このとき健一は、東京に出たらもう戻ってこないと決めていた。父のいる家に戻りたくなかった。母のいない故郷に未練はなかった。父は、長男なのだから卒業したら家を継ぐため帰ってくるはずだと思い込んでいた。その後、学生時代に何度かした帰省のたびに健一は聞かされた。
健一の大学入学式。同じく武道館。健一を写した写真ではない。昭和○年度M大学入学式という看板だ。そして武道館の内部。広大なホールをいっぱいにした学生と家族。応援団とチアガールのパフォーマンス。ここには故郷の町の人口の三倍もの人がいた。商店街のにぎわい。アパートへの道筋の風景。銭湯の入り口、コインランドリー。そして古いアパート。遠くから写した外観。薄暗い共用廊下。部屋のドア。引っ越しの荷物が積まれた六畳一間。テレビも電話もなかった。
そして二人は出会った。部室やキャンパスのベンチでの語らい、コンパ、大学祭、ラグビーや野球応援、合宿先のホテルや近くの駅、列車のコンパートメント座席。二人一緒に写っている写真はそれほど多くない。健一がカメラマンになり、美智代を写す。美智代一人だったり、友達と数人だったり。健一が写っていない写真はすべて彼が撮影しているといってよかった。キャンパスを歩いている後ろ姿、歩いてくる正面、横切っていく横顔、しゃがみ込んでテニスシューズの靴紐を結ぶ姿、放り上げたテニスボールを見上げ今まさにラケットを振り下ろそうとするところ、こわごわとプルークボーゲンで滑り降りてくるへっぴり腰、ゲレンデに尻餅をついてへそを曲げた表情、学生食堂でたしか三百五十円だった生姜焼き定食の大きな肉片を箸でつまんで口に放り込むところ、机で真剣に書類作りや勉強をしているうつむいた様子。ありとあらゆる場面を撮影したと健一は自負していた。健一の成人式。入学式以来のスーツを着て、緊張して直立。隣にいる美智代が腕を組んでピースサイン。そして、美智代の卒業式。武道館。サークルの同級生数人と大正袴で。いつも中央に美智代がいる。晴れ晴れしい表情をファインダーに納めながら、健一は美智代が大学を去りゆくことにまだ現実感をもてていなかった。卒業証書を広げてみせる美智代。桜の開花にはまだ二週間ほどあった。花びらの乱舞でもあれば、もっともっとシャッターチャンスはあったのにと健一は撮影しながら思った。あと二週間して新たな学生をこの武道館で迎えるころには、桜の花がほころび始める。
美智代は大手の出版社に入社した。二年後に健一が卒業。新聞社のカメラマンを希望したが、非常な狭き門を通り抜けることは出来なかった。留年はできない。アルバイトとして、美智代の出版社に雇ってもらった。彼女の口利きだった。実力と頑張りが認められれば、正社員も可能だからと言われた。一年後の冬、旅行雑誌のヴェネツィア取材に美智代と同行することを認められた。インドネシアや香港、シンガポールにも同行した。健一は、雑誌用の写真も力を抜くことなく撮影しまくったが、休みの日には、美智代を撮影することに没頭した。
シャボン玉の中にヴェネツィアが現れた。列車からの遠望。動画「旅情」の中のワンカットだ。「記憶の固執」のぐにゃぐにゃ時計のイメージが、やはり一瞬ひらめく。イメージのひらめき、それは脳内の化学物質の放出だという。新書版の科学書で読みかじった知識を、健一は自己流に受け入れていた。飲んだ大量のアルコールがどこかの器官で神経伝達物質に化学変化し、脳内で様々な文様の花火を打ち上げる。大運河、ゴンドラ、教会の尖塔と鐘楼、水上の館、大小・形状さまざまなアーチ橋、陸と水の明暗交錯する迷路、ガラス細工や土産物の商店のショーウインドウ。そして美智代、美智代、美智代…。あいまに、申し訳程度に美智代と健一ふたりだけのショット。
健一はヴェネツィアのシャボン玉一つひとつに、声をかける。そこへ行きたい。そこで生きる。ぼくはいつもいない。美智代さん、あなたばかりがそこにいる。目をつむる。夢のようなもののストーリーの流れを操作するように、自分をそちらの世界に放り込み、こちらの自分は無にする。まぶたをゆっくり開く。まだ、彼女しか写っていない。シャボン玉の中にはぼくは入れないのか。再び目を閉じ実現してほしいシーンを文章にする。黙読。それでもだめなら音読。美智代の姿の隣りに、うっすらと自分の影が形をなしてくる。薄かった影から濃い影へ。そして、明確な輪郭と顔貌を持った存在となる。一緒に動き始める。話をする。腕を組む。肩を抱き合う。手をつなぐ。だが、正面を向かない二人。後ろ姿だけがヴェネツィアの水と陸の迷路をさまよっていく。ゴンドラに揺られ、橋を渡り、袋小路に立ち止まり、ソットポルテゴをくぐり、広場や岸辺のベンチで疲れ切った足を休める。サンマルコの大広場にたどり着くまで。二人は励ましの言葉を交わし、ふたたび迷路へと足を踏み出す。疲れたらまたゴンドラに乗る。
健一は夕方の街に出た。短く浅い眠りだったとはいえ、酔いに制圧されかけた意識や身体に力は回復しつつある。電車に乗れば美智代の住む町は遠くない。歩き続けよう。ぼくたち二人の後ろ姿がその路地に現れ、やがてその路地がヴェネツィアの迷路へと変化(へんげ)するまで。
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