地図礼賛 五千分の一東京図



 私は地図が大好きである.小さい時に子供向けの物語『宝島』を読んで以来かもしれない.宝島の地図を描き宝を何処に隠し,海賊が来ても大丈夫な砦を何処に作るかなど夢想した.山に登るようになって,地図に何が表現されていなければならないかとか,都市の観光地図はどうあるべきかなど良く考えた.筆者の地図の評価基準は,

1) 正確さ
2) 使いやすさ
3) 美しさ
4) 歴史的価値

である.

 私が日本地図でなんと言っても最高と推すのは明治 9 年から 17 年にかけて陸軍参謀本部によって製作された通称五千分の一東京図の測量原図である.この彩色の測量原図を基にして明治 20 年に白黒製版が9枚組で出版された.この測量原図は一辺が約 1.3 km 正方形の36枚組で,4枚で白黒製版1図になる.従って残念ながら東京の中心部しかカバーしていないこの地図は上記の基準を全て満点で満たす最高の地図である.これに勝るものは将来にわたっても出ることはないだろうと思われる.測量原図は勿論簡単に手にすることはできないが,その複製は日本地図センターから出版(1984年)されている.

 例として中央部を示す.皇居の内部がこれほど詳細に示してあるものはこの図以外に無い.印刷版では畏れ多いと考えたのだろう.空白になっている.
 左下に目をやると,大きく有栖川邸,更に三条邸,西郷邸,大久保邸,岩倉邸,鍋島邸など記名してあり,明治維新のとき活躍した人達の邸宅の位置が分かる.それもそれぞれの建物の形や庭の様子まで分かる.もっとも明治20年の段階では,西郷隆盛は西南戦争で自死しているし,大久保利通も暗殺されているので,当主は変わっているはずだ.西郷邸とあるのは西郷従道の屋敷かもしれない.この他,ドイツ,フランス,清国,ロシアの公使館なども見える.


東京図測量原図の中央部.

白黒の製版図.左図の東側.
着色は筆者.




 右手下の何も書いていない部分の陸軍練兵場は現在日比谷公園になっている.その北には近衛騎兵の兵舎がある.その間の堀は埋め立てられた.
 明治政府が東京に移り,それまで居た大名を追い出し接収して,公共機関を作ったり引っ越してきた貴族や政府役人の住居にあてた様子が良く分かる.江戸期の地図と較べて見るのもなかなか興味がつきない.歴史の変遷を目の当たりに確認することができる.
 もう一つ筆者が気がついたのは寺が多いことである.しかもそれぞれの寺は池付の立派な庭を持っている.当然樹木も多かったろう.子供にとっては,近所に豊富な緑のある遊び場があったということだ.東京は自然の多いすばらしい環境だったということになる.廃仏毀釈の政策も寺を減らし必要な面積を確保するという意味があったのかも知れない.
 この東京図のカバーする領域が狭いのが残念である.


(2008年7月)


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