最強の碁打ちは誰?



最強の碁打ちは誰かと言われればそれは本因坊道策だとか,いや秀策だとか,いろいろ人によって意見は違うだろう.ここではノーベル賞を取った人の中ではと限定することにする.

1977年にノーベル物理学賞を取ったフィル・アンダーソン教授(Philip W. Anderson)の意見によればそれは川端康成だそうである.自分自身はその次だとのご本人の弁である.アンダーソン教授はアマチュア2段と称している.

私が初めてアンダーソン教授と会ったのは,1972年夏私がマンチェスター大学からケンブリッジ大学物理のキャヴェンディッシュ研究所に移ってから,しばらくした日のことである.突然アンダーソン教授が私の居室に現れて,

「私はアンダーソンです.あなたはサイトー博士ですね.」

とおっしゃった.アンダーソン教授はベル電話研究所の研究者で物性理論の分野の世界的なリーダーだが,"Permanent Visiting Professor" というタイトルで毎年半年間キャヴェンディッシュ研究所に見えている.教授は若いとき東大に滞在したこともある親日家であるが,それにしても私はまだかけだしのペーペーだ.一瞬私はそんな有名だったかなと怪訝な気持ちだった.その秘密は次の日明らかになった.次の日アンダーソン教授がまた私の居室に現れ,

「モト,お前は碁を打つか.」

とのたまう.私は3級位で弱いけれど,碁を打つのは好きだと答えた.それではこれから昼飯の時間に碁を打とうということになった.教授は無類の碁好きだったのだ.その後殆ど毎日碁を打った.残念ながら日本人の私が4目を置く勝負であったけれども.ちなみに私はこの不面目に発奮して,日本に帰ってから碁に励み,強い初段くらいにはなった.教授の棋風は日本人の打ち方より少し部分にこだわる,力戦家という感じだと思う.

ある日教授がこれを読んだことがあるかと一冊の本を示された. "Meijin -- Master of Go --" という本で,川端康成の書いたものの英訳本だ.私は読んだ事がなかったのでお借りした.この作品は最後の世襲制本因坊の秀哉と木谷実の最後の公式戦(制限時間無し)の観戦記を小説化したものだ.中には棋譜も入っていて,チョット碁の知識が無いと読みにくいと思うが,碁打ちにとってはなかなか面白かった.

その後しばらく経った1977年,私は西ドイツのベルヒテスガーデンの国際会議に出席・講演する機会があった.この機会に1ヶ月半程かけて世界一周を計画した.ヨーロッパ・イギリス・アメリカの各地にイギリス滞在のときの友人が沢山いるので,その人たちの家を泊まり歩けば,安上がりにすむという皮算用だ.この時ご迷惑をかけた方ごめんなさい.

フランスを経てイギリスに着いたとき大ニュースが入った.1977年のノーベル賞にあのアンダーソン教授が選ばれたというのだ.キャヴェンディッシュ研究所長のモット教授とアンダーソン教授の先生にあたるヴァン・ヴレック教授との3人での受賞だ.私はイギリスの後,アメリカではプリンストン大学での講演を予定しており,そのときアンダーソン教授が司会をして下さることになっていた(この頃教授はプリンストン大に移っていた).

ノーベル賞受賞のお祝い
パーティーのビラ.
(1977年10月)

プリンストン大学での講演も無事に済ませると,アンダーソン教授は私に,翌日にノーベル賞受賞の内輪のお祝いのパーティーがあるから,出席をしていけとおっしゃる.ご好意に甘えることにした.パーティーの肝入りは『局在理論』の共著者(所謂4人組)の一人ドン・リッチャルデッロ博士であった.席上教授は私のことを,日本から最初に来たレポーターだと紹介下さった.席にはジョイス夫人,ベル研時代の同僚で光物性で有名となり,生物物理に転向したジョン・ホップフィールド教授などが見えていた.

ノーベル賞受賞のお祝いパーティー.
アンダーソン教授.
(1977年10月)
ノーベル賞受賞のお祝いパーティー.
中央はジョイス夫人,
一人おいて右はホップフィールド教授.
(1977年10月)

1986年夏,私はベル電話研究所に1ヶ月滞在する機会があった.ベル研では昼時に碁を楽しむグループがあった.既に引退されていたジョン・ライダー博士やジム・フィリップ博士等が打っていた.アンダーソン教授も時折プリンストンから見えるという.皆さん3段格だった.私は早速それに参加した.私はそのとき強い初段位になっていたので,皆さんに先で打つことができた.打った感じでは,アメリカのアマチュア段位は日本より恐らく半段位強いのではないかというのが私の印象だ.韓国のアマチュアはプロと同じ段位を使うそうで,6級と称しても日本のアマチュア初段位だろうか.私の滞在中,アンダーソン教授もお見えになり,再会を喜ぶことができた.

アンダーソン教授を囲んで.
右は福山秀敏東大物性研所長(当時).
左は筆者.
(2002年12月)

アンダーソン教授は東大から名誉博士号を受けるために2002年12月に來日された.肝入りは物性研所長の福山秀敏教授であった.前にも述べたように,アンダーソン教授は若い頃1年程,東大に滞在されたことがある.そのときホストを勤められたのは,福山教授の師匠の久保亮五教授だった.この名誉博士授与の席に私も出席が許され,殆ど20年振りの再会を喜ぶことができた.

(2006年1月)

[2007年2月20日付記]
 アンダーソン名誉教授は2月10日,プリンストンで行われたニュージャージー碁オープンの席で日本棋院から名誉三段の称号を授与された.アメリカ人では物理のアインシュタイン,チェス・ グランドマスターのエドワード・ラスカー,宇宙で初めて碁を打った飛行士のダニエル・バリーに次ぎ, 4人目だという.
ニュージャージー碁オープンに参加した
アンダーソン・プリンストン大名誉教授.
撮影 Chris Garlock (AGA E-Journal)
(2007年2月)


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