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図1.Maarter Gerritsz (de) Vries の日本・蝦夷新図 1650年 [秋月:口絵] 蝦夷と樺太は接続している.国後は蝦夷と一体で, 択捉島(ステートランド),択捉水道(フリース海峡), 右方に大きなウルップ島(コンパニーズランド)が見える. |
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図2a. 正保国絵図 1644年 国立歴史民族博物館 秋岡コレクション 蝦夷(今の北海道)が描かれている一番古い図. |
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図2b. 正保国絵図(部分) 蝦夷が小さい.一番北の小さな島は樺太. 千島の存在が初めて表示された.36島描かれている.[洞] 交易相手のアイヌの伝聞によるものであろう. |
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図4a. 元禄日本総図. 1702(元禄15)年写 縦 222 cm. 蘆田文庫 |
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図4b. 元禄国絵図. 1700(元禄13)年 北海道大学図書館 蝦夷の図.21ヶ所の樺太地名がある. |
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図5. Imperium Japonicum. Adrien Reland Reiner (1676-1718)(オランダ) 1715(正徳 5)年 通称,レランド地図.流宣地図の引き写し.地名に漢字名が入っている. 右下に長崎港の図が入っている.徳川将軍家の葵の御紋も書き込まれている. |
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図6. Imperium Japonicum Engelbert Kämpfer (1651-1716) 1727年 レランド地図の焼き直し. |
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図7. 「ロシア全図」 ロシア科学アカデミー編 1745年 ベーリング,シュパンベルグらの航海上の 発見を集大成し,はじめてオホーツク地域 がほぼ正確に認識されている.ただし,樺太 南部・蝦夷が欠落している. |
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図8. 「新刻日本輿地路程全図」 長久保赤水 1775(安永4)年 |
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図9a. 林子平 (1738年(元文3年6月)- 1793年(寛政5年6月)) 仙台市 |
![]() 図9b. 三国通覧図説輿地路程全図 林子平 1785 (天明5)年 大英博蔵 [宮崎 他] |
![]() 図9c. 蝦夷国全図. 林子平 1785(天明5)年 内閣文庫版の模写 |
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図10.蝦夷輿地之全図 天明5年調査隊山口鉄五郎他製作 1786(天明6)年 北海道大学図書館 ようやく北海道らしくなってきた. |
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図11a. 最上徳内(とくない)(1754(宝暦4)年 -1836年(天保7年9月)) P.F.B. von Siebold, "Nippon" (1832-1882) 九州大学図書館蔵 |
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図11b. 『蝦夷風俗人情之沙汰』付図. 最上徳内 1790(寛政2)年 東京大学図書館南葵文庫蔵 千島列島がほぼ正しく描かれた初めての国産地図. |
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図11c. 『蝦夷風俗人情之沙汰』付図.(部分) 現地アイヌからの聞き取りのよる千島列島名. 赤字は改訂された新名称.ロシア語序数を なまったものが多い. |
![]() 図12a. ヲロシャ人物并小屋内図 ラックスマン一行と大黒屋光太夫. 左から3人目光太夫,5人目船長ロフツォフ,右端ラックスマン. |
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図12b. 地球全図 桂川甫周『北槎聞略』付図 内閣文庫 国立公文書館 光太夫の持ち帰ったロシアの地図. 原図はロシア科学アカデミー「アメリカ 北部および周辺海域におけるロシア 航行者たちの発見地図」(ca. 1773). これはロシア科学アカデミー(ミュラー 編)同名の地図(1758)の改訂版[秋月: p. 180] ただしこれは幕府が秘匿し, 公表されなかったようだ. |
![]() 図12c. 亜細亜亜墨利加対峙図 『北槎聞略』付図 内閣文庫 |
![]() 図12d. 和製ロシア極東図. 蘆田文庫 |
![]() 図12e. 亜細亜全図 『北槎聞略』付図 内閣文庫 |
![]() 図12f. 魯斉亜之図 長久保赤水 蘆田文庫 |
![]() 図12g. Landeskarte von Japan ドイツ・ゲッティンゲン大学蔵 大黒屋光太夫が描き,ロシアに残した日本地図.九州が本州につながっている. 手持ちの『節用集』の図を利用したと考えられている. |
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図13. 近藤重蔵(じゅうぞう) (1771(明和8)-1829 (文政12年6月)) |
![]() 図14a. 樺太(離島説). 近藤重蔵 1802年 北海道大学蔵 |
![]() 図14b. 樺太(半島説). 近藤重蔵 1802年 北海道大学蔵 |
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図15a. 国後・択捉の潮流 1790年 北海道大学所蔵 西蝦夷から(左),オホーツク海(中)から,北海(右) からの3本の潮流が合流して国後島と択捉島の間を 通る強い潮流となる.高田屋嘉兵衛の調査で判明した. |
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図15b. 高田屋嘉兵衛 (1769(明和6)-1827(文久10)) 函館市 1846 (弘化3) 年 国後島・択捉島航路を開き漁業を振興し, 巨万の富を築いた.それらを全て函館の町造りに注ぎ込んだ. 後に1812年リコルドに拉致されるが,ゴロヴニンの釈放に尽力 し,函館に戻った. |
![]() 図16. Nikolai Petrovich Rezanov (1764-1807). |
![]() 図17. Ivan Fëdrovich Kruzenshtern (ドイツ語表記では Adam Johann von Krusenstern) (1770.1 Estonia-1846.8). |
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図18. 視聴草 (レザノフ長崎航海図) 公文書館 レザノフがもたらした世界地図. |
![]() 図19a. クルーゼンシュテルン作成の地図 1804年 |
![]() 図19b. クルーゼンシュテルン の改訂地図(部分) 1805年 |
![]() 図19c. アイヌの男性 クルーゼンシュテルン 『世界周航記』 1810年 |
![]() 図19d. アイヌの女性 クルーゼンシュテルン 『世界周航記』 1810年 |
![]() 図20a. 間宮林蔵. 松岡映丘筆 間宮記念館(つくば未来市) |
![]() 図20b. 間宮林蔵銅像. |
![]() 図21a. 北蝦夷島地図 1810(文化7)年頃 間宮林蔵 内閣文庫 黒竜江付近で緯度が 3度ほど狂っている. |
![]() 図21b. 間宮(右)と最上徳内の比較. シーボルト『日本陸海図帳』 九州大学蔵 最上徳内が間宮のあとを継ぎ 詳細な調査を行った. |
![]() 図22a. Philipp Franz Balthasar von Siebold (1796.2-1866.10). 川原慶賀画 長崎県立図書館蔵 |
![]() 図22b. エドアルド・キヨソネ画. 1875年 国会図書館 ただし,キヨソネがシーボルトを 直接写生したものではない. |
![]() 図23. 伊能原図・高橋編集の日本地図. 国会図書館 |
![]() 図24a. 高橋の日本辺界略図 1809年 九州大学蔵 |
![]() 図24b. 高橋の日本辺界略図 (部分:樺太付近) |
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図25. シーボルトの著書 に紹介された日本地図 1851年 押収をまぬがれた高橋の地図が シーボルトの手に残っていた. |
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