地図礼賛 伊能図



 日本の地図では何といっても伊能忠敬の測量した地図であろう.日本の誇る近代初のの実測による全国図である.伊能図と総称される伊能忠敬の『大日本沿海輿地(よち)全図』(1821(文政4)年)は、縮尺によって大図214面(1町を1分:1/36,000)、中図8面(1里を6分:1/216,000)、小図3面(1里を3分:1/432,000)の3種類がある。大図の正本は1873(明治6)の皇居火災によって焼失し,東京帝大にあった副本も関東大震災の時焼失した.幸いなことに2001年7月アメリカ・ワシントンの連邦議会図書館でその模写本の大半207面が発見され大きな評判になった.アメリカで見つかった大図の大半は彩色されていないので,完成された稿本とは言えないようだ.その帰国展も日本各地を巡回する形で2004年に開かれた.


伊能忠敬
(1745(延享2)年,
上総国小関村生れ
−1818(文政元)年)
伊能忠敬記念館
(香取市佐原)

 筆者は残念な事にこの展覧会を見ていないが,カタログ(アメリカ伊能大図展 実行委員会編『アメリカにあった伊能大図とフランスの伊能中図』(財)日本地図センター,2004年4月5日)でその様子を想像する事ができる.また,アメリカで製作されたディジタル・データに基づいた,大図の複製コピーが作られ販売されている.全国を11の地区に分け,各地区はセット販売になっているが,各セットの値段はおおよそ100万円,全セット一括でも865万円もするので,とても個人で買えるような代物ではない.中図なら買えるかもしれないと思うが商品カタログには見つからない.したがってここでは大部分,上記の展覧会のカタログから引用させていただく.


伊能大図
江戸(部分)

赤線は測量経路.佃島の舟付き場には船印が描いてある.
深川の河口近くの隠居宅には,天測した赤い星印がつけてある.



伊能大図.対馬(西半分)
(明治期製作)


伊能大図.佐渡島全図
(明治期製作)

 赤い線は測量隊の実測した経路.対馬の海岸添いに丁寧に測量しており,リアス式沿岸部の形状がきわめて正確に表現されているのが良くわかる。
 佐渡島では測量誤差を補正するために島の中央部を縦断している.海岸にある船のマークは港の記号である.

 1980年頃フランス・ディジョン近郷に在住のイブ・ペレイ氏宅で発見された伊能中図から.これは大図から編集された中図の正本から作られた副本と考えられるそうだ.図中の半円の綺麗なコンパスは隣接図を接合する時の目印として使う.



フランス伊能中図
関東地方全図
(1821年製作).


伊能中図(部分)
富士山周辺


 富士山は日本最高峰であるだけに,かっこうの目標となったことが,赤い測地線の数からもわかる.星印は天測した地点.細かく村の名前が入っており,山々の彩色も美しい.赤い太線は国界を表わす.
 関東全図の最南端は青ヶ島であるが,測量隊が達したのは八丈島までで,それ以南は位置だけ遠測したという.
 伊能中図は、明治17年(1884)から刊行がはじまった日本最初の地勢図『輯製二十万分之一図』の基図として活用された



伊能小図「日本国図」
1822年(文政5年3月)の模写

最後の伊能小図は縮尺約1/432,000で,日本を3枚の図に分けている.
この図の正本は既に述べたように火事で失われたが,最近の2005年,「昌平坂学問所」へ献納された副本が東京国立博物館で発見されて話題となった.針付法(原本を針で突いてコピーする方法)による正規の副本は世界でこれ一例しかない.ただし,まだ良い画像が手に入らないので,上の図は公表されている代わりの画像を用いてある.
監督責任者の高橋左衛門景保(かげやす)が,完成したこの図の写しをシーボルトに渡したことが発覚,彼は死罪を宣告された.いわゆる1828(文政12)年のシーボルト事件である.しかしシーボルトは,高橋作の『日本辺界略図』(1809)をオランダに既に送ってあり,それを彼の著作『日本』の付図として公表した.間宮らが確定した,樺太と大陸の間の海峡を「マミヤ海峡」として発表したことは,あまりにも有名である.シーボルトはこの他,最上徳内から,最上自身の樺太の詳細地図や間宮林蔵の「黒龍江中州并天度」などを受け取っていることはオランダ・ライデン大学のコレクションから分かっている.


 いわずもがなではあるが,伊能忠敬は1745(延享2)年上総国山辺郡小関村(現九十九里町小関)の庄屋小関貞恒の子として生まれ,1762(宝暦12)年佐原村の旧家伊能家の養子となった.利根川堤防修理の功で1783(天明3)年苗字帯刀を許される.1795(寛政7)年忠敬数え51歳の時,天文学者高橋至時(よしとき)に弟子入りした.忠敬が幕命により測量を始めたのは1800(寛政12)年数え56歳の時で蝦夷地を測量した.1804(文化元)年幕臣に取り立てられ,引き続き1816(文化13)年の第10次測量までかけて,日本全国を測量を完了した.この時忠敬は数え72歳になっていた.その後全図の作成に取り組んでいる最中の1818(文政元)年に没した.弟子たちが事業を継続し,1821(文政4)年に「大日本沿海輿地全図」は完成した.


(2008年7月)

2010. 2. 9.   伊能小図のニュースを付け加え,書き直した.

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