ドンタク



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 幕末の開国と同時に沢山の西洋人が日本に渡って来た.日本人はまず軍楽隊の音楽に驚かされたにちがいない.また西洋人は好んで音楽パレードを行い,地域に溶け込もうとした.地域の人はそれを「ドンタク」と呼び,物珍しげ眺めて楽しんだ.「ドンタク」とはオランダ語で日曜日の意味の zondag をなまったものと言われている.ここでは「ドンタク」など楽隊行進を扱った画題を取り上げる.




図1.「バッテイラ
ニテ異国流音楽之図」
画家不詳
神戸市立博物館蔵

バッテイラとはポルトガル語の bateira(はしけ)のこと.




図2.「行列」
画家不詳
神戸市立博物館蔵




図3.「阿蘭陀人巡見図」
画家不詳
神戸市立博物館蔵

バイオリンが入っているのが珍しい.




図4.「阿蘭陀人順見之図」
画家不詳
神戸市立博物館蔵




図5.「横浜鈍宅之図」
五雲亭貞秀 画
(1861年 文久元年2月)
マスプロ電工美術館蔵
先頭より,フランス・ロシア・アメリカ・イギリス・オランダの各国の人々.右手の建物に「ばばけせきはうす」とあるが,ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson)商会の英一番館で,ここの支店長 William Keswick が「ばば(harbor つまり港)のけせき」と呼ばれていたため.


図6.「横浜外国人行烈之図」
一川芳員 画
(1861年 文久元年2月)
マスプロ電工美術館蔵
米国旗を先頭した米国人楽隊.馬車の人物はアメリカ領事か.左手の二階建ては英一番館.



図7.「外国人どんたく遊らん行歩の図」
一川芳員 画
(1861年 文久元年5月)
神戸市立博物館蔵
仏・蘭・英・露・米・南京の各国の人々の行列.



図8.「五箇国人物呑[食偏に屯,タク]之図」
一猛斎芳虎 画
(1861年 文久元年12月)
マスプロ電工博物館蔵




図9.「外国人遁宅之図」
一鵬斎芳藤 画
(1861年 文久元年2月)
神戸市立博物館蔵

各国の人達が花見と音楽を楽しんでいる.




図10.「横浜之新港ニ五箇国
之異人調練之図」
一猛斎芳虎 画
(1863年 文久3年8月)
マスプロ電工美術館蔵
外国波止場でアメリカ・ロシア・フランス・オランダ.イギリスの軍隊が調練.


図11.「調練歩行の図」
一鵬斎芳藤 画
(1867年 慶応3年正月)
神戸市立博物館蔵
この頃徳川幕府の軍楽隊は笛と太鼓を使っていた.日本人の行軍では右足が前へ出る時は右手も前へと,現在と逆の手の振り方をすると言われているが,図ではそれららしくも見えるがはっきりしない.
幕府の軍楽隊はフランスから派遣され1867年(慶応2年12月)に来日したギュティッグ伍長(L. Guttig)からラッパの伝習を受け始めた.フランス軍事顧問団とラッパの伝習生は江戸開城のあと,大鳥圭介に率いられ函館まで達した.五稜郭が落城し,このフランス軍事顧問団は1868年(慶応4年9月)に離日する.
しかし,日本の軍楽隊が本格的に西洋楽器を使い吹奏楽を学ぶのは,明治政府ができてからで,薩摩藩から派遣された楽隊が英人フェントンに習い始めた1869(明治2)年末からのことだ.


図12.「横浜高台英役館之全図」
二代目歌川広重(喜斎立祥)画
(1869年 明治2年)
マスプロ電工美術館蔵
大きな建物は山手120番地の英公使館.軍楽隊を先頭に,赤い制服のイギリス居留軍歩兵が行進している.軍楽隊の指揮官は中村理平氏によって,フェントン軍曹(Sgt. John William Fenton),演奏していた曲は「第10連隊の歌」と同定された.

曲名として普通は"Irish Washerwoman" [桜井雅人: 2010.04.02私信].
演奏は例えば:
Irish Washerwoman - André Rieu
http://www.youtube.com/watch?v=d24aDqOZdcc


譜1.「第10連隊の歌」
中村理平『洋楽導入者の軌跡』p. 74より.

写真1.J.F. フェントン
小田切進『国歌君が代講話』
(共益商社書店,1936年7月)
訂正再版より


フェントン(Sgt. John William Fenton, 1828〜?)は1868年(慶応4年3月)来日,薩摩藩の依頼によりいわゆる薩摩楽隊を立ち上げ訓練した.日本初めての礼式曲「君が代」を作曲し,1870年(明治3年9月)の御前演奏で指揮したことで有名な人である.

Fenton 作曲の「君が代」:
Original Kimi Ga Yo - First National Anthem of Japan
http://www.youtube.com/watch?v=N_OZYFLhohk

フェントンの「君が代」は現行の「君が代」が1880年10月に完成すると儀礼の場では廃止された.しかし現行の「君が代」はすぐには民間に広まらず,学校現場では,文部省肝いりの『小学唱歌集』初編(1882年4月)の 第二十三曲ではウェッブ(Samuel Webbe, Sr., 1740〜1816)作曲の メロディーが採用された.これも長くは続かず,改めて文部省は 『中学唱歌集』(1889年12月)で現行の「君が代」を採用し,続いて 『祝日大祭日唱歌』(1893年8月)に指定し,広く国民に国歌扱いで歌われるようになった.「君が代」が法律で国歌と制定されたのはずっと遅く1999年8月の事である.


譜2.フェントン自筆の楽譜.表題は "Japanese National Hymn" とある.
ただし,鉛筆書きされた歌詞は万葉集の「みたみわれ 生けるしるしあり あめ つちの,栄ゆるときに あへらく思へば」であった.
田村虎蔵『教育音楽』176号(1918年3月)pp. 46-56.

譜3.流布した「君が代」の楽譜.
一記者『新音楽』1巻4号(1918年8月)pp. 12-16.
和田信二郎『君が代と万歳』増訂3版(光風館,1937年6月)pp. 98-103 の記述 によると,一記者とは妹尾幸次郎で,譜は妹尾の筆写.ただし譜が何に基いてい るか不明.



図13.「横浜海岸異人館之図」
三代目歌川広重 画
(1870年 明治3年)
神戸市立博物館蔵



図14.「開化名所一覧 横浜異人館 ドンタク之図」
作者不詳
横浜開港資料館蔵

洋風の弦楽器をバチを使って演奏している.楽器は不明.



(2008年7月)


[参考] 神戸市立博物館蔵は 同館の展覧会『描かれた音楽』(2003年11月1日〜12月25日)のカタログによる.
 マスプロ電工博物館蔵は 端山 孝『浮世絵で見る 幕末・明治文明開化』改訂新版(講談社,1980年7月)による.
ギュティック,フェントンの事跡については,中村理平『洋楽導入者の軌跡』(刀水書房,1993年2月)を参考にした.
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