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第八十六 風車 第八十七 園の遊 第八十八 兎 第八十九 手車(遊行) 第九十 家鳩 |
第九十一 野山の遊 第九十二 めしひのあそび 第九十三 こねづみ 第九十四 春 第九十五 夏 |
第九十六 秋 第九十七 冬 第九十八 山家 第九十九 宇治川 第百 花見之駒 |
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| 豊田芙雄(ふゆ). |
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![]() 写真1. 前列左から,芝葛鎮,メーソン,中村専,辻則承, 後列,東儀彰質,上真行,奥好義. (『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第一巻』(音楽之友社,1987年)より) |
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芝葛鎮氏筆の保育唱歌譜下巻遊戯之部の巻末に 唱歌遊戯ノ諸譜 墨譜撰成伺 上申ノ年月左ニ記ス 但墨字ハ唱歌 朱字ハ遊戯ノ歌ナリ とあって 明治十年十一月十三日 (朱)風車 壱律五 冬燕居 盤律 の二曲を第一回とする撰成伺の年月が列記されている.之を見て行くと新君ヵ代の双生児に当る「さざれ石」の曲は 明治十二年一月十六日 上申 富士山 盤律 サゞレイシ 双呂 春山辺 双律 ウナヒノミチビキ 壱律 露ノ光 平律 教ノ道 平律 と記載されて居るので,新君ヶ代の誕生(作曲)は凡そ明治十一年十月下旬と推定されるのである. 或る寒き宿直の夜,同宿の林廣季(当時二十一才)の面前にて〔奥好義により〕「二部音符」にて作曲され,廣季はその卓抜した佳作に驚き,従前の例によってその翌朝この原譜を父なる当時上席伶人であった林廣守氏に提出したところ,廣守氏もその名作なるを認めてこの新君ヶ代曲譜を受理したのである.総員が近親者である雅楽課では,昨夜の宿直にて奥好義が新君ヶ代を撰譜したことやその旋律までも衆知の事となったのであるが,十一月二十七日の撰成伺上申にも「君ヶ代」の名が出ず,伶人一同が不審に思って居る時,「フェントン作君ヶ代」の廃曲が発表され,「一等伶人林廣守撰譜」と明記された古式墨譜に書き改められた「君ヶ代」の発表を見,伶人一同大いに驚いたのである. この異常な事態は,兼ねてより不評であったフェントン作君ヶ代に就き熟考中であった廣守氏は好義作君ヶ代の名作なる事を認めると同時に「フェントン作君ヶ代」をこの新しい君ヶ代に替えて既に恒例となっている天長節宴会奏楽の勤めを果さんと考へ,上司との交渉を経て「フェントン編君ヵ代」の廃曲と云ふ手段を執ったのである. その為に「さざれ石」の曲には墨譜撰成伺があるが,「新君ヶ代」は吹奏楽演奏の恒例曲として新楽唱歌の列より離され独立した歌曲に取り扱はれて仕舞ったのである. (中略) この「フェントン編君カ代」の廃曲に続いて「新君か代」の抜擢に就いては当時の伶人間に何んの異存もなく,当の原作者は自作の意外な転用に驚いたと語っている. 若しこの事が行はれなかったら今の「君か代」は世界中の国歌に伍してオリンピック競技会に歌われることもなく,百数曲を数へる新楽唱歌(保育並に遊戯唱歌)と共に今頃は全く忘れ去られる運命にあったもので,当時上席であった一等伶人林廣守氏の執った処置は賞讃さるべき大英断であったのである. |
| 牛込御門内雅楽稽古所の玄関側に当直して居た晩の事であった.廣季氏と自分と両人で相談して作り,廣守氏の名義にしておいたもので,実際の事をいふと,其の時には「君が代」の歌に譜を付けるといふだけの考で,それが国歌であるといふ事は知らずに作ったのであった. |
| 「君が代」の作曲者は林廣守氏ではない.廣守氏の長男廣季氏と奥好義氏と両人が作ったもので,廣守氏作曲といふのは雅楽課を代表しての名義であると見ればよいのである.楽部にては御大礼・御大葬などの場合に数名が各々作曲し,審査の上其の一が採用せられるが,それは其の人の作とせず,必ず楽長が代表者となり,個人の作とはしない慣例になっている. |
![]() 譜1a.フェントン自筆の楽譜. 田村虎蔵『教育音楽』176号(1918年3月)pp. 46-56. 表題は "Japanese National Hymn" とある. ただし田村によると,鉛筆書きされた歌詞は万葉集の「みたみわれ 生ける しるしあり あめつちの,栄ゆるときに あへらく思へば」であった. |
![]() 譜1b.流布した「君が代」の楽譜. 一記者『新音楽』1巻4号(1918年8月)pp. 12-16. 和田信二郎『君が代と万歳』増訂3版(光風館,1937年6月)pp. 98-103 の記述 によると,一記者とは妹尾幸次郎で,譜は妹尾の筆写.ただし譜が何に基いてい るか不明. |
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写真2.J.F. フェントン 小田切進『国歌君が代講話』 (共益商社書店,1936年7月) 訂正再版より |
![]() 図1.「横浜高台英役館之全図」 二代目歌川広重(喜斎立祥)画 (1869年 明治2年) マスプロ電工美術館蔵 |