オペラと明治の唱歌

斎藤基彦



明治時代,音楽の教材が幼稚園,小学校,(5年制の)中学校と,一通りそろったのは明治22(1889)年であった.

明治維新で徳川幕府を倒した新政府は一刻も早い日本の近代化を目指し,教育についても新しい学校制度に転換しようとした.そのため文部省は早くも明治5(1872)年には『学制』を発布している.しかし音楽の教科は最も難しい部分だった.従来の邦楽と,これから取り入れようする西洋音楽があまりに違うため,外国から教師を呼び寄せ,新たに音楽教師を養成しなければならず,音楽教材を作るのに時間がかかったのである.

大急ぎでつくられた,これらの教材の唱歌には日本の音楽家の作った曲もあるが,外国のメロディーも沢山取り入れられている.ここではこれら初期の唱歌集に取り入れられたオペラの題材を見てみよう.

文部省の音楽取調掛(明治12(1879)年に設置され,後に東京音楽学校となり,現在の東京芸大に続く)が明治14(1881)年から明治17(1884)年にかけて作った,初めての西洋楽譜入りの教科書,『小学唱歌集』(全三篇)にはモーツァルトの『魔笛』のメロディーが入っている.第73番の唱歌『誠は人の道』はもともと『魔笛』第二幕のパパゲーノのアリア「恋人か女房か 'Ein Madchen oder Weibchen wunscht Papageno sich!'」のメロディーである.ただし歌詞はオペラの筋とはまったく関係の無い道徳の歌となっている.以下に歌詞と楽譜を掲載した.楽譜が見にくい場合は譜をクリックすると大きくなる.

『小学唱歌集』第七十三番 誠は人の道 (里見義作詞)
一 まことは人の。道ぞかし。
  つゆなそむきそ。其みちに。
二 こゝろは神の。たまものぞ。
  露なけがしそ。そのたまを。



次いで明治22(1889)年に完成した東京音楽学校(文部省の音楽取締掛はこの頃別組織の音楽学校となった)編集の『中等唱歌集』にもモーツァルトの『魔笛』から2曲採用されている.第9番の『御稜威(みいつ)の光』と第11番の『保昌(やすまさ)』である.前者は『魔笛』第二幕の三人の童子の重唱「やがて夜があければ 'Bald prangt, den Morgen zu verkunden'」からで,後者は第一幕終り近くの,モノスタトスらがパパゲーノの鈴に合わせて踊る「きれいな音だ 'Das klinget so herrlich'」より採られている.『御稜威の光』は天皇を誉め讃える内容の歌詞で,『保昌』とは平安中期の貴族の藤原保昌(天徳2年〜長元9年)のことである.

藤原保昌は,栄華を誇った藤原道長の信任厚く,豪勇の人として知られていた.和泉式部の再婚の相手としても知られ,歌人でもあった.十月の夜,京都の大路を独り笛を吹きながら行くところを,大盗賊の袴垂(はかまだれ)がねらって衣を奪おうとするが,少しも動ずるところなく,逆に袴垂を諭し綿衣を与えたという『今昔物語』の巻二十五や『宇治拾遺物語』の巻二の逸話に基づいた歌詞となっている.

『中等唱歌集』第九番 御稜威(みいつ)の光 (三部合唱)
  ああ明治の御世や ああ光の世や
  いかにかくこそ 輝きぬらめ
  三種(みくさ)の宝 世々に伝(つたは)りきて
  天地(あめつち)ひろく
  みいつの光を はなちますらん



『中等唱歌集』第十一番 保昌(やすまさ)(三部合唱)
  尾花枯れふす 冬の野べ
  ララ ラララ ララララ ララララ
  保昌笛をふきすまし
  ララ ラララ ララララ ララララ
  月影すごく 夜(よる)ももなか
  剣(つるぎ)も腰にかまへたれど
  うち勝ちがたき 笛の音(ね)のみに
  胆(たん)をうばはれつつ つけゆく賊も
  恵(めぐみ)のきぬに 再び汗を流しけるぞ



ということで,広く日本人が最初に耳にしたオペラのメロディーは,断片的とはいえ『魔笛』ということになるのではなかろうか.

なお『中等唱歌集』の改訂版とも言える『中等唱歌』(1909年発行)にはヴェルディの『リゴレット』の第三幕で公爵が歌う,あの有名な「女心の唄 'La donna e mobile'」が別歌詞『海楼眺望』として現れている.また第十八番の『湖上の月』の原曲はロッシーニの『ウィリアム・テル』からのメロディーだ.こちらは第三幕第2場で歌われる,お祭りの軽やかな合唱「小鳥がついて行かないお前 'Toi que l'oiseau ne suivrait pas'」に依っている.

『中等唱歌』第二番 海楼眺望
一 旭昇る 海のおもに
  光おびて 飛ぶやかもめ
  人は集ふ 浜のあびき
  えもの祝ふ その声
二 めぢのかぎりひとつ色を
  水と空と わかつ白帆
  波は踊る 岩のあたり
  またまみだれ ゆきちる
三 うらわかけて そそぐ雨に
  急ぎかへる あまの小舟(をぶね)
  沖の風に 雲は晴れて
  くまもなしや 月影



『中等唱歌』第十八番 湖上の月(吉岡郷甫作詞)
一 月影さやけく 風も吹かぬ 秋の夜半
  真澄の鏡か 塵もおかぬ湖
    いざ吾が友 小舟(おぶね)出(いだ)せ
    いざ吾が友 纜(ともづな)とけや
二 小波(さざなみ) あや織り 魚(うお)もおどる 水の面(おも)
  桂のさ枝か 棹にかかる 水草
    いざ吾が友 高く歌へ
    いざ吾が友 舷(ふなばた)うてや



明治の唱歌についてもう少し詳しく知りたい人は 明治の唱歌  内の別稿を参照されたい. なお『中等唱歌集』と『中等唱歌』の楽譜の原本は手にしていないので,『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第一巻』(音楽之友社,1987年)から借用した.お許し願いたい.

ちなみに,日本で始めて上演されたオペラは日清戦争義捐のための音楽会(会場は東京音楽学校の音楽堂)でのグノーの『ファウスト』で,明治27(1894)年11月24日の事だそうだ.ただし第一幕だけの部分上演で,指揮は音楽学校教授のエッケルト,オーケストラ伴奏は宮内省楽部だった.歌手は素人で,ファウストはブラッチャリーニ,メフィストフェレスはクーデンホーフ伯爵,マルグリートはヴァルナムが勤めた [注].

本格的なものとしては,東京音楽学校歌劇研究会による明治36(1903)年7月23日のグルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ(オルフォイス)』(日本語訳で)ということになる.指揮は音楽学校嘱託講師のノエル・ペリー,ただしオーケストラ伴奏ではなく,フォン・ケーベル博士のピアノ伴奏だった.配役はオルフェオが音楽学校を卒業したばかりの吉川やま,アモーレは同じく卒業生の宮脇僊(せん),百合姫(エウリディーチェ)は在校生の柴田環となっている.柴田環は後に『蝶々夫人』のプリマドンナ,三浦環として世界に知られるようになる.

(2006年2月)

[注] ここは当時のプログラムを調べた遠藤宏『明治音楽考』p. 340の記述に基づく.ところが堀内敬三が『音楽五十年史』p. 192で引用する薗十一郎の思い出話(月刊楽譜,昭和10年2月号,「洋楽輸入時代を語る」)によると,ファウストはオーストリアの代理公使グーテンホフ,メフィストフェレスが陸軍火薬庫に勤めていたイタリア人技師ブラッチャリネと反対になっている.薗十一郎は指揮者,歌い手とトロンボーンで音合わせをしたり,当日演奏会場に居たという.

当日のプログラムの第一部を見るとでG. BraccialiniとBroxham嬢が『ファウスト』第三幕の二重唱「もう遅いわ,さようなら 'Tardi si fa' 」を歌っているので,Braccialiniがテノール,Coudenhoveがバスであると考えられる.配役は薗に思い違いがあり,遠藤の記述が正しいと判断される.ただしBraccialiniの職業については,薗の言うように陸軍の技術者なのか,遠藤の言うようにイタリア公使館勤務なのかは判然としない.両方の見解を採って,公使館付き武官ということかもしれない.

遠藤の言うクーデンホーフェとはHeinrich Coudenhove-Kalergi伯爵のことで,オーストリア=ハンガリー帝国の代理公使として1892年に来日,1896年に帰国した人である.日本で青山光子と結婚,生まれた次男Richard(1894 - 1972)は1920年代に汎ヨーロッパ思想を提唱するが,その考えが共鳴を生み,その後の欧州経済機構(EEC),欧州共同体 (EC) を経て,現在の欧州連合(EU)に結実した.最近では,欧州連合産みの親として再評価されている.

[上記の注に対する付記 2006年12月11日]
昨年芸大資料展示室に慈善音楽会のプログラムの展示があった.残念ながらそのとき詳しい内容を調べることはできなかった.最近久しぶりに 小長久子『滝廉太郎』(吉川弘文館,2003年8月) を読み直したところ,プログラムの内容が引用されていることに気が付いた.それによると

慈善音楽会演奏曲目

明治二十七年十一月二十四日土曜日午後八時半
会場上野公園音楽学校音楽室

曲目
第一部

一,歌劇「ティトウス」序曲   モツァルト氏 作曲
                   宮内省管弦楽 演奏
              教 授 エッケルト氏  指揮
二,歌劇「ファウスト」第三幕中二重唱
              独 唱 ブロックサム  嬢
                   ブラチャリーニ 氏
三,楽劇「ワルキューレ」第三幕
              独 唱 クーデンホーフェ伯
                  宮内省管弦楽 伴奏
                  エッケルト氏  指揮
四,ヴァイオリン独奏       ベリオ 氏 作曲
             独奏者   未       詳
五,歌劇「カヴァレリア・ルスティカナ」序曲
  とシチリアノ,        ブラッチャリーニ 氏
  ピアノ,ヴァイオリン     ブロックサム  嬢
  オルガン伴奏         外 山    夫 人
                   東京音楽学校 生徒
  

第二部

一,歌劇「ドン,ジャン」の幻想曲 モツァルト氏作曲
                   宮内省管弦楽 演奏
                   エッケルト氏  指揮
二,潯陽江(合唱)         シューマン  作曲
  ヴァイオリン,ヴィオラ合奏  東京音楽学校生徒
三,歌曲「リウトを持てるオルフォイス」
                    サリヴァン   作曲
             独 唱   ブロックサム   嬢
  ピアノ伴奏
四,「西行」ヴァイオリン,筝 合奏  山   登  作
                    東京音楽学校 生徒
五,歌劇「ファウスト」第一幕     グーノー   作
    ファウスト博士         ブラッチャリーニ
    メフィストフェレス      クーデンホーフェ伯
    マルガリーテ       ヴァルヌム嬢(Varnum)
    管弦楽                 宮内省楽部
    合 唱                東京音楽学校
    指 揮               エッケルト 教授
    ピアノ伴奏     プールPoole夫人,外山夫人
             以  上

これで推定通りの配役であることが確認できた.戸山夫人というのは外山正一教授(後に東大総長)の夫人であろうか.

[付記その2 2007年6月4日]
最近,シュミット村木真寿美 編訳 『クーデンホーフ光子の手記』(河出書房新社,1998) を読んだ.これはクーデンホーフ伯爵夫人 光子が夫 ハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵の思い出を幼くして父を失った子供たちのためにに書いた手記を翻訳したものである.その中に上の慈善音楽会についての話が出てくる (p. 39).少し長いがその一節を引用する.

 パパ (ハインリッヒのこと) は歌が上手で,女性を尊重したので,みんなに好かれました.いろいろな慈善委員会の催す福祉音楽会でも,歌い手に事欠いていたので,パパが歌いました.パパが好かれていたので,私も花をそえることができたのです.会ったこともない女性ファンがいたのは,歌の成功のためでしょう.赤十字のコンサートもありました.日清戦争の時にはよく引っ張りだされて,日赤の慈善コンサートも手伝いました.
 日本の音楽大学にドイツ人の楽長率いる宮廷交響楽団があって,歌の上手なイタリア人教授がいました.彼がテノールでファウストを歌い,パパがメフィストの役で出演したことがあります.何回も衣装合わせがあって大騒ぎ.でもパパはずいぶん楽しんでいました.何日か後ディッキー (次男リヒャルトのこと) が生まれる予定で私は見に行けませんでしたが,どの新聞も書き立てて大成功でした.要するに,好評だったのです.

ここではブラッチャリーニは教授となっている. クーデンホーフ伯爵は神学,哲学,語学に堪能で (13の言語で読み書き,会話ができ,5つは話すことができた),陽気で,歌うことが好きだったそうである.ワーグナー崇拝者で『指輪』のアリアをよく歌ったという.光子は日本で初めて欧州の貴族と国際結婚した.結婚許可証を東京府知事から貰い,天皇皇后にも謁見し,皇后からは象牙の扇子を餞別にもらったという.また彼女が海外の事物に接する様子を読むと,善意に満ち,好奇心に溢れた,瑞々しい感性の人であったと思われる.

[付記その3 2007年9月24日]
プログラムにあるブロックサム嬢は,メルボルンから来日していたパットン夫人(Emily Sophia Patton, 1831−1912)を助けるため,同じオーストラリアから1894年に来た教え子の Ada Bloxham であろう.パットン夫人は1889年8月来日,横浜でトニック.ソルファによる読譜.記譜法を教えた音楽教師である.トニック・ソルファというのは初心者が簡便に賛美歌や唱歌を歌えるようにするためにイギリスで開発された方法で,五線譜を使わずに音の高低をハンド・サインで表わす方法である.パットン夫人とブロックサム嬢は短い期間ではあるが,東京音楽学校(現在の東京芸大)の嘱託になっている. ヴァルヌム嬢はパットン夫人からトニック・ソルファの初級免状を授与された Mabel Varnum であろうか.

「明治の唱歌」のトップへ戻る

ホームへ戻る