イスラエル周遊(2011年3月)

(クリックすると大きい画像になります)

3月3日から12日までイスラエル周遊に行ってまいりました.以下はその写真報告 です.
エルサレムの部分は 「その2」 へ.

3月4日(金)午前
テル・アビブ(Tel Aviv)の中心街とカルメル市場.

テル・アビブは1903年にヨーロッパから来たユダヤ人がヤッフォの郊外の住宅地として住んだのが始まり.現在は人口約40万人でイスラエル第一の都市となった.現代建築で2003年世界遺産指定された.

イスラエルは複雑な国である.同根の一神教であるユダヤ教,キリスト教,イスラムの発祥の地であり,1967年6月の第3次中東戦争 (所謂6日戦争) の後,パレスチナ問題を抱えながら,エルサレムを首都と宣言した.しかしイスラエルと外交を結ぶ国はエルサレムをイスラエルの首都として認めていないため,大使館は全てテル・アビブにある.
人口は1980年現在700万人強,内81%がユダヤ人(内,約30%が敬虔なユダヤ人で免税で働かない強硬派,残り70%は所謂敬虔でないユダヤ人で,アラブ人との共存を望む),17%がアラブ人(ギリシャ正教など東方教会のキリスト教信者とイスラム教のベドウィン),残りは諸派で,これらの人が四国ほどの面積の地に住んでいる.


ホワイト・シティーと呼ばれるテル・アビブの中心街.ロスチャイルド通り.装飾を排した簡素な外観のバウハウス建築が多い.午後はユダヤ人の安息日(サバト,sabbath. 金曜日日没から土曜日日中まで)になるので,カルメル市場は人でいっぱい.


カルメル市場.

オリーブやナツメヤシの実.

魚屋もあった.

3月4日午後
隣町のヤッホ(Jafo/ Jaffa)へ移動.

ここは紀元前からの古い港町だが,その遺跡はわずかにしか残されていない.

使徒ペテロも泊まったという皮なめし職人シモンの家.高台に出る途中にある.

昔の港の跡.


何故かは分からないが,アンドロメダ(彼女が縛りつけられた)の岩がある.


今晩宿泊のテル・アビブのマリナ・ホテルは海に面したリゾート・ホテル. ヨットが多数停泊していた.

地中海に沈む太陽.



夜になったら,ホテル向かいのディスコの音が響き,大騒ぎだった.サバトだというのに.

3月5日(土)午前
世界遺産メギドの遺跡(Tel Megiddo, tel は丘の意)見学.

紀元前 70 世紀から紀元前 586 年(第1次イスラエル寺院戦争)まで人が住んでおり,遺跡は26層にわたる.エジプトとアッシリア交易ルートとして重要だった.聖書には海の道と記され,近接するハル・メギド (「ハル」は山の意) はハルマゲドン(ギリシャ名アルマゲドン.聖書によれば世界最終戦争が行われる地)の語源となっている.

看板.

遺跡の模型.

アロエの花がきれい.


遺構.

最高地点からの眺めは良い.
183段の階段(深さ 36 m)を下りると貯水池がある.

ハイファ (Haifa) のバハイ教の教祖廟.

バハイ教は19世紀にイランのバーブ(Bab)によって19世紀に興された 反イスラム的な新興宗教.庭がきれいに手入れされていて,眺めも良い.

教祖バーブの廟.

海が見える.

ハチ鳥が居た.

聖ヨハネ騎士団の地下要塞のあるアッコ (Akko/ Acre).

第1回十字軍遠征の後,聖ヨハネ騎士団 (ホスピタル騎士団ともいう) が1104年から1291 年にかけて約 200 年間この町を支配した.

要塞.

騎士のホール.

巨大なブドウ酒樽.

3月5日午後.
アッコのアル・ジャザール・モスク


アッコの町.緑色の屋根はアル・ジャザール・モスク (Al Jazar Mosque).

アル・ジャザール・モスクは 1789 年にオスマン朝ジャザールのよって建設された.

モスクの内部.


モスクの中庭.

モスクの中庭.

中庭で若者達が記念撮影をしていた.

イエスが最初に説教したナザレ (Nazareth) のシナゴーグ を見学.


管理人が来るまでしばらく待つ.

シナゴーグ内部.

シナゴーグ内部.早々に追い出された.

イエスがヨハネから受けた洗礼の場所へ移動.

現在はパレスティナ自治区で行きにくいらしく,実際に行ったのはガリラヤ湖南端の近くのヤルデニット洗礼所.

洗礼の場所に下りる.


司祭も川の中で全身ジャブ付けの洗礼を受ける.

洗礼式を終えた人々.

今晩と明晩はガリレア湖畔ティベリアのロイヤル・プラザ・ホテル泊.


3月6日(日)午前
カナの婚礼教会からナザレの聖ガブリエル教会・受胎告知教会・聖ヨセフ教会を見学.
まずカナ (Kafar Kanna/ Cana) の婚礼教会

「ヨハネによる福音書」2章によると,婚礼でワインが足りなくなって困っていたときに,イエスが水をワインに変えたとして場所として有名.


カナの婚礼教会(Wedding Church of Cana)

正面.

教会内部.


聖フランシスコ会の団体が来ていた.


イエスを十字架から下ろす図.

出口で尼さんと坊さんが何やらを売っていた.

みやげ物屋でワインを買おうとしたら,ここでは造っていないと言うので買わ なかった.

聖ガブリエル教会

マリアが受胎告知されたことを記念して,17世紀に建てられたギリシャ正教の教会.

ミサ中でした.

ミサ.

ミサの出席者.


壁の絵.


地下にあるマリアの井戸.大天使ガブリエルがマリアに受胎を告知したとされる場所.

内庭のタイル壁.

カトリックの受胎告知教会 (Basilica of the Annunciation/ Immaculate Conception Church)

ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが 4 世紀に建物を建てて以来,何度か建てかえられたが,現在のものは1969年に完成.地下の洞窟で告知を受けたとされる.

中近東最大級の教会.

正面奥が告知を受けた場所.

受胎告知を受けた洞窟.


天井.

日本から献納されたルカ長谷川のタイル画「華の聖母子」.

中庭.


それにしても,聖書ではこの処女懐胎を除くと,マリアの影は薄い.「マルコによる福音書」3章によると,成人したイエスはマリアを「婦人」と呼び,よそよそしかった.親子の情愛などは感じられない.「聖母マリア」としてもてはやされるのは,ずっと後の事である.

この後,聖ヨセフ教会を見学. ここはマリアの夫ヨセフが大工をしていたという場所で,受胎告知教会に隣接した所に建てられた.聖フランシスコ修道会所属.ビザンチン時代に建てられたが,現在のものは1914年建設.画像は省略.

昼食はギノサール・キブツ内のレストラン


ガリラヤ湖の名物,セント・ピーターズ・フィシュ.

St. Peter's fish はスズキ目の魚ティラピア (tilapia) の事.

イスラエルの食事の戒律「カシュルート」(食べるのを許された食品を「コーシェル」と呼ぶ)に慣れるのは大変だ.

コーシェルの起源は聖書の「レヴィ記」に依っている.食べても良い四つ足動物は

(1) 蹄が全く分かれ,反芻をするもの
(2) 海や川・湖に住む生き物で,ヒレと鱗のあるもの
(3) 鳥の中で食べてはいけないものは,鷲・鷹などの猛禽類や,カラス,フクロウ,カモメ,白鳥,ダチョウなど
(4) 昆虫の中で食べて良いものは,イナゴ,バッタなどのごく一部.

と言う訳で,例えば豚は反芻しないから駄目,兎は偶蹄類でないから駄目.魚では鰻は鱗が目立たないから駄目,海老や蟹,蛸やイカ,貝類は勿論駄目である.
植物はどれも食べて良いが,海苔はいけないらしい.理由は分からない.
また「創世記」により,血の混じった肉はいけないので肉類の場合は血抜きしてパサパサにしなければならない.
更に,牛肉は食べても良いが,牛乳およびバター・チーズなどの乳製品との食べ合わせはいけない.鶏と卵も同時には駄目だ.これは「出エジプト記」に「子やぎをその母の乳で煮てはならない」という規定があるためだ.肉を食べたあとのコーヒーにミルクを入れたりしてはいけない.肉と乳製品に使った食器の混用も禁止されているので,皿も流しも二通り必要となる.
これらの規定は,ホテルやレストランで厳密に守られている.もし違反すると,敬虔なユダヤ人にボイコットされ,営業が成り立たなくなるという.
我々日本人も昔は四つ足の動物は食べなかったから,血のしたたるビフテキが食べられないのは許せるとして,海老や貝の寿司は駄目.私の朝食の定番・パン食でも,牛乳はいいとして,ハムやソーセージ,ベーコンと一緒にというのは禁止されている.
もっとも江戸時代の日本人は牛乳は無論,肉は食べなかった.アメリカから来たハリスは困ったらしい.
イエスの食事の定番,蜂蜜とワインについても,異教人が造ったり,開けたりしたワインは駄目なので,ユダヤ人が栽培したブドウからユダヤ人がら造ったワインに限られる.

3月6日(日)午後
ペテロ首位権の教会・カペナウム・山上の垂訓教会・ガラリア湖クルーズ

ペテロ首位権の教会(Church of the Primacy of Peter)

イエスが自分の亡きあとを継ぐようにペテロに告げたことを記念する教会. フランシスコ会が4世紀後半の教会を1933年に建てなおした.

教会入り口.


イエスが復活後,内部にある岩で弟子と食事をしたと伝えられることから,岩はキリストの食卓 (ラテン語でメンサ・クリスティ) と呼ばれる.


教会脇の石段.イエスが歩いたとされる.






教会後部.

ガリラヤ湖.

イエスとペテロ.

イエスの町カペナウム.

カペナウム(Capernaum)は古いシナゴーグがあり,イエスも瞑想したとされる.

入り口にイエスの町カペナウムとある.

紀元前2世紀に遡る遺跡.

イエスが通ったとされるシナゴーグはまだ埋もれている.


4 世紀のシナゴーグ跡.現存で最古.

古い彫刻.

オリーブを絞る石臼.


天国の鍵を持つペテロの像.ペテロの家があったとされる.

カペナウム入り口前の道路より山上の垂訓教会が見える.

山上の垂訓教会( Church of the Sermon on the Mountain)


山上の垂訓教会の内部は簡素.

表はイエス,裏はマリア.

教会からガリラヤ湖が見える.

丘より下りてガリラヤ湖のクルーズ.


船は木造だが,勿論エンジン付き.


波の無い湖をのんびり走る.日章旗のサービス付き.

海抜下 209 m の湖面はあくまで静か.



広い船内に乗客我々だけ.のんびりする.

クルーズの後ダイアモンドの加工工場 Caprice に寄り,ティベリアのロイヤル・プラザ・ホテルに戻る.


3月7日(月)午前
引き続き,ガリラヤ湖近辺の観光.


イワタヌキ(ハイラックス)が日向ぼっこ.

パンと魚の奇跡の教会(Church of Loaves and Fishes/ Heptapegon Church)

風呂?


パンと魚の奇跡の教会は既に紀元350年には教会が建てられた.現在はベネディクト派の教会で1982年建設のもの.

祭壇.

祭壇手前のパンと魚のタイル.

古いタイル.


イワツバメ.

ブドウ酒絞り.

記念に魚の形の栓抜きを買った.

ハツォール(Tel Hazor)遺跡.

イスラエル最大の古代遺跡.紀元前14世紀のエジプトの記録にハツォールの地名が出てくる.聖書の「ヨシュア記」によれば,ヨシュアはハツォールに居たカナンの王を滅ぼした.

看板.

説明板.

古い岩をうがった貯水槽へ降りる入り口.


中の60段の階段.

貯水槽.

遺跡の模型.

古代の交易都市ベト・シェアン (Bet She'an)

海抜 マイナス200 mの所にあり,新石器時代から人が住んでいた.

ローマ時代の円型劇場

円型劇場

円型劇場


遠くにビザンチン時代の列柱道路


美人のタイル.


蒸し風呂の設備.

風呂設備.

クムラン(Qumran)

クムランの遺跡は1856 年にイギリス人によって発見された. ベドウィンの少年が1947 年偶然洞窟の中で壷に納まった巻物を発見した.それをきっかけとし 1956 年にかけて11の洞窟に900巻のいわゆる死海文書が見つかった. クムランに人が住み始めたのは紀元前 8 世紀頃と言われている.紀元前 1 世紀頃はエッセネ派のユダヤ人が住んでいたと見られる.

洞窟が見える.

洞窟.

住居跡.

集会場.

収穫場.

風呂.

死海地方のリゾート地エン・ボケックのオアシス・ホテルへ.


3月8日(火)午前.
マサダ(Masada. アラム語で要塞の意味)

紀元前 120 年頃に要塞が造られ,後ヘロデ大王が冬の離宮兼要塞に改修した. 紀元66年からエルサレムで起こったローマ軍に対する反乱(第1次ユダヤ戦争と呼ばれる)は70年に鎮圧されるが, マサダに立てこもったエリエゼル・ベン・ヤイール率いるユダヤ熱心党(Sicarii)は頑強にローマ軍に対抗した.2年あまり包囲された後,紀元 73 年遂に砦は破られ,女性と子供 7 人を残して 960 人の熱心党は集団自決した.この事はフラウィウス・ヨセフスの史書『ユダヤ戦記』により知られていたが,この地が発見されたのは 1838 年の事で,大規模な発掘は1963-1965 年に行われた.以来この地はユダヤ人にとっての聖地となり,イスラエル国防軍の入隊式がここで行われる.

マサダ.

ケーブル・カーの頂上駅.

マサダ.


マサダ.

マサダの住居跡.

マサダの模型.


彼方に死海が見える.


住居跡.


穀物貯蔵庫跡.篭城組は豊富な食料を残して自殺した.


下方に現イスラエル軍の駐屯地.

ヘロデの神殿.

ローマ軍の基地跡.


マサダの頂上部.

エン・ボケック (En Boqeq) のオアシス・ホテルでビュフェ昼食. 昼食後,死海(標高海抜下420 m)の浮遊体験をする.


死海の浮遊体験.



塩分含有量が 33 %. 本当に良く浮く.



シャバト(ユダヤの安息日,金曜夜から土曜日日没まで)にも動くエレベーター.
シャバトにはバス・鉄道など公共交通機関やエレベーターはすべて止まる.しかし,外国客も宿泊するホテルでは客用に1台だけ動かして良い.

夕方,ムギワラ風のトンボが飛んでいた.早春のトンボにはびっくりした.


3月9日(水)午前.
ロトの妻の塩柱,ベエル・シェバを見学の後,エルサレムへ.


死海とも,いよいよお別れ.

死海から塩採集用の川.

ロトの妻の塩柱.

ベエル・シェバ(Tel Be'er Sheva)
紀元前10世紀頃の遺跡.

この地をダビデ大王が征服した.聖書の創世記にベエル・シェバが引用されている.

入り口の看板.

アブラハムの井戸.

集落跡.


集落跡.

水源に下る階段.

祭壇.


何やらの木.

それにしてもイスラエルには犬が殆どいない.この旅行を通じて,エルサレムに行く途中ベドウィンの放牧に一度出合ったときに,馬2・3頭と羊についた牧用犬を1匹見ただけだ.

最後にして最大の目的地,エルサレムに着いた.この続きは 「その2」 へ.



(2011年3月)


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