ローマ・アッシジ観光(2010年10月)

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 知人の洗礼式に出席のため,アッシジに行ってきた.ローマはほぼ30年ぶりだ.一行7名のパック・ツアーを利用した.以下はその折の写真.


アッシジ巡礼の我々一行と沖守弘さん.沖さんは「マザー・テレサの写真展」のため滞在中で,ここで洗礼を受ける予定.その写真展を見て洗礼式に出席するのがツアーの目的.アッシジの宿泊施設の前で.


まずはローマへ

飛行機便は当初ローマ行きを予定していたが,参加人数が少ないためか,ローマ行きが満杯だったせいか分からないが,ミラノ乗換えローマに変更となった.
成田ミラノは順調で予定通りだったが,乗り継ぎ便は乗ってから動かず,結局50分遅れで出発,イタリアに来たことを痛感した.飛行機を降りてからまたトラブル.我々一行の内の一人の荷物が行方不明,申告の交渉で1時間ほどかかった.結局宿に着いたのは現地時間の23時頃,大幅に予定を遅れクタクタとなった.待ち合わせのタクシーが根気よく待っていてくれたのがせめてもだった.

翌20日午前は自由時間だが,不明荷物の問い合わせを宿のフロントに頼むがはっきりしない.取りあえず必要な衣類その他を買い物し,近所を散歩.後は運を天にまかせるより仕方がない.大急ぎで近所のサンタ・マリア・マッジョーレ教会を一回り,その帰り道,ホテル近くの雑貨を売る小さなマーケットをひやかした.

午後はローマ市内観光.


映画「ローマの休日」で有名な「真実の口」を見学.嘘をつくと口に入れた手が噛まれるという伝説が映画で紹介された.実際はマンホールのふただそうだ.無料.



ナヴォナ広場.以前来たときは夕方で人影がなかったが,今はローマでも一ニを争う人気広場だそうで,のんびり楽しむ人で一杯だ.

中央から流れる河はそれぞれナイル・ガンジス・ドナウ・ラプラタを表わしているという.ベルニーニが設計した.我々も記念撮影.

パンテオンへ移動.途中何やらものものしいが,きれいな服での警戒の場を通る.どうやら要人が来るようだ.

パンテオンは前回来た時は閉まっていたので,期待が大きい.ローマで一番古い建物だそうだ.



内部は美しい.外壁はコンクリートのオリジナルで,厚みが4m,天井の最上部は2mとのこと.コンクリートが劣化していないのが不思議だ.ここにラファエロの墓がある.

天井はとても単純なデザインだ.頂上に丸い穴が開いているのにはびっくりした.雨は内部の空気圧であまり降り込まないとのこと.時間が来ると太陽の直日が天井に照りつける.



スペイン広場へ移動.




スペイン広場は「ローマの休日」で有名.すごい人ごみだ.



やはりこれも「ローマの休日」がらみ.王女のオードリー・ヘップバーンが新聞記者のグレゴリー・ペックに付きまとわれ逃げ込んだアパート.銘板がついていた.


20日は朝7時45分集合のバス・ツアーでヴァチカン宮殿の見学.


ヴァチカン宮殿の中庭.中央の球体は世界の平和を祈念する最近の作.


エジプトから持って来たライオンの彫刻.キリスト教との関係は不明.まさかコロッセオに登場するライオンではあるまい.

宮殿内の金色のアポロ神像(?).ギリシャの神が何故か教会にある.

お目当てのラファエロの「アテネの学堂」に再会.
中央の赤い衣と青い衣の二人は左がレオナルド・ダ・ヴィンチをモデルにしたプラトン,右がアリストテレス.前方左手で頬づえをついているのはミケランジェロをモデルにしたヘラクレイトス(自然哲学),右手の石版で説明しているのが幾何学のユークリッド,その右隣の黄色い衣がプトレマイオス(天文学),彼の前方右手で緑の帽子をかぶっているのがラファエロとされている.

ギリシャ彫刻.
ミケランジェロはこの像をモデルにして「最後の審判」のイエスを描いたいう.

ミケランジェロの『最後の審判』(部分)

右下隅の「聖バルトロメオの生皮」の顔はミケランジェロ自身の顔の画像と言われる.[ヴァティカン博物館特別版『ヴァティカンにおけるミケランジェロとラファエロ』(1978)より]



システィナ礼拝堂はフレスコ画が修復され,以前より明るくなった印象だ.
あいにく写真撮影は禁止なので写真は撮れない.以前と大違いのものすごい込み様だ.
今日は金曜なので法王の謁見があり,サン・ピエトロ広場は入場券が無いと入れないという.

20日午後


前日外見だけ見たサンタ・マリア・マッジョーレを拝観.記録を見たら以前見たことがあるはずだが,すっかり忘れていた.


21日午前 アッシジに移動.


ローマから2時間ほどでアッシジ駅に着く.駅はひなびた田舎の駅だ.

手違いで駅では会えなかった沖さんとホテルで再会.今後の予定を聞く.

早速大聖堂を見に行く.


折からの朝霧で大変幻想的だ.霧はやがて晴れた.地元産のピンクの大理石がちりばめられ美しい.コルドバの(元)イスラム教会のピンクと少し色が違う.
大聖堂は聖フランチェスコ(聖フランシスコ,Giovanni Francesco di Bernardone, 1182-1226,1228年列聖)の墓の上に建てられたという.建物は2階で,下部は死後2年後の1228年から1230年に,上部は1230年−1253年に建てられた.

大聖堂2階は聖フランチェスコの生涯の逸話を描いたジオット(Giotto di Bondone, 1267−1337)のフレスコ画で知られる.ただし撮影禁止.


大聖堂内のジオットのフレスコ画
No. 5 「フランチェスコ,キリストに回心する」
(1295−1230頃製作)
[P.P. Magro, 笹尾真由美訳『アッシジ』(Casa Editorice Francescana, 2010) より]

大聖堂内のジオットのフレスコ画
No.15 「フランチェスコ,鳥たちと対話する」
(1295−1230頃製作)
[前掲書より]


大聖堂階段部のロレンツェッティのフレスコ画
「ユダの死」 (1310−1320頃製作)
[画像は Death of Judas:
http://freechristimages.org/images_crucifixion/
Death_of_Judas_Pietro_Lorenzetti_1320.jpg より]



お寺の回廊での「マザー・テレサ展」.写真を撮った沖さん直々のご案内.

沖守弘さんは5年マザーの所に通いつめたそうだ.


聖堂に訪れた尼さんの昼食.




写真展の広場と聖堂の1階入り口.


写真を見た後,谷村達郎神父のご案内で教会内部の見学.

祈りの回廊.



教会を辞して町見物.聖ルフィーノ大聖堂 (Cathedral di San Rufino). 殉教者聖ルフィーノを記念して1140年から1228年に建てられた古い教会.フランチェスコやフランチェスコに従い女子修道会を開いたキアーラはここで受洗した.

眼下にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会が遠望される.




アッシジの町は細い道でつながれている.



マリアコルベ修道女のご案内で,沖さんの滞在先を訪問.

台所付き下宿に,助手の小野寺さんと二人住まい.


聖フランチェスコの生れた馬小屋.現在は聖フランチェスコ・ピッコリーノのオラトリオと呼ばれる.




ヌオーヴァ教会の前の聖フランチェスコの父母の像.父は有力な衣料商人でフランチェスコが修道士になるのに強く反対した.手にするのはフランチェスコが差し出した衣類.この場面は大聖堂のジオットの絵に描かれている.

街中のパーフォーマンス.





サンタ・キアーラ教会.聖キアーラ(Chiara Offreduccio, 1194−1253.08.11, 英語名 Clare of Assisi,日本では聖クララ,1255年列聖)の死後4年の1257年から建てられ1265年に完成した.




聖キアーラの遺体は最終的にこのサンタ・キアーラ教会に安置された.聖キアーラはフランチェスコに共鳴して,女子修道会を創始しサン・ダミアーノで活動した.
[画像は Santa Chiara:
http://static.panoramio.com/photos/original/2034998.jpg より]



22日.沖さんの洗礼式


司式は谷村達郎神父.代父は山口さん.

洗礼.

大聖堂地下の小さな礼拝堂.

洗礼式.

洗礼式が終わってお祝いの会食.


会食後,沖さんのご案内でアッシジの郊外観光


まず町の最高地点にあるロッカ・マッジョーレ要塞 (Rocca Maggiore).ローマ時代に造られたが,現在の建物は14世紀半ばに立て直されたもの.

ロッカ・マッジョーレ要塞.アッシジはペルージャと覇権をめぐり良く争った.


要塞の前庭からの眺め.





次に向かったのが,聖フランチェスコとその仲間が祈った「カルチェリの庵」(Eremo delle Carceri).山々の紅葉が陽光をあび美しい.

 庵に向かう.庵の建物は14世紀に建てられた.





サン・ダミアーノ修道院 (San Damiano).女子修道会所属と思っていたら,男性の修道士が張り番をしていた.聖フランチェスコが1205年ここで神の召命を受けたという.左隣にキアーラの創設したクラリッセ僧院がある.聖キアーラはここで亡くなった.

 サン・ダミアーノの中庭.





聖キアーラの銅像.





祈る聖フランチェスコか.



聖フランスコが活動を開始した場所.そのさや堂として建てられたリヴォトルト教会(Rivotorto, 建物は1854年建設).数年で地主に追い出され,ポルツィウンコーラに移る.

建物内部に聖フランチェスコが籠もった小屋が保存されている.



庭には聖フランチェスコがらい患者をなぐさめたというモニュメントがある.



秋空のパラグライダーを楽しむ人.風の具合が良いのだろう.滞空時間が長い.



サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 (Santa Maria degli Angeli).この聖堂は16世紀に建てられた.中に聖フランチェスコが祈ったポルツィウンコーラ(Porziuncola,建物は10世紀に遡る)の小礼拝堂がある.

聖フランチェスコが聖ベネディクト修道会から借りたポルツィウンコーラの小礼拝堂.彼は1212年から滞在,1226年10月ここで亡くなった.



彼の像の手の平には常にハトがいるそうだ.実際純白のキジバトが居たが,羽根を抜かれているのだろうか.また教会の中庭で「奇跡のバラ」(トゲの無いバラ)が栽培されている.

最後に大聖堂建立前の中世のアッシジの街をミニュチュア模型で再現した展示を特別に開けてもらい見学した.

模型は実に精緻だ.家の外壁のレンガは一つ一つ,その内部まで実に忠実に作ってある.当館の主である作者は30代後半に作ることを決心,仕事をやめ17年だったかをかけて全て独力で作ったそうだ.沖さんのお気に入りの場所.


中世アッシジの模型.街中心のコムーネ広場の部分.



アッシジの中世の古地図. 大聖堂は城門の外,左手(西)の獄門のある刑場の地に建てられた. [アッシジ観光協会『アッシジ』(2010) より]



我々が宿泊した女子修道会運営の施設 Casa di Ospitalità "Maria Immacolata" は3食付で,我々信者でないものも泊めてくれる.ただし22時という門限付き.食事は尼さんがサーブしてくれる.「キリストの血」も付いてくる.メインは昼食でおいしい.

 この宿泊所のスタッフ.





今年9月の会議のポスター.





10月23日


いよいよお世話いただいた Sr Mariakolbe Masuda ともお別れだ.アッシジ滞在はアッという間に終を迎えた.


沖さん共々,駅に向かった.遠望の大聖堂.




頂上に城が見える.




アッシジ駅前からの町の展望.アッシジは山の中の町だ.何故大聖堂が一番低い所にあるのか不思議に思っていたが,街の門の外の刑場「地獄の丘」跡に建てられたというので納得.

それにしてもアッシジというのは不思議な街だ.観光で人は賑わってはいるが,生活の匂いが全くしない.パン屋は無いし,市もたたず,スーパーマーケットも無い.沖さんにお祝いの花を買うのも大変だった.これでは普通の人は街には住めない.

ローマに戻り,北駅前の国立ローマ博物館を観る.期待はずれの一言.


24日,ローマから日本に帰る日

ホテル発が12時と時間があるので,前回は修理中で閉鎖されていたコロッセオを大急ぎで見に行くことにする.ホテルから歩いて15分ほどの距離だ.

途中サンタ・マッジョーレのすぐ傍にある小さなドメニコ派の教会 Basilica San Prassede を見る.正面天井のモザイクがすばらしい.小ぶりだが私の一番気に入っている教会.

サン・プラッセデ教会の天蓋.[C.F. Guglielmi, "Roma−Basilica di S. Prassede" (教会の解説書,ca. 1981) より]

途中にあるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコーリ教会を大急ぎで見てコロッセオに向かう.前に一度来たことがあるかもしれないが,あまり印象に残らない教会だ.


コロッセオ前の通りは通行止めして,マラソン大会かなにやらの準備をしている.


入場のための長蛇の列だ.時間がないので案内マイクを借りることにする.こちらはは並ばなくても良いのですぐ入場できる.

中の競技場は中2階のようになっていて意外に高い.観客席は3階(現在は立ち入り禁止)まであるようだ.

時間が無いのに,出口が良くわからず,マゴマゴしたが,時間通りに戻ることができ,ホットした.

今回のパック・ツアーはアッという間に終わった.再び来れるだろうか. アリヴェデルチ・ローマ.




(2010年10月)
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