東西のかけ橋 トルコ周遊(2011年9月)「その1 エーゲ海沿岸・中部アナトリア」

(クリックすると大きい画像になります)

9月22日から10月1日の旅程でトルコに行ってきました.以下はその写真報告 です.




聖母マリアへコンスタンティヌスI世がコンスタンティノープルを献納する. (イスタンブルのアヤソフィア博物館のモザイクより部分)


トルコには 人類最古の集落といわれるチャタルホユック遺跡 (BC68世紀-57世紀) に始まり,世界最古のヒッタイト-エジプト間の平和条約粘土板(BC 1275頃)など,古代から文化の交流が盛んで,遺跡がすばらしい.
現在のオスマン・トルコの歴史は鎌倉時代中期以後と比較的新しいが,江戸時代は,ヨーロッパを含めて当時最も強大な国であった.残されたトプカピの短剣など宝物もすばらしい.
大正時代,トルコが封建的オスマン帝国から近代化に向けて脱皮する時,西洋に対抗して近代化に成功した日本が,ある意味で模範になったようだ.明治中期にトルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山沖で遭難 した時の日本人の献身的な救助がトルコ人の心に残っっている.西欧と違って,過去に日本はトルコと直接の利害関係が無かったという事もあり,とても親日的な国である.
今回は9つある世界遺産 のうち4つ: イスタンブル歴史地区, トロイ遺跡,ヒエラポリスとパムッカレ, ギョレメ国立公園とカッパドキア奇岩群,そして 世界遺産ではないが,エフェス古代遺跡を見る予定.トルコは広いのだ.

イスタンブルの部分は 「その2 イスタンブル」 へ.


9月23日(金)
まだ薄暗い早朝5時35分,イスタンブルに着く.ただちに最初の目的地トロイの遺跡 へ向けてバスで出発する.

マルマラ海沿いに南に下り,港町キリトバヒルに向かう.キリトバヒルでフェリー船にバスごと乗り込む.対岸のカナッカレに上陸.上陸後和食の店で鯖の塩焼き朝食を食べ,トロイ(トルコ名 Truva. 英語はTroia)に到着.

入り口で木馬がお出迎え.


トロイの木馬.



小型の円形劇場風のものがいくつかあり, 会議や劇場に使われた.


シュリーマン (Heinrich Schliemann, 1822-1890) の発掘した (1871-73) ヒサルルクの丘


トロイは何層もあり,シリーマンの発掘したのはその一部であることが分かってきている.

ここのトロイの木馬の中は2階ある.そんなに広くなく,収容できるのは30人位であろうか.

トロイの木馬はホメロスの『オデュッセイアー』[1]の4章にうわさ話として出てくる.詳しい伝説は古代ローマ帝国時代の詩人 Virgil が詩 "Aeneid 第2編" にまとめたという.木馬の中には40人の兵士がひそんだという.
シュリーマンは発掘の様子を『古代への情熱』[2]に記した.

トロイ見学後,また走って今夜の宿泊地アイワルク (Ayvalik) のリゾート・ホテルに19時頃到着する.

今日の旅程:イスタンブル-トロイ 345 km (一部フェリー), トロイ-アイワルク 150km, 計 485 km.

9月24日(日)
7時35分集合.午前中エフェスを見る.
午後は皮製品の店でショーを見たあと聖母マリアの家も見る.今夜の宿泊地は パムッカレ

午前中は, ギリシャ・ローマ遺跡のエフェス植民都市(Efes örenyeri. 英語はEphesus archaeological site)を見る.トルコ最大の古代遺跡. この地を BC 333 年にアレクサンドロス大王,BC 41 年にローマの執政官アントニウスが通過し,更に,ここに根拠をかまえた使徒ヨハネの墓がある.


小さな門をくぐる.


いろいろな様式の柱が建っている.両側がドーリア式,真ん中がコリント式か.

メミウスの碑.ローマの独裁官スラ,息子のガイウス,孫のメミウスのレリーフ.

ドーリア式はBC 7世紀からで,装飾が殆ど無い.イオニア式はBC 6世紀からで,細めで優雅で羊の角飾りなどが付く.コリント式はBC 4世紀からで,更に細めで優雅なアカンサスの葉飾りなどが付く.


大変な人出.


さそりの浮き彫り.医学だったか,何を象徴するか忘れた.

勝利の女神ニケの浮き彫り.元々は次に出てくるヘラクレス門の上の飾りだった.


人ごみに後にヘラクレス門.

トラヤヌスの泉.

タイルが美しい丘の上の住宅.


ハドリアヌス神殿.入り口の門上にはエフェスの女神ティケ,奥の門にはメドゥーサが彫刻されている.

共同トイレ.



正面広場の後ろにローマ時代のケルスス図書館がある.



図書館の内側.


図書館内部の正面.


内部は壮麗な入り口の割りにそんなに広くない.


図書館でポーズをとる人慣れした猫がいた.


図書館広場を出た壁に,お目当ての豊饒のシンボル,アルテミスの像があった.
ガイドは説明無しの素通りなので,危うく見逃すところだった.(コピーだろうが)時間のせいか,何故だか分からない.


小高くなった所に大きな円形競技場がある. 直径 154 m, 高さ 38 m, 2万4千人を収容するという.

遠くから見ても,いかに大規模か分かる.



更に遠くから.




娼館の路上広告.左足は「左手にあり」,その上のハート・マークは「心よりのサービス」,右側の女性は「美人多し」の意味とされる.その下の長方形は有料で「お金」と言われるが,当時札は無かったので,「個室風呂」を表すのではないか.

トルコ婦人ガイドギュルさんが自慢しただけあって,大規模ですばらしい.トルコの地がギリシャ・ローマと中東の東西交流の要になっていたことが実感できる. 世界遺産になっていないのが不思議である.

昼はチョップシシ(羊肉の竹串焼き).

午後,革製品の店に寄り,ファッション・ショウを見る.




何やら見た顔の人が出てきた.

同じく.

お調子に乗って革ジャンパーを買ってしまった

聖母マリアの家

使徒ヨハネと共に,この地まで来た聖母マリアが住んでいたという場所.
18世紀末,ドイツの盲目の修道女,アンナ・カテリーナが天啓を受け,それにより探したところ発見された.


洗礼をした場所の遺構.


18世紀末に建てられた聖母マリアの家.


ここで郵便を出すとマリア像の消印を押してくれる.

3つの聖なる泉がある.湧いている水を飲むと健康・金運ともうひとつは忘れたに効き目があるという.不信心な筆者はあんまり欲張ってもと思い,健康の水だけを飲んだ.

今夜のホテルで夕食が終わった20時半頃,結婚式があった.


新郎はドクターだというから,上流階級の人なのだろう.多数の出席者がいた.

夜中の12時まで,酒を飲むのもかまわない.歌ったり踊ったりと大騒ぎだった.

トルコ政府は宗教でイスラムは強制でない体裁をとっている.しかし,熱心かそうでないかは分からないが,トリコ人の 99 % はイスラムのはずだ.実際,地方に出ると村にはミナレット 1 本の小さなモスクが必ずある.
しかし,ビール・ブドウ酒はスーパーなどで売っていて,(少なくとも外国人観光客は)自由に買える.国産ビールでは "Efes",カッパドキアではワインが有名.そこの葡萄は特別な品種だそうだ.

今日の旅程:アイワルク-エフェス 250 km, エフェス-パムッカレ 185 km, 計 435 km.

9月25日(日)
7時半集合.午前パムッカレの石灰棚とヒエラポリス遺跡の見学.
午後はセルジューク・トルコ時代の首都コンヤに移動.コンヤの アラアッディーン・モスク(ムハンマドのあごひげがある),メブラーナ博物館,カラタイ神学校正門を見学.

パムッカレ (Pamukkale) とヒエラポリス(Hierapolis).


下方に温泉宿のプールが見える.

パムッカレは白い.

見事な段丘.


青い水.


温泉源からの湯で足湯をする.


ここにはヒエラポリスと呼ばれる古代都市(BC 190 年から)があった.
パムッカレの湯量は昔に較べると減っているそうだ.今では泳ぐのは併設の温泉プールに限定されているらしい.

午後,セルジューク・トルコ時代の首都コンヤ (Konya) に向かう.
コンヤはルーム・セルジューク朝の首都 (1097-1308) であった.
コンヤではムハンマドのあごひげを収蔵するアラアッディン・モスクや踊る宗教,メヴ ラーナ教関係の品を展示するメヴラーナ博物館を見る.

メヴラーナ博物館 (Mevlana Müzesi)

踊る宗教(セマー・ダンスで有名)の創始者,メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟.
1925 年アタテュルクの命により禁教となる.
お棺や古い絨毯があった.

メヴラーナ博物館.ムハンマドのあごひげを収納する.

中庭より.


手の込んだ植裁.


アラアッディン・モスク (Alaeddin Mosque).


アラアッディン・モスクは 1221 年,ルーム・セルジューク朝時代に完成した.中は簡素で誰も居なかった.<

説教壇





カラタイ神学校(Karatay Medresesi, 1251建立)


美しい校門.



路面電車.さすが大都会.


交差点にセルジューク・トルコ時代の城壁遺構があった.

宿泊するホテルではセマー・ダンスの像がお出迎え.


今日の旅程:パムッカレ-コンヤ 410 km.

9月26日(月)
9時,カッパドキアに向け出発.
トルコ絨毯工房見学.
洞窟レストランで昼食. 午後カッパドキアに到着.
カイマクル地下都市(Kaymakli Yeralti Sehri)見学.
ウチヒサール(最高点)を見て,夕日鑑賞.
ギョレメ (Göreme) の岩窟ホテル に宿泊.
夕食後,ハマム(トルコ・マッサージ)を初体験

キャラバン・サライ(隊商宿)


コンヤから西100 km 程のアクサライにある.1228年にセルジューク朝のスルタン,アラディン・ケイクバットによって建てられた.

人家の無い場所が広がり,ひたすら荒野が続く.トルコの人口密度は日本の 1/4 だ.


カッパドキアに行く途中,初めて牛を見た.



絨毯工場 を見学.壁掛けを買う.


染色用の壷.


織り子が 1 cm 織るのに 1日 (?) かかるそうだ.

織り子と記念撮影.



絹の染色.


壁掛け絨毯を買う.左はアルバイトの学生.日本に留学して俳句の研究 をしたいそうだ.

洞窟レストランで鱒の塩焼きの昼食.


カイマルクの地下都市 (Kaymakli Yeralti Sehri) 見学.

地下都市の由来は BC 7-8 世紀に作られたと推定されているが,謎に包まれている.

トイレか.

内部は複雑怪奇.

迷子になったら出られないと脅かされた.

いよいよカッパドキアに到着.

まずギョレメの野外博物館 (Göreme Açikhava Müzesi) を見学.



カッパドキアの最高点,ウチヒサール
(尖った砦の意味).

交通標識.


ギョレメの野外博物館.内部の撮影は不可.

以下の画像はガイド・ブックから.

聖バーバラ・チャペル.
鶏と悪魔のプリミティヴな壁画.

ユランル (蛇の) 教会.聖ジョージ(イギリスの守護聖人)の竜退治.


カランルク (暗闇) 教会.最後の晩餐.更に料金が必要.時間が無かったので入らなかった.

夕日を楽しむローズ・ヴァレーの展望台.


ローズ・ヴァレーの壁面を背景に記念撮影.

夕日の入り.

太陽が平べったくなった.

岩窟ホテルに入る.
夕食後,ハマム(トルコ式マッサージ)を試みる.
マッサージするのは若い女性.まずプールで泳ぎ,蒸し風呂に入る.ドクター・マッサージを注文したので,悪い腰を揉みほぐしてくれるのかと思ったら,なでるだけの穏やかなマッサージだった.

今日の旅程:コンヤ-カッパドキア 230 km.

9月27日(火)
早朝に熱気球乗り.
ラクダ岩,三人の妖精の煙突岩を見た後, 個人の岩窟住居訪問.
夜はセマー・ショウを見た.

熱気球に乗る.


朝早くから気球は飛んでいる.


我々のホテルの上にも来た.火が見える.


驚くほどの多数の気球.



バーナーに火を入れ,いよいよ出発.

気球は大きく20人乗り.


いよいよ浮かんだ.























鳩小屋.



気球のパイロット.


ウチヒサールが見える.









谷底にハイキングしている人が見える.

白い岩に写る自分達の影.











ふんわりと着陸.衝撃は無い.



風船を畳むのが一苦労.

記念撮影.

乗った籠.


無事帰還を祝ってパーティーの用意.搭乗証明書をもらった.

熱気球は意外に操縦性が良い.もっとも風があったら,どうなるかは分からないが.

この地方の名物岩を訪ねる.


亀だか猿だかの岩.

三人の妖精の煙突.

駱駝岩.











シメジ風の岩.

本物の駱駝がいた.無論観光客向け.


アヴァノス (Avanos) の陶器工房を訪ねる.

ヒッタイト時代からの伝統工芸.そばを流れるクズル川の赤い粘土にカオリンを混ぜた土を使う.

陶器工房.


またたく間に砂糖壷を作ってみせた.ろくろは足で回す.

細かい絵付け.



洞窟住宅を訪問.


洞窟住宅.3階あるそうだ.




先(々?)代が造った洞窟住居.20畳ほどの居間には電燈,テレビなどもある.5歳くらいの長男が我々に香油を配ってくれた.客に対するもてなしだという.

1000坪ほどの農地を持ち,オリーブなどを栽培しているという.




土が無いが狭いながらも庭もある.

奥さんの手内職の刺繍のスカーフを買う.

見送る奥さん.我々が辞するとき2人のお姉さんが学校から帰ってきた.

今では,洞窟住居は新設はできず,保存されたもののみになっている.長男が相続する.
地方では,女子は小学校(5 年)を卒業すると,家業に従事するものが多く,教育が不十分だと,ガイドのギュルさんが嘆いていた.彼女は女子教育振興のため,ボランティアでお金を寄付しているらしい.



大型の雀風の鳥.


夜のセマー・ショウ(トルコ伝統旋廻舞踊)を見る.

導師(教団長)に導かれて数人の楽隊と6人の踊り手が入場.初めは神(アラー)をたたえる経文を唱える.次に6人が恍惚となって踊る.万物は回転するという世界観を表現する.導師は終始無言で見守る.この部分は神聖な部分なので写真撮影は禁止.
一通り儀式が終わった後,写真撮影用のサービスで,2人が踊りを披露してくれた.


祈りの後の踊り.

恍惚となって踊る.

踊りが終わる.


踊る様子をアラビア文字で図案化.

9月28日(水)
7時半集合.アンカラに移動. 午前中,途中の塩湖に立ち寄る.
午後アンカラ着.ただちにアタテュルク廟とアナトリア文明博物館を見学.
夕方アンカラを発ってイスタンブルへ.

塩湖 (Tuz Gölü) .

トルコ第二の広さの湖.冬場は水で一杯になるという.トルコの塩の 70 %をここで生産するという.拾った塩は少し甘味があった.


バスから見た塩湖.


塩湖.


みやげ物屋.ここの塩をお肌にすり込み,温泉に入ると美容に良いそうだ.


アンカラ(Ankara)に到着.
まず,アタテュルク廟を訪ねる.

アタテュルク記念室には,大統領就任式の時の写真があり,外国賓客10人位の筆頭に若き高松の宮がいた.


アタテュルク廟.

アタテュルクの墓.

衛兵.背が180 cm 位であろうか,高い.


衛兵の交代.

衛兵の交代.

廟の入り口の花壇.


蝶々がいた.

この後,アナトリア文明博物館に入る.


出産中の多産豊饒の女神(新石器時代,BC5750頃).両脇には聖獣が配されている.


人とライオンの頭を持つスフィンクス(ヒッタイト新王国時代,BC9世紀).鼻はヒッタイトの特徴を持っているそうだ.

ライオン門(ヒッタイト新王国時代,BC10-9世紀).ライオンが狛犬のように可愛いらしい.

ヒッタイトはアンカラの西,ハットゥシャ(現在のボアズキョイ)に興り,一時期衰退するが,紀元前2000年代後半に新王国として再び勢力を持つ.当時の新兵器,鉄器と軽戦車を持ち圧倒的強さを誇ったが,エジプトの記録によれば,紀元前1200年ごろ「海の民」に滅ぼされたという.



我々は飛行機でイスタンブルに戻るので,バスの運転手シュナルさんとお別れ.


18時,イスタンブル着.
今夜のホテルは空港近くの高層ビルのシェラトン・ホテル(Sheraton Ataköy Otel).

イスタンブルの繁華街クムカピで夕食.


ドネル・ケバブ(羊肉のグリルの薄切り).流しの楽隊が来て賑やかだった.

手にしたハンマー・ダルシマー風の楽器はカーヌン (kanun) というそうだ.


今日の旅程:ギョレメ-アンカラ 310 km,アンカラ-イスタンブル 飛行機 350 km.

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この続きイスタンブルは 「その2 イスタンブル」 へ.

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以上

(2011年10月)


参考文献

[西アジア史]  前嶋信次 編 世界各国史『西アジア史』(新版)(山川出版,[1972], 1989)
[イスラーム関係] ポール・ランディ著(小杉 泰 監訳)『ISLAM イスラーム』(ネコ・パブリッシング,2004)
[1] 呉 茂一訳,『イーリアス』上・中・下 (岩波文庫,[1953],1974; [1956],1974; [1958],1974).
   呉 茂一訳,『オデュッセイアー』上・下 (岩波文庫,[1971],1979; [1972], 1979).
[2] ハインリヒ・シュリーマン(村田和之亮 訳)『古代への情熱』(岩波文庫,1976)

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