宝塚の阪神大震災

 (1995年1月)


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倒壊寸前の坂上ビル. 建築後数年しか経っていない.
(1995年2月撮影)

坂上ビル前のひび割れした旧国道176号
(1995年2月撮影)
坂上ビルの裏側. ピロティの柱がはずれた.
(1995年2月撮影)


阪神大震災は1995年1月17日早朝に起こった.宝塚は酷い被害を受けたが,あまり知られていない.私の住んでいた中山寺地区は震度7の激震だった.私の家も含めて,近所の木造家屋の8割は全壊であった.ここにその折の写真を掲げる.

朝日新聞でまとめた被害地域.
中山寺は右から2番目の地区.
(1995年2月8日)


地震の起きたとき.

我が家は木造平屋の借家で,地震当時私は和室に寝ていた.揺れで眼が覚めたときは,東京での経験から震度4位の揺れなので,すぐおさまるだろうと思いふとんをかぶった.と思う間もなく烈しい揺れがきて,物が落ちてきた.これは普段と違うぞと思いふとんから顔を出すとすごい土ぼこりであった.電灯が揺れ天井板が抜けている.庭に通じるアルミのサッシ戸が無い.外はまっくらである.大きな地震で家の建てつけに被害がでたようだ.

家内が見えないので呼ぶと,台所から冷蔵庫の下にいて身動きがとれないが大丈夫と返事がある.すぐに台所へ行こうとするが大変だった. 寝室の中は洋服タンスや本箱が倒れ,和ダンスの引き出しが散乱しており,台所に通じる廊下は両側から土壁がくずれ,そもそも入り口の戸が半分しか開かない.身体をねじって台所に入ると冷蔵庫が食卓の上に倒れている上,床にガラスが散っていて,足場が悪い.暗くて良く見えないし,寝起きのかっこうでは危ないし寒い.

我が家の建物内の扉が全部はずれて, 西から東まで素通しになった.
(1995年1月撮影)
北西の4畳半.
(1995年2月撮影)

天井が抜けた. 屋根瓦も殆ど落ちたので 空が見える. (1995年2月撮影)

寝室に使っていた真中の6畳.
(1995年1月撮影)
寝室から西隣りの居間を通して 庭が見える. (1995年2月撮影)


我が家 (1963年建築の平屋) の図面. 矢印は倒れた方向.


我が家の外周り.

柱は傾き,外壁のモルタルは落ち,全ての部屋で土壁が抜け,物が散乱していて足の踏み場もない.庭もすごかった.落ちた瓦が散乱し,隣家との境のブロック塀は全て倒れていて視界をさえぎるものがない.物置が倒れていないのが不思議な気がした.北側は家が倒れかけていて危なくて近づけない.玄関は通過不能だ.

我が家の玄関に立つ筆者. 足元の紙は郵便用に転居先を書いたもの.
(1995年3月撮影)
北側に傾いた我が家. (1995年3月撮影)
南側から見た我が家. 南側のブロック塀は全て倒壊した. (1995年1月撮影) 南庭に散乱した屋根瓦. (1995年3月撮影) 隣家のブロック塀に倒れた北側. (1995年1月撮影)


近所の家の被害の一部.

G家では屋根がそのままの形で落ち, ご主人の奥さんとお母さんが亡くなられた. (1995年1月撮影) A家では1階部分がつぶれた. 2階に寝ていた奥さんが腕をはさまれて全治3ヶ月. (1995年1月撮影) 周りの家を片付けた後残ったA家.
(1995年3月撮影)

南から見たA家.左手は我が家. 東側のブロック塀は綺麗に倒れていた.
(1995年1月撮影)
Sh家の1階部分がつぶれ,下に寝ていたご主人が 閉じ込められたが,怪我も無く救出された. (1995年1月撮影)
Se家の1階部分がつぶれ1階のご主人が閉じ込められた. 腕を負傷.全治3ヶ月. (1995年1月撮影)

ビューティーサロンの2階部が地面に落ちた. (1995年1月撮影)
腰が折れたよう.
(1995年1月撮影)
電柱が倒れ自動車が閉じ込められた. 右手に見える家はいずれも二階家だった. (1995年1月撮影)

地震後再建された住宅. 我が家は手前の駐車場となった. (2006年1月撮影)


挿入の文は,斎藤基彦,『生産と技術』 49巻 (1997年) 第2号9ページ「阪神大震災体験記」から引用した.詳しくはこれを参照されたい.

(2006年1月)


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