飛騨高山の秋祭り

(2007年10月9・10日)


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2007年10月9・10日,飛騨高山の秋祭りを見た.佐久良組の氏子総代の家に泊めてもらい,いろいろレクチャーを受けた.秋祭りは桜山八幡宮の氏子によって行われる.神事,からくりと宵山に出る10台の屋台が見ものだ.


飛騨高山の宵山.行神台

祭りは金森氏が飛騨を統治しているとき(1586(天正14)年から1692(天禄5)年)に始まったと信じられている.屋台曳行は1718(享保3)年の記録が残されている.からくり人形は1760年代に上方より導入され,19世紀初めの文化文政期に高山形と言える独特なものになったと言われている.

祭りの準備

家に祭り提灯を飾る


神事に列席する氏子総代の着付け


着付け


一文字笠を付ける


準備整い記念撮影


仙人台の前で



飛騨高山の桜山八幡宮
仁徳天皇65年(377年),難波根子武振熊(なにわねこたけふるくま)が飛騨国の両面四手四足の怪人・宿儺(すくな)を退治した.『日本書紀』によると,

六十五年に,飛騨国に一人(ひとりのひと)有り,宿儺と曰ふ.其の為人(ひととなり),壱体(ひとつのむくろ)に両面(ふたつのかほ)有り.面(かほ)各相背けり.頂(いただき)合ひて項(うなじ)無し.各手足有り.其れ,膝有りて膕(よほろくぼ)踵無し.力多くして軽く捷(と)し.左右に剣を佩き,四手(よつのて)並に弓矢を用(つか)ふ.是を以ちて,皇命(おほみこと)に随はず.人民(おほみたから)を掠略(かす)めて楽(たのしび)とす.是に,和珥臣(わにのおみ)が祖(おや)難波根子武振熊を遣して誅(ころ)さしめたまふ  (小島憲之 他校注・訳『日本書紀(2)』,小学館,1996)

とある.この時,戦勝を祈願して先帝応神天皇を祀ったのがこの八幡宮と伝えられている.後世になって飛騨の領主 金森出雲守重頼により,1623(元和9)年居城の北面の守護神として再興された.

桜山八幡宮の大鳥居


八幡宮の境内


八幡宮の扁額


八幡宮の本殿


八幡宮の池の鯉


しかし,この八幡宮創建にまつわる話は多少矛盾しているように思われる.両面宿儺はこの地方ではむしろ守り神として信仰されているのである.実際, 高山市の郊外,丹生川村の千光寺では両面宿儺を「御開山様」と伝え,円空の刻んだ宿儺が伝わっている.

円空作の両面宿儺
(写真:千光寺宝物館)


それはさて置き,9日の午前に行われる本楽祭の神事を見よう

各組の氏子総代が本殿に入場


各組の氏子総代と来賓が控える


神主の登場.左手に見える像は日本武尊


御霊(応神天皇)のおわす社のご開帳


扉を開けて退出


献饌(そなえ物の奉納)


献饌


奉幣


祈り


浦安舞の奉納

巫女の登場


浦安舞の奉納


浦安舞


浦安舞


浦安舞




良い子の御輿

良い子の元気祭


良い子の山車


良い子の御輿




布袋台の離れからくり奉納
布袋台は口伝では天明年間(1780年代)に建造された屋台とされている.からくり人形もこの頃に装備されたと言われている.唐子がコントロールから離れるように見えるので離れからくりと言われる.究極のからくりである.

離れからくりを待つ人々


布袋様登場


布袋様の見得


待機する唐子二体


唐子がアヤと呼ばれるブランコに取り付く


唐子が最後のアヤに移る


唐子が布袋様の肩に乗る


布袋様もにっこり


次の唐子の様子を見る


次の唐子が追いかける


次の唐子が無事布袋様の右肩に乗る


二人の唐子をかついで踊る布袋様


布袋様が軍配を一振りすると 花吹雪が散り,中から「和光同塵」と書いた のぼりが出てくる.



宵山の屋台巡行

神楽台(八幡町,桜町)


神楽台


布袋台(下一之町上組)


唐破風屋根の仙人台(下三之町上組)


鳩峯車(下二之町上組)


行神台(下三之町中組)


金鳳台(下一之町中組)


大八台(下一之町下組)


宝珠台(下三之町下組)


徳兵衛獅子の勢ぞろい


獅子舞い


獅子舞い


神楽台を警護する


豊明台(大新町一丁目)を引く


神馬台(下二之中組)を引く



二日目の御神幸祭.行列の巡幸
代車のみで屋台は巡幸しない.

行列の巡幸


獅子の舞い手


獅子舞いの注文取り


獅子舞いを頼む


行列の巡幸


行列の巡幸


行列の巡幸


行列の巡幸.大正台の代車を引く


太鼓


行列の巡幸


行列の巡幸


行列の巡幸


太鼓の巡幸


太鼓


弓を持つ稚児


行列の巡幸


神輿


行列の巡幸.人力車がおかしい


行列の 巡幸.手にしたザルはお布施受け用


台車を引く



金鳳台の代車



秋祭りは下の3町の氏子を中心とする祭りで,とても優美で雅びである.笛・鉦・太鼓の他は大騒ぎする事が無い.動員される人数は数百人にのぼる.狭い地域なので,これだけの人を動員するのは大変な負担であろう.ひとえに伝統の祭りを守っていこうという町衆の熱い心があって,初めて可能なことである.もはや大都会の人には考えられない,強い絆が残っているということであろう.この良き伝統を末永く保って欲しいものだ.


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