みちくさ新聞<BOOKS>

「雪のかなたに」

スーザン・ヒル

「プロローグ」

 ゆうべ、雪が降った。
 と、思い出の波が寄せてきた。忘れていたなにもかもが、あとからあとから甦る……。
 いや、忘れたことなどあったろうか。ありはしない。すべては心の奥深く、しまいこまれていたのだった。宝物、のように。/
 ゆうべ、雪が降った。
 と、思い出の波が寄せてきた。わたしひとりが遺されて、いまはもう、あれらの日々を覚えている者とてない。
 父も母も、とうにあの世へ旅立った。兄のウィルもすでに亡い。戦争に行って、それっきり。/
 みんなみんな逝ってしまった。教会に来た村人たちも、来なかった村人たちも。もちろん、牧師の父さんは、村人すべてをいつも心にかけていた。
 ああ、思い出す。ドーセットの、枯れ草色のわびしい丘を。つと舞い上がり、弧を描いて翔ぶノスリの群れを。小さなすすけたコテジにひしめく子供たちを。
 荘園の屋根裏部屋では、おおぜいの召使が寒さに凍え、ぎゅうづめで、自分のための場所もなく、顔を洗うお湯すらなかった。
 そして、多くのお年寄り。まばらな髪に細い脚、曲がった腰に歯なしの口のお年寄りが、階段にすわりこんで日なたぼっこを楽しんでいた。
 洗濯物がぶらさがり、やかんのシュンシュン沸くなかで、孫や曾孫にかこまれて、暖炉のそばの木の長椅子でしあわせそうにくつろいでいた。
 ひとりぼっちの老人もいた。隣り村にもこの村にも。通りかかる人とてない、忘れられた路地の奥にひっそり暮らすお年寄りを、でも、父さんは、牧師の父は、訪ねていった。わたしや兄の手を引いて。「その目で確かめることだ」それが父の口癖だった。
 この世にはもう、わたしのほかにだれひとり、覚えている者とてない。
 そしてゆうべ、雪が降った。
 思い出の波が寄せてきた。すべてを、書きとめるとしよう。いまのうちに。淡い光のあるうちに。闇が幕を引く前に。あれらの日々を記憶している、このわたしが最後のひとりなのだから。/
 ああ、思い出す。
 恵まれていた。と感じていたし、実際に恵まれていた。貧しさに、多くの人があえぐしかなかったときだ。
 父は言った。夜、わたしたちにはやわらかなベッドがある、でもイエスさまには身を横たえる場所もない。世の中にはね、かたい地面で眠るしかない人たちもいるのだよ……。どこかでだれかが愛に飢えているときに、兄もわたしも愛にとっぷりくるまれていた。/
 そして、レディマンの丘のむこうのあばら屋では、お年寄りのロバーツさんと目の不自由な奥さんが、飢えと寒さと病のせいでひっそり息を引きとった。
 父さんは知らずにいた。気づいたときには手遅れだった。父さんは泣いた――だれからも敬われ、誇り高い父さんが、泰然として、いかめしく、乱れることのない父さんが、怒り、泣き、こぶしを打ちつけ、神を呪い、天に向かって叫んだのだ。
「御心に刻みたまえ。しかと刻みつけたまえ」
 ゆうべ、雪が降った。
 と、思い出の波が寄せてきた。喜びも悲しみも、夜も昼も、夏も冬も、春の日の清らかな香りまでもが甦る。丈高い古びたわが家、林檎の木に揺れるブランコ。
 時をはるかにさかのぼり、魔法の円のそのなかに、子供時代があらわれる。闇が幕を引く前に、明るく冴えてすべてが映し出されてゆく。
 わたしは窓辺に腰かけている。窓のむこうの裏庭には、いとしい木があり、枝には小鳥たちがいて、灌木には、星さながらに花がまたたく。
 十一月。十二月。見上げれば、家々の屋根のむこうに、広がる空。/(野の水生・訳)
2004年 パロル舎
みちくさ新聞95号掲載