「こんにちは、おはよう」
「朝の雪道をわたしはうつむいて歩いていた。俘虜生活では、ときどき、魂が渇き荒んでやりきれないことがある。そのときがそうだっだ。わたしは自分をあざけり呪っていた。
〈死んでしまえ。死んでしまえ。おまえなんか死んだって、人類の歴史は、これっぽっちも動揺しない〉
雪道の白ささえ呪わしかった。
ところが、その時、わたしのすぐ前で、やわらかな〈ズドラーストウィチェ(こんにちは)〉という声。顔を上げて見ると、頭巾をかぶり買い物籠を下げた見知らぬ老婆である。
この婆さんは、俘虜のわたしがあんまり哀れな姿で歩いているので、あたたかい慰めといたわりを、〈ズドラーストウィチェ〉の挨拶に込めて、わたしに送ってくれたのであろうか。
彼女の声は、わたしのからだ全体に、あたたかく沁みわたった。〈ズドラーストウィチェ〉のもとの意味が〈健やかであれ〉である、ということも、思い出された。
それ以来、あの婆さんの顔は、わたしのふるさとの老いた母の顔となり、声だけはロシア語で、わたしの心をうるおしつづけている」
……………
昭和の戦争末期、学徒動員を受け従軍、シベリアの俘虜収容所に送られ、四年後に帰国、翌年、故国に絶望して自殺した、若い哲学の徒の遺した遺稿のなかの言葉。
1994年 みすず書房
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