「愚直さが踏みとどまらせた現地」
現在アフガニスタンでは未曾有の旱魃が更に進行し、数百万人が難民化していると言われています。この旱魃で数え切れぬ人々が飢餓に直面していました。実際、多くの人々が私の目前で命を落としました。/
この土地で「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。/
返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。
私の過去20年も同様でした。決して自らの信念を貫いたのではありません。専門医として腕を磨いたり、好きな昆虫観察や登山を続けたり、日本でやりたいことが沢山ありました。それに、現地に赴く機縁からして、登山や虫などへの興味でした。
幾年か過ぎ、様々な困難――日本では想像できぬ対立、異なる文化や風習、身の危険、時には日本側の無理解に遭遇し、幾度か現地を引き上げることを考えぬでもありませんでした。
でも自分なきあと、目前のハンセン病患者や、旱魃にあえぐ人々はどうなるのか、という現実を突きつけられると、どうしても去ることが出来ないのです。
無論、なす術が全くなければ別ですが、多少の打つ手が残されておれば、まるで生乾きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず、月日が流れていきました。
自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります。
よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。/
遭遇する全ての状況が――古くさい言い回しをすれば――天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。/
私たちは、現地活動を決して流行りの「国際協力」だとは思っていません。地域協力とでも呼ぶ方が近いでしょう。天下国家を論ずるより、目前の状況に人としていかに応ずるかが関心事です。/
(ペシャワール会報81号 2004年10月13日発行より)
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