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投稿37.「都をどりはヨォーイャサー」
(投稿者:風さん/男性)
【原文】
京に春の訪れを告げる「都をどり」の艶やかなパンフに誘われ、お前もどうかと社会人二年生になる娘に声をかけた。電車代、入場券、さらに夕食まで約束させられやっと許可がでた。ところで一つ気がかりなことがあった。踊りと言えば盆踊りぐらいしか知らない私に、舞踊、それも京舞などという本格的な踊りがわかるだろうかという不安であった。ともあれ娘と二人の外出に、お気に入りの帽子を出して出かけた。
祇園甲部歌舞練場、舞台左右を目いっぱいにとった重そうな緞帳がサッと上がる。眩しいくらいの銀襖が現れ左右の花道から華やかな衣装の芸舞妓が桜と柳のうちわを手に次々と登場し舞台からは、微かな脂粉の匂いがこぼれくる。と、機を一にして、三味と囃子が止み一瞬の静寂を破り「都をどりはヨォーイャサー」というかけ声があがった。このかけ声、口からでなく腹からでもない。頭のてっぺんから、ふわーっと発してゆっくり下へ余韻をもって降りくるような独特の趣のあるかけ声で観衆を一気に舞台に引きつける。今年の演題は「京暦歌舞伎魁」(きょうごよみかぶきのさきがけ)四条河原の出雲阿国、琵琶湖畔の光源氏、紅葉の清水寺から雪見の座敷、桜満開の醍醐へと全八景にわたり、ダイナミックなテンポと小気味よい変化をともないながら華やかな舞台が次々に展開する。近ごろ歌舞伎の世界ではスーパー歌舞伎というのが、はやされているようだがスーパー踊りとでも呼べそうな雰囲気は踊りに詳しくない私でも十分楽しく出かける前の不安などとうに忘れていた。
そして京舞井上流の、芸舞妓の踊り振りには、さらに「はんなり」の上品さが加わる。照明に浮かぶ凛とした表情、ゆるりとした白足袋の動きは素人目にも美しく映る。彼女達が、この日のために新年の始めからきびしい稽古に励み培ってきたという自信がそうさせるのだろう。
さてこの都をどりの案内には次のようにも記している。
明治五年の東京遷都により、それまで千年の都であった京の町は、火が消えたように寂しくなった。何とか往時の賑わいを取り戻そうと京都博覧会が開催され、都をどりはその余興に付け博として企画されこれが大成功であったのが始まりという。
今、この粋を凝らし贅を尽くし舞いに舞う舞台に何とかデフレ不況の浮揚をと思いを重ねたのは、私だけだろうか。初回から百三十一回を数え京の春の風物詩ともなった都をどりは、待ちかねた季節の春とともに人々に希望の春も届けているかのようである
歌舞練場を後にすると、お茶屋の続く花見小路は、ぼんぼりに火が入り石畳の打ち水が薄明かりに光る。花街祇園の宵に先ほどの三味と囃子が聞こえてくるようで、父娘が主役のもう一景があった。
「来て よかったやろ」
「ウーン おなか空いたー なん食べに行く」
平成十五年四月十五日
祇園、京舞の春(井上流承継の瞬間)NHKビデオライブラリー
舞妓と芸妓の奥座敷 文春新書 相原恭子
京都新聞 4/1 4/14 関連記事
【総評】
●まだ少し中途半端なところが……。無理に何かに結びつけたり結論づけなくていい●
細かいことは「添削」欄に譲るとして、内容について考えてみましょう。テーマ(主題)について、もっとシンプルでいいのかも知れないですね。「都をどり」のガイドと筆者の感想という構成でいいのでは? 筆者は娘を登場させていますが、それが効果を発揮していないから、何か余計なことのように思えてしまうんですよね。娘を登場させるなら、もっと効果的に使った方がいい(初めて見た都をどりに感動するとか)。実際に連れて行って娘が興味を示さなかったのなら、文中に登場させる意味はないですよね。楽しかったとか、来てよかった、というコメントがあれば締まるけど、この最後の父娘の会話は意味がないし、この「結び」は付ける必要がないと思います。花見小路の京都らしい景観を描いて終わった方が良かったのではないかな。
「この粋を凝らし贅を尽くし舞いに舞う舞台に何とかデフレ不況の浮揚をと思いを重ねたのは、私だけだろうか。」とあるのですが、これもちょっと無理矢理な印象が。優雅な日本舞踊と、日本の景気というのは結びつけるにはちょっと遠過ぎるように感じられます。もしそれをいうならもう少し説明が必要なのでは? このようにひとことで結論づけてしまっては説得力に欠けます。何か都をどりに「無理に意味をつけようとしている」みたい。風さん、ちょっと考え過ぎかな〜。もっとシンプルでいいんじゃないかと思います。途中、舞台の様子の表現などはよく書けているから、そういう良いところを生かせれば良かったですね。
【添削】
> 京に春の訪れを告げる「都をどり」の艶やかなパンフに誘われ、
>お前もどうかと社会人二年生になる娘に声をかけた。
1行目はできれば2行目とつなげないで1文にした方が良かったかも知れませんね。パンフレットとの出会いをもう少し、ふくらませた方が良かったと思います。「都をどり」「パンフ」「娘」とどんどん話が展開するのは少し急ぎ過ぎかな。筆者が都をどりに惹かれた心情をもう少し入れてもいいように思います。
>電車代、入場券、さらに夕食まで約束させられやっと許可がでた。
「やっと許可がでた」というのはおかしいですね。「許可する」というのは、誰かが他の誰かについて(例えばAがBに対して)許可するのであって、娘が自分自身の旅行について「許可を出す」という言い方はしません。例えば母親が「娘を連れて行くことを許可する」というのはアリですけどね。「電車代、入場券、さらに夕食まで約束させられ、ようやくふたりで出かけることになった」とするのが適当です。
>ところで一つ気がかりなことがあった。
>踊りと言えば盆踊りぐらいしか知らない私に、
>舞踊、それも京舞などという本格的な踊りがわかるだろうかという不安であった。
>ともあれ娘と二人の外出に、お気に入りの帽子を出して出かけた。
文頭「ところで」は使わない方がいいですね。「ところで」という挿入表現は、「ここから話が変わりますよ」という合図ですが、この場合はちょっと大袈裟な感じがします。「ひとつ気がかりといえば……」というつなぎで良いです。「ひとつ気がかりといえば、盆踊りぐらいしか知らない私に、舞踊、それも京舞などという本格的な踊りがわかるだろうかということだった。ともあれ娘と二人の外出に気分が高揚し、お気に入りの帽子を被って出かけた。」とする。
> 祇園甲部歌舞練場、舞台左右を目いっぱいにとった重そうな緞帳がサッと上がる。
>眩しいくらいの銀襖が現れ左右の花道から華やかな衣装の芸舞妓が
>桜と柳のうちわを手に次々と登場し舞台からは、微かな脂粉の匂いがこぼれくる。
このあたりの表現は良いですね。ただし、句読点の打ち方が問題。「眩しいくらいの銀襖が現れ、左右の花道から華やかな衣装の芸舞妓が桜と柳のうちわを手に次々と登場し、舞台からは微かな脂粉の匂いがこぼれくる。」ですね。文章が切れるところで、「、」を入れてください。たぶん風さんは「主語」の後に「、」を入れていると思いますが、このように3つの文節が続くものでは、文節の切れるところに「、」が必要です。
>と、機を一にして、三味と囃子が止み一瞬の静寂を破り
>「都をどりはヨォーイャサー」というかけ声があがった。
>このかけ声、口からでなく腹からでもない。
>頭のてっぺんから、ふわーっと発してゆっくり下へ余韻をもって降りくるような
>独特の趣のあるかけ声で観衆を一気に舞台に引きつける。
このあたりも良いですね。ですが、「余韻をもって降りてくるような」の「て」が抜けていますよ。
>今年の演題は「京暦歌舞伎魁」(きょうごよみかぶきのさきがけ)
>四条河原の出雲阿国、琵琶湖畔の光源氏、紅葉の清水寺から雪見の座敷、
>桜満開の醍醐へと全八景にわたり、
>ダイナミックなテンポと小気味よい変化をともないながら華やかな舞台が次々に展開する。
今年の演題は「京暦歌舞伎魁」(きょうごよみかぶきのさきがけ)の後は「。」が必要です。この舞台は背景が変わるものなのかな。「全八景」というのはそういう意味でしょうか。ちょっと曖昧ですね。芸舞妓の踊る様子をもっと加えるとなお良かったのではないでしょうか。
>近ごろ歌舞伎の世界ではスーパー歌舞伎というのが、
>はやされているようだがスーパー踊りとでも呼べそうな雰囲気は
>踊りに詳しくない私でも十分楽しく出かける前の不安などとうに忘れていた。
「スーパー歌舞伎」について、どういうものなのか一言触れたいところです。知らない人もいることを前提に考えるべきでしょう。「スーパー踊り」ともいえるというのは、伝統的な日本舞踊とは違うということなのかな。やや説明不足。
>彼女達が、この日のために新年の始めからきびしい稽古に励み培ってきたという自信がそうさせるのだろう。
これは唐突ですね。読者からすれうば、「彼女達が新年から稽古してきた」ということを、なぜ知っているのかと疑問に思ってしまいます。なので、「芸舞妓たちはこの日のために新年からきびしい稽古に励んできたという。稽古によって培われた自信が美しい表情をつくり出しているのだろう。」とする。
> さてこの都をどりの案内には次のようにも記している。
「案内」というのは、会場でもらえるパンフレットか何か? 「さてこの都をどりの案内には次のようにも記されている。」ですね。案内(モノ)が主語の場合は、「記している」ではなく「記されている」です。
>明治五年の東京遷都により、それまで千年の都であった京の町は、
>火が消えたように寂しくなった。
>何とか往時の賑わいを取り戻そうと京都博覧会が開催され、
>都をどりはその余興に付け博として企画されこれが大成功であったのが始まりという。
都をどりの歴史に触れるのは良いですね。でもなぜ毎年、春にやる恒例行事なんでしょうか。そのクダリもわかるとなお良かったです。
> 歌舞練場を後にすると、お茶屋の続く花見小路は、ぼんぼりに火が入り石畳の打ち水が薄明かりに光る。
この部分、「薄明かりに光った」と過去形にして、これで文章を終わらせてしまって良いのでは? 後の親子の会話は要らない。もし入れるなら、娘の都をどりに関する感想が欲しいところです。せっかく説得して一緒に連れて行った娘なのだから、この踊りがどんな風に映ったのか知りたいですよね。「ウーン おなか空いたー なん食べに行く」は、結びにふさわしくない。娘にはそれほど楽しくなかったのでしょうか。ここで、娘の「きれいだったね」なんてコメントが入れば、うまくまとまると思うのですが、いかがでしょう。
>祇園、京舞の春(井上流承継の瞬間)NHKビデオライブラリー
>舞妓と芸妓の奥座敷 文春新書 相原恭子
>京都新聞 4/1 4/14 関連記事
この3行の前に「出典」とか「参考資料」と入れましょう。風さん、またの挑戦、お待ちしております。(sakura)
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