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The Drag Business of Afghanistan アフガニスタンの麻薬事情 (2002年作成)
20年以上にも及ぶ戦乱を経て、アフガニスタンは今、復興に向かっている。しかし、国内では地雷や地下水路カレーズの荒廃が、アフガニスタンの命ともいえる農業の妨げとなっている。さらに、ターリバーン以前の無秩序な時代に逆戻りしたともいえるヤミ経済の復活…。その中でも、撲滅が急がれるアフガニスタンの麻薬取引について、とりあげる。 麻薬にはどのようなものがあるのだろうか。 【ハシーシュ】 【アヘン】 主なケシの産地:アフガニスタン東部・北東部 (現在は全国的に栽培が行なわれている。) ターリバーンは麻薬をどのように考えていたのだろうか。 〔信条的には〕 〔政治的には〕 1994年 ターリバーン、カンダハール占領後にすべての麻薬禁止を宣言 ターリバーンの支配地が拡大するにしたがって、ケシ栽培地も広がっていった。ターリバーンは年間2000万ドルぐらい徴収していたと推計されている。
ロシア・マフィアによって中央アジア・ロシア・バルト諸国を経由して欧州へ運ばれたり、1997年までには空輸ルートも開設されるなどして、密輸が行なわれた。
[左] アフガン・アヘンの50%を生産していたヘルマン [右] カンダハールやジャララバードからアブダビ(UA
CIA(米国中央情報局)とISI(パキスタン軍統合情報局)が、反ソ連勢力のアフガン・ムジャーヒディーン支援のため、その財源である麻薬取引を黙認した。
1983年 ISI部長アフタル・アブドル・レーマン将軍、麻薬取引を行なってCIAからムジャーヒディーン向けに供給さ ⇒パキスタン軍とISI内部に、アフガニスタン絡みの麻薬シンジケートが存在する! ▼ DEA(米国麻薬規制局)により、40組の麻薬シンジケートが摘発される。 ▼
ムジャーヒディーン、パキスタン当局、麻薬業者を黙認し、利用してきたCIAが、事実が明らかになるの
〔パキスタンにおける変化〕
米国と西洋諸国が、パキスタンに対してアヘン生産の中止を要求。1989〜1999年、麻薬撲滅のために約1億ドルがパキスタンに提供された。 〔アフガニスタンにおける変化〕 ターリバーンが登場。麻薬禁止を断念したターリバーンの勢力拡大とともに、ヘロインは増産された。
パキスタンでの麻薬取締り強化で
しかし、アフガニスタン国内で新た
アフガニスタン周辺国のパキスタン、タジキスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンで、ヘロイン中毒者が急増した。
軍事的緊張により、イラン‐アフガニスタン間の国境が閉鎖したとき、ヘロイン輸出からの税収が減少したターリバーンは、深刻な財政危機に陥った。これは、麻薬マネーに依存するターリバーンの姿を浮彫にした出来事だった。
1997年10月 UNDCP(国連薬物統制計画)、ターリバーンと交渉 2000年 UNDCP、再びターリバーンと交渉、合意 2001年10月 米軍による空爆・北部同盟によるターリバーン攻撃開始 麻薬取引の裏側を見ていくと、国家間の関係や自己の利益のためにやりたい放題という状況が見えてくる。高収入であるケシ栽培は、戦乱で荒廃した地での生活を余儀なくされているアフガニスタンの農家にとっては魅力的であり、それを奪うのは非常に難しいと思われる。しかし、麻薬は人の健康を害するだけではなく、国政をも動かす力を秘めており、そのままにはしておけない。これは、アフガニスタン国内の麻薬生産者に限らず、外国のマフィアや麻薬商売人、密輸業者も関与する世界的な問題である。
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