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What is “Loya Jirga”? ロヤ・ジルガとは? title: アフガニスタンの統合 ―ロヤ・ジルガの変遷を通して― *summary* 多様な民族を抱えるアフガニスタンの国民統合の過程において注目されているのがロヤ・ジルガである。ロヤ・ジルガは、アフガニスタン各地から民族の枠を超えて集まった人々が国家的問題を議論するために、度々召集されて現在まで存続してきた、という制度である。 ロヤ・ジルガに対して研究者の評価は高く、「アフガニスタン固有の民主主義制度」「国王に代わる国民統合の象徴となりうるもの」という論調が一般的である。しかし、その史料的裏付けは乏しい。
そこで、ロヤ・ジルガが、時代背景,統治者,その他の要因でどのように変遷していったのかをたどることで、アフガニスタンにおけるロヤ・ジルガの役割を明らかにし、ロヤ・ジルガという制度がなぜ現在まで存続できたのか、また「国民統合の象徴」となりうるものなのかどうかを、本稿で論じる。 contents: 第1節 アフガニスタンの建国と王位継承抗争 第2節 イギリス‐ロシア間の覇権争いと国境画定 第3節 アマーヌッラー・ハーンによる近代化政策とその挫折 第4節 「パシュトゥニスタン」問題の表面化とソ連からの援助 第5節 ソ連軍侵攻とアフガニスタンの社会主義化 第6節 ムジャーヒディーンによる内戦とターリバーンの出現 第7節 アフガニスタン史とロヤ・ジルガ 第1節 現在の統治機構の仕組み 第2節 現在のロヤ・ジルガの仕組み 第3節 現在のロヤ・ジルガに見られる問題点 第1節 王位継承抗争の時代 【1747年、1768年、1773年】 第2節 イギリス‐ロシア間の覇権争いの時代 【1839年、1841年、1865年、1873年、1880年、1915年】 第3節 アマーヌッラー・ハーンによる近代化の時代 【1922年、1924年、1928年、1930年】 第4節 「パシュトゥニスタン」問題をめぐる対立の時代 【1941年、1949年、1955年、1964年】 第5節 共和制への移行の時代 【1977年】 第6節 ソ連の干渉・侵攻の時代 【1981年、1985-1986年、1987年】 第7節 ムジャーヒディーンによる内戦の時代 【1989年、1990年】 第8節 アフガニスタンの統治とロヤ・ジルガ
図T パシュトゥーンの部族構成 図U 2004年1月4日の憲法での統治機構 図V 民族別の人口と緊急ロヤ・ジルガ代議員の割合との比較 図W アフガニスタン建国以降のロヤ・ジルガ
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