近況報告

 

9月に母親が亡くなりました。 87歳でしたが、具合が悪くなって僅か半年くらいだったでしょうか。 僕が退院した頃、幾ら僕が元気だよと電話を入れても電話口に決して出てくれませんでした。 四肢麻痺だと言うことは知っていましたが、自分の息子が55歳になってそういう身体的な障害を負って仕舞ったことを受け入れられなかったからです。

そういうことがあったせいで、僕はパソコンで文章を作成して懸賞募集にのべつ応募していました。 初めて送った短編がすぐに入賞して本になりましたので、それを母親に送りました。 まだ僕が実家に行けない頃でした。 そうしたら母から感想を述べて来ました。

以前から僕が書いた詩集などを母には送っていたので、久し振りに再開した感じで受け止めてくれたのかなと思います。 そして初めて僕が身体は利かないけれど頭には異常はなかったことを受け入れ出しました。

僕が実家に行けるようになるまでの3年間、僕はずっと懸賞募集の文学作品などに応募し続けました。 毎年、数冊本になりましたので、そのたびに近況報告の手紙と共に母に送っていました。 僕が書くのを止めたのは、僕が一人で電車に乗って実家に行き、直接母と会う事が出来るようになったからというのと、母が高齢化して文章を読むのが億劫になって来たからです。

もともと、母に僕が元気だと言うことを知らせるために始めたことなので、実際元気な僕の姿を直接見せられるようになったので、書くと言う行為は続ける必要がなくなったわけです。 不思議だなあ、と思うのは元気だった頃に何度も懸賞論文や懸賞小説に応募しましたが、入選したことなど全くありませんでした。 それが障害者になってパソコンのキーをやっと押して書き綴って応募したら連続して何回も入選したのですから、、。

 

僕は長男ですので、僕が喪主を勤めることになりました。 通夜、告別式の後のお清め、会食は和室だったので、靴の脱ぎ履きで苦労しました。

でもやるっきゃないという事態になると案外頑張って出来てしまうものですね。 無論、和室での会食の時は、畳に座れず一人だけ椅子を出してもらいましたが、、。  11月にお寺で納骨を済ませました。  先日、母の位牌を祭ってある実家に行って来ました。

何時もいた母の姿が部屋に見えないのは違和感を感じましたが、何時亡くなるのか心配しなくても良くなったので、心は随分リラックスできるようにはなりました。

勿論、まだ健常な人のようには歩けませんし、両手の指もPIP関節で拘縮しており未だ箸も満足には使えませんが、それでも全く動けなかった僕が一人で実家にまで動けるようになった姿を母に見せる事が出来ましたので、その点では不幸中の幸いだったのかなと思っています。

 

気分が楽になったせいか、今年も千葉県の高校ラグビーの決勝戦を柏の葉に見に行きました。 昨年は寒い中座っていたら、帰る時に足が利かなくなっていましたので心配でしたが、わりと暖かい日だったので昨年のようなことはありませんでした。

でもスタジアムの中を上り下りするのは手すりが全く無いのでやはり怖いですし、一仕事になります。  まあ、これも好きだと出来ちゃうと言うか、やらなきゃいけないって感じですがね。 尤も最悪の場合は手助けしてもらいますけど、、、。

今年の花園では千葉県代表の流通経済大柏高校に頑張って欲しいと心底願っています。

 

 

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