佐賀新聞 執筆 2001

5月22日掲載
こんにちは。私は今、チャレンジステージ(演劇)とフレンズシアター(ダンス)という、障害者と健常者が演劇やダンスを創る劇団を2つ主宰しています。メンバーはこの2年でいろいろな成長・進化を遂げており、私に勇気を与えてくれています。今回はチャレンジステージの活動を通して、私自身が感じてきたことを書かせていただきたいと思います。メンバーと共に演劇を創っていて、常に考えさせられることがあります。それはメンバーが何のために演劇をやっているのかということです。みんなとても楽しく活動しています。何かを創り上げる喜びもあるのだと思います。一般的に演劇は表現だと言われます。そして芸術(アート)だといわれます。何かのテーマを主張するために演劇をするというのもよくあることです。いろんな形で芸術に取り組むアーティストがいます。私の知っているアーティストには2つのタイプがいます。テーマを社会や世論に主張するためにアートに取り組むタイプです。もう一つは、テーマは二の次で、今この瞬間の感情の趣くままにアートに取り組み、その時々の自分の感情の変化を知ろうとするタイプです。どちらが良いアーティストかは私には分かりませんが、何のためにアートと係わるのかという自分への回答を探るには後のタイプに可能性を感じます。アートをすることで人は自分を知るということも聞いたことがあります。自分を知るというのは漠然としていますが、自分のあるがままの姿に正直になるためにアートに係わるのだろうと思いました。それはメンバーの成長・進化を見ていて、自分に正直だなぁという部分を見続けてきたからです。まぁ自分の頭の中だけで考えても仕方ないので、今度みんなに聞いてみることにします。ともあれ、メンバー(私も含めて)が演劇を通して自分の感覚に素直になれたら、やってて良かったとなるのでしょう。みなさん、ぜひチャレンジステージの練習を見にいらしてください。毎月第2,4土曜日の午前中、佐賀市西与賀コミュニティーセンターでやってます。それでは。

8月2日掲載

チャレンジステージとフレンズシアターは7月22日北九州で行われた北九州国際障害者芸術祭のフリンジ部門に参加しました。チャレンジステージはこれで3回目、フレンズシアターは2回目となりました。昨年8月に行われた「バリアフリーディインさが」の原型になっているのが北九州のこのイベントです。今回はこのイベントに参加して感じたこと考えたことを終わって間もない新鮮な感覚で書かせていただこうと思います。唐突ですが、3回目にしてようやく自分に対して答えが出せたように感じます。障害のある彼らとの劇やダンスが「作品として」評価できるのかということに対しての答えです。理屈では評価できましたが、その根拠をステージ上での実体験としては持っていませんでした。今回は練習の段階では十分答えが出せるレベルまで来ていたと思います。ただ公演としてのステージでどうかということだったわけです。公演では不特定多数の観客がいます。私はその彼らと答えを共有できてこそということが条件になります。北九州のこのイベントは6年近くの伝統を持っています。そして観客はこれまで色々な方々のステージを見てきています。ある程度障害者の芸術に対して理解を持つ方が多いのです。彼らの中には作品への感想を自分の言葉で持ってきてくれます。佐賀でもたしかに観客の何人かは私に感想を持ってきてくれました。でも頑張っている障害者とそれを支えるスタッフへの労いというものが多かったのは否めません。まぁ、観客の中には身内が多かったこともあるでしょうが。フレンズシアターのステージ後、観客の一人が私に話しかけてきました。「ステージの中に作り上げていくプロセスを感じました」と。チャレンジステージのステージでは観客がストーリーの流れにハラハラドキドキしていたことがステージ上にいる私にははっきりと分かりました。まだ作品として真の完成の域には達していませんが、そこに行きつく道筋は今回、確実に自分のものになったし、根拠を公演の中で見つけたと思っています。これが答えです。10月7日のバリアフリーディではその答えをお見せできたらと思います。

10月16日掲載
今回は、なぜ私が障害のある方々と演劇やダンスをすることにこれほどまでにこだわっているのか?ということを中心に書かせていただこうと思います。私は大学生の時、演劇を始めました。そのときなぜ始めたのか本当のところは覚えていませんが、やっているうちに舞台上での独特の「凄み」に魅せられたのは今でもはっきりと覚えています。その凄みというのは照明などが創り出す空間から感じたのではなくて、同じ舞台に立っている役者の目が放つ鋭さと色気から感じました。演劇を始めた当初、私はその鋭さや色気に対してただうろたえているだけでした。そして経験を積むうちに鋭さなどにセリフの言い回しで交わそうとする小手先の技術を覚えてしまいました。本当に通じ合うことを演劇の中で放棄していました。そんな中で私は本職である養護学校で言葉を話せない子どもたちと日々何とか通じ合いたいということに悩みながらもどこかで通じ合えるという感触を感じ始めていました。演劇で本来学ぶべきものを、私は彼らとの日常の中で学びました。しかもその通じ合える瞬間を彼らと作り上げた演劇の中ではっきりと感じたのです。私はあのとき感じた「凄み」を今は彼らと交わした視線の優しさや色気に感じています。演劇の持つ大切な部分を障害のある彼らから学んでいる最中です。だから本当に演劇を知るために彼らと演劇をしているのでした。さらに、なぜダンスも?という疑問もあると思います。ダンスは広く色々な捉え方があると思いますが、私がレッスンを受けたイギリスのダンサーたちは「動きを瞬間的にとらえることが大切だ」と一様に話します。脳性まひの方は何かを取ろうとするときすごいエネルギーを取ろうとする物に対して発します。それは対ひとでも同じです。そのエネルギーが発されている瞬間に私はとても「凄み」を感じます。演劇で感じる「凄み」と同じ感覚を感じたのだと思います。私はこれからも彼らと演劇やダンスをすることにこだわっていくんだろうと思います。それは私がまだ彼らに「凄み」を学び続ける必要があるからです。

1月8日掲載
先月2日に佐賀県主催の「こころのバリアフリー、ふれあいフェスタ」で、ダンスのワークショップを開きました。「長光園」の利用者と職員を中心としたメンバーでした。このワークショップでは音楽を聞き、自分が感じるままに踊ることが目的でした。ステージに上がった「長光園」のみなさんは始め、ストレッチを黙々と始める我々を見てきっとかなりの不安を覚えたろうと思います。そして、みなさんが自分たちでも少しずつ動き始めていった矢先、今度は我々が「長光園」のみなさんに近づいていき、手だけでなく足や頭、それに視線で何かの「つながり」を探し始めていきました。日頃、車椅子を通して、やりとりを交わしている利用者と職員はますます混乱したでしょう。でも、ワークショップが進んでいくにつれて、混乱した状況は整然となり、一時間という短い時間の中で、我々に負けないくらいの「つながり」を「長光園」のみなさんは一つずつ見つけていきました。我々と「長光園」のみなさんの間にゆったりとした空気が流れ、いよいよ最後のワークだという時、名残惜しさが込み上げてきました。この時間が終わるということが何よりも寂しいという気持ちです。祭りの後の静けさではなく卒業式の後の「何かがなくなってしまいそうだ」という喪失感みたいなものでした。後で確認した時、私以外のスタッフもみな、名残惜しさを感じていたそうです。実はステージ上で、このような感覚を感じるのは初めての経験でした。お互いが手を伸ばし、相手の指先に自分の指を絡ませ、お互いの距離を縮めていく。そして車椅子という足に自分の足を絡ませ、車椅子と一体になろうとする。こういうことの繰り返しだっただけなのに。「こころのバリアフリー、ふれあいフェスタ」でのこの試みは、大きな意味を持っていたと思います。心のバリアフリーとは何なのかを頭で考えても答えは出せないと思います。目の前にいる人と「今このとき」を過ごせるのは1回きりです。「今このとき」を名残惜しく思えることこそ、本当に目の前にいる人と「ふれあうこと」であり、心のバリアを越えることだとステージに立って改めて思いました。「長光園」のみなさま、また一緒に踊りましょう。この場を借りて心地良かったひとときへの感謝を伝えたいと思います。


3月19日掲載
今回はどうしても、障害のある方々が演劇やダンスなどに取り組むことの意味について自分なりに思ってきたことを書きたいと思います。私は障害のある方々が演劇などに取り組むことは自分を表現するというアーティスティックな側面だけでなく佐賀に住む一市民として地域文化の振興に貢献しているという社会参加の面からもとても意味のあることだと思っていました。昨春、佐賀市文化振興財団が主催する「21世紀の文化会館を考える会」というワークショップに参加しました。文化会館は佐賀の地域文化振興のために何をするべきなのかという「テーマ」でした。昨今、東京はもちろんのこと福岡、北九州という地方都市でも市民の文化振興という側面で、市民全体という視点から、障害のある方々(あるいはその生活支援をされている方々)の声を反映している事業も実施され、定着してきつつあります。前述しました文化会館のワークショップでも、市民の声を十分に反映するような事業を計画していきたいという趣旨の結論が出されました。理念としては確かな方向性が示せたように思いました。しかし、市民の声の中に、障害のある方々の声はどれだけ入っていたのでしょうか?そして障害のある方々にとっても自分の世界を広げられるような事業がどれだけ今の文化会館で計画されてきているのでしょうか?いろいろな形で障害のある方々と表現活動をさせていただいてきた中で、私は、私と共に活動されている方々の他にも、自分の世界を広げたいと思っておられる方がたくさんいるように感じました。だからといって、文化会館の事業全てを障害のある方々にとってという視点だけで計画されていく必要はないのかもしれませんが、多少なりとも、彼らと共に作品を作ったりステージを作る中から「市民みんなが取り組める何かを探す」ということに目を向けることがあってもいいのではないでしょうか?これは文化会館への切実なる願いです。そしてその会館を支え共に佐賀の地域文化の振興に努めておられる市民の皆様へのメッセージでもあります。来年度は我々も積極的に佐賀の市民として文化の振興に協力させていただきたいと思います。最後になりましたが、読者の皆様、1年間ありがとうございました。