| 一、日本刀ってスゲぇ! |
ある日、たまたまテレビをつけると「トリビアの泉」が、日本刀v.s.銃でどっちが勝つかってな企画をやってました。勝負は、台座に固定された日本刀の固定した日本刀に対して銃弾を打ち込み、日本刀が弾丸を斬るか、弾丸が日本刀を破壊するか、対決するというもの。日本刀も銃も好きな僕としては、ヒジョーにアレな対決なわけで…。固唾を呑んで画面に食い入るK地。
そして勝負の結果は…我等が日本刀の勝ち!刀工さんがこの勝負のために打った刀には傷一つ付かず、弾丸は真っ二つ!!対決終了後、刀工さんがインタビューに答えて一言。
「ま、こんなもんですわ日本刀は。」
熱い…熱すぎるぜダンナ。
すっかり日本刀の良さ、そこに込められた魂を再認識したK地。しかし、日本刀のスゴさはこんなもので終わらなかった。
ニヵ月後、再びたまたまテレビをつけると、「トリビアの泉」でまたも日本刀企画が。どうでもいいけどタイミングいいなぁ…別にチェックしてるわけでもないのに。偶然に感謝しつつ画面に注目。
今回の対戦相手は、ウォーターカッター。金属を加工する際に使う最先端の科学の刃ですな。某漫画の中では、オリハルコンでできたボディーアーマーをいとも容易く貫いたという経歴を持つツワモノである。番組中でも鉄アレイ、フライパン、包丁を切り裂き、その経歴に恥じぬ切れ味を見せ付ける。さすがに今回は相手が悪いか?ピンチだ、日本刀!
今回も固定した台座に日本刀を据えて、その直上をウオーターカッターが通過していく。日本刀が切れればウォーターカッターの勝ち、切れなければ日本刀の勝ちである。さて勝負の結果は…
日本刀圧勝!!
またも刃こぼれ一つせずに日本刀は生還!す、素晴らしい!!え、てことは…
日本刀ってオリハルコンより強いのか!?こ、こいつは御〇苗優も真っ青だ!COSMOSも目じゃねーぜ!!(スンマセン、分かりにくいネタで…)
分けのわからないノリで一人盛り上がりつつも、益々日本刀の魅力に取り付かれていくK地でした。 |
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| 二、七月三十日のルパン。 |
新作ルパンが出ましたね。まーストーリー説明をしたりするのもメンド臭くてアレなので、いきなり本題に入っちゃいましょう。
多少武道をやってるとアニメや漫画を見てるとツッコミを入れたくなることは数多くありますが、今回のルパンもそうした点は多かった。その中でもツッコミどころ満載なのは、なんと言っても五右衛門とチャイナ野郎(名前が分からん)の対決でした。
まずは五右衛門から。
ビル群間の狭い路地で戦うことになった五右衛門とチャイナ野郎。なぜか斬鉄剣を抜かない五右衛門は、チャイナ野郎の問いかけに「居合い」の技術を朗々と語り出す。ってコラ、敵に自分の戦術教えてどうすんじゃー!忍び出身とは思えない正々堂々っぷり。少年漫画の典型みたいなヤツだな、コイツは。
しかしここで大きな疑問が。狭い路地で、居合いの技術を使って戦う。まぁ、コレは分かる。普通の刀ならね。五右衛門殿、あんたがご大層に構えてるその刀は何でも斬れる斬鉄剣じゃないのか!コンクリートごときに気を取られずさっさと斬りナサイ!!
そんなK地の叫びも空しく、あくまで抜刀せずに戦う五右衛門。しかも何故か路地を抜けても抜刀しないまま。ああ、そうか…地の利云々でなくて、ただ単に居合いで戦いたかったんだね。頑固というか、融通が利かないというか、馬鹿というか…。
次に、チャイナ野郎。
「指弾」という武器術を使うチャイナ野郎。『修羅の刻』や『闇の土鬼』では、「雹」と呼んでるやつですね。懐に持つ鉄の弾などを指の力で高速で打ち出したり、投げたりする技術です。なかなかマニアックなところを使ってくるなぁ。この技術のすごいところは、手持ちの弾がなくても自然物(小石とかね)を利用して弾代わりにできるところ。劇中でもそれが使われるわけですが…
五右衛門と対峙するチャイナ野郎。息つく間もない「指弾」の連続に、流石の五右衛門も防戦一方。しかもチャイナ野郎には、上記の理由から弾切れはない!と別にツッコむところのなさそうなシーンなんですが…問題はチャイナ野郎、ずっと直立不動で打ち続けている…。どこで弾補給してんだ、コラ!それなりの量持ってるとしても、幾らなんでもそんなに持てんだろう。
にもかかわらず打ち続けていたということは…背中に隠しタンクがあって、そこから袖口を通って手元に弾が補給されていたとしか考えようがない。でも確かチャイナ野郎は半袖(腕まくり?)だったような…。ということは、わざわざ自分にハンデを科してまで、ばれないようにタンクから補給をしていたのか!むぅ、なかなかに侮れん。もしマジシャンになってたら、それなりに成功を収めてたかもしれんな、アヤツ。
…なんか武道やってるやってない以前の問題でしたね、今回の話題(笑)。 |
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| 三、生活に生かそう、格闘技。 |
「格闘技は確かにカッコいいし、強くなれる。…でも、日常生活にはイマイチ役立たないよね〜。」てなことを時々言われます。
そんなことはないっ!格闘技の技術は、日常生活にも大いに役立つ!!それを実証しようと言うのが、今回の試みです。
電車や、地下鉄に乗る時。混んでいると手すりや吊り革がつかめなくて、突然の揺れでおっとっと…なんてこと、良くありますよね。倒れないように踏ん張ってるつもりでも、どうしてもバランスが崩れて隣の人に倒れ掛かってしまう。異性に倒れ掛かった日にはあなた、痴漢じゃないかと疑われたり。何とかならないでしょうか。
そんなあなたにオススメなのがコレ!空手の「三戦(さんちん)」です。まぁ、僕には畑違いの技術ですが…その辺は大目に見てやってください。思いついてしまったので(笑)。どーしても許せない方がいらっしゃったら、何か対応を考えます。
さて、そもそも三戦とは何か?コレは空手の基本的な構えやそれから始まる一連の型のことを指すのですが、ここでは構えのことをです。どんな構えか分からない人のために簡単に解説しますと、まず足を肩幅に開き、両足のつま先を中心線のほうに入れ、内股気味にします。次に、その状態から、背筋を伸ばしたままで膝を軽く曲げます。(後はコレに手の構えが付くわけですが、ややこしくなるので今回は省略します。興味のある方は検索してみて下さい。)
さて、この構えが何故揺れに役立つのか。この構えの成立に、その秘密があります。
空手は中国南方の拳法が発祥と言われています。中国南方では、船による移動が多かったそうです。この構えはそんな船の上での戦闘で、足場がぐらつかないように考案されたという歴史を持っています。そうした発生の過程があるだけあって、揺れに強いですよ、こいつは。
と口で言ってるだけでは説得力がないので、実際K地が地下鉄で試してみました(笑)。普通なら少し恥ずかしいですが、混雑時だったので人目につくこともなく実験開始。やってみると、効果抜群です!ちょっとやそっとの揺れではビクともしません。普通に立っているとぐらついてしまうような揺れでも、この構えを取っているとなんと!全然ヨユー。すごい、すごいぞ三戦!これなら電車の揺れもなんのその!電車通学・通勤の方は、是非お試し下さい(笑)。
どうです?格闘技はしっかり日常生活に役に立つでしょう(笑)?また何かネタがあったらご紹介する…かも。 |
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| 四、武器に関する真面目な話。 |
二〇〇一年から現在に至るまで、世界各地でテロや紛争が続いています。今回は少し真面目に、このテロ・紛争と武器との関係について考えてみます。
テロや紛争が起こる時、必ず使われるものがあります。それは、ハンドガンや自動小銃、さらには地雷やロケットランチャーなどをはじめとする「武器」、そしてそれに込める「弾薬」です。どんなテロや紛争も、これなしにはまず成立しないといえるでしょう。
では、ここで問題。この武器・弾薬は一体どこが作って輸出しているんでしょうか。アメリカ議会調査局が八月三十日までに公表した、二〇〇三年の武器取引に関する報告書というものがあります。これによると、二〇〇三年の最大の武器輸出国はアメリカで、輸出額は約百四十五億ドル(日本円にして約一兆六千億円)。これは実に世界全体の輸出総額の五十七%に及びます。アメリカは北朝鮮を始めとして、イランやイラク・リビアなどのいわゆる「テロ国家」に対し「武器輸出を止めろ」といった発言を良くします。しかし、一体これらの国の武器輸出がナンボのもんやっちゅうんでしょう。それを言っているアメリカが、世界最大の武器輸出国なんですから。
ランキングはダントツ一位のアメリカを筆頭に、その後十七%のロシア、五.四%のドイツと続きます。つまり、武器輸出国の上位三国で全体の八十%、合計輸出額は二〇二億ドル、日本円にすると約二兆二千億円になるわけです。いやはや、凄いモンです。
さて、つまりコレどういうことなんでしょうか。わかりやすく言うなら、世界のほとんどの人たちがベレッタやM60・カラシニコフでその命を落としているワケです。さらに単純に考えるなら、イラクのアメリカ兵は二分の一以上の確率でアメリカ製の武器でで命を落としていることになります。…もしアメリカが本当にテロとの闘いを考えるなら、まずは自分の国の武器輸出を即刻止めるべきじゃないんですかね?
んで、今回のまとめ。テロや紛争をなくすための一つの方法として、テロや紛争で使われている武器をなくすことが考えられないでしょうか?アメリカ・ロシア・ドイツなどの武器輸出大国が、武器の輸出を停止するのです。そうすれば、今テロ・紛争が起こっているような諸国では弾丸一発すらロクに作ることができません。数年のうちに、世界から武力闘争が消えてなくなるでしょう。
皆さんは、これを荒唐無稽な考えだと思うでしょうか?確かにそうかもしれません。でも、米・露・独のたった三国が武器の輸出をやめるだけで、実際に世界の武器の八十%がなくなるわけです。これによって命を救われる人がどれだけいるかを考えるなら、十分やってみる価値はあると思うんですが、どうでしょう。
小泉首相にも、イラクへ自衛隊を派遣する前にこーいうコトをアメリカに言ってみて欲しいもんです(笑)。きっとカッコいいのにねぇ。 |
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| 五、柔道今昔。 |
明治時代以降、江戸時代に盛んに行われていた武芸・武術は危機にさらされる。「文明開化」の波が、武術の世界にも容赦なく押し寄せてきたのだ。その危機を救ったのが、嘉納治五郎(1860〜1938)によって明治15年(1882年)に作られた「講道館柔道」だ。
他の武術がその実用性を失って時代から置き去りにされ、見世物的な興行をせざるを得なかった時代。世に廃刀令がしかれ、一部の地域では「撃剣(剣術の稽古)禁止」の法令すらできた時代。まさに武術にとって逆風吹き荒れるその時代に、嘉納は武術の悪いイメージを払拭すべく、「柔道」という新しい名称を掲げ、道場を開く。そして、技術の習得を中心としたそれまでの武術とは異なり、「体育・知育・徳育」を三位一体とする活動方針を取った。さらには海外への進出を図るなど、当時の武術界に新風を巻き起こした。この嘉納治五郎の時代感覚、いやもう見事としか言いようがない!
彼の作った柔道は、「明治という新しい時代に武術が適応していくには、どうすればよいか」というモデルケースを示したといえる。その後、剣術をはじめとした様々な武術が、柔道のスタイルを踏襲していった。そうして次々と、剣道・弓道・空手道が生まれていく。武術から武道への転換―それは、柔道なくしては起こりえなかったと言っても過言ではないだろう。
そして、現代。嘉納治五郎が作り上げた柔道は日本を越え、国際スポーツの祭典・オリンピックの競技になるまでに到った。柔道のとった方針は、大成功したと言える。だけど―。
現在の柔道は、あまりにもスポーツ的な要素が強くいるんじゃないだろうか。アテネオリンピックの試合を見ていて、ふとそんなことを思ってしまった。
試合で一本を取るなり、高々と拳を天に突き上げてガッツポーズをする選手達。その姿を見ると、柔道を少しなりともかじった僕は違和感を感じてしまう。何も、喜びを表現するのが悪いと言っているんじゃない。僕だって試合に勝ったときの言いようのない喜びは知ってるし、それが大舞台ならなおさらだ。でも一本をとった後も、お互いが開始位置に戻り、審判が勝者を宣して互いに礼をし、退場する。そこまで、試合は続いてるんじゃないだろうか。
嘉納治五郎は確かに新しい方針によって武術を大きく変えた。しかし同時に、彼は伝統を重んじる人でもあった。彼は自分の作った柔道が、日本古来の武術・武芸の伝統に根ざしたものであることを主張し続けたのである。柔道が受け継いだ、日本古来の武術・武芸の伝統。それを新しい形によって伝え・残していくことも、彼が目指したことの一つだったんじゃないだろうか。
単なるスポーツではない、武道―それをいかにして世界に伝えていくのか。それが、新時代を生きる柔道の、そしてそれに続いたたくさんの武道の、課題なんじゃないかと思う。 |
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| 六、武士のカッコ良さ。 |
…えー当然のことながら、この項での「武士」とは僕のことではありません。まださすがにそこまで頭おかしくなってませんので(笑)。
さて、海外にも「サムライ」という日本語そのまんまで知られるぐらい、日本の武士というのはメジャーな存在です。近年はハリウッドで映画化されたりなんかして、「武士の生き様ってカッコいい!」と思う人が国内外でまた増えたんじゃないでしょーか?
実際、日本でも「好きな偉人は?」という質問があると、、源義経や織田信長、土方歳三などなど…各時代の有名な武士の名前を挙げる人が沢山います。それだけ、僕らの中には武士の生き様への憧れが根強くあるワケです。
でも、こうした人たちはみ〜んな戦国時代や幕末といった、動乱の時代を生きた人々ばかり。平和な時代の人たちは、なかなか名前が挙がってきません。まぁ、そら当然です。江戸時代の260年ほどの間の武士って、大体が全然カッコ良くないワケですから。
江戸時代の武士達は、ハッキリ言ってサラリーマン。毎日決まった時刻にお城に行って、お仕事して、夕方家に帰る…というのが日常なのです。さらに、平和だから戦で手柄を立てて出世!というのは望めない。そうなると、生まれた家の格式でどこまで出世できるか大体決まってしまう。しかも、領土の増えない時代ではそれすら上限が決まってしまう。
そんな状態なモンだから、元禄時代とかになると町人の方が豊かになっちゃって、「武士は喰わねど高楊枝」とか言わなきゃならなくなっちゃったりする。お金に困ると、仕方がないので商人たちから借金する。それでも食い扶持に困ると、最後には武士の身分を売りに出しちゃったり…いやもう、哀愁漂う状態です。
まぁそんなわけで、江戸時代の武士は大した収入もなく、実際さほど偉くもなく、出世の夢やチボーも少ない。…それでも「武士」のプライド持って、肩肘張って生きていかなきゃいけなかった。そんな、なかなかに生き辛い人たちだったワケです。
たとえ理不尽な状況でも、「武士」という名のために耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。…そんな苦労人なところも、ひとつの武士のカッコ良さと言えるんじゃないでしょーか。 |
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