[三国志演義] 第十一回~第二十回


2002.1.11 (Fri)

[三国志演義] 第十一回 劉皇叔北海に孔融を救い、呂温侯濮陽に曹操を破る

黄巾賊の管亥に攻められている孔融の元へ、劉備と太史慈が援軍として駆けつける。

当然のごとく管亥は一刀両断にされるのだけど、この回は敵の強さをどうこう言う回ではない。劉備一党と太史慈(後の呉将)による夢のコラボレーションが実現したという意味で注目すべき回なのだ。嗚呼、この太史慈が劉備の元に馳せ参じていたら、また面白いことになっていたろうに……。

曹操が徐州に進軍している隙に呂布がエン州を占領する。とって返す曹操。呂布、一応は曹操軍を退けるも、陳宮の策を受け入れないせいで大勝できず。思えばここから陳宮の不遇な軍師生活が始まるのだった。陳宮の献策は悉く却下され、結局は曹操の手によって滅ぼされる。『演義』の陳宮は忠義の人として描かれているので、余計に不憫さが強調される。

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2002.1.12 (Sat)

[三国志演義] 第十二回 陶恭祖三たび徐州を譲り、曹孟徳大いに呂布と戦う

陶謙が病没。劉備が徐州を継ぐ。曹操がエン州を取り返す。

陳宮の言うことを聞かない呂布がドツボにはまっていく。諸将が集まるまで待ったほうが良い、と言われれば打って出て城を占領される。軽々しく出ないほうが良い、と言われればまたもや打って出て、全軍の三分の二を失うほどの大敗を喫する。呂布の辞書には学習の二文字はないらしい。人の下に甘んじる器でもなければ、人の上に立てる器でもなかったということか。

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2002.1.13 (Sun)

[三国志演義] 第十三回 李カク・郭シ大いに兵を交え、楊奉・董承双して聖駕を救う

呂布が徐州の劉備の元へ身を寄せる。中央では皇帝を巡った権力争い。

今でこそ当たり前のように認知されている巫女萌えは、どうやら三国志の時代から存在していたらしい。常に陣中に巫女を伴っている李カク、巫女に神おろしをさせ、あまつさえ恩賞まで授与。部下のぶーたれ、賈クの諫めも何のその。李カクは巫女を侍らせ、一人悦に入っている。

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2002.1.14 (Mon)

[三国志演義] 第十四回 曹孟徳駕を移して許都に幸し、呂奉先夜に乗じて徐郡を襲う

荀彧による二虎競食の計と駆虎呑狼の計(*1)

酒癖の悪い張飛は城の留守を預かる際、禁酒の誓いを立てて劉備を送り出した。ところが、その舌の根も渇かぬ明くる日、張飛は何をトチ狂ったのか、諸官を招いて宴会を開いてしまう。でもって、そのときの理屈が凄い。

みんな今日一日心ゆくまで飲んで、明日からは酒を断ち、おれを助けて城を守ってくれ(上 p.126)

おいおい、これって「明日から禁煙する」とかいって煙草をプカプカふかす、意志の弱い喫煙者と同じじゃないか! ……というわけで、お約束通り酔っぱらって失態を演じ、客将の呂布に城を乗っ取られてしまうのだった。さすが張飛は一味違う。この辺の人間臭さが人気の秘密なのだな。

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*1: 文中では「虎を駆りて狼を呑ましむるの計」(上 p.125)となっている。

2002.1.15 (Tue)

[三国志演義] 第十五回 太史慈さかんに小覇王と闘い、孫伯符大いに厳白虎と戦う

城を乗っ取られた劉備が呂布に降る。江東では孫策が大暴れする。

厳白虎が来た! 「東呉の徳王」が来た! 自分のことを「徳王」と称するステキな人が来た! もう、何というかあり得ないだろ、これ。世の中には自称すると恥ずかしい呼び名というのが確実にあって、「東呉の徳王」はそれの最たるものだと思う。しかも、戦に敗れて落ちのびる途中、住民から略奪を働いてるし。さらに、「暴虐無惨のともがら」(上 p.137)などと虞翻(王朗配下)に評されてるし。

そんな厳白虎はさんざん逃げまくった挙げ句、最後は董襲に討たれた。厳白虎。自称「東呉の徳王」。名前と呼び名だけは最強だった。

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2002.1.16 (Wed)

[三国志演義] 第十六回 呂奉先戟を轅門に射、曹孟徳師をイク水に敗る

呂布が戦争の仲裁をする(劉備と紀霊)。典韋死す。

呂布って武将はユーモアを解した面白い人だと思う。何せ戦場の狼として散々人を殺してきたというのに、自分のことを「争いを好まぬ」(上 p.141)だとか、「争いを仲裁するのが好きな性分」(上 p.141)だとか言っているのだから。おそらく呂布はジャイアン気質な人なのだろう。仲裁なんかするのはただの気まぐれ、強者の驕りである。

第九回で書くのを忘れていたけれど、女の武器でもって呂布を騙した貂蝉。この貂蝉は結局、呂布の妾として行動を共にしている(ちなみに厳氏が正妻で、曹豹の娘が第二夫人)。それにしても、いったいどういう思いで呂布と寄り添っているのだろう? 本当に惚れたのか? それとも贖罪のつもりか? 今更言うのも何だけど、計略成った後に貂蝉を自害させた吉川英治は神に違いない。

張繍&賈ク(三国志界のタッキー&翼)が大活躍。一度は曹操に降るも隙を見て謀反し、典韋と曹昴を討ち取っている。恐れを知らない奴ら。このコンビの活躍は第十八回でも見ることができる。

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2002.1.17 (Thu)

[三国志演義] 第十七回 袁公路大いに七軍を起こし、曹孟徳三将を会合せしむ

呂布・劉備・曹操 VS 袁術。

第四回第十回に続いて、曹操の非情さが堪能できる注目すべき回。何の罪もない兵糧管理の兵士を斬って、食糧不足に悩む軍の士気を上げる。目的のためなら他人の命を屁とも思わない、お得意の合理主義が発揮されている。たとえ、倫理に反する行動であろうと、多数派の利害と一致すれば名君と謳われるというわけだ(一致しなければ暴君と誹られる)。

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2002.1.18 (Fri)

[三国志演義] 第十八回 賈文和敵を料って勝を決し、夏侯惇矢を抜いて睛を啖う

張繍・劉表 VS 曹操。

賈クの計略が冴え渡るの巻。賈クは曹操軍がどこを攻めるのかを的確に見抜き、伏兵でもって兵五万余を平らげる。続いての掃討戦では、張繍が独断で曹操軍を追撃するも、しんがりが強くて敗退。そこで賈ク、今度はもう一度追撃するよう進言。果たせるかな、油断していた曹操軍を追い散らした。

相手の心理を読んでその裏をかく、駆け引きの妙が素晴らしい。その世渡りの上手さも手伝って、賈クは好感度ナンバーワン。

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2002.1.19 (Sat)

[三国志演義] 第十九回 下ヒ城に曹操兵をみなごろしにし、白門楼に呂布命をおとす

呂布死す。陳宮死す。

劉備が人肉料理を振る舞われる回。プリオン病なぞ何のその。もりもり食べている。夏侯惇の目玉の躍り食い(自分の)といい、昔の人は珍味を好む傾向にあるな。劉備から人肉食のエピソードを聞いた曹操がもらい泣きしている。時には非情で、時には情にもろい。『演義』の曹操はかなりの分裂気質だけど、そういう多面性が魅力なのかもしれない。

呂布が曹操からの降伏勧告を検討しようとしたとき、陳宮は有無を言わさず曹操に矢を射かけてご破算にしている。曹操とは徹底抗戦の構えだ。主君の意向を無視して。

それにしても陳宮、いったい曹操のどこが癇に障ったのだろう? 曹操に捕らえられた陳宮は、呂布に仕えた理由をこう述べている。

「呂布は能なしとはいえ、貴様のような奸賊とは違うからだ」(上 p.175)

要するに曹操以外なら誰でも良かったということか。それだけ、第四回のショックは大きかったのだ。陳宮の苦悩、推して知るべし。

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2002.1.20 (Sun)

[三国志演義] 第二十回 曹阿瞞許田に打囲し、董国舅内閣に詔を受く

董承が帝から密書入りの玉帯を賜る。

曹操暗殺計画が始動する回。玉帯を賜った董承、外に出たら何と曹操が立ちはだかっていた。のび太ばりにびびる董承。一方の曹操は玉帯に目をつけ、ジャイアンばりの因縁をつける。

曹操 「おう、董承。おめぇ、いいもん持ってんじゃんか」
董承 「何だよ、孟徳。止めてよ」
曹操 「何ィ~、董承のくせに生意気だぞ~。ぶん殴ってやる!」
董承 「た~すけてぇ~、玄徳く~ん」
曹操 「待て~、董承~!」

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