[三国志演義] 第百十回~第百十九回


2002.4.21 (Sun)

[三国志演義] 第百十回 文鴦単騎雄兵を退け、姜維水を背にして大敵を破る

姜維の第三次北伐。司馬師死す。

魏では毋丘倹が反乱を起こす。はっきり言ってこれは文鴦活躍のお膳立てである。この乱の眼目は、文鴦が単身で魏軍の度肝を抜き、趙雲に比せられるところにある。その凄さといったら、思わず司馬師の目玉が飛び出すくらいだから、相当なものだったのだろう。

しかし、文鴦の活躍も虚しく、結局反乱は失敗。文欽と文鴦は呉へ落ちのびた。

なお、司馬師は目玉が飛び出て死んだのだけど、この場面を映像化するなら、監督は是非ティム・バートンでお願いしたい。

後半は姜維の北伐。背水の陣で王経率いる魏軍を撃破するも、その後、陳泰・トウ艾にしてやられる。

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2002.4.22 (Mon)

[三国志演義] 第百十一回 トウ士載智をもって姜伯約を敗り、諸葛誕義をもって司馬昭を討つ

姜維の第四次北伐。張嶷死す。

今回の北伐は、姜維の動きを読み切ったトウ艾の勝利。トウ艾は地理にも詳しかったため、効果的に伏兵を配置することができた。なお、トウ艾の策には、隴西の守りに就いて三十年のベテラン陳泰も賞賛している。

後半は諸葛誕の反乱である。といっても、もともと諸葛誕は反乱する気がなかった。司馬昭から牽制されてやむなく立ち上がったのである。これは藪をつついて蛇を出す結果だ。で、反旗を翻した諸葛誕は呉に援軍を求める。

驚いたのは、この回で楽進の息子が死んだことだ。てっきり、北伐のドサクサで討ち死にしていたと思っていた。張遼の息子と一緒に。それぐらいどうでもいい奴だった。

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2002.4.23 (Tue)

[三国志演義] 第百十二回 寿春を救って于詮節に死し、長城を取って伯約兵をミナゴロシとす

文欽死す。諸葛誕死す。姜維の第五次北伐。

諸葛誕・文欽・朱異 VS 司馬昭・鍾会・王基・陳ケン。当然のことながら、諸葛誕側が敗北した。ちなみに、この戦いでは文鴦の見せ場はなし。どうやら彼は、第百十回用の一発キャラだったようだ。

後半は北伐。今回はここで変わったことが起きる。というのも、王真(魏将)が鉄簡で李鵬(蜀将)を殴ったら、何と李鵬の目玉が飛び出したのである。目玉が飛び出て死んだのは司馬師に続いて二人目。これはとんでもない快挙だ。

さらにこの回では姜維がトウ艾の子・トウ忠と一騎打ち。互角の戦いを演じる。姜維は一騎打ちでは敵なしだったのに、トウ忠にはたじたじだったわけで、これは早くも世代交代の波が来たのだろう。

その後、諸葛誕の反乱が鎮圧されたのを受けて蜀軍は撤退。

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2002.4.24 (Wed)

[三国志演義] 第百十三回 丁奉計を定めて孫チンを斬り、姜維陣を闘わせてトウ艾を破る

姜維の第六次北伐。

呉。孫チンが調子ぶっこいてるので、皇帝・孫亮は暗殺の密詔を出したのだが、例によって秘密が漏れた。孫チンの逆襲に遭い、皇帝の座から引きずり降ろされる。後を継いだのは孫休。

それにしても、中国人は大事な秘密をほいほい喋りすぎる。だからいつまで経っても暗殺が成功しない。

と思っていたら、この回で丁奉が孫チンを斬った。

後半は姜維の北伐。これで六回目である。いい加減飽きてきた。

と、『演義』の中の人もそういう読者のたるみを見越したのか、ここでは陣立て合戦という楽しいイベントが盛り込まれていた。諸葛武侯直伝の兵法思い知れ! えいっ! 姜維はこの合戦によって、トウ艾と司馬望をけちょんけちょんにやっつけた。

一方のトウ艾は、蜀の宦官・黄皓を抱き込む作戦に出る。これが功を奏し、次の回の冒頭、黄皓の讒言によって姜維は撤退した。

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2002.4.25 (Thu)

[三国志演義] 第百十四回 曹髦車を駆って南闕に死し、姜維糧を棄てて魏兵に勝つ

曹髦死す。姜維の第七次北伐。

魏。司馬昭が曹髦の作った「潜竜の詩」にいちゃもんをつけてぶち殺す。その際、司馬昭→賈充→成済という命令系統で事は行われたのだけど、何と成り行きから「賈充を殺して責任をとらせろ」の空気になってしまう。賈充は司馬昭の腹心なので、殺すなんてもってのほか。「これはあかん」ということで、成済とその一族を皆殺しにして事を収めた。

これぞ下っ端の悲劇である。処刑の際、成済は「賈充の命令でやったんだ」と叫ぶも、叫んだ先から舌を引き抜かれるし、挙げ句の果てには五体を切り離されるのだから哀れと言うほかない。

後半は姜維の北伐。魏側は一人の武将を偽って降参させるも、姜維はこれを見抜き、逆手にとって魏軍を散々に打ち破る。しかし、糧秣と桟道を焼かれたので、蜀軍は漢中に撤退。

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2002.4.26 (Fri)

[三国志演義] 第百十五回 班師を詔して後主讒を信じ、屯田に託して姜維禍を避く

姜維の第八次北伐。夏侯覇死す。

夏侯覇が姜維の参謀になるというのは『演義』による誇張だけど、夏侯覇に活躍の場を与えた『演義』の中の人は慧眼と言うべきだろう。「夏侯淵の息子」というブランドの力は大きく、姜維とのコンビ芸は小粒で見所のない蜀軍を大いに盛り上げてくれた。

さて、戦況のほうは、姜維がトウ艾の篭もるキ山を囲むも、黄皓の讒言によって撤退するはめになる。姜維の北伐はこれが最後。次は魏が本格的に侵攻してくるのを防ぐ役回りになる。

姜維は郤正の助言で沓中へ。

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2002.4.27 (Sat)

[三国志演義] 第百十六回 鍾会兵を漢中道に分け、武侯聖を定軍山に顕す

蜀侵攻作戦前編。許儀死す。

許儀って誰よ? という感じだけど、こいつは何とあの許チョの息子である。このたび、鍾会によって先鋒を任されるも、勝手な行動をとって敗退、処刑されてしまう。何ともあっけない。張遼の息子といい、楽進の息子といい、曹真の息子といい、魏には不肖の息子が目立つ。これは地縁・血縁で将軍をやらせちゃあかんということか。

次は墓参りをした鍾会の前に諸葛亮の霊が現れる。

諸葛亮の霊 「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん」
鍾会 「ぬおっ」

鍾会は蜀の人民を殺さないことを誓う。

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2002.4.28 (Sun)

[三国志演義] 第百十七回 トウ士載偸かに陰平を度り、諸葛セン戦って綿竹に死す

蜀侵攻作戦後編。諸葛セン死す。諸葛尚死す。

鍾会とトウ艾。この二人は功を争うライバルだけど、鍾会が勝手にトウ艾の配下・諸葛緒を処刑したので、二人の間にはかつてないほどの緊張が走る。怒ったトウ艾は、鍾会を見返してやろうと、道なき道をぶっ飛ばす強行軍に出る。で、この大胆な作戦は見事成功。いくつか城を降伏させて綿竹に達し、そこで諸葛親子を撃破した。

それにしても、これは安いビジネス書とかに使われそうなエピソードだ。それも、「三国志に学ぶ経営戦略」とかいういかにもなタイトルの本で。上記のエピソードを紹介し、「ライバルを蹴落としたいのなら人がやりそうにないことをやれ」とか言いそう。

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2002.4.29 (Mon)

[三国志演義] 第百十八回 祖廟に哭して一王孝に死し、西川に入りて二士功を争う

蜀の滅亡。

私は姜維の見せ場は北伐ではなく、鍾会に降伏してからだと思っている。姜維が鍾会に降伏し、そのブレーンとなってトウ艾に謀反の罪を着せるところがたまらない。この回はそのお膳立て。次回でトウ艾をはめ、さらに鍾会を謀反させる。姜維は蜀漢の鬼になるのだ。

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2002.4.30 (Tue)

[三国志演義] 第百十九回 仮りに投降し計を巧みて虚話を成し、ふたたび授禅し様に依りて葫蘆を画く

魏の滅亡。トウ艾死す。トウ忠死す。鍾会死す。姜維死す。司馬昭死す。

終ぞ戦争で勝てなかった相手をここぞとばかりに罵る姜維は素敵過ぎると思う。

姜維 「牛飼いのこわっぱめ。これでも食らえ」
トウ艾 「うげっ」
姜維 「がはは、思い知ったか。ほりゃっ」
トウ艾 「うがっ。て、てめぇ、降将のくせに……」
姜維 「ほれほれほれ。さっきまでの元気はどうした」
トウ艾 「うごっ。敗残の将め。こんなことして恥ずかしくないのか」
姜維 「がはは。最後まで立ってた者の勝ちよ」

その姜維も謀反に失敗して自害した。なお、この時、姜維の腹は斬り裂かれるのだけど、何とその胆は鶏の卵ほどあったという。何たるオチだ。「胆力」とか「肝がでかい」とかいう比喩表現を、実体に即して描くところが素敵過ぎると思う。「あいつって肝がでかいよな」とか言ってたら、「おいおいホントにでかかったよ」みたいな。

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