「郡上八幡」を調べ始めたとき、会津藩や白虎隊といったキーワードが出てきて驚いた。
だから、間違えて福島県の郡山市を見ているのかと錯覚したのだ。確かに郡上八幡であって会津ではない。
幕末の郡上八幡には「凌霜隊(りょうそうたい)」というのが結成されていたと知る。全く知らなかった。
幕末、凌霜隊の悲劇
1876年の大政奉還後、薩長を主体とする武力討幕派の佐幕派追討が激しくなってきていた。
この時の郡上藩主は14才の青山幸宜。実際の政治は国家老の鈴木平左衛門や、江戸詰家老の朝日奈藤兵衛によって行われていた。約4万8千石の小さな郡上藩を守り続けるには、幕府を助けるか官軍に従うかということで悩む。郡上青山藩は一つの手を打った。表向きは尊王派として新政府軍への忠誠を示しつつも官軍に兵を出さず、佐幕派が勝利し幕府が再興したときために、江戸詰めの郡上藩青山家の藩士を密かに脱藩させ会津行きを黙認。家老朝比奈藤兵衛の息子、17才の朝比奈茂吉を隊長とする40数名は「凌霜隊」と命名されて密かに会津へ旅立った。会津鶴ヶ城ではすでに篭城戦に入っていた。城の守りに白虎隊と一緒に戦い続けましたが降伏。一ヶ月の死闘後捕らえられ、江戸に護送後は罪人として旧郡上藩へ預けられ投獄された。その数は26人になっていたという。やがて明治3年3月に許される。藩の為に凌霜隊に従事した隊士達は、手のひらを返したような郡上藩の仕打ちに嫌気が指し、郡上を去って彦根や東京に移居したという。
隊士名
隊長 朝比奈茂吉・副長 坂田林左衛門・副長兼参謀・速見小三郎。以下 小出 於兎三郎・中岡弾之丞・桑原鑑太郎・小野三秋・米沢小源治・中瀬鐘太郎・山片俊三・牧野平蔵・ 小泉勇次郎・氏井儀左衛門・尾島左太夫・松尾才治・武井安三・岡本文造・鈴木三蔵・山脇鍬橘・浅井晴次郎・土井重造・菅沼銑十郎・田中亀太郎・山脇金太郎・売間直次・矢野原与七・池尾幾三郎・ 斎藤巳喜之助・金子勇次郎・石井音三郎・山田熊之助・中村国之助・安村敬三郎・白岩源助・山田惣太郎・ 岸本伊兵衛・斎藤弥門・野田弥助・林定三郎など
故郷の為に戦争に行き、帰ってきたら故郷から冷たい仕打ち。時代の犠牲になった若者たちがいたのです。幕末と言えば薩長土と会津や新撰組などしか注目しませんが、日本中に嵐が吹き荒れたのだと改めて思いました。
|