はじめに・・・        2004.12.25 

 

「 自分にばかり

目が向くのは 哀しいこと。

 

あなたに

心が向いてるのがうれしい。

あなたに向っている

私が かわいい。

 

しあわせになろうぜ。

しあわせになろうね。

お互いに向きあっていれば大丈夫。

そんなあたり前のこと。

 

あったかくって

少しだけ きゅんとして

おだやかに

あなたと ずっと 向きあっていたい。 」

 

こんな気持ちを感じて綴ったのは、1992年の暮れのこと。

十年来の旧知の友人であった「彼」と 一個の人間として出会い・ふれあい・

愛を確信し、結婚にひた走ったころ。

 

「しあわせになろう」と向き合ったはずの「彼」との日々の中で

またもや わたしは、人生にもがき・迷い、

そして、いとも簡単にP依存という迷路にはいりこんだ。

その迷宮は、独り身の頃よりもさらに深く さらに迷走を極めた。

見えないナイフを 胸の上につきたてていた日々。

深く暗い森が わたしの中には広がっていた。

 

2002年9月 家に帰ることさえできないある日、

「ここ」(脱P自助(相互)支援サイトである"exPachi"=

     2004.1227閉鎖の「村」)に、たどり着いた。 まさに 漂着したのだ。

 

自分のことしか 自分のことさえも 見えていなかったあの頃。

  誰にも聞こえない声で ココロの中で “た・す・け・て”と叫んでいたあの頃。

 「やめる」と思うすきから自己嫌悪が足をひっぱって・迷宮へと舞い戻ったあの頃。

           P屋以外 どこにも 居場所が 見つけられずにいたあの頃。

そして 「今日一日(踏ん張るっ)」と 

3原則(見ざる・持たざる・近寄らず)」と

ここにいるっっ(exPachi)」の日々が はじまった。

 

脱Pも開始して700日以上が経過した、2004年11月

「あなたとずっと向き合っていたい」・・・そう思った日から数えて、12年。

       ”向かい合おう”と思った「彼」は もう、この世にはいません。

 

   命も 時間も 限られている その中で

   わたしでも 何か出来うることがあるならば

   P依存によって・深い迷宮に迷い込んだ多くの人に”向かい合う”ことによって

   同じ病を抱える”ひとりの人間として”何か出来ることがあるならば、幸いです。