UDONの国さぬきへようこそ! 香川に関する“豆知識”を雑学として纏めました。多くのみなさまに香川の良さを発見して頂きたいと思います。  
香川県ってどんなところ 
 香川県は, 四国地方の北東部に位置し,北を瀬戸内海に,南を四国山脈に接しています。サンポートタワーや屋島,五色台から望む瀬戸内海は“瀬戸の多島美”といわれ,日本で初めて国立公園に指定された瀬戸内海国立公園です。その瀬戸内海を縦断する世界最長の道路鉄道併橋“瀬戸大橋”や源平合戦の屋島など,自然と最新技術と歴史を有する世界に誇れる地域です。
 香川県出身の有名人では,空海や平賀源内をはじめ,菊池寛や壺井栄,意外な人物では高倉文太(アニメ“クレヨンしんちゃん”の組長こと園長先生)など著名な方々がおられます。(詳細は下記“かがわの有名人”をご参照ください)
 余談になりますが,香川県は北は瀬戸内海を挟んで岡山県と,西は愛媛県,東と南は徳島県と接しています。意外なことに高知県とは接していません。
 香川県の生立ち
 聖徳太子や小野妹子が活躍していた7世紀頃に,現在の香川県の四国本土部分と塩飽諸島周辺で構成されていたと推測され,平安時代初期には,後に真言密教を興す“空海”が讃岐国那珂郡に生まれるなど,地方でも文化の高い地域であったと推測されます。
県 章
 香川県の県章は,カガワの頭文字の「カ」が図案化されたもので,香川県の特色ある山容と平和のシンボルでもある県花,県木の“オリーブ”の葉を表現しています。
県花,県木
 香川県の県花,県木は“オリーブ”です。オリーブは地中海地方東部原産ですが,現在では地中海地方全域をはじめ,地中海性気候の多くの地域で広く栽培されています。日本では瀬戸内海の小豆島での栽培が有名で,ピクルスや食用油(オリーブ油)としてと数多く栽培されています。県木・県花の選定は,昭和41年9月10日緑化運動の時に県民の公募により選定されました。
 余談ではありますが,ポパイの恋人のオリーブのフルネームはオリーブ・オイルですが,ほうれん草とオリーブオイルもとても相性が良いようです。
県 鳥
 香川県の県鳥は“ホトトギス”です。ホトトギスはカッコウの仲間で,姿はカッコウやツツドリによく似ていますが,体長は約30cm足らずと鳩より少し小ぶりです。
県民獣
 香川県の県民獣は“ホンシュウシカ”で昭和41年5月10日に制定されました。香川県内には小豆島に生息しています。ホンシュウシカは学術的にも貴重なものであり,気品のある姿は県民の象徴としてふさわしいく観光マスコットにもなっています。
県 魚
 香川県の県魚は“はまち”で,平成7年11月7日に制定されました。昭和3年に日本で初めて香川県大川郡引田町(現:東かがわ市)の“安戸池”で養殖技術が確立され,今ではその技術は全国にも広く普及しています。現在安戸池には,展示・体験フロアや,巨大潜水艦など,子どもから高齢者まで触れて・遊んで・学べる楽しい施設や,釣堀などの施設が整備され,はまち釣りにも挑戦できます。はまちは成長と共に“モジャコ”→“ツバス”→“ハマチ”と名前の変わる出世魚としても知られています。
特産品
 香川県の特産品は,何をさておいても“さぬきうどん”が挙げられますが,他にも“素麺”や“醤油”,“オリーブオイル”や“醤油豆”などの食品をはじめ,“丸亀のうちわ”や“盆栽”,“高松の漆器”や“手袋”などが有名です。松盆栽は国内の80%近く,手袋は国内取扱いの90%以上を誇っています。
日本一“小さな県”
 1980年代大阪府が一番小さいとされていましたが,関西国際空港の工事や湾岸部の埋め立てで,1988年にはその面積は香川県を上回まわりました。四国本土内の面積だけであれば,もともと大阪府より狭まいのですが,小豆島や瀬戸内海の島々を加た面積は1,876km2,大阪府が1,896km2,と香川県は日本で一番小さな県となりました。参考までに最下位から3番目は東京都の2,187km2,意外と小さいと思われている沖縄県は2,275km2と4番目です。
広〜い香川県
 日本一小さな県香川県。しかし世界は広い!なんと香川県よりも小さな国は25ヶ国もあります。香川県は決して狭くなく,むしろ広〜い!?。ちなみに,1位のバチカンから11位のグレナダまでの面積を合計してみても1,672km2。香川県の面積1,876km2には,まだまだ足りていません。
面積の小さい国ランキング
【1位】バチカン(ヨーロッパ)0.44km2(TDRより小さい) 【2位】 モナコ(ヨーロッパ)1.81km2
【3位】ナウル(オセアニア)21km2 【4位】ツバル(オセアニア) 26km2
【5位】サンマリノ(ヨーロッパ) 61km2 【6位】リヒテンシュタイン(ヨーロッパ) 160km2
【7位】マーシャル諸島(オセアニア) 181km2 【8位】セントクリストファー・ネイビス (ラテンアメリカ)261km2
【9位】 モルディブ(アジア)300km2 【10位】マルタ(ヨーロッパ)316km2
【11位】グレナダ (ラテンアメリカ)344km2 【12位】セントビンセント・グレナディーン諸島(ラテンアメリカ)389km2
【13位】バルバドス (ラテンアメリカ)431m2 【14位】アンティグア・バーブーダ (ラテンアメリカ)443km2
【15位】セーシェル(アフリカ)455km2 【16位】パラオ(オセアニア)458km2
【17位】アンドラ(ヨーロッパ) 468km2 【18位】セントルシア (ラテンアメリカ)616km2
【19位】バーレーン(中東) 665 km2 【20位】シンガポール (アジア)693km2
【21位】ミクロネシア連邦 (オセアニア)702km2 【22位】トンガ (オセアニア)748km2
【23位】 ドミニカ (ラテンアメリカ) 754km2 【24位】キリバス(オセアニア) 811km2
【25位】サントメ・プリンシペ(アフリカ) 1,001km2 【26位】香川県(日本) 1,876km2
瀬戸大橋と大鳴門橋が同時に見渡せる場所
 瀬戸内海国立公園に含まれる小豆島は全国で19番目,瀬戸内海で2番目という大きさで,その小豆島に瀬戸内海の島々の中で一番高い山があります。その山は“星ヶ城”(817m)といい,ここの展望台からは瀬戸大橋(瀬戸中央道)と大鳴門橋(神淡鳴道)が同時に見渡すことができます。
世界一“狭い海峡”
 島国の日本には,津軽海峡,明石海峡,関門海峡など多くの海峡がありますが,土渕海峡と言う海峡の名を聞いたことのある人は数少ないのではないでしょうか。小豆島と前島の間にある海峡で,潮の満ち引きもあるれっきとした海です。海峡の北の部分は土庄港で,そこから南にかけては川のように細くなっていきます。全長2.5km,最狭幅はなんと9.93m!この海峡は,ギネスブックにも登録されていて,日本はおろか何と世界一狭い海峡に認定されています。この世界一の海峡を渡った人には,海峡の近くにある土庄町役場で“世界一狭い海峡の横断証明証”を発行してくれます。
 日本一“低い山”
 “日本一低い”と名乗る山は,お隣の徳島県にある弁天山の標高6.1m。大阪府にある天保山の標高4.53m。といわれてきましたが,なんと香川県に日本一低い山があったのです。その名は“御山”といい標高はなんと“3.6m”! それも瀬戸内海国立公園内に位置し,築山ではなく紛れもなく自然の山なのです。その証は,明治時代の郷土史に“御山は自然の山”という記述も残っています。
 この“御山”は,東かがわ市松原にある白鳥神社境内に位置し,2005年8月7日に開山したばかりの出来たてホヤホヤの「日本一低い山」なのです。
 なぜ今になって話題になったかというと,台風でこの付近一帯の低地が浸水の危機に瀕した時,「この辺りで一番高い場所はどこ」と探していて分かったとか。
 登頂しても日頃の運動不足解消にはならないかもしれませんが,“日本一の低い山”に足跡を残すのもいいのではないでしょうか?また,他の日本一と同じように登山証明書を白鳥神社社務所にて無料で発行していただけます。
 日本一営業日数の少ない駅

 営業日数は年間2日のみ。三豊市三野町にあるJR津島ノ宮駅は臨時駅のため,毎年8月4日と5日の津島ノ宮(津嶋神社)の夏季大祭開催日のみ営業する駅です。時刻表に出てくるのは夏の臨時列車が掲載される6月号〜8月号だけで,長期休止中の駅を除くと日本一営業日数の少ない駅となっています。
 余談になりますが,津島ノ宮は全国でも珍しい“子どもの神様”で,大祭には祖父母や保護者に手を引かれた子どもたちの行列が続きます。小さな手を合わせてお払いを受ける子どもたちの姿に“子どもは国の宝”ということを再認識させられます。祈祷殿や社務所などは海岸線の松林の中に建てられていますが,津嶋神社の本殿は約250m離れた津島にあり,島と対岸を結ぶ津島橋は大祭の期間中前後以外は通行禁止となり,入り口は封鎖され橋桁に敷き詰められる板も取外されてしまいます。

 日本初の“カタカナ地名”
 現在,日本全国の自治体でカタカナを使用しているのは,北海道の虻田郡ニセコ町,山梨県の南アルプス市,(2003年4月1日,中巨摩郡4町2村の新設合併により誕生)だけです。自治体ではありませんが日本で初めて住所にカタカナを使用したのは,高松市にあるハゼ町です。
 1940年(昭和15年)に高松市に編入合併した“櫨村”ですが,読むのも書くのも難しいとの理由でカタカナを使用することになったといわれています。東ハゼ町と西ハゼ町とあり栗林公園の南方,中央通り(国道11号線,空港線)を挟んだ位置にあります。
 余談になりますが,かつて存在したカタカナの地名では,沖縄県のゴザ市(1974年4月1日,美里村と合併し沖縄市となる),滋賀県の高島郡マキノ町(2005年1月1日,新設合併により高島市となる)などがありました。
 日本初の“盆栽神社”
 日本一の盆栽の産地の香川県。中でも高松市鬼無町と国分寺町は有名で松盆栽は全国シェアの約80%を占めているといわれています。そんな高松市には日本初の“盆栽神社”があります。この神社はJA香川県の盆栽部会が中心となり,建立されたもので,祭神の久久能智神(ククノチカミ)は樹木の事をつかさどる男神,草野姫神(カヤヌヒメノカミ)は草花の事をつかさどる女神とされています。境内には錦松の元祖といわれている末澤喜市氏の石碑もあります。
 また,近くには盆栽センターや数多くの盆栽販売店があり,高級品から大衆品まで約8,000鉢が展示即売されています。
 余談になりますが,盆栽の歴史は今から約200年前。先人が付近の山地や瀬戸内海の島々,海岸に自生する木を培養し販売したことに始まります。1894年(明治27年)には,末澤喜市氏が黒松に錦松の穂木を接ぎ木することを発見。これにより大量生産が可能となり現在の松盆栽の繁栄の礎を作ったとつたえられています。
 日本一長いアーケード
 高松中央商店街は,全長2.7kmにおよぶ日本一の長さを誇るアーケードが続き,その中には高さ日本一を誇るドームもあります。カラー舗装の美しいショッピングストリートは,郷土色もとても豊かです。地元で取れた魚のすり身を揚げたてんぷらや和菓子店,昔ながらの伝統を守り続ける讃岐漆器の老舗やブランド物を扱うブティックまど,レトロからトレンドまで時間を忘れてショッピングを楽しむことができます。ま
 アーケード内には,芸術的なオブジェやベンチをはじめカリオンやからくり時計などなど・・・。また,横道に入れば本場讃岐うどんや瀬戸内海の新鮮な海の幸を味わえるお店をはじめ,フレンチに中華,インドにイタリアンなどグルメスポットも点在!
 夕暮れ時からにぎわいを見せるネオン街では,素敵な雑貨屋さんやニューウェーブのストリートetc…。
日本一大きな池
 日本一大きな池は満濃池(仲多度郡まんのう町)です。大きな河川のない讃岐平野には,灌漑のために大小約2万のものため池があるといわれていますが,中でも弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池は,日本最大の人造池で広さ1.4km2もあり,今から1,300年も前の大宝年間につくられた歴史のある池です。
世界一大きなお金?!
 瀬戸内海国立公園にある名勝琴弾公園の中に世界一大きなお金があります。東西122m南北90m周囲345mもある巨大なお金・・・
 その正体は,有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」の砂絵です。数字だけ見ると楕円なのですが,琴弾山々頂の展望台から見るときれいな円形に見え,ペルーにあるナスカの地上絵に匹敵するスケールです。また,夜には緑色に浮かびあがりファンタジックな景観が楽しめます。
 言い伝えでは,1633年(寛永10年)に藩主生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたとされ,それ以降多くの方々の努力により大切に受け継がれています。この銭形を見れば健康で長生きでき,しかもお金に不自由しなくなると伝えられています。
 園内には“世界のコイン館”があり,銭形の街にちなんだ世界の貨幣や日本の貨幣にまつわるおもしろ話やコイングッズショップなど見て学べるおもしろ体験がいっぱいです。
 余談になりますが,十数年前にはUFOの基地説やミステリーサークル説まで飛び出しテレビに取り上げられたこともあります。また,年配の方ならご記憶があると思いますが,あの長寿番組“銭形平次” のタイトルバックにも使われていました。余談の余談にはなりますが,アニメ“ルパン三世”に登場する銭形警部は,銭形平次の子孫とされています。
世界一の“瀬戸大橋”
 瀬戸大橋は世界一長い橋です。全長131,000m(13.1km)もあり,瀬戸内海国立公園内の児島(岡山県倉敷市)〜坂出(香川県坂出市)間の5つの島に架かる6つの橋梁と,それらを結ぶ高架橋の総称です。吊り橋・斜張橋・トラス橋と3種類の橋で構成されていて,橋梁部9,368 m,高架部を含めると13.1kmとなります。橋単体では同じ本州四国連絡橋の明石大橋(全長3,911m)が世界最長ですが,「道路,鉄道併用橋」(瀬戸中央自動車道とJR瀬戸大橋線)としては,瀬戸大橋で一番長い南備讃瀬戸大橋(全長1,723m)が世界最長です。
 日本一の手袋
 手袋といえば,フランスやカナダの女性物ブランド手袋が有名ですが,近年手袋の生産は東アジアで多くなってきているようす。そんななか,香川県の東かがわ市は全国シェア90%を誇る日本一の「手袋の町」といえるでしょう。手袋は明治時代中頃に製造が始まり,時代の変化とともに,防寒用からファッションやスポーツ,レジャー用へ広がりました。よりおしゃれに,より機能的な香川の手袋は海外でも有名です。
 手袋製造の歴史は明治時代まで遡ります。白鳥村(現東かがわ市)にある千光寺副住職の両児舜礼が妻と関西へ転居し,生活費を稼ぐために托鉢にまわり,妻はメリヤス製品の賃縫いをはじめました。しばらくして舜礼はこのメリヤス製品に着目し托鉢をやめてメリヤス手袋の製造に専念することとなりました。その明治21年が東かがわの手袋誕生の年といわれています。舜礼は明治24年に家業を拡大し本格経営に乗り出しました。舜礼の死後 従兄弟の棚次辰吉が遺業を継ぐこととなった明治32年,衰退期にあった製塩業に従事する塩業民救済のため,白鳥村の教蓮寺境内に手袋製造所「積善商会」を開設しました。これが香川県東かがわ市での始めての手袋製造会社とされています。
高松が砂漠と化した日
 香川県は瀬戸内海性気候(地中海性気候)で,日照時間が長く,年間の平均気温は16℃と温暖な地域です。降雨は瀬戸内でも特に少なく年間の平均降水量は1,124mm(昭和46年〜平成12年)と全国平均1,718mmの約2/3程度であり,しかも降雨は梅雨期と台風期に集中しています。河川は短く(香川県下唯一の一級河川“土器川”でも,長さ33km,全国109個ある一級河川のなかでも2番目に小さい一級河川)勾配が急なため,せっかく降った雨もすぐに海へ流れてしまうなど,水利用には極めて不利な地理的条件にあります。
 1973年(昭和48年)の高松は,6月〜8月の降水量が153mm(全国平均385mm)。高松市周辺のため池はほとんど干上がり“高松砂漠”と呼ばれるほどの戦後最大の干ばつが発生しました。香川県は,人工降雨実験本部を組織し海上自衛隊の協力を得て人工降雨試験飛行まで実施しました。干ばつに輪をかけ異常高潮も発生し,満潮時に川を逆流した海水は,上流地域の内陸部においても多大な塩害を引き起こしました。
 高松市では,同年8月1日ついに21時間断水(AM5時〜AM8時までの給水)という第3次給水制限が実施されました。実に断水日数 58日間,断水率60% というまさに高松が砂漠と化した日でした。
香川の水の謎
 香川県の水は“香川用水”(昭和49年5月30日通水開始)を通じて,徳島県の吉野川,高知県の早明浦ダム(高知県長岡郡本山町)を源としています。香川県の水事情はこの香川用水により画期的に改善されることとなりました。吉野川は,坂東太郎(利根川),筑紫次郎(筑後川)と並んで四国三郎と呼ばれ,全国屈指の大河川の一つで豊富な水資源を有しています。その吉野川水系の水資源を有効に,また総合的に開発する中核施設として早明浦ダムが,洪水調節・発電・用水確保などの目的で建設されました。新たに開発された年間水量8億6,300万m3のうちの2億4,700万m3を池田ダム(徳島県三好郡池田町)から,讃岐山脈を貫く8kmの導水トンネルにより香川県三豊郡財田町(現三豊市)に導き,ここから東西に延びる幹線水路によって県内各所へ送水し,農業用水・水道用水・工業用水に利用されています。
お遍路さん

 遍路さんとは,空海が修行した跡を辿って88ヶ所のお寺を参拝することで,徳島県にある1番札所“霊山寺”をスタートして高知県,愛媛県を巡り,最後は香川県にある88番札所“大窪寺”と全行程は1,400Kmもあります。88箇所を歩いて巡る歩きお遍路さんで,40日〜50日程度かかるといわれています。現在では,自家用車や観光バス,観光タクシーなどで巡ることも少なくないようですが,歩きお遍路さんの姿もまだまだ数多く見かけます。
 巡礼のときに“納め札”といものがありますが,このお札はお寺のご本尊様,お大師様への自己紹介するものとされています。
ご本尊様やお大師様も,お願い事をされてもどこの誰か分からないと困ってしまいます。また,この納め札は巡礼の回数によって色が決められていて,25回以上巡拝をすると,納め札が「銀色」に,50回以上は「金色」に,そして100回以上で「錦」となります。何回も何回も巡拝された方の納め札を色で表し,そのお札は「お守り」になるといわれています。

さぬきの殿様は・・・
 1640年(寛永17年)生駒高俊がお家騒動(生駒騒動)で讃岐国を去った後,松平頼重が高松に入り東讃高松藩12万石を,山崎家治が丸亀に入り西讃丸亀藩5万1千石を治めました。山崎家が3代で断絶し改易した後は,京極高和が丸亀藩を治め1694年(元禄7年)に支藩として多度津藩1万石を分立したため,1871年(明治4年)の廃藩置県まで讃岐国には3つの藩が存在することとなりました。
 高松藩松平家の家紋は,水戸黄門定番の名場面「頭が高い この紋どころが目に入らぬか」で有名な“葵紋”ですが,高松藩松平家と水戸藩徳川家との関係は深く,高松藩主の松平頼重は水戸藩徳川家の初代徳川頼房の長男として生まれ,初代将軍徳川家康の孫,2代将軍徳川秀忠は伯父という関係で,本来なら水戸藩28万石を継承すべき立場のはずですが,頼房の兄義直,頼宣に男子がいないのを憚り,庶長子として扱った為に水戸藩を継承することが出来なかったといわれ,2代水戸藩主は弟の徳川光圀(水戸黄門)が就任し,頼重には高松藩12万石が与えられました。その後,光圀は兄松平頼重への思いから3代水戸藩主を頼重の子である綱条に譲り,光圀の長男である頼常を2代高松藩主にしたといわれています。お互いの子どもを藩主として交換するなど,高松藩と水戸藩は深い関係を築きながら交流を図っていました。現在でも,高松市と水戸市は親善都市として交流が図られています。
 余談になりますが,“徳川”という氏は,徳川家康が創始した苗字といわれ,その氏を名乗ることや,葵紋は家康が征夷大将軍となってから権威ある紋として一般の使用を禁止したため,将軍家と御三家および一部の藩のみ使用を許されていたといわれています。
 香川県消滅!?
 1871年8月29日の廃藩置県により,高松藩は高松県,丸亀藩は丸亀県,多度津藩と小豆島は一時倉敷県となりましたが,同年丸亀県と高松県へそれぞれ移管され,1873年2月19日高松県と丸亀県が合併し現在の香川県と同じ行政区画となりました。
 しかし,一夜明けた1873年2月20日に名東県(現徳島県)に編入され,香川県は消滅してしまいましたが,2年後の1875年9月5日に香川県として再び設置されました。
 しかし翌1876年8月21日には,なんと今度は愛媛県に編入され再び香川県は消滅してしまいました。編入の度に,地理的要因や風土,文化の違いから分離独立運動が次第に激しくなり,12年後の1888年12月3日に三度香川県が不死鳥のごとく復活し現在に至っています。
 余談になりますが,香川県の県名は,高松市が所属していた香川郡から取ったもので,郡名を県名にした珍しいケースです。  
 香川県は“得”する県?!
 香川県は,“そん”がありません!。だから得する県?・・・
 ”そん”は”そん”でも,“村”の“そん”。香川県は現在8市9町(2006年3月21日以降)ですが,1970年2月15日三豊郡財田村が町制施行で財田町となった時点で,香川県からは“村”が消滅してしまいました。
 その後2006年1月1日,財田町は近隣6町と合併し,三豊市となっています。
讃岐三白
 香川県には昔から“讃岐三白”という有名な言葉があります。この“三白”には“うどん”は入っていませんが,讃岐名産の“砂糖”,“塩”,“綿”の3つを指しています。(小麦が三白の一つだという説もあります)

【砂糖】
 向山周慶が1790(寛政2年)さとうきびから白砂糖を作ることに成功し,平賀源内が全国に紹介したもと伝えられています。江戸時代後期全国に流通した讃岐の砂糖は,評判が高く「白糖は讃州を第一とす」といわれ,「讃岐国産は雪白の如く舶来にいささかおとらず」などと賞讃されていたそうです。
 しかし,明治以降外国からの輸入が増加し次第に生産量は減少し,現在では,東讃地域でわずかにさとうきびの栽培がおこなわれ,和三盆と呼ばれる讃岐の砂糖が生産されています。

【塩】
 瀬戸内地方は,古くから塩作りが盛んにおこなわれていましたが,江戸時代の後期久米通賢が坂出に塩田を開いてから生産量が大きく増大し,香川県は全国一の生産地となりました。しかし,製塩方法の変化や外国からの輸入の増加により,1972年(昭和47)塩田は香川県から姿を消してしまいました。
 現在,宇多津町にある“宇多津町産業資料館”の“復元塩田”では,昔ながらの塩作りを見学することができます。

【綿】
 古くから香川県の中讃,西讃地域で盛んに生産されていました。江戸時代になると,和田浜(現観音寺市豊浜町)の港は,綿を積み込んだ船が数多く出入りし,中国・九州・大阪など各方面との交易が盛んにおこなわれました。
 豊浜町では1962年に営利栽培は終了してしまいましたが,現在は地域住民が伝統産業を後世に伝えようと生産に取り組んでいます。はじけた実からのぞく真っ白な綿が一面に広がる畑で,収穫は11月末頃まで続きます。また,豊浜町には現在でも綿寝具の工場が数多く存在しています。
香川の雑煮
 毎年,お正月の前後には「全国のお雑煮」とかいうようなテレビ番組がなどありますが,必ずといっていいほど紹介されるのが香川県のお雑煮です。“あん入り丸餅”で“白味噌仕立て”。「え〜!甘い白味噌と,あん入餅?・・・」ちょっと敬遠してしまいそうですが,意外に白味噌にあんこが合うようでとても美味しいのです。
 発祥は香川県の東讃地方と言われ,家庭円満の願いをこめて,野菜は丸く切り,丸いあん入り餅が使われています。
 甘みの少ない時代,讃岐地方でつくられていた“三盆糖”は庶民には高嶺の花で,一般庶民が口にすることができたのは“ねば砂糖”などと呼ばれた白下糖ぐらいでした。それも病気をした時とか,お盆や正月などの「なんぞごと」(特別なこと)の時ぐらい・・・。せめてお正月くらいは贅沢をとの考えで始まったのではないでしょうか。
サヌカイト(音の出る石)

 世界中で99%以上が香川県で産出される音の出る石“磬石(けいせき)”は,1891年ドイツの地質学者ヴァインシェンク氏が“讃岐の岩”という意味をこめ“サヌカイト”と命名されました。木槌で叩くと神秘的で澄んだ美しい音を奏でるところから,古くから“カンカン石”と呼ばれ,人々に親しまれてきました。サヌカイトは安山岩の一種で,今から約1,000万年前の瀬戸内海地域の火山活動によってできたものと考えられています。
 
 このサヌカイトを使用した“石琴”という世界唯一の石の楽器があり,自然石サヌカイトの澄んだ音色は心身を癒してくれます。1964年(昭和39年)にアジアで始めて開催された“東京オリンピック”の開会を告げたのも,このサヌカイトの音色でした。
 各ページに使用しているBGMは,このサヌカイトの音色です。また,高松自動車道府中湖PAには,サヌカイトが設置されていて,ご自身で音色を体験することができます。

さぬきうどん
 昔から郷土料理のひとつとして“うどん”は多くの家庭で食べられていました。1960年代後半までは高松市内でもうどん店はほとんど見かけなかったように思いますが,1970年代頃から徐々に増え始め,1980年代には香川県内発行のタウン情報誌に連載されたうどん店のコラムが評判となり,“うどん店巡り”が盛んになってきたようです。他県でのご当地ラーメンブームは,香川県ではうどんブームとなり,それがいつの間にか県外にまで広がっていき,うどん店巡りを目的に香川へ遊びに行くという観光スタイルが確立されてきたように思えます。
 余談になりますが,香川県内には“讃岐うどん通り”讃岐うどん横丁“などといった,うどん店の特定集中区域はありません。

【 味 】
 讃岐うどんの“味”は「時間とともに急速に失われていく」といわれています。讃岐うどんの美味さは,茹でて水で締めたその瞬間が最高といわれ,その後”秒単位”で味は失われるとさえいわれています。締めてから1時間も経ったものは“うどんの死体”などという表現もされています。
 讃岐うどん店の当たり外れ,言い換えればそのうどん店の最高の味を味わうなら,店に入るタイミングが全てといっても過言ではないと思います。

【讃岐うどんの定義】
 ・香川県内の製造であること
 ・手打ちまたは手打ち式の“うどん”であること
 ・加水量は(小麦粉重量に対し)40%以上であること
 ・食塩は(小麦粉重量に対し)3%以上であること
 ・熟成時間は2時間以上であること
 ・茹で時間は15分以内であること
 といわれています。

【うどん店の数】
 人口1,000万人の東京にあるマクドナルドの数が約500件。人口100万人の香川県にあるうどん店の数が約800件・・・といわれています。
かがわの有名人
学  者 植田和弘(経済学者,環境経済学者):高松市 岸田秀(心理学者,精神分析学者):善通寺市
佐藤勝彦(宇宙物理学者):坂出市 三木茂(植物学者,古生物学者):木田郡三木町
本山博(超心理学者):小豆郡土庄町 保井コノ(植物学者:日本初の女性博士):東かがわ市
作  家 菊池寛(芥川龍之介賞,直木賞の設立者):高松市 壺井栄(「二十四の瞳」の作者):小豆郡小豆島町
高城修三(第78回芥川賞受賞):高松市 芦原すなお(第105回直木賞受賞):観音寺市
西村寿行:高松市 大藪春彦(「蘇る金狼」の作者):善通寺市
彫刻家 イサム・ノグチ:高松市 速水史朗:仲多度郡多度津町
映画監督 本広克行(「踊る大捜査線」他):丸亀市 朝原雄三(「釣りバカ日誌16」他):高松市
歌  手 笠置シヅ子(「東京ブギウギ」他):東かがわ市 松原美香(歌のお姉さん):高松市
かまだみき(歌のおねえさん):高松市 ファンキー末吉(爆風スランプのリーダー):坂出市
Rococo(双子デュオ):高松市 ザ・ジェット・ブラザース(瀬尾幸男,富永ジロー):高松市
俳  優 石倉三郎:小豆郡小豆島町 西山浩司:高松市
高畑淳子:善通寺市 藤澤恵麻:高松市
木内晶子:高松市 要潤:三豊市
馬渕英里何:三豊市 水野美紀:高松市
市川右太衛門:丸亀市 田中尚貴:高松市
タレント 松本明子:高松市 南原清隆(ウッチャンナンチャン):高松市
中田ボタン(中田カウス・ボタン):小豆郡小豆島町 たいぞう:観音寺市
山下しげのり(ジャリズム) :高松市 シャカ(大熊啓誉,植松俊介):高松市
桂こけ枝:三豊市 正司敏江(正司敏江・玲児):小豆郡小豆島町
スポーツ選手 大松博文(東京オリンピック女子バレー監督):仲多度郡多度津町 横田忠義(ミュンヘンオリンピックの金メダリスト):三豊市
植田辰哉(全日本男子代表監督):東かがわ市 宗由貴(日本少林寺拳法グループ総裁):仲多度郡多度津町
宮武三郎(阪急):高松市 筒井修(プロ野球審判員):善通寺市
水原茂(中日監督):高松市 三原脩(日本ハム球団社長):仲多度郡まんのう町
中西太(西鉄ライオンズ,現評論家):高松市 牧野茂(読売ジャイアンツヘッドコーチ):高松市
実業家 馬渕健一(マブチモーター創業者):高松市 片岡勝太郎(片岡電気,現アルプス電気創業者):丸亀市
大社義規(日本ハム創業者):さぬき市 小森敏之(丸大食品創業者):高松市
田渕道行(ほっかほっか亭創業者):東かがわ市
料理研究家 土井勝:三豊市 結城貢:善通寺市
その他 空海(弘法大師):善通寺市 平賀源内(エレキテルの復元などで有名):さぬき市
近藤照男(近藤照男プロダクション代表):観音寺市 浅野健一(ジャーナリスト,同志社大学教授):高松市
中野美奈子(フジテレビアナウンサー):丸亀市 橋谷能理子(ニュースキャスター):高松市
香川の年表
飛鳥時代 593 推古元年 聖徳太子が摂政になる
645 大化元年 大化の改新が行われる
667 天智6年 讃岐国山田郡屋島(現高松市屋島)に城が築かれる(日本書紀)
奈良時代 700年代  - 現在の国道にあたる南海道が整備され,三谿駅(高松市三谷町)が造られた(京都まで約7日)
平安時代 794 延暦13年 平安京(京都市)に都が移る
821 弘仁12年 空海が満濃池の修理工事に着手する
鎌倉時代 1185 文治元年 源平合戦(屋島壇ノ浦,那須与一が扇を射落とした話や,源義経の八艘飛びの話は有名です)
1192 建久3年 源頼朝,征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く
安土桃山時代 1584 天正12年 長宗我部元親が,十河城(高松市十河東町)を攻略し讃岐国を支配下におく
1588 天正16年 生駒親正,香東郡野原庄で高松城築城に着手し,城・城下町を「高松」と名付ける(高松の誕生)
刀狩が行われる
1590 天正18年 豊臣秀吉,全国を統一する
1597 慶長2年 津森庄亀山に丸亀城を築き始める
江戸時代 1615 元和元年 播磨国赤穂の田中孫六ら30人が塩屋村(丸亀市)に移住し同地に塩田を開く
1641 寛永18年 山崎家治が西讃を治める(丸亀藩誕生)
1642 寛永19年 松平頼重(水戸黄門の実兄)が生駒家にかわり東讃12万石を与えられる
1644 正保元年 高松城下に上水道が敷かれる
1658 万治元年 京極高和が丸亀藩主となり西讃5万1千石を与えられる
1694 元禄7年 丸亀藩は支藩として1万石を分けて多度津藩をつくる
1747 延享4年 平賀源内が高松藩の薬坊主となり,栗林荘(現栗林公園)で薬草栽培を行う
1831 天保2年 大坂〜丸亀間に定期の金毘羅船が走り始める
1860 万延元年 塩飽水夫35人が乗った咸臨丸が太平洋を横断し米国へ
明治時代 1871 明治4年 廃藩置県
高松県(旧高松藩,小豆島,直島),丸亀県(旧丸亀,旧宇多津藩)ができる
高松県,丸亀県が合併し香川県が誕生する(第1次香川県)
1873 明治6年 地租改正・徴兵令が実施される
香川県が廃止され名東(徳島)県に合併される
1875 明治8年 名東県から分県し香川県になる(第2次香川県)
1876 明治9年 香川県が廃止され愛媛県が合併される
1881 明治14年 腰抜新聞が発行される(香川初の日刊紙)
1888 明治21年 愛媛県から分県し香川県になる(第3次香川県/全国で最後の県の誕生)
1889 明治22年 大日本帝国憲法が公布される
丸亀〜多度津〜琴平に汽車が走る(全国7番目の鉄道)
1895 明治28年 高松電灯株式会社が開業する
1897 明治30年 讃岐鉄道が高松〜丸亀間の鉄道運転を開始する
1900 明治33年 高松港の第一期修築が竣工する
1903 明治36年 山陽鉄道が高松〜岡山(三蟠)間の連絡船を開設する
1910 明治43年 国鉄(現JR)が宇野線全通により,宇野〜高松間に宇高航路(連絡船)を開設する
昭和時代 1972 昭和49年 宇高航路に,急行便として“ホバークラフト”が就航する(所要時間約25分)
1973 昭和48年 給水制限が63日間にもわたる(高松砂漠)
1974 昭和49年 香川用水が送水を開始する
1987 昭和62年 高松道,善通寺IC〜川之江JCTが開通する
1988 昭和63年 瀬戸大橋(瀬戸中央道,JR瀬戸大橋線)が開通する
平成時代 1992 平成4年 高松道,高松西IC〜善通寺IC,坂出JCT〜坂出IC開通が開通し瀬戸中央道と接続する
1998 平成10年 高松東道,さぬき三木IC〜津田東ICが開通する
2001 平成13年 高松道,高松中央IC〜さぬき三木IC,津田東IC〜板野ICが開通する
JR高松新駅舎・旅客ターミナルビルが開業する
2003 平成15年 高松道,高松中央IC〜高松西ICが開通し,高松道(高松東道)の全線が開通する
2004 平成16年 サンポート高松の中核施設「高松シンボルタワー」が竣工する