兼務社のご紹介
天神社
由緒について 宮城県神社庁のサイト には下記の通り記載されています。
文治年中(1185~1189、平安)藤原秀衡の家臣照井太郎高直、佐沼城主となるに及び京都の天満宮より勧請、城下の鎮守社とする。元禄14年(1701)天満宮八百年祭を地頭(邑主)津田民部景康代に於いて行われ、後に亘理家の代に変わりて宅地450坪、耕田1反五畝歩を寄進して崇敬した。明治44年1月火災の為鳥有に帰したので、同年3月再建し今日に至る。
八幡神社
由緒について 宮城県神社庁のサイト には下記の通り記載されています。
当社は元禄2年2月25日、往古栗原郡新田村台所(現在の迫町新田)より現在の地に遷座し坂上田村麿の崇敬ありし神社といい、境内に手植えの杉がある。佐沼邑主津田丹波景康の創建とされる。現在の社殿は平成2年4月22日新たに竣成したものある。
三方島神社
由緒について 宮城県神社庁のサイト には下記の通り記載されています。
当社は第51代平城天皇の御代、大同元年(806年)田村麿の創建にかかる。即ち将軍東征の時、栗原郡畑岡に盤居せし賊徒討伐中祭神三霊現われ給い戦功ありとこの三霊を祀りて三方荒神と称え奉る。はじめ北方村町新田に御鎮座ありて荒廃久しきに及ぶ。伊達家宿老(佐沼邑主)津田民部春康、元禄10年より享保6年の間、佐沼郷釆地開拓中にこの神像を叢(くさむら)より発見し、享保元年10月現在の地に再興、奉祀したといわれる。明治8年村社列格。大正8年8月供進社に指定された。本山派修験宝性院累世社務を掌る。
佐沼
城(
鹿ヶ城
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