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Chai(仮名)のインド人に対するイメージは余り良くない。「無作法でがさつでうるさい。タイ語で話しかけられても何言ってるかわからないし、英語の発音だって変だ。他人をだますのが好きな連中さ。」これはインド人に対するタイ人のイメージの典型だ。
「蛇とインド人を見かけたら、身を守るため、まずインド人の方から棒でぶちのめせ。」この言葉は、その昔タイに渡って来たインド移民の多くが、違法な金貸し業に携わっていた事に起因する。シーク教徒のインド人が、布地から冷蔵庫まであらゆる品物を30%以上の高利でタイ人に割賦売りして莫大な儲けを得たのである。
現在でも Uttar Pradesh 出身のインド人や、高齢のシーク教徒の中には、この仕事で儲け続けている者がいる。「頼まれて、タイの物売りに品物や現金を用立てている。名前と都合した金額を小さなメモ帳に書いておいて、毎日相応の利子を取り立てる。1回の取り立て金額によっては、返済に長くかかる事もあるさ。」
Mr.Singh (ファーストネームは伏せるよう依頼有り)の言葉だ。「借金を踏み倒され夜逃げされる事もある。」と、彼は続ける。「客は路上の物売りがほとんどなので、立ち回り先も分らず、見つけ出すのは難しい。」金を貸している人間に脅されたり狙われたりするため、危険も付きまとう。
タイ人の多くは、こうした商売に従事しているインド人はごく一部の者である事を知らない。タイに暮らすインド移民三世は、彼らの両親が歩んだ道とは異なる道を進もうとしている。しかし、どんなに進む道が変わろうとも、彼ら若い世代は今も、周囲のタイ社会から隔絶した習慣を保持している。自分達はインド人ではなく、インド系タイ人だと言っても、この隔絶は続く。
彼らの両親の世代は、教育のためインド本国へ戻るのが普通であった。しかし、彼ら三世は、バンコクにあるエリート向けインターナショナルスクールで学ぶようになっている。
インド人社会のリーダー的存在である実業家の妻
Kawalpreet は Uttar Pradesh 北部の Mussorie
と言う町で教育を受けた。高校卒業後、裕福な家庭に嫁ぎ、先ごろ自分の子供をバンコクのルアムルディ・インターナショナルスクールで学ばせる決心をした。「手元に置いておきたいし、自分が行けなかった大学に進ませたい。」と、彼女は言う。
タイで育った若い世代は、両親の母国よりも、ここタイ国に親密な思いを抱いている。アサンプション大学を卒業したばかりの
Manit Narula (22才)は、タイで生まれタイの市民権を取得している。英語が堪能な彼にとっては、タイは、良い職に就ける可能性のある「チャンスの国」なのだ。
生まれた場所が他国でも、若い世代の在タイインド人達は、タイとの関わりを深め続けている。アサンプション大4年の
Som Dutta Murkherjee は4才の時タイに移住した。インドのパスポートを所持していても、彼女はタイを自分の故国だと考えている。「インドに行くといつも、早くタイに戻りたくなって仕方ないわ。」タイで学んでから海外留学し、学位取得後はタイに定住する予定だ。「世界のどこに行ったって、タイで暮らすのが一番だって考えは変わらない。東洋と西洋のいいとこが揃ってるもの。」
そんな彼女も、ここで暮らすために心がけている事がある。「タイ人の生活様式を知る事が大事。彼らの礼儀作法や物の見方を知り、受け入れる事ね。それができて初めて、ここでの生活を楽しむ事ができる。なんでも思い通りにやろうなんて絶対ムリよ。」
若い世代のインド人にはタイ人の友人を持つ者も多い。しかし彼らは、同じバックグラウンドを持つインド人同士、一緒に過ごす傾向がある。「同じ言葉で話せるし、話題もかみ合うからね。」余暇は大抵インド人の友人と過ごす
Manit はこう語る。昔のインド人と違って、
Punjabi 出身の家族では、子供の夜遊びは禁止するのが普通だ。「友達とは映画に行ったり、コンピューターゲームしたりしてるよ。」
彼らの世代はアメリカ文化の影響を大きく受けているが、基本的な民族意識は変っていない。寺院の儀式には出席するし、宗教の戒律も守っている。日曜日のシーク寺院へのお参りが好きじゃないと言う
Manit のような青年でさえ、出かける時は必ず、自宅の祭壇にある
Guru Granth Sahib (シーク教聖典)にお祈りする。「クセみたいなもんさ。自分でもシーク教徒だと思ってるし。でも熱心な信者とは言えないね。宗教は"OK"だけど、"すべて"じゃない。」
「どんな偉業を成し遂げても、我々はマイノリティと見なされる。我々は一般のタイ人とは違う。だからこそ、インド人はインド人同士つるむのさ。」あるインド人青年実業家の言葉だ。
シーク教徒として Manit はターバンを巻いている。好むと好まざるにかかわらず、これはタイの友人達の好奇心を刺激する。「いつも尋ねられるよ。"ターバンの中には何が入ってるんだい?"とか、"なんでそんなのつけなきゃいけないの?"とか、"つける時はどうやってやるの?"とかね。」
彼は、長い髪を中にしまってる事、宗教上の理由だという事を、我慢強く説明する。時にターバンがからかいの対象になる事もあるが、彼は真に受けない。「仲がいいからふざけてるんだよ。」自分自身ターバンにはうんざりしている事を認めつつ、彼は言う。「これがなかったら、人生スッキリするだろうね。宗教は良いものだけど、自分が信仰しなきゃいけない理由が分らないよ。」
彼もまた、他のインド人同様、人種に関する差別的な言葉を向けられる事がある。「僕のことを"ケーク"(タイ語でインド人、お客さん)と呼んでからかう友達がいる。でも本当に特別な意図があるかどうか分らない。気にしないよ。タイ人のそういう言葉には慣れてるんだ。」
タイ社会に受け入れられるよう、昔は多くのインド人が苗字をタイ語らしく響くよう変更した。"Singh"
を "Singhacharoen" に、 "Bhatia"
を "Bhatiyasevi" に、 "Khurana"
を "Khuranasiri" に、といった具合に。
こうした「同化」はもっと微妙なレベルで続いていくようだ。この三世の世代は英語だけでなくタイ語も流暢に話す。
Punjabi 出身の両親は、自分達の子供がタイ語を話すようになっていくのを、ぼんやり眺めているばかりだ。しかし、タイで暮らすインド人各グループ毎の文化的アイデンティティが強いため、「同化」はゆっくりと続く。
他のマイノリティがそうであった様に、子供達がタイで高等教育を受けるようになるまでは、インド人は、周囲のタイ人社会から孤立し続けるだろう。たとえ経済的にひとつにまとまっていても。
(2000年6月1日付 "Nation" 紙 Uma
Tiwary' Report全文 )
(紙上添付されていた写真:日曜に Gurudwara
に集うインド人少女
Sala Chalermkrung 劇場で上映されるボリウッド(ボンベイとハリウッドの合成語)映画のポスター)
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