善知識に縁することの大切さ

三三蔵祈雨事(御書873)

私たち人間は、生きていく上で、良きにつけ悪しきにつけ、縁する周りの人びとより、知らず知らずのうちに多大な影響を受けている。
そのため、孔子は付き合っていく友人について、プラスになる友人とマイナスになる友人を立て分け、「益者三友(えきしゃさんゆう)、損者三友(そんしゃさんゆう)」を説いて、友は選んで付き合っていくよう注意を促している。益者三友(えきしゃさんゆう)とは、
「直(なお)きを友とし、諒(りょう)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは、益なり」とあり、「直(なお)き」とは剛直な人物。「諒(りょう)」とは誠実な人物。「多聞」とは博識な人物をいい、これらの三人を友とするのは利益となることを述べている。それはこれらの友と交わることによって感化を受け、自らの人格を高めていくことができるからである。

これに対して「損者三友(そんしゃさんゆう)」とは、
「便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんにゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり」(論語 世界古典文学全集4-261)
とある。「便辟(べんぺき)」とは、難しいこと嫌なことを避けたがる便宜主義者、つまり根本的な処置をせず、間に合わせですますやり方をする人のことである。「善柔(ぜんにゅう)」とは人ざわりが良いだけの人間をいう。「便佞(べんねい)」とは口さきが巧みで人の気に入るように立ち回り、しかも心のねじれている人をいう。これらの三人を友とすることは、そこから学び得るものはなく、却って悪い影響を受け、損失を蒙っていくことになるので注意せよ、との誡めである。

このように世法においても、善友と悪友の縁があり、私たちは知ると知らざるとにかかわらず、これらの影響を強く受けながら生きているのである。そして、さらに信心をしていく上でも善悪の二友の縁がある。

つまり、仏法では、仏道修行をしていく上で、私たちに善い縁を与えてくれる人を「善知識」といい、悪い影響を与える人を「悪知識」といっている。もともと「知識」とは物事に対してその名前や形や概念を知り認識することをいうが、仏法においては、「物事の正邪を弁えて誤らせない人」、あるいは「正しく教え導いてくれる友人・同志・指導者」などの意味として用いられている。


―― 妙教八月号――