記憶を呼び起こすもの

2005年8月27日(土)第141ステージ(165日目)
現在地:山口県下関市 天気:時々
支出:1,139円 体調:良好
本日の走行データ
移動:秋穂町〜山口市〜阿知須町〜宇部市〜下関市
平均速度:17.1km/h 総走行距離:11876.9km
走行距離:74.76km 走行時間:4:21:06

 今日も西へ向かって出発。道の駅の前の道が既に上りで、峠道になっている。といっても、標高30メートル。だけど、「大海峠」という立派な名前までついているのだ。大海峠を越え、しばらく走ると山口市入り。山口市って内陸じゃなかったけ?と思って地図を見てみると、なんか無理やり海沿いまでもって行った感じ。海から見ると山口市本体は山の向こう。で、その山口市にかかる周防大橋を渡る。けっこう大きな橋。そのあと、少し走ったところにある阿知須の道の駅で休憩。なんか今日は調子が出ない。時間が解決するだろうと考え、道の駅で新聞を読んだり、パンフレット読んだり。そんな感じで十分休憩を取ったが、やっぱりあんまり走れていない。なので、休憩がてらにスーパーへ入った。調子が悪いのはきっと野菜不足のためだろうと勝手に判断し、紙パックの野菜ジュースを一気飲み。これで変わるのか疑問だが、用は気の持ち様だろう。断っておくが、調子が悪いのと体調が悪いのは全然別。体調の方はすこぶるよいのだ。

 朝は雲がそれなりに散らばっていて涼しかったのだが、時間がたつにつれてピーカンに。暑いし、気分は乗らんので常盤公園で休憩。ついでに洗濯。かなり溜まっていたので1時間くらいかかった。その後、食事休憩。その間に洗濯物を干していたら、乾くこと乾くこと。太陽の力はすごいなと感じたのだった。

 たっぷり2時間ほど休憩して出発…なのだが、さてどっちに行くか。北へ行って秋吉台に寄るか、先を急ぐかなのだが。本当は秋吉台に行くべきなのだが、今日はちょっときついかも。ということで、このまま西へ進むことにする。西はほとんど平地だと思っていたら、宇部と小野田の間なんかはけっこう登らされた。峠ではないが、短くて少し急な坂をいくつか。小野田から山陽の間も平地ではなく。まあまあきつかった。で、R2と合流してすぐの温泉に入る。さっき洗濯したので着替えのストックができたのだ。温泉後は休憩室でくつろぐ。それから、下関の無職不良中年さんに電話する。本当はもっと早く電話するべきだったのだが、こういう性格なのでいつもギリギリにしてしまうのだ。とりあえず待ち合わせ場所を指定してもらい、1時間半ほどで着くんではないかということに。実際に走ってみると、バイパス通るので1時間ほどで着いてしまった。

 着いたと電話すると、「もう着いたのか!?はやいなあ」と。今すぐ来てくれるそうなので、しばし待つ。しばらくして登場した人物は僕の想像通りの人だった。で、挨拶もそこそこに無職不良中年さんの家へ。自転車で少し走るのかと思ったら、歩いてすぐのところだった。家へお邪魔してすぐにビールをいただく。あまり飲まないのだが、飲めなくもないのだ。ビールとつまみをいただきながら話をしていると、奥さん帰宅。それと入れ替わるように、僕らが買い物に出かける。スーパーを出て歩いて帰るかと思いきや、駐車場にとめてあった車で帰宅。そう、一旦帰宅したのだが、車があるのなら、と下関郵便局まで走らせてもらった。何でかというと、新しいデジカメが届いているからなのだ。僕のデジカメはやっぱり調子が悪く、修理が必要なので、母親の買ったばかりのデジカメを送ってもらっていたのだ。「なんてやつだ!」とは無職不良中年さんの言葉。基本的に自分のことしか考えない人間なので。再度帰宅し、ご飯をいただく。色々と作っていただいた。今まで食べたことのないようなものもあった。イタリアンやフレンチは、ほとんど未遭遇だと言ってもいいので。食べるだけじゃなくて、色々と話もした。"ロッシは天才だ"とか、"田中正造は本当の政治家だ"とか、マニアックなところで話が合ったり。という感じなのだが、一つ謝っておかなければならないことがある。それはギリギリで連絡したこと。ずいぶん前にメールをもらったとき、すぐに連絡しておけば良いのだが、何となくそれが出来んのだ。「下関通過時はよろしくお願いします」と一言いえばいいことなのに、人に頼ること前提で走るのもなんか違うのではないかと思ったりしたり。でも、連絡くれた人にすぐに返事を返さないのは、やっぱりマナー違反であって。基本的な部分で僕には欠けているものがあるのだなと自覚はしている。そして、更に悪いのは、ギリギリのところで結局は人に頼ることになること。頼られる方も迷惑だろう。死ぬまでとはいわず、出来るだけはやく直さなければならない悪い癖です。

 夜テレビをつけてみると、24時間テレビをやっていた。100キロマラソンを筆頭に、色んな記録に挑戦するのが売りの番組の中で、潜水の日本記録に挑戦というのがあった。田中マサミ(だったと思う、漢字わからん)さんが記録に挑戦しているのを見て、中学のときを思い出す。中学の2年か3年のとき(おそらく3年)に潜水(潜ったまま何メートル泳げるか)の記録を計ったことがあった。僕は結構良い記録で37.5mだった。一緒に計った二クラス(体育は男女別なので二クラス合同で行う)の中で2番目の記録だったと思う。ちなみに一番はというと、たまに掲示板に書き込んでくるコンサンマンで50m。両方とも否水泳部。で、プチ自慢はよいとして、僕の次に泳いだSの時に事件は起きた。Sは水泳部だったが、(出席番号順で泳いだため)コンサンマン、僕、Sという順番だったので、少なからずプレッシャーはかかっていたのだと思う。やっぱり水泳部が負けるわけにはいかんでしょう。その思いからか、彼はがんばった。順調に潜水して25でターン。それから、僕と同じ半分まで戻ってきたところで浮かび上がった。Sはあまり運動が得意な方ではなかったので、よくがんばったと僕は思ったのだった…が、なんか様子が変だ。浮かび上がったは良いが、顔を上げないのだ。「あれ溺れてるんちゃうか?」と僕らが思った瞬間、プールに飛び込む人影が。体育のI先生だ。「すげえ」と思っている間もなく、一瞬でSまで到達し助け上げた。いつもは日陰にいて楽してるなあと思っていたが、いざという時には準備が出来ているんだなとちょっと尊敬した。実際、他の体育の先生なんかではどうなっていたかわからなかっただろう。本当に必要なときに最適の判断をし、最大限の力を発揮することはなかなか難しいと思う。実は、I先生は僕が所属していたサッカー部の顧問なのだが、いつも日陰の長いすに寝転がって練習をみていた。時には本当に鼾をかいて寝ているときもあるくらいで。だけど、たまにヘディングの練習でセンタリングをあげてくれる時には、足の爪から血が出るまで蹴り続けてくれるのだ。裸足で蹴るから血が出るのだ、と突っ込む隙のないくらいに蹴り続ける。まあ、そんな先生だったので、死ぬほど走らされたが嫌いではなかったのだ。というようなことを思い出したのだった。それから上手く説明できないのだが、そのI先生と無職不良中年さんが何となくかぶるのだ。何というかシャイなところとか。それで思い出したのかもしれない。24時間テレビの結末は知らん。

野菜生活1000
198円
マンゴープリン
88円
バニラソフト
63円
食パン
102円
蜂蜜250
88円
温泉代
600円
1,139円
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