親ザル10階で哲学する

前回の入院から3年。その間、死産と軽い再発(入院するほどじゃなかったっす)を経て…何とかもう一度妊娠を、って思ってたけど、間に合いませんでした。左手の震えと左右手足の痛み、しびれ。今回は運動には問題ないようなので(だって歩けてるし、ふつーに生活できてるもん!)、逃げ切れるかなー(つまりほっといてもおさまるかなー)なーんて思ってたんですが、だめでした。ドクターから「入院!」の指示。いやあ、捕まっちゃいましたぜ〜ってかんじかな。まあ、パルスして、2週間くらいの入院かな、なーんてまだまだ軽く考えていた梅雨時のことでした。

入院の準備

入院・検査(ショック、いや、病状のことじゃなくて)

治療(とっととやってくれえ!)

感覚をあらわす言葉(「しくしく」「ひりひり」そしてつま楊子)

病院で「テツガク」する(「生き方の問題だな」)

おばあちゃんたち2(いろんな人生)

ヤクやってます。ジコチューで(せーのっ!)


入院の準備

MSがわかってから、いつでもすぐ入院できる仕度は整えてある。最低限の身の回りのものと、洗面用具etc. とはいうものの、入院に必要な準備は道具だけじゃない。なによりも、うちには手のかかるおサルが一匹いるのだ。
彼の生活は両家の祖父母にお願いするほかはない。幼稚園には通わせつづけるのか?そうならば、我が家にきて生活していただくことになる。子守りの労力の上に、自身の家を長期に留守する心理的負担と移動のための金銭的、時間的負担をかけることになる。それならば、幼稚園は休ませてどちらかの家に(交代で移動しながら)預けるというパターンも考えられる。実際3年前の入院の時には、この形をとった。
いろいろと話し合った結果、幼稚園に通わせつづけながら、両家のばあば達が何日かごとに交代でお世話にくる、という形をとることになった。じじばば宅にみっきいを預かることでの24時間の「子守り」の心理的負担よりは、慣れない場所での生活ながら幼稚園に行ってくれている間の半日は「フリー」になれるほうが実際には気楽である、という結論に達したらしい。まあ、周りには友達もいるし、おもちゃもPCもそろっているし、みっきい自身が気がまぎれるのは「じぶんち」だろう、という家族みんなの思いやりであった。

まずは私の母が来てくれることになった。みっきいは「ばあばがきた!」と単純に喜んでいる様子。入院が決定するまで、通院のたびに「ママ、びょういんいかないでぇ」とべそをかいていたのでかなり心配だったのだけれど、「あれ?みっきいくん、おばあちゃんいらしてるの?」ときかれる度に「うん。こんどママがにゅういんするからね」なーんて言ってる。あなどれないな〜、5歳!
母のために「マニュアル」をつくった。幼稚園のしたく、弁当、持ち物、お友達の連絡先、病院のこと、薬のこと、食事のこと、買い物のことetc. etc. etc. 手抜きの落第主婦だと思ってたけど、アタシなんだかいろんなことしてんじゃん!!!!!って思うくらいいろいろ書くことがあった。書ききれなかった。なーんだかテキトーにすごしてる毎日だけど、ちょっとづつ「よ☆んち」な形ができてるもんだな〜、なんてちょっと驚いた。

入院・検査

◆ショック!いや、病状のことじゃなくて…

みっきいの幼稚園バスを見送って、さて、出陣!前回は旦那に支えてもらってないと歩けない状態だったけど、今度はひとりでリュックしょってバス乗って、電車乗って、病院まで。この2年の間に新装されたから大きくきれいになってます。病室は10階。4人部屋だけどトイレとシャワーが付いていて、個人用のテレビと冷蔵庫あり。うほー、完璧!
 パジャマに着替えて、看護婦さんとお話。日頃の生活や現在の体調について報告すると、「身長と体重を測りに行きましょ」ということになった。いやあ、これがさあ、入院生活最初のショック!!な事件となったのです。これをお読みになってる貴方、最後に身長をちゃんと測ったのっていつだったか記憶にあります??学生のころはともかく、専業主婦を何年もやるようになると、いったいいつどこで測ったのが最後だったかなんてちーっとも覚えてません。でもね、まあ、それがいつどこでであったにしろ、自分の身長って変わらないものとして認識してるでしょ。わたしは身長157cm。157cmって言ってるけどほんとは156ちょっとしかないんだ。でも、体重との兼ね合いから、あくまでも157cm!…っていうのが、よ☆公称身長であったのさ。しかーしっ!!看護婦さんは言った。「えーっと、148cm」「へっ!?もしもし、今なんとおっしゃいました?」デジタル表示は「148」「いや、そんなはずないんです。もういちど」…3回計りました。でもやっぱり「148」。
 最近太りぎみでちょこっとダイエットが必要かなー、でも、まだ何とか標準体重の範疇だしな〜、なーんていいわけしていたよ☆ですが、基準としていた身長が9cmも違うものだとすると…??!?!?!?!私の「標準体重」はいったい…??何キロダイエットが必要なんだろうか??考えたくないぞ!!!!!
でもさあ、これってどうなの?いつのまにか9cmも身長が縮んだってこと?それとも、そこまで姿勢が曲がってしまったってこと?さらに無理に考えれば天下のN病院10階の身長計が狂っているってこと????
病棟での主治医は新人ドクターI先生。よろしくおねがいします。あとは、お決まりのルンバール(骨髄穿刺)での髄液採取(新人ドクターなかなかお上手でした)、誘発電位検査、などなど。痛かったり、つらかったりしたけど、身長が縮んだショックに比べれば、どーということはない!!!!!

(後記:退院の時、外来担当の看護婦さんと話をするんでスタッフルームに入ったんだけど、そこにあった身長計にすかさずのりました。ふっふっふ…154.8cm!!!ほらね、ほらね、そうでしょ、そうでしょ。まあ、自称よりは小さかったわけだけど。病院だからって盲信しちゃいけないっていう一つの例です!!)

治療(うつうつの日々)

◆とっととやってくれえ!

検査は終了。前回と違って、運動障害がないので、「病人度」(という言葉があるかどうか知らないが)はかなり低い。左手は震えたままで動かしづらいけど、利き手じゃないからそう不自由は感じない。しくしくとした痛みとしびれが両手足を移動するけれど、耐えられないほどではない。寝ていてもどうなるものでもないから、検査がないときは本当に退屈。TVをみたり、本を読んだり、洗濯したり…あ、そうか、あたしダイエットしなくちゃなんだと、2階の売店まで階段で往復(177段ありました)しては無駄な買い物をしたり…。いうことで、前回の入院では2クールのパルス後に訪れた「アヤシイ病人生活」が、今回は入院早々始まることになった。
 ヒマである。お腹は空いていない。気温は快適。話し相手は…おばあちゃんたち。(この人たちのことはあとで詳しく。なかなかすごいぞ!)特に苦しいこともない。考えようによっては天国のようなこういう状態で人間はどうなるか…「落ち込む」のだ。
 10階の窓からレインボーブリッジや東京タワーをながめながら私はずっと考えていた。いや、「考えて」なんて大層なことはしていないな。ぼんやりとアタマの中を何かが通り過ぎるのを感じているだけ。それも、かなり、暗いことばっかりね。
 こうやってあと何回入院するんだろうか。みっきいはつらいだろうな。小さいころに母親から引き離された経験は、人との信頼関係を築くために必要な潜在的な部分にトラウマを残す、とかなんとかイヤなこと聞いたことあるな。こんな嫁もらっちゃって迷惑してるだろうな〜、ダンナ。あと、ダンナのママやパパもね。それなのにみんなやさしいね。ありがとう、ありがとう。でも何のご恩返しもできやしないね。2人目の孫はどうなっちゃうのかな〜って思ってるだろうな。そうそう、2人目っていえば、一昨年死産だったんだよなでもあれもアタシが悪かったんだ誰のせいでもないアタシが殺したんだったもうひとりあかちゃんほしいなみっきいのためにもきょうだいがほしいなあれみっきいのためにうむのかじゃあうまれてくるこはアニキとははおやのためにうまれてくるのそれはちがうだろういまのわたしはなにをのぞんでもほかのひとにめいわくをかけてしまうだけなんじゃないだろうかでもしんじゃうわけにはいかないなたぶんかなしむひとがいるからっていうかまためいわくかけるだけだしなそういえばかぞくにびょうきなやつがいるのとじさつしちゃったっていうひとがいるのとめいわくなのはどっちだろうなあ…
 失礼。ま、こんな感じでぐーるぐるぐーるぐる…幸せな環境の中でノンキに悩んでいたのだった。何せ、治療が始まらないから、先が読めなくてツライ。退屈は落ち込みを招くね。
 新人ドクターIは脊髄の写真を撮るのを忘れていたとかで「もう一度MRIをとって、パルスは来週から」などとのたまったが、先輩医師に「その結果がどうでも治療が変わるわけではないのだから」といわれて(そうだ!そうだあ!)、やっと治療を始めてもらえることになった。
副腎皮質ステロイド剤の点滴を1000ml×3日。これでしびれも取れるでしょ。ちょっとハイになってうつうつも治るといいけど。

感覚をあらわす言葉

◆「しくしく」「ひりひり」そして、つま楊子

運動に障害はあまり出なかった。それはかなり幸いなことだったと思う。ただこのことは、別のやっかいさを招いた。「言葉で説明しないとわからない」つまりは自分以外にはだれもどんな症状があるのかがわからない、ということだ。脳に炎症が起こっていることは検査で確認できていても、それが本人の「感覚」にどういう影響を与えているかは、私自身にしかわからない。
 ドクターが聞く。「どんな感じなんですか?」私「左腕、左右の足にしくしくした感じが」「どのあたり?」「えーっと、今は左腿のあたりですけど。移動するんです」「移動するのがわかるんですか?」「いや、移動してるっていうか、気が付くと違うところに痛みがあるっていう感じかな」「ふううん…かなり痛みますか?」「いいえ。イタタタッって感じじゃなくて…しびれてるっていうか…」「え!?痛みじゃなくて痺れですか?」「あー、えーっと、なんていうか、しくしくする感じ…」「しくしく、痛むんですよね?」「痛むっていうかあ…あのー」…あははははは、とほほほ。なーんかあったまがどうかしちゃってる人との会話みたいでしょ。精神分裂病(じゃなかった統合失調症っていうんだっけ?)の人が自分にしか見えないものや聞こえない音を説明してるときの気持ちってこんな感じかなあ。「しくしく」「ひりひり」「ぴりぴり」「ちくちく」日本語って難しいなあ…。私の感じている「しくしく」と医師の「しくしく」とは違うと思うんだけど、どうやって比べたら良いんだろう。だいたい「痛む」っていう感覚も人によって違うよねえ。うーん…
 感覚を他人と比較することは難しいけれど、自分自身の体の部分ごとに比較することは可能だ。チェックにはいろいろな方法がある。反射を調べるハンマーの金属部分を手足にあてて、「これは冷たく感じますか?」とか「ここと、ここでは冷たさの感じ方に違いがありますか」などと聞かれることがある。振動させた音叉を当てて振動を感じなくなるまでの時間の違いを見るものもある。
ま、いろんなとこをいろんなもので触られたり、叩かれたりするんだけど、今回新人医師I君は胸ポケットから「つま楊枝」をとりだしては、毎回ツンツンやってくれた。「こことここでは感じ方が違いますか?」「こっちを10とするとこちらはいくつぐらいですか?」足先をツン、手首をツン、なーんか妙な気分だよね。いや、別にいいんだけどさあ、やっぱりつま楊枝はイヤだったなあ。なんか他の道具ないのか?アタシ、なんだか水羊羹になったような気分だったし。

病院で「テツガク」する

◆「生き方の問題だな」

 「再発を抑える薬がやっと認可されました。使うことをぜひお奨めしたい」外来での主治医A先生にこの3年間言われつづけてきた言葉。でも、私の返事は「いいえ、もう一人子供がほしいので」
多発性硬化症(MS)にははっきりした原因とそれに対する根本的な治療方法がいまだに確立されていない。急性期にステロイド剤で病巣の炎症を治めることで、症状を抑えることが主な対処方法であるにすぎない。そこで、寛解しては再発を繰り返すのが特徴のこの病気については、再発や更なる進行を抑えることを研究することで病気の困難度を下げようというアプローチが行われてきた。MS患者の多い欧米ではこうした再発予防の薬が何種類か使われているのだけれど、日本ではやっと3年前に1種類が認可されたところ。ま、簡単に言ってしまえば、「病気は治らないけど、発作の回数と程度が減るよ」「使わないでいるよりは入院の日数が減るし、障害の程度は軽くなるよ」っていう薬がやっと最近、日本でもつかえるようになったというところ。
 さて、その薬とはインターフェロン・ベータ1b(ベタフェロン)という。これが2日に一回「自分で」注射をするというもの。なので、始める気になったからといって「そうですか、じゃ」と処方してもらえるものではなく、自己注射の練習、そして注射に伴う副反応(発熱・頭痛など)に対処する意味もあって、1〜2週間の入院を必要とする。
 今回の入院でも、やはり勧められた。「残念だけど、この病気は100%悪くなる。あなたが、あと40年生きるとして…入院を何回か減らして、車椅子になるまでの時間をどのくらいか遅らせることができるっていうのは必要なことだと思うけどな」おおっ、A先生、厳しいけど、やっぱし説得力あります。グッときました。また、神経内科の別の先生はこうおっしゃいました。「これはもう、価値観とか、生き方の問題だよね」
 パルス治療をするうち、左側の痛みは消え、右の手のひらと足先にかすかな痺れをのこすだけになっていた。ぐるぐる、ぐちゃぐちゃと際限なく落ち込んでいる場合ではない。ひとつ、なにか覚悟を決めないといけないのかもしれない。幸いなことにというべきかどうか、パルスの影響でちょっとハイテンション。ちーっとも眠くならなくて、なんと54時間ほど起きつづけていたので、「哲学」しちゃう時間はたっぷりとれた。
現在の自分が割と健常な状態である(ように見える)だけに、将来起こりうる障害のために負担を負う(注射を使う)ことは、たとえば無駄な保険をかけるようなものなんじゃないかな、っていう気もする。あとは、厄除けのお守りにも似てないか?コトが起きた時にも「ああ、このお守りのおかげでこのくらい(のケガとか被害)ですんだんだ。だから持っててよかったんだ。」って自分の中で納得するための道具。その程度のものだとすれば、注射によってあきらめなければならなくなること(2人目の出産)や負担しなくてはならないこと(2日に1度の自己注射、定期の検診、副作用)のほうが、圧倒的に重くはないか。…とベタフェロン使用否定説。
一方で、使った場合のことも考える。みっきいがこれから生きていく人生に、親としての私はどういう状態を残してやるべきか、私を取り巻く人たちにできるだけ負担をかけずにいるためにはどうすべきか、なによりも私自身の人生がどんなものであることを望んでいるんだろうか…。限られた人生の中で、自分の意志で動けない時間がかなりのパーセンテージを占める可能性が高いというのなら、その時間をできる限り有効に過ごせるような努力はするべきではないのか。残念ながら、みっきいはこんな母親を持つ羽目になったけど、ヤツの人生だから勝手に何とかしてもらうしかないよね。だとすれば余計に、母親を必要とする間はくらいはできるだけ、そばにいて力を貸してあげられるようにしたほうがいいのかもしれない。…etc.etc.etcノ..
東京タワーの照明は朝4時半に消えるんだなーなんてこと(知ってた?)に気づくころには、注射を始めてみる気になっていた。面会にきてくれたダンナとも話す。みっきい番にきてくれているばあば達とも、入院延長にともなう日程変更の打ち合わせ。本当に、いろんな人たちに迷惑ばかりかけている。こういう「メイワク」なことが少しでも減るなら…、夜中じゅうずうううっと暗く思い悩む時間が少なくてすむなら…。
夕方、I先生に廊下で会った。「ベタフェロンはじめてみようと思います。よろしくお願いします」開始は7月1日ときまった。

おばあちゃんたち2

◆いろんな人生

 今回もいろんなおばあちゃん達とであいました。(「おばあちゃんたち1」はこちら)取りあえずタイトルだけ予告。「謎の2枚の掛布団」「小田原駅では誰が待っているのか」「本当に誰も気付きませんでしたか?」「だからあ、お風呂はさっき入ったてば」…うふふ、楽しそうでしょ。けっこう笑えて、でも考えさせられる話になります。もう少しまってね。(あ、念のために申し添えますが、実話を元にはしてますが、いろいろ混ざった話になってますからね!!うちのばあさんのことだろう!なーんて怒らないように。)

vol1.小田原駅で1時に

これはあるおじいさんのお話です。神経内科の入院患者の多くは「脳硬塞」とか「パーキンソン」とかのお年寄りです。ここでお話するAさんは親戚のパーティ会場で倒れてしまったという方なのですが…。意識は戻ったものの、半身麻痺の状態で、トイレも食事も介助なくてはできません。なので、昼間は病室ではなく、ナースステーションの近くで車椅子に座っていることになります。そんな彼はお昼ご飯の時間になるとどうにもそわそわし始めます。周りにいる患者さんや看護婦さんたちに尋ねるのです。「今、何時ですか?」「もうすぐ12時ですよ」「ああ、そうですか、困ったなあ」「どうしました?」「いや、1時に小田原の駅に行かないといかんのです」「おや、そりゃまたどうして」「…」それについては彼はけして答えてはくれません。そしてまた別の人を捕まえて尋ねます。「今何時ですか?1時に小田原の駅に…」

小田原駅には誰が待っているのでしょう?もちろん、彼の頭の中だけのことではありますけれど。毎日毎日気になり続けている程の大事な約束なのかな?仕事の関係の重要な人?もしかしたら、昔むかし、駆け落ちの約束をした彼女と会うはずだった時間が1時なのかも?はじめは笑って聞いていましたけれど、なんだかいろんなことを想像してしまって、ちょっと切ない気分にもなりました。気になって、気になって、どうしても1時に行かなくちゃいけないのに、でも、それが誰なのかは誰にも言えない…どんな思い出なのかな?いや、思い出にできないような大切な約束だったんだろうに。

彼の「脳」の中のその「気になること」は、医療スタッフにも家族にも取り除いてあげることはできないよね。

vol2.布団は何者によって動かされたか

4人部屋だけど、各部屋にトイレとシャワーがついてます。お年寄りは睡眠が浅い上に、大抵トイレが近いので、夜中に何度もザザーッというあの水音が聞こえることになります。薬や考え事のせいで(じつは後半はだんなが持ってきてくれたDVDを見るのに忙しくて)、夜更かしまくりだった私はなんとなく、おばあちゃんたちのトイレの回数を数えることになったりしていたわけですが。

(ごめん、続きはあとで)

ヤクやってます。ジコチューで。

◆せーのっ!

 ベタフェロンの副作用として代表的なのは「感冒性症候群」と「注射部位反応」がある。「感冒性症候群」は発熱や倦怠感など、要するに「風邪ひいたみたいな感じの症状」のこと。「注射部位反応」というのは注射のあとが赤くはれたり、しこりになったりすること。あとは、頭痛とか吐き気、不眠、うつなんかを訴える人もいるらしい。まあ、このあたりは体が慣れてくるにしたがって、治まるようだけど。少ないパーセンテージではあるけれど、肝機能の低下や白血球減少などが見られる場合もあるので、始めてしばらくはチェックを続ける、という説明を受けた。
 さて、7月1日。上記のような副作用が出ることを考えて、午後4時くらいにうちましょうってことになった。午前中は研修用ビデオを見る。で、午後に本番。初日は調剤・注射は看護婦さんがやってくれるのを、テキスト片手にじーっとながめる。調剤がちょこっとめんどくさそうかな。毎回2本の注射器と2つのバイアル(薬品の入ったビンです)と消毒用のペーパーがゴミになっていく(ちゃんと廃棄用の箱があって回収されるので大丈夫ですけど)のはなんだか複雑な気分だななんてぼんやり考えながら見てました。準備完了。お腹の左側をつまんでぷすっとね。はい、おしまい。なんとも簡単。
 で、やっぱり問題はその夜でした。熱は37.2度。たいした高熱ではないけれど、平熱の低いアタシとしてはちょっと苦しい。午後7時、なんだか全身に小刻みな震えがはしった。ぴりぴり、じんじん。これはちょっと怖かったな。おいおい、このまま、どうにかなっちゃうんじゃないんだろうねぇって。でも、これは割とすぐに治まった。9時になるころには頭痛が始まった。「我慢しないで」って言われてたので、ナースコール。レンドルミンをもらって、少し眠った。だけど、これで終わりじゃなかった。午前2時過ぎかな、きょーれつな吐き気で目がさめた。「吐き気止めの座薬です。自分でできます?」はい。…何とか眠りました。翌日もなんともだるくて、午前中はたらーっとベッドの上。午後には復活したけど。
 7月3日。2回目。初めてジコチュー(自己中心じゃなくて自己注射)します。テキストを覗きながら、はなはだ怪しい手つきで、何とか調剤。右手が利かないので、注射器の針のキャップをはずすとか、片手でピストンを押すっていうのがちょっとつらい作業なのよねー。あと、注射器から空気抜くのが一苦労。さて、出来上がり。今日はお腹の右側です。ちょこっとつまんで(こればかりはお腹のお肉に感謝!)せーのっ!刺すのは結構平気だけど、ピストンを10cmばかり片手で押し込むのがやりにくいのです。それに、ぷしゅーって体の中に薬が入っていく感じがしてちょっとイタイかな。
 夜。7時過ぎくらいからなんとなく右のあごの後ろが痛いような気がしてくる。リンパ腺?9時、やっぱり頭痛。薬をもらって眠る。今回は朝までぐっすり。翌日も特に体調の変化はない。この程度なら何とか乗り越えられそうだね。
 7月9日。1日おきの注射に体もどうにかなれてきた気がする。ナースが「午前中ですけどいいですか?」と道具を運んできた。10時半だった。ほかに検査の予定もないし、まあ、いいかあ。手順はマスターした。もうマニュアルを見る必要はない。ただ、妙に手馴れて、不潔にしたり不注意なミスをしたりしないようには気をつけながら…。
 いつもより、6時間早い注射だった。すると、面白いくらいに6時間ずれて頭痛が起こった。夕方5時には、薬をもらってベッドの上にいた。日常生活に戻ったら、時間差を考えて注射の時間を決めなくちゃ。注射の5〜6時間後に頭痛が起こるとすれば、みっきい寝かしてから、何時に注射すればいい…?。ああ、こういう実験的なことを体験してみるためにも、入院って必要だったんだ、と改めて納得。
 さてさて、これからどこにいくにも注射を持ち歩き、「ヤク」とともに生きる「ジコチュー」(何度もいうけど自己注射ですよ)女になります。ご希望とあれば(お時間が合えば、ですけど)お声をかけてください。技をお見せいたしますぜ。

さる山にもいってみて下さい(ゲストブックです)