四反田遺跡の標識

ここは平成2年(1990年)地元の中里小学校の小学生が発見しました。調査の結果,縄文時代の終わり頃から弥生時代にかけての遺跡だということがわかりました。道路ができたため,今では,その様子を見ることができません。
特に,弥生時代の大きな村のあとが,注目されました。地面を掘りくぼめた竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が21軒あり,直径は,3〜6mで,床は円形でした。この竪穴式住居と同じ形の住居が韓国南部にも見つかっており,大陸から弥生文化が伝わったことがわかります。むらは,東西80m,南北40mの楕円形で,そこから,住居か,貯蔵庫(ちょぞうこ)と思われる柱の跡や,甕棺(かめかん)【土でできたひつぎ】や,支石墓(しせきぼ)【巨大な石を石で支え,その下に甕棺などがある墓】まで見つかっています。
この四反田遺跡は,四つの時代に分けられます。
第1期は約2500年前の縄文時代の終わりの時期で,竪穴住居【地面を少し掘って床として,その上に屋根をかけた住居】が1軒あります。籾(もみ)の跡がある土器が出土し,すでにこの時期に稲作が行われていた可能性が高いです。
第2期は,弥生時代の前期後半になります。石棺墓(せっかんぼ)【石で囲んで作ったひつぎをお墓にした物。】と,支石墓が一つずつあります。
第3期は,弥生時代前期の終末で,前に述べたむらは,この時期です。
第4期は,約2100年前の,弥生時代中期のはじめです。水田と水路の跡が見つかりました。
そして遺跡は,相浦川の反乱で湿地に変化して,生活する場所がより高い場所へ移っていったようです。
また,土器・石器は数多く見つかっています。石斧(せきふ)【石でできたおの】や,石包丁(いしぼうちょう)【石でできた包丁】,石鏃(せきぞく)【石でできたやじり】が見つかっています。石包丁があることから,稲作があったことがわかりますし,石鏃が数多く見つかっていることから,狩猟が行われていたことと,武器として作られていたことがわかります。

甕棺(かめかん)
住居のあと
(たくさんの柱のあとがあります)

弥生式土器




<行き方> 大野から本山交差点右にあるガソリンスタンドの向かい側にある。MR鉄道本山駅から徒歩で10分ほど。今新しい道がある真下。