2007年 1月 6日
なんと一年記。去年2月からブログを始めてしまったので、そこを見ればよいのだが、まとまってはいないので、簡単に。
キングピン入手(1月)、ブログの開始(2月)、富山通い開始(6月)それに伴って体重上昇(スポーツクラブの回数減る)、精神的にも落ち着かない(自分も転勤かも・・・)、パンプキン手伝い&1km参加、オランダ(10月)ネットでの調べ物が楽しい、知財検定二級(11月はじめ)、ダイビングライセンス(11月終わり)、カヤックもなんだかんだで40回近くやっている(神沢や三浦泳ぎサポートも多いが)印象に残ったのはあまりない、強いて言えば5月の伊豆か?(波の高いところをキングピンで越えた)
けっこういろいろやっているのだが、全体的に気分が上向かない一年だった(HP更新もほとんどできていない)。でも事故や怪我などがなかったのはよかった。
2005年 11月 13日
今年は車の当たり年か? 下記 つっぺり掲示板のコピーです。昨日(11月12日)の夜のことでした。
雨のはずが、到着してみると晴れ。で
も水少なく、籠岩などはまったく下れそうもなく、その下のキャンプ場脇から出発。最初は岩に苦労、後の方はそうでもないが、波もあまり高くなく、片鱗をち
らと感じさせてくれたくらいか?ビール艦長(私のこと)はそれでも波遊びやカートホイールの練習など、悪魔の技系をしょうこりもなくやっていた。あとで手
痛いしっぺ返しがくるとも知らずに・・・
で、夜飛び入りのやすさんも交え、河原キャンプ、出発地のところのはずがキャンプ場の親父(昼間 はいなかった)からいちゃもんついたそうで、急遽移動。さらに上流の先回沈没隊合同バトルの出発点へ。河原へ入っていくが、もう暗くなって下がよく見えな
かった。前を走っていたコロコロさんが、車を止めた。左斜め前に適当そうなスペースがあるように見えたので、そこへ車を向けた。
と、ガタ ンと落ちて、ズズッと言う音がした。実は段差があって、落ちてしまったのだ。車の右前がわ下が完全に砂の上にめり込み、まったく動けなくなっていた。みん
なが集まってくれて、そして隊長のスコップで交代で砂を掘り出した。柔らかいので、比較的簡単に掘れるが、かなりの面積がめり込んでいるので、中々進まな
い。ある程度行ってから押す、バックしてみる等やるがまったく進展ない。さらに掘り進む。牽引ロープを買ってきて隊長の車で引き上げるか という意見も出
る(私はオロオロしているだけで何もできなかった)。そこでやすさんがあり合わせのロープ(おじじさんがもっていた)をうまいこと編み合わせ強化し、これ なら大丈夫かもとやすさんの車で引いてみる。バチッバチッといやな音がして切れてしまった。でも車への結び目だったので、そこもきっちり強くして再トラ
イ。ずん、成功!無事に引き上げられた。いや皆さん暗い中どうもありがとうございました。悪魔の技のやりすぎへのしっぺ返しという意見もありました(自分
で言ったのですが)。
あとはいつもの焚き火宴会、6人で小ぢんまりしてよかった。
今朝軽い朝食、焚き火後解散。車は下を覗いても 砂が付いているのが見えるだけで大丈夫そう。走っても特に何もなかった。帰りも4号バイパスから首都高へ。カーブをそこそこのスピードで曲がったとき、下
の方でザザッと軽い音がした。うん?軽い音だし、ここまで無事に走ってきているし、まあ大丈夫だろうけれどちと気になる。きついカーブのたびに同じような
音がする。感じは深刻さを感じない音なのだが、気になることは変わらない。首都高なのでパーキングなどほとんどなく、そのまま東名に入っていった。港北の
PAで確認してみると・・・・
車体の下は変わらない・・・、
よくよく調べたら、座席の下に柿ピーが落ちていた(朝 余りをもらっていた)。袋を動かすとザザッとまったく同じ音がする、なあんだ柿ピーの音か。ということで落着。
帰ってから念のためディーラーに持って行ってみると、ちょっとした問題はあった。
マフラーの遮熱板というものが曲がっていたことが判明。マフラーに触れそうになっていた(石が入りこんで触れてはいなかった)。手で簡単に直せるよう
な材質だそうで、その場で元に戻して(正確ではないが)完了。下は家についてから撮った写真です。ちと不自然に曲がっているのがわかるかと思います。
その他は擦り傷多数あれど、何も問題なしとのこと。
2005年 11月 6日
9月はじめに水泳1000m突破。以下掲示板9月10日のコピー。
(9月10日土曜)5月からスポーツクラブに行っている、海で泳ぐ人たちの影響が大きいのだが、クロール1000mが当面の目標だった。しかし200か300で息が苦しくな
り、まったく届きそうになかった。でも息が苦しくなった後、背泳ぎ(足だけ)で息を整え、平泳ぎなども交えて、とにかくほぼ休憩なし(ちょっと立ってし まったりはするのだが)で1000mを泳ぎとおすことはできるようになっていた。
で、その連続泳ぎの最後の方では、疲れてへろへろなクロールをするのだが、先日 最初からこのちんたらクロールで行けば、距離が稼げそうな気がした。そこで、木曜日トライしてみた。息が苦しくならない!500mを越えてもまだまだ行けそう、結局850mまで行ったところで、時間切れ(スポーツクラブ終
了)。まだまだ余裕あったので、きっとこれなら1000mまで行けるだろうと実感。
そして今日、御岳で漕いだのだが、じっくり時間が取れるのは土曜しかないので、疲れてはいたが、再トライに。木曜と同じくちんたらで行くと、500を越
え、850も越え、1000mまで行けてしまった。まだまだ行けそうだが、ちんたらでない泳ぎも少し交えるようにして1200mまで泳いで、やめにした (力が抜けてすいすい進む感じもした)。約55分くらい。まターンのときにじっくり息をしていたり、途中で足が底についてしまったり(ちんたらだと何故か
そうなる)するのだが、個人的にはけっこう感動的だ。
そして11月4日(金)パンプキンの1kmコース、沖ノ島往復にトライしてみた。
上記1000mを突破後、やはりパンプキンの沖ノ島(三浦海岸少し南の沖500mほどにある小島(大岩?))は気になる
存在でした。この週末、村長(コロコロ)さんが三浦滞在ということで、チャレンジしてみることに。プールでは1500mくらい泳いだりもするので、いける
かとは思ってもいた。
水温低いだろうから、ロングジョンを着て泳ごうとしたら、脇から水が入ってすごい抵抗とのこと、結局さらにその上にウェット地の服を着ました。
11月4日(金)午前9時35分スタート、底が見える最初のうちはまだいいのだが、だんだん見えなくなると、不安感が増す。さらに波に揺られるのも不安に
拍車をかける、島は全然近づかないし、泳ぎだしの息苦しさ(プールでも同じ)も相まって、三回くらい平泳ぎに切り替えてはクロールに戻す。なんでいきなり
沖に向かうのを選んだのだろう、最初の挑戦は岸に平行に泳ぐコースにするべきだったのではないか、などとも考える。でも疲れは感じないし、息の苦しさもな
くなってきたし、波をかぶって呼吸ができないこともない(もともとほとんど波はなかった)。そんなこんなで沖ノ島到達、50分と言っているようだが、よく わからない。帰りはコース修正こそ何度も入ったが、大したことなく戻ってこれた。所要30分とのこと、前日プールで出した最速記録と同じ、予想以上だ(壁
を蹴れない分40分くらいと思っていた)。
とりあえずの目標達成だし、来年の夏までには所要時間も減らせるだろうから、パンプキン1kmは挑戦してみようかと思う。でもそれ以上(2kmや3km以上の遠泳大会への参加)は控えておこうと思う。
だいたい基本はスイマーでなく、フリースタイルカヤッカーで頑張るつもりだったのだ。カートホイールを回すという、昨年秋からの目標事項が達成できていないし、そっちを少し頑張らねば。
2005年 8月 29日
6月はじめカナダ無事終了、5月からスポーツクラブに通って、泳ぎの距離を伸ばしたくも、連続では2,300mでアップアップ。その他はあまり書くべきことがないような・・・・・、カートも全然進展せず。
事故の件はチューリッヒ保険がきちんと対応してくれた。行 政&司法処分は何もなしで安心(相手方の怪我はほとんどなく、スクーターの損害のみ)。
2005年 5月 1日
カートホイールもどき(5/1大島にて)、動画(avi
file)です。
2005年 5月 1日
また半年記、次はカートホイールを目指すもなかなか進歩せず。
1月の松戸市長杯、2、3月の青梅カヌーマラソン、ウィンターカップなどレースに出ていることもあって、あんまり練習できていないこともある。本はちょぼちょぼ。昨年から遊んでもらっているbajaで聞いて(申し込み先もそこ)、5月末カナダ(デソレーションサウンド)に行くことにし、気分は盛り上がっている。でも4月頭にスクーターに車ぶつけてしまった。
[掲示板からコピー]
追突 投稿者: 田崎
投稿日: 4月 2日(土)22時42分17秒
スクーターにぶつけてしまいました。
カナダの前に海をきちんと漕いでおこうと三浦へ向かった。高速代節約で下道を選択、横浜のはずれ(朝比奈IC付近)のトンネルに入ったとき、少し混みだし た。半分超えたくらいか、完全にストップ、前の車に気を取られて、直前のスクーターに気付かなかった。あっとブレーキを踏んだが間に合わず、スクーターは 倒れ、人も落ちてしまった。トンネル中だが、車を寄せる。スクーターの人はとりあえず起きてきたが、怪我の様子はよくわからない。こちらはかなり動転して 119か110か、判断つかず。近くにいた工事か何かの誘導をしていた人が寄ってきて、とにかく119だと。トンネル中だが、電波は届くが、まわりの車の 音がうるさく、話がまったくできない。スクーターの人に電話が通じないのでと断って、外に出る。で、救急車(すぐ通じ、来てくれた)。警察にも電話、とこ ろがこちらはそのトンネルは一部鎌倉市なので、どちらかなのかと問うて来る。そんなものわかるわけはない。ま、とにかく手配するからということで電話を切 る。そのくらいでもう救急車は到着してくれた。
その後、警察は少し待たされる。最初に来たのは横浜の警察(金沢警察署)、ところが現場は鎌倉市だということで、免許番号等を書き取ったくらいで、鎌倉警 察署を待つ。で、現場検証等でかなり時間を取られた。ぶつける前にどのへんをどのくらいで走っていたかなど、聞かれてもよくわからない。だいたいこのくら いだろうということで検証終了、事故のあと一時間くらい経っていたと思う。それから人身事故だし、鎌倉警察署まで来てくれ、ついては被害者を病院に迎えに 行って、連れてきてくれとのこと。かなり気まずいことになるだろうが、仕方なし。怪我の具合も心配なので、病院へは行かねばと思っていたし。相手のスクー ターは鎌倉署へ持っていってくれた。一応エンジンはかかったようだ。こちらの車にはバンパーに黒い跡があり、そして中積みしていたカヤックがフロントグラ スにぶつかって、大きなひびが入っている(こちらは不必要なものを中に入れていた等で、保険が下りないかなどと、そのときは心配。結局後で、車両保険に 入っていなければ出ないと、ディーラーからいわれた)。
とにかくシーカヤックはキャンセル、保険会社にも電話をして(実際の交渉等は月曜以後ということだった)、病院へ(金沢区)。着いてすぐ携帯へ電話、ス クーターの人は奥さんと一緒に鎌倉へ向かうので、こちらは一人で来てくれと。結局、事故現場近くまで戻って、鎌倉へ、土曜午前中はかなり混んでいる。
調書を取られて(よく覚えていないが、こんなものだろうとした結果の追認)、業務上過失致傷とのこと。必要と判断されたら裁判所(検察?)から呼ばれ、行 政&司法処分を受けるらしい。どんなことになるのか、警察の人も答えられないとのこと。以前、50kmスピードオーバーのときと同じようになるのか、それ よりもっと大きいのか?
スクーターの人は少し後から来て、やはりいろいろ聞かれていた。朝方(後で聞くと出勤途上だったらしい)、スクーターから落とされ、こんな時間まで(昼近 かった)えらい迷惑をかけてしまった。でも怪我は腰打撲(一週間)とのことで、あまり大したことはないらしい。スクーターはちゃんと走ったが、割れ(後ろ 側カバー)、傷(ランプ)等があった。大丈夫だということで、スクーターに乗って帰っていった。体の被害はほとんどなく、物だけ(向こうの割れ&傷、こち らのフロントガラス)でまあよかった。
こちらも鎌倉の混んだ道を注意しつつ走り、帰宅(途中、遅めの昼食)。えらい疲れた。
2004年 11月28日(日)
ほとんど半年記だ。あまり大きなことはない半年だったけれど、バウステは5月に完成、はまると一分以上止まれる。7月上旬くだらん理由で富山駐在、6月にじますカップ挑戦、特別賞受賞、7月城ヶ島遠泳サポート、今年はきちんと泳者についたら、なんと3位に入賞した。9月犀川は例年通り、他に長瀞練習もした。10月頭、家族で北海道へ、レンタカー付きツアーだが、天気もよく、車も走らせやすいし、大変よかった。月末ファンの集い、11月は特に遠出なし、土日に少し仕事を持ち帰っている。静水練習が圧倒的だが、春先のような勢いはない。海に出たり(泳ぐ村長さん絡みで5月、7月、10月と3回)、富山にいたり(6月末から7月中旬)、青梅あたりを下ったり(7月末、8月末、この23(祝))、風邪気味だったり(10月からずっと引っ張る)、いろいろだ。横刺し練習中だが、なかなかうまく行かない。あとは台風後に増水した神沢が印象的だった。
本関係、3月に借りた”今、あいに行きます”、夏に読んだ”川の名前”、ネットで見ただけだが10月の”電車男”、11月に入ってからの”自転車少年記”が印象的、とあるYahoo掲示板で教えられたファンタジーの原書"The
Golden Compass"も読み始めた。
2004年 4月15日(木)
またまたすごい時間があいているので、昨年後半からのことを書いておく。10月始めに装置壊してろくなことなし(春に怪我したのと同じ装置)。でも夏には秋元湖で蛍ツアーに参加し、9月犀川(星空映画会つき)、長瀞、10月気田川、愛鷹山、鬼怒川、11月転覆隊ファンの集い&ゴミ拾いツアー、御岳
12月つっぺり忘年会(シュラフ買った)、その他相模川、丹沢湖などけっこうアウトドアしていた。
年が明けて松戸市長杯(惨敗)、そして中古のEZを入手してbaja系の人たちと神沢で練習が多い。今日現在、3秒くらい止まれる。その他 毎年恒例になりつつある子供たちの相手も。また3・6那珂川、3・20御岳(baja送別会)、4・3相模川花見、それ以外も相模川練習が多く、2月最終以降ほとんどの週末に水の上に出ている。その他 去年秋に丸美屋が麻辣火鍋の素を出してから、火鍋師となっている。中華街で本場モノ購入や先週に出かけた北京での購入もしている(水煮魚という一種の火鍋のようなものも入手)。
2003年 6月29日(日)
今年前半の個人的一大イベント某WV部 OB会が終了した。東京で140人集めた大パーティ、同期で動ける6人の共同幹事だったが、イベント担当ということでクイズをやった(アイデアも人からだし、問題は皆で考えて、しかも最終出題パワーポイントも人任せだったが)。4月から幹事団で何回か集まり、いろいろ打ち合わせし、メールでやり取りを繰り返し、無事完了。いつも使っていた会場が昨日で閉鎖ということがあったためか、集まりはよかった。クイズがきちんとできるか、赤字が出ないか等心配ではあったが、何の問題もなく終了した。来年は会場探しからだが、それは次代の幹事にお任せだ。
眼もほとんどいいし、水を入れてしまうロール練習なども再開している。今日も御岳で少し漕いできたし、先週は九十九里でカヤックサーフィン、これは波に乗ったときの加速感がなんともたまらない。
2003年 5月25日(日)
昨日、今日でつっぺり那珂川ツアー、これは別途きちんと報告されると思うが、怪我した眼が気になって楽しみは一つ減(瀬のたびにゴーグルつけて面倒、ロールも久々挑戦したら、全然できない)。夜の宴会は相変わらず素晴らしかった。
で怪我ですが、直後に自分で掲示板に書いていることを引用しておきます。その後、月曜に抜糸していますが、右目だけだと少しぼやける状態が続いています(徐々によくはなっている)。そしてなにより何か(水等)入れてしまうことが怖いです(医者によればもういいのですが)。
(4.24(木)記:事故当日)針金を外そうとして、眼球にはねてきて傷をつけてしまいました。右眼が真っ赤、眼科に行って結膜(白目のところ)を一針縫いました。痛いけど、4,5日くらい我慢すればよいとのこと。雑菌入れるなと言われたから、しばらくカヌーはお休みです。眼球を縫って、糸が入ったままというのはろくでもない経験です。もう少し落ち着いてやっていれば(いろいろ急かされていた)、保護メガネさえしていればと思いますが、これこそ後の祭り。おかげさまで珍しく人並みの時間に帰ってこれました。
傷は結膜だけでなく、角膜(黒目のところ)にも入っているとのこと。ただきれいな傷だから、感染さえ起こさなければ、何の後遺症も残らないだろうと言われたのも救い。今はとにかく痛いし、左目だけの生活も不便(これは明日くらいから両目でも平気と言われた)だけど、しばらく自重します。(仕事もそうしたいけど・・・・)安全対策等でうるさく言われるのも、いやです。
(4.25(金)記)とにかく糸が一本眼の中に入ったままなので、すごい違和感あるし、眼の向きや動き方でいたいのです。まったくろくでもない状況です。縫ったときより、その後の痛みと違和感のほうがずっといやです。皆さんも目になにか入りそうなときはめがねをかけるなりしてご注意を。今回も急ぎの資料書きがあるところに、サンプル提出急ぎなどという話が舞い込んできて、とにかく両方やれといわれ、あわてていたことも原因の一つだと思います。ここ2,3ヶ月ずっとそんな状況ですが、今日、一人の人から(もちろん上司ではない)”天の声が休めと言っている”との言葉をもらいました。それは確かにそうかもしれない、なぜならこれまで同じ針金固定は何回かやっていてはねてきたことはないし、はねてきたとしてもちょうど眼球にくるのはそれほど高い確率ではないでしょうから。
2003年 4月6日(日)
花見のカヌー、相模川天気よく桜が咲いたカヌーをしてきた。川はよかったのだが、終ったあと火鍋屋にいったら、中国のものと随分味が違いがっかり(味が薄い、辛さもコクも足りない)。左が今日ので、右が某サイトで見つけた中国のもの、色が全然違うのがわかると思う。
2003年 2月23日(日)
いろいろ忙しくて、PCを構えない日々が続いているが、新PCのてんまつだけ書き足しておく。
年賀状は結局、古いPCを起動させて作った。データは外付けMOを借りてきてそれで移した。そして画像処理ソフトも一緒に移したら、WinXPでも使えたので、それを使うことにした。
カヌーは全然できす、スキーに一回行っただけである。
2002年 12月23日(月)
PC買替え、4年半使ったK6-233Aptiva(Win98,64Mメモリ、2GHDD、CD-ROMのみ)からhpのP4
2GEvo(WinXP,512Mメモリ、40GHDD,CD-RW:ロゴはコンパックのままだった)に替えた。また最低3年以上使うことを目標にあまり遅くないCPU,標準の2倍のメモリ、その他そこそこ(外付けできる装置は欲張らず後回し)で安く、信頼できそうなところということでhpのネットストアから購入(Dellより安かった)。スリムタワーにしたこと、液晶ディスプレイ(三星のをヨドバシで貯まったポイントで安くして購入)にしたことで占有場所はずいぶん少なくなった。価格もMSオフィスPersonalあわせて17万円ほど(税別)、Aptivaが20万を軽く上回っていたことを考えるとずいぶん安くなったものだ。ここ一年半くらいはそろそろ買替えようかと思いつつ、カヤック買ったり、家のために使ってしまったりでお金がなかったのだ(今回もPC本体は分割払いにした、hpのネットストアの金利1%が嬉しい)。
設定は割りと簡単だった。気になっていたのはWinXPにするので、ケーブルTVインターネットがそのまま使えるかどうかだったが、あらかじめ問い合わせたところによるとただ差し替えるだけらしい。実際PCが来てからやってみたらその通りだった。後はこれまでと同じくIEを使わず、NSでやっていくつもりなので、雑誌付録のCD-ROMを探しにいったら、ネットスケープがついてるのは随分少なかった(これではシェアを失うはずだ、シェアがなくなったから入手ルートが減っているのかもしれないが)。でそのへんのインストールもまったく問題なし。つっぺり隊隊長のページなど一瞬で開くことができ、速さを実感。つっぺり隊掲示板など表示がおかしくなっていたところもきちんと見える。某カヌー仲間の動画が相変わらずすぐ見ることができない(IEでやっても駄目)、隊長のところの音楽が聞こえないなどの問題もあるが、とにかく十分以上のPC環境アップになった。これは古いのを我慢して使っていたために感じられたことだと思う。プリンター、スキャナーは使い続けるつもりなので、それらのドライバーもインストールする。スキャナー(キャノン)はネットから、プリンターはPC中に入っていたので簡単、装置を試してみると何故かプリントできなく、いろいろやってみる。結局一時あきらめて放っておいたらいつの間にか印刷できるようになっていた。
古いPCのデータを移すべくスマートメディアの差し替えなどやっている、別のうまい方法があれば試してみたい。それからCD-RやCD-RWがやっと使える状況になったので、音楽CD作り(feelを一部コピーしてみた)や写真入り保存用CD試作などもやっている。上に書いたような買い方をしているので、ソフトがほとんど入っていない、画像をいじるソフト(大きさ変更、トリミングなどできればよい)をどこかで入手しないといけない(窓の杜に一つめどをつけているが)。あと時期的に年賀状作成ソフトだが、これは買うしかないのかな?これまでの住所録をどう使えるようにするかが問題、どうせ大した枚数ではないし、いざとなれば古いPCで作ればいいやといいかげんに考えている(最終週なのに明日からもけっこう忙しいので、調べつつ新しいことをやる余裕はないかもしれない)。
驚いたことは中を見たときのCPUのヒートシンクの大きさ、CDを演奏させたりすると冷却ファンの音が気になる。このところよく聞いているfeelはHDDに落としてそこから聞いている(そんなことが簡単にできるのも驚き)。時代の流れに驚き、喜びながら年末年始をすごすことができそうだ。
2002年 12月8日(日)
またすごく記述が開いてしまった。昨日長瀞に漕ぎだし、これで漕ぎ納めになると思う。この秋は犀川連続(9月の二つの連休)、ビーパル収穫際、10月三連休の気田川、転覆隊ファンの集い(10月最終週)、11月中旬北京、11月23,24の那珂川、御岳はしご、昨日の長瀞が主な遠出(その他11月三連休中の下り含め相模川がいくつかあり)で、春先ほどの連続パワーはない。ロールも今一つのまま、どこかで気合を入れて練習しないと。やはり10月に部署を異動したのが少し効いている。
HP更新も進まなくなってしまったし、いろいろやらねばならぬことが多々ある。・・・・・・
2002年 8月13日(月)
今年前半はあまり印象的な本がなかったが、昨日今日没頭した 白川道 ”天国への階段” はとてもよかった。簡単に言えば現代版”金色夜叉”だが、この作者は裏のある人物を書かせるとえらく冴えている。とにかく久しぶり(”ヴァーチャルガール”以来かな)に別世界にいってしまう感触を味わえた。
ここの記述、また2ヶ月近くあいているが、やはりプリヨンカップくらいしか遠出していない、少し疲れ気味でしかもロール確率がすごい落ちてしまっている。先週相模川で練習したら、静水でも2,3割しか上がらない。困ったものだ。プリヨンカップは頑張ったつもりだが、結局沈脱して失格、近いうちにもう少しきちんと報告する予定。
2002年 6月23日(日)
カヌーシーケンスの終り:3月16、17の那珂川以来、21、24相模川、31長瀞、4月6、12,14相模川、21鬼怒川、28内房、5月6、11,12相模川、19御岳、25那珂川(つっぺり隊)、6月2鬼怒川、一週休み、16西伊豆、22、23魚野川と約3ヶ月に渡って、ほとんどの週末をフネに乗ってすごしたが、来週以降はしばらく空いてしまう(比較的明白なのは7月21プリヨンカップ)。流水ロールも半分以上できるし、御岳クラスの厳しいところでもなければ、ほぼこなせる(沈しないで漕げるというだけだが)自信はできた。去年に比べれば格段の進歩だ。
今週末の魚野川も雨に降られたが、流れがかなりあり楽しかった。夜の料理もやたら豪華(まぐろかま、てんぷら、チキン隊チキン(特製鶏丸塩竃)、仙台直送牛タン、ローストビーフ)。先週と明日の仕事の瀬がきついが行って良かった。
2002年 5月5日(日)
GW前にモビリオ納車された(田舎家ページに写真あり)、連休中家のまわり、会社への往復、新潟田舎家へ往復、900km弱走っている。長さ、幅小さいのに中は広く(カヌーと自転車が同時に積みこめる)、燃費もいい(遠乗り、14.5km/l)、新潟の山道もきっちり走ってくれた。カーナビ等の支払いで4,5月の生活費はきつきつ、予算考え、出費を抑え暮らしている。カヌーは長瀞(3/31)鬼怒川(4/21)と激流出撃、けっこう流水ロール成功した。これでかなり自信がついた。4/12には相模川で ビレッジ若あゆ(市の小中学生研修施設)の人達と出会っている。
長瀞、鬼怒川と田舎家は別ページ参照。
2002年 3月23日(土)
ハワイの記憶も遠くなりつつ今日この頃、クレジットカードの請求がやってきた。記憶していたのより1.5倍ほどで、うっと唸ってしまった。土産等に使った分を把握してなかった。実は新車でホンダのモビリオを購入予定であり、記憶分の払いを見こんで資金計画を立てていたので、ちと辛い、どうしたものか・・・・?
川は先週の那珂川で始動した。しかしロールがほとんどできなかったので、木曜(春分の日)に相模川へ出かけた。なんとかできるけど、水温低く、あまりやる気が起きない、セミドライ等買うにも上記購入のため、今年は出費絞ろうとしているので、金が出ない。でも流れの中で沈してしまったときにすいっと起きられたので、良しとしよう。
夜ある程度食べているので、あんまり体重が落ちない、でもベースが1kgくらい変わったかな。もう2kg頑張らないと。今日はプールにでも行こうと思う。その後は歯医者、左下を再治療する(このところ噛むと痛い)。
2002年 2月11日(月)
新年会も過ぎたが、全然減らすことができない(グラフは更新)。泳いだり走ったりはしているが、食べる量も増えてしまっている。さらに明日から家族でハワイ行き、どうなることやら。体重より無事旅行を終えられるか(英語のコミニュケーションや子供達の体調、そして久しぶりにうまくやれるか)が気がかり。とにかく三連休でゆっくり準備し、一月の本も載せ、部屋も少しだけ片付けなんとか旅立てる状況になった。日曜には帰ってくるので一瞬ですぎてしまうとは思うが、楽しんで来たい。自分の好みはホエールウォッチングを入れておいた、何とかみることができればいいのだけど。
2002年 1月20日(日)
年明けも新年会などあり、夕食をとらないときつい身体に戻ってしまったのでダイエットは完全に横ばい。
先週はワンゲル同期会、美ヶ原王が頭ホテルに宿泊した。雪山はやらなかった自分にとっては冬に2000mで泊まるのは初めてだ。夕焼け、星空、夜明けそして雪面歩きと雪山の雰囲気堪能した。ここの写真はインフォシークのフォトアルバムに入れている。そして今週も車山でスキー、前週に泊まった宿が遠くに見えるところで滑ってきた。寒かったが、こちらも景色最高。下に穂高の写真と八ヶ岳バックの人物写真を載せる。コースすぐ脇に枯草が見えるのが人工雪スキー場らしい。
2001年 12月31日(月)
痛風とカヤックに象徴されるばたばたの一年が終った。休み三日目にしてHP更新を少しやることができた。1日目はワンゲル仲間との忘年会(月島もんじゃ、随分食べてしまった)、二日目は実家で餅つき(上のログハウス餅つきにおまけとして写真つけているが、小さな臼と杵だ)。今日も運動のためと思って川に出てきた。Hiffアンダーシャツは水の上にいる限りは十分温かい、そして相模川はずいぶん綺麗だったし、本流の瀬が遊ぶのにちょうどいいくらいの波が立っていた。サーフィンもどきができたし、やっぱり上達したのかな?最後にロール練習したら、やたらできが悪かった、2/5回くらい、寒いせいか腕が落ちたのか?
更新したのは11月の本と転覆隊忘年会、あと体重グラフ。
2001年 12月22日(土)
木曜に転覆隊の公開忘年会に参加した、皆芸達者だなと感心した。沈没隊を従えた雄たけびブラザーズや転覆隊ビデオなど素晴らしかった。会議の瀬を越えて、終電にぎりぎりまで粘って参加した甲斐以上は絶対あった。生の転覆隊や野田知佑、山崎まゆみといったビーパルの連載陣にあえたのもよかった。量は食べれなかったが、美食の夕べだったので一時的に体重増えたが、また戻している。今回も含めて12月の忘年会シーズンもなんとか乗りきれそうである。というわけで今日までの体重はここ。
2001年 11月25日(日)
金曜(祝日)は城ヶ島でシーカヤック、土日は奥三河田舎暮らしのひろくんを訪ねると、充実の連休だった。奥三河の天気は最高、伝統の花祭りの展示、紅葉、ししなべなど楽しむことができた。下は家の前の集合写真、朝手すりにできていた霜、最後にお店で食べたししなべに付いてきたあまごの刺身。スウェーデンハウス、プリさんの手料理も最高。
2001年 11月19日(月)
先週末肉体労働だったので、かなり減った。しかし土曜はロール練習(流水でトライ、成功!)&プールで運動したにもかかわらず、日曜朝には増えていた。昨日の日曜は駅一つ歩いたけれど、今朝も体重増。昨日のプールはまた泳ぎ&歩きだったが先週より慣れたのだろう、50mでの辛さも減ったし、合計では1500くらい動き、終ったときもそんなにきつくなかった。というわけで今日までの体重はここ。
昨日からSuicaが使えるようになった。早速試してみたが、定期での乗り越しは便利。カード自体プラスチックで固く、香港のオクトパスカードよりしっかりしている。
2001年 11月11日(日)
油断して飲み、食べてしまい増えた体重をなんとか落としている。昨日プールでひたすら泳いで(少し歩いて)きた。続けては50m泳ぐのがやっとである。合わせて500か600m動いたと思うが、終ったらへろへろだった。というわけで今日までの体重はここ。
昨日は本を12冊(仕事の本含む)入手し幸せな気分であった。新刊購入はコリン・パウエル”マイ・アメリカン・ジャーニー 少年・軍人時代編”
池澤夏樹”南の島のティオ” A.J.クィネル”トレイル・オブ・ティアズ”の3冊。今日は宿直で出社だが、仕事少し、本も少しですごすことができる。
そういえば痛風と診断されてちょうど2ヶ月だ。痛みはこのところまったく出ていない。
2001年 11月5日(月)
どうもちょっと風邪気味だ。そのため、この土日は特に予定もなく、日曜は天気良かったにもかかわらず、川へ行くのを止めておいた。そしてHP更新を図ったが、9月分の本を載せただけになってしまった。10月中旬のつっぺりオフなど書こうと思っていたけど、そこまで届かず。そう言えば先週怪しいメールが3通届いたので、念のためウィルスソフトを購入、確認したところ感染無しだった。ついでにデフラグしたらやたらに時間がかかった。
2週間くらい体重が横ばい(半ば意識的であったが)で、もう減らないかと少し不安に思っていたが、土曜朝ポンと減っていた。そこでピザ等ダイエットに悪そうなものに手を出してみたが、それほど影響されずに体重あまり変化無し。一安心。
2001年 10月29日(月)
土日の沈没隊宴会は楽しかった。そのことはどこかに出ると思うので、ここには書きませんが、美味しいものを沢山食べてもあまり体重増えなかった。よろこばしいことです。
10月24日(水)
痛風以降のダイエットの経緯をグラフにしました。掲示板の賭けが終了してしまったので、リバウンドさせないために皆に公表しておこうという考えからです。月2.5減くらいで、最終的には10kg減を狙いたい。こちらに載せてます(体重減のグラフ)。
2001年 9月30日(日)
それは台風が接近してきた9月9日(日)の夜だった。なんだか左足の足首が痛く、どこかで知らないうちに捻ったのかと思った。例によってその前日もロール練習をしていたし(ちなみにトイチ;10回に1回 くらいで上がれた)。でもその夜は大したことなく寝てしまった。翌月曜の朝、まだ痛い、ちょっとだけ足を引きずりながら出勤した。昼から夕方にかけてどんどん痛みが増してきた。けれど立ち仕事でかなり足も酷使したので、それで悪化させたのかと思っていた。とにかく帰る頃にはほとんど体重も載せられず、歩く距離を減らすため、少しタクシーも使って大雨の中なんとか帰宅した。夜はよく眠れず、とにかく朝になって病院にいけるのを待っていた。このときまでは骨にひびでも入ったのかと思っていた。台風直撃の中、自宅には車がないし、タクシー呼ぶほどの距離じゃないし(歩いても5分くらい)、片足漕ぎの自転車でなんとか病院に行った。
一度こけてしまって大変な思いをし、そうでなくても傘がほとんど役に立たずびしょ濡れで大変だった。初体験の車椅子に乗せられて診察され、痛めた記憶はないけどすごく痛いと言ったら、一言”痛風じゃないの”。確かにずっと尿酸値は高かったし、言われてみれば思い当たるところある。いろいろ検査の結果、やはり痛風だと診断された。薬を処方してもらい、これも初体験の松葉杖を借りて帰ってきた。とにかくもらった痛み止めを飲み、尿酸を下げる薬を使ったら、だんだんとよくなっていった。だけど月曜午後から火曜夕方まではほとんどまともに歩くことができずとてもつらい思いをしたし、その後2日ほど松葉杖ついていた。痛風と診断された日の夜にはアメリカのテロのニュースも飛びこんできたし、大変な数日間だった。
13(木)くらいからは少し違和感あるくらいに復活し、週末の土日には伊豆へシーカヤックにでかけたりもした。足もけっこう圧迫する姿勢で乗るので無理はできなかったが、漕ぐくらいは大丈夫だった。その次の3連休(22、23、24土日月)はまた痛みがぶり返し、歩くのに苦労したが、この週末はほとんど平気。昨日(29 土)はひさびさ相模川へ行き、ロール練習復活させた。足にも負担がかかるのだけど、ちょっと痛みが来るくらいだった。ロールそのものも、構えていけば相当の確率(半分以上)で上がれるようになった。さらにこれを機にダイエット開始している、掲示板でのアドバイス、3kg減らすという賭けなどあって、1.5kgくらい体重減少している。いろいろあわせ、とりあえず今はいい気分である。尿酸減らす薬は当分飲みつづけることになりそうだけど。
2001年 6月24日(日)
ポリ艇にはまり、なんとかロールをと相模川に通ってもがき続けている。なんとかたまに成功するようになった。そのせいか先週の富士川は波きつかったにもかかわらず、割りと乗り切れた。最後に轟沈しているが。写真は下記、梅雨の晴れ間である。3枚目写真の先で轟沈。
仕事もはまってやる気がわかないこともあり、更新、読書量とも不調である。今日ひさびさに奥利根湖を少し足すことができた。
2001年 4月22日(日)
またまた間が開いている。カヌーのところに少し載せているがつっぺり隊副隊長からポリ艇を借用、二回川下りした(7,8那珂川 14,15気田川)。なかなかうまく操れない。そして岩田隊長の元につっぺり隊が結成されたのだ。
昨日はカナダ好きな人達とのオフ会だった。行き先は川崎のセメント通り焼肉屋、美味しかった。そして二次会は高層ビルの上の”北海道”という店に行った。前週がきつかったので、あまり飲めなかった。下に川崎の夜景を載せる、けっこう綺麗なものだ。GWは香港へ行く予定だが、比べたらどうだろう?
2001年 3月11日(土)
2ヶ月も間があいてしまった。本編に少し書いているが、一月北京、二月田舎家とちょろちょろとは出かけている。でもなんとなく今一つの気分ではある。
先週はログハウス泊まりで、クロカンスキーをして来た。林の中をすっすっと進む感じは、ゲレンデとはまた違った感じがある。坂だとコントロールできず、転ぶしか止まる手段がないのもまたよし(もちろん平らなところでスピードが落ちるのを待ってもよい)。ひさびさに沢山転んだ気がする。雪の中のログハウスにはリスなども訪れ、雰囲気よかった。
2001.1月3日
21世紀になったが、一人でいるのではめでたくもなんともない。すぐ近くの実家に妹、弟も集まったので、そのときは少し違ったが。
年末全然片付けも更新も出来なかったが、年明けからすこしずつできている。少しは前向きに生きられるか?
当然のように初日の出など見ていないが、初日の入りは偶然見ることができた。年末ついにデジカメを買った(宮ヶ瀬湖の写真ないのが悔しかった)のだが、元旦に試し撮りに近所の川に出かけたらちょうど日が沈むところだったのだ。
12月も今一つ体調が冴えなかった。ログハウス餅つきまでにほぼ復調していたが、でかけたらまた少しおかしくなった。そんなわけで今一つ楽しめきれなかったが、でも今日写真をUPしてみるといいことしか覚えていない。美味しく、楽しかった記憶があるのでよしとしよう。
2000年 12月3日(日)
11月は風邪で死んでいた。おまけにまたまた仕事トラブルでいい加減いやになった。一ヶ月ほとんど風邪が抜けない(最後の方に一日休めただけで、一番きつい上旬は夜中まで仕事していたでいか、まだおかしい)、しかも下旬になって医者に行ったら、溶血性連鎖球菌というのに咽喉をやられていることが判明、ろくなことがない。おかげで気田川カヌーは中止、それでもワンゲル同期の下部温泉やバイエルンカヌークラブの宮ヶ瀬湖(Canoeのところにアップした通り)には出掛けた。風邪で家に引きこもっていた上旬の週末にスターウォーズのエピソード1やタイタニックをビデオでやっと見た、タイタニックの作りの良さに感心!
本も新刊を4冊も買ってしまうなど、通常にない行動をしている。部屋はさらにどんどん汚れている、郵便物もほとんど開けずに放り出すだけなので、携帯電話を2,3日止められた(実害なし)、さらにクレジットカードも止められていることが判明、こちらは一ヶ月近くに渡りそうでそれなりの実害はある(無駄使いできなくなるので、いいことかもしれないが)。それにしても日本信販は郵便だけでなく、電話等でもきっちり通告して欲しかった。
カナダオフと同じ店で焚き火MLのオフをしようとしたが、出来そうもない。東京近辺の人達はどうしているのだろう??マンボウさんに那珂川で言われたことが気になってしまう。
2000年 10月22日(日)
告知も何もしなかったが、土曜カナダのオフの幹事をした。トロントから来られている方が帰る前に一度お会いしたく、少し強引に企画した。しかし盛況のうちに終ることができて一安心。渋谷で中華、味はそこそこか?日本風アレンジが効きすぎている気もしたが。
日曜、焚き火MLの仲間一人に誘われ宮ヶ瀬湖でカヌー。集まりがいいだろうということで、焚き火でなくバイエルンカヌークラブへ呼びかけたら、10人も集まってくれた。天気があまりよくなかったが、始めてのところを漕ぐのは気持ちいい。紅葉シーズンに行けばもっとよさそうだ(寒いかな?)。
でそんなことをHPに載せていたので、部屋は汚いままだ。
2000年 9月17日(日)
先回近況後またあんまりできなかったが、今日また少し更新。この5日はいろいろ大変だった。8月の上の子に続いて下の子(男)と妻が来たが、天候のせいやら何やらでいろいろあった。
1、水曜出迎えのため、休んで夜行列車で関西(奈良県の端)での打ち合わせに行く予定が、名古屋出水の関係で運休(新幹線が止まりまくったのは火曜なので、水曜夜は安心していたら駄目だった)、夜になってから知ったので、慌てていろいろ調べ、結局夜行バスで奈良へ行った。打ち合わせ中眠かった。
2、土曜弟の結婚式だったので、妻子が来たのだが、結婚式対応や上記出張等で、ほとんど遊び相手になっていなく心残り。次はいつになるやら??ただ下の子との意志疎通もまあまあだったのは一安心。
3、空港送迎や結婚式への出席のための運転(これまた豪雨の中)をして、ほとんど運転手だった。
仕事はダブルで大変!片方はやめてしまいたのだけど、奈良での打ち合わせでどんどん進めることになりそう。ああいやだ。
2000年 8月20日(日)
別居中の家族のうち上の娘だけやって来て、昨日の朝まで一週間ほど滞在していた。あうのは1年ぶりなので、七夕みたいなものだ。自分でいろいろなことができるようになっているのに、少し驚く。そしてディズニーランド、近くの川のカヌーなど連れていった。うまく行けば来年合流だが、きちんと行くものかいろいろ不安でもある。しかし取りあえず、一週間で一日しか出社しなかったので、楽しい休みではあった。これで次は半年後くらいか?あまり考えず生き抜いていこう。
そんなわけで今月の読書量はぐんと減ると思う。また部屋もまだ綺麗なままなので、大幅(私にしては)更新した。カナダ3日分と中国を一報、実はちびくろさんぼさんの掲示板書きこみにつられてカヌーを一報と思ったのだが、その写真が見当たらず、ちょうど写真が出てきた中国の結婚式にした。
明日から出社してテンションを保てるかどうかは??どうもこのところ外しが多いし・・・
2000年 8月6日(日)
事情により掃除した。少し片付いたが、あんまりすっきりしない。労力はほとんどかけていないのだが、やる気を引き起こすまでに随分気持ちを持ち上げないとならなくて、なんとか始めてもすぐ萎えてしまう。結局こんな気分でやるんだったら、やらんでもいいとも思う。でもやらないと今度は自分にプレッシャーがかかってしまうし。
5,6月の仕事へろへろの後、7月はあんまりまともにやっていない。こう言う時こそへろへろの状態をきちっとまとめて今後の対応を楽にすべきなのだが、上の掃除のやる気と一緒で気力をほとんど奮い立たせられない。5月からの気持ちの落ち込みはわずかづつしか改善されていかない。
先週ですが、本リストを公表しました。ほとんど自分のために作ったようなもの(ある作者のある作品を読んだかどうか調べられるようにしたのです)で、ぜったい不可能だが本当は自分が読んだ本すべてのリストが欲しい。そうすれば既に読んだ本を借りる、買うことがなくなるから。
2000年 7月15日(土)
関野吉晴の講演会を聞きに言った。会場の東京オペラシティはいろいろなものが入っていてどこでやるのか良くわからなかった。しかし英国風パブなどレストランや飲み屋は面白いのが入っている。先週の土曜に新橋で大学の友達と飲んだのが、半年振りくらいの東京だから、続くのは珍しい。終ったあと新宿まで15分ほど歩いて、パソコンショップなどこれも久しぶりにのぞく。さすがに今の私のPCは時代遅れだ(K6-233のAptiva)。でもネットに支障がないからまだまだ使えるだろう。
2000年 7月6日(木)
休出した振替で休んだ。会社の近くをうろうろしてきた。人が仕事しているときに遊んでいるのはいい気分である。図書館でいろいろ借りてくる。椎名誠推薦の”透明人間の告白”など。本屋を覗き、環境ホルモンなどのまじめな本を見て回る。
久しぶりにTVでニュースを見た。牛乳工場は化学工場に似ているなと思う(雪印のニュースを見て)。
2000年 6月25日(日)
6月も相変わらずへろへろ、でも元から予定したアウトドアに行かざるを得なかった5月に比べると、休みはとにかく休んでいた(2回休出したが)し、個人的落ち込みには慣れたせいか少し楽だ。家の荷物が補充され(義妹にもらった)、それに伴って少しは整理された。荷物運搬時は2トンのトラックを運転した。始めてだったが、階段を上げられなかったベッドのマットを外から紐で引っ張り上げたことなど、良い経験だ。
夜中帰宅と休日は閉じこもり、またはほぼ一日外出が続いているので、まわりの人とはほとんど会わない。気楽に過ごせてよいことである。
2000年 6月10日(土)
5月はへろへろな月だった。5日の那珂川下見、13,14日焚き火MLカヌーオフ、27,28日カヌークラブ伊豆シーカヤックなどもあったが、仕事上のトラブル、それとは別のコロラドの会社への英語でのプレゼン、なんてのがあってネット接続しても読むだけの時(接続しないときもあり)が多かった。とにかく帰りがえらく遅かった。6月にアメリカ出張が入るかと思いきや、別の人に取られてしまった、うーむ・・・。給料体系も変わってローンが来年以降きちんと払えるか???
家族の話全く書いてなかったが、別居中です。新しい家で夏に合流予定だったのですが、もう少し続くことに。仕事上トラブル、来年への不安とあいまって、大きく落ち込みをもたらした。
先週も沢登り、ガイドブックよりきつく、疲れた。トラブルは尾を引いているし、あの状態でよく行ったものだと思う。
2000年 5月4日(木)
29日から1日まで2月にも行った田舎家で山菜取りなどして来た。雪景色と全く異なる風景がよかった。写真等載せたので、こちらを参照。
部屋片付け、HP更新など少しだけ進めている。そして昨日は家近くの図書館に足を運んだ。子供の頃から就職するまで、10年以上通いつめたところに、多分15年以上のブランクを空けて出かけたのだ。あまり変わっておらず、とても懐かしい。横浜で借りれなかった本などもありそう(本そのものは少ないが、借りる人も少ないか?)。しばらく横浜も併用してしまおう。
いい天気だし那珂川下見に再挑戦しようと思う。皆出かけているので、自転車を車に押しこんで(車の回収のため)一人で出かける。川の上でのんびりしてくるつもり。
2000年 4月26日(水)
土曜に5月のカヌーオフの下見に行くが、那珂川は濁流で船を出さずに帰ってくる。天気そのものは最高だったので、残念。こんなのは一昨年の気田川以来だ。そのときは近くの大井川で無理やり濁流を下ってしまったが、冷静に考えれば無茶だったと思う。今回は素直にあきらめて、大洗の海岸、犬吠埼経由のドライブをして帰ってきた。
日曜は買い物等で横浜に出かける。まだ横浜市立中央図書館を使ってしまっている。そろそろ家の近くの市立図書館をと思うが、なかなかチャンスがない。夕方帰ってきて部屋の片付けと更新をと思うが、カレーを作りTV(NHKの世紀を越えてなど)見ているうちに寝てしまい何もできなかった。月曜朝、火曜朝に早起きして少しづつ実行した。
水曜(今日)夜やっと完成した。GW前半は新潟の田舎家で山菜取りなので更新不可能だが、後半に少し進めたい。
2000年 4月9日(日)
引越しドタバタをほぼ収束。無理やりそうした点もあり、本はまったく整理ついてないが、ゆっくりやろう。金土の個人的対応が将来に重大と思うが、まあまあと信じている。とにかく3月分の本は更新した。カヌーシーズン始まっているが、カナダも含めぼちぼち更新するようにするつもり。
ザック等も以前よりいいものを購入し、一安心。
2000年 4月1日(土)
やたら広い家でとまどいつつ生活して一週間。先週はドタバタだった。以前住んでいたのは、古い社宅、昨今の流れで廃止されることになった。おかげでもともと引越し予定だった我が家にも引越し代を出してくれたのだが、取り壊しのため粗大ゴミ回収業者が入ってきていて、社宅の外の物置(各室ごとに独立しているのだが、既に出ていた人は不用品を入れておくことになっていた)からカヌー骨組とライフジャケット、山ザック一つ持っていってしまった。私のところはまだ住んでいたので、必要物が入っていたのに。結局業者から弁償してもらうことになった。骨組はなんとか見つけて来たが、少し曲がっていたので、修理代をせしめた。またこれで古いザックを更新できるのでいいこともあるが、修理に出すのとライフジャケットを購入するのはちと面倒である。
引っ越した先は親の土地に立てた一戸建てなのだが(同居ではなく少し離れたところに居住)、せまいところに3F建てなので、まわりにどうも評判が良くなさそう。向かいの家からは以前から日陰になったと強硬に文句言われていたし(実際はそうでもなさそうだけどな・・・)。で工事中に隣との間に古い杭(土地の境界の印)がうちのがわに30cm近く引っ込んで出てきてしまった。そちら側を持っている不動産屋は境界を動かすことはないと言ったそうなので、あんまり気にしないでいたら、引越し後 隣と斜め向い(この辺のご意見番みたいな長老、77歳だというがピンピンしている)が連合を組んで、責めてきた。私自身もかなり長時間捕まっていたし、呼んできた地主であるうちの親はずいぶん長いこと捕まって責めたてられたようだ。結局トラブルを増やしてもうちの今後の生活にひびきそうだから、古い杭のむこうを隣に貸すという(それも無償で)決着となった。車を入れようとしていたところだからやりにくくなるが、仕方なし。斜め向かいの長老氏が隣についたのでは譲歩せざるを得ない、新居の工事のこと等の文句も言っていたから、結局それまであらわにしなかったけれど反感を持っていたのだろうな。
ダンボールの開梱を進めると、5年前中国に赴任した当時に封じこんだものが、いろいろ出てくる。5年間使わなかったのだから、無くてもいいものではあるのだろうけれど、本やカセット、CD等懐かしい。本はかなりあるので、まったく整理つかず。
2000年 3月 12日(日)
書くのは一ヶ月ぶりだが、ほとんど引越し準備とそれに付随する、または引越しがそれに付随するある個人的出来事でゴタゴタしていた。ご破算になりそうな時もあったが、とにかく先送り実行ということになった。
引越し先からでも横浜の中心街に出る時間はそれほど変わらないのだけど、横浜市民ではなくなるので、関内やら桜木町をうろうろして別れを惜しんでいる。図書館カードを持ちつづけて市立中央図書館は使ってしまおうかとも考えている。
今日は某カヌークラブの会合で油壷までのミニシーカヤックツアーだった。一月のうねりが何だったのだろうというくらいの凪で、少し拍子抜け。今回はシーカヤックレンタルしたが、波を切り裂く感じは味わえなかった。あいにく雨交じりだったが、始めてまともに乗ったシーカヤックの体験と水が綺麗だったことでプラスマイナスゼロかな。
2000年 2月 13日(日)
建国記念日から続く三連休。八海山スキーと田舎家体験に行った。八海山は話通り、長いコースがあり体力さえあれば楽しそうである。しかし寝ていたとは言え、夜通し車で走った後ではばてる。3kmほどのコースを4回と短目のコースを一回滑っただけだが、疲れた。一回くらいはそこそこ様になっていたと思うのでよしとしよう。ゲレンデは朝晴れ、昼から雪だったが、先が長いので、一時すぎに出発し吹雪になった高速を北上する。
定年退職後、柏崎に農家を買い取って住みついた方のところへ行く。いろいろ得がたい経験ができたが、面倒なので列記する。山で採集・塩蔵されたひらたけの料理(きのこ汁)、いろりで食べたことのない干し魚:幻魚・メギスを焼く、隣の方の言葉(方言)がわからない、かまくらを作る、かんじきで歩く:人家が点在しているところだが人影はなくいい気分、藻屑蟹を生きたままゆでる、鹿肉を食べる(焼肉&汁)、川崎に40年いて故郷に戻った方の料理屋人生を聞く:12月の狸・今回の鹿ともこの方が供給源、囲炉裏の煙でチーズを燻す、塩蔵きのこと餅をもらってくる、等々。山菜取りやきのこ狩り、信濃川カヌーなどでまた訪れたい。
2000年 2月 6日(日)
金曜に免停の短縮講習を受け、30日免停が1日に短縮されて最後のけりがついた。講習そのものにも1万3800円取られたし、一日時間が潰された。借りた車も返してしまったし、しばらくほとんど車を運転することがないだろうから、30日の免停に甘んじようかとも考えたが、スキー等に行くこともあるし(すべて人の車頼りにする予定だが)、運転できるようにしておくことにした。講習は若いのから、年寄りまでずいぶん幅広い、いったい皆何をやったのかな?
土曜、焚き火MLのオフで新宿にて沖縄料理を食べた。チャンプルー類もいいが、唐辛子を泡盛に漬けた辛い調味料やウコン入り泡盛の水割り等がよかった。早速、日曜にトウフチャンプルーに挑戦(マンボウさんのところの海人みゆきさんのレシピ参考 http://www.net-ibaraki.ne.jp/iwata/miyuki/umintyu.htm )したが今一つだった。かつお出汁のもとが足りなかったか?
2000年 1月30日(日)
車山でスキーした。人工雪主体のスキー場らしく固い雪だが、ゲレンデが広くて気分がいい。しかも圧雪が充分され、それほど急でもないので綺麗に滑れる。体力がないので休みも多かったが、いいスキーだった。
突破者は密度が濃かった。やはり事実の重みだろうか?このところ読むスピードが速かったのだが、この本には時間を取られた。一日一冊ペースだったが、27日から3日掛かりだった(29は上記スキーのため読めず)。
2000年 1月25日(火)
月末に余裕を持って、31冊達成した。読むことを優先して考えて、この一週間はどうも余裕がなかった。下手な宣言するんじゃなかったとも思った。あと1週間弱ゆっくり読みたいが、ペースが速いまま引きづられてしまうかもしれない。何にしろ達成できてほっとしている。
一昨日の日曜は三浦の海へ漕ぎ出した。某ショップの今年発足したカヌークラブに参加したのだ。冬のカヌーは始めてだし、うねりも高く(うねりの頂点と底で随分視点が違う、極端にいうと山を乗り越えていくような感じだった)、けっこうスリルがあった。たいした距離漕いだわけでもなく、無事沈せず戻ってこれたので面白かった。終了後バーベキューをして飲んでしまったので、海水に濡れたカヌー(アルミフレーム)とウェア類の片付け(と読書)だけで、ネットにまで手が回らなかった。
2000年 1月19日(水)
通院および裁判所への罰金支払いで会社を休んだ。罰金は6万円、これで来月さらに講習受けるので、えらく面倒だ。
でもおかげで今日だけで三冊読了できた。19日で21冊、今月に一日平均一冊以上の読了を目指してみようと決意した。今図書館で借りているのや、借りようとしているのに軽めのが多いし、最後はスキーだが今度の週末は大したことしないので、多分できるだろう。
寮美千子は収穫、でも今年の私的発掘一人目は風間一輝だな。ほんの9日ほどの差だけど。今月から来月にかけて、この二人と森博嗣が続く予定だ。
2000年 1月15日(土)
珍しく本の評価に×をつけた。梶山季之は通俗小説の書き手としてうまい人なのに、完全に手抜きしたとしか思えない。期待裏切られた意味も込めての評点とした。
もう来ないかと期待していた免停通知が来てしまった。10月中旬に名古屋付近(長良川カヌーの帰り)に借りた車で飛ばしすぎて、最初の連絡が11月中旬、12月始めに横浜の警察で調書を取られ、その後一ヶ月以上かかった。友人(車の持ち主)が初犯だと見逃してくれるかもと言っていたので、ちょっと期待していた。免停といっても講習を受けて罰金を払えばいいらしいので、こうなったら早いところすっきりしてしまいたい。
2000年 1月10日(月)
「マンボウの刺身」の舞台になった千葉県館山の集落 香(こうやつ)に行ってみた。朝方は小雨だったので大丈夫かと思ったが、着いたときにちょうど一番強く降ってきた。雨宿りしながらあたりを見渡すも、2,30年前のエッセイの面影はほとんど無い。しかし読後、記憶にずっと引っかかっていた、今はどうなっているのだろうと言う気持ちは晴らすことができた。
雨も上がりそうだったし、少し足を伸ばして、東京湾の入り口を照らす洲崎灯台も見に行った。天候のためか人の少ない海に、日が差してきた雰囲気は印象的だった。波の青、黒っぽい岩に砕ける泡の白、太陽が顔を出すだけで一気に鮮やかになる。
そして灯台のあたりの家並みには時の流れを感じ、そこには素朴な集落の暮らしがまだ残っていると思いたい。