帝国陸軍共通避妊具「突撃一番」の話

以下の文章は、フジサンケイグループの創設者であった鹿内信隆氏の証言である。なんの本で読んだか忘れてしまっていたのだが、アタマの隅に引っ掛かっていたところ、その証言を転載しているサイトが見つかった。鹿内信隆と櫻田武の対談『いま明かす戦後秘史』は、その中で鹿内が、陸軍経理学校で、慰安所設置についてのノウハウの講義を受けたと証言していたので有名なのだが、その中の一節である。

鹿内 …まさか誰も知らないとは思うんですけれど、兵隊が女を買いに行く時の衛生サックね、これが需品本部の担当なんです(笑)。
櫻田 ほほう。
鹿内 そうしたら、ある日、支那派遣軍のいちばん偉い人の名前、確か畑俊六さんだったと思うけれど、その人の名前で要注意の報告書が送られてきた。要するに「何月何日送付に関わる衛生用具については罹病率が非常に高い」ということなんです。
櫻田 そうですか。
鹿内 そこで、ぼくは担当の課長さんに呼びだされて「おまえ、これは非常に粗悪品らしいぞ。現地調査をして、ちゃんとしたものを送らなきゃいかん」と注意された。そこで「それじゃ、その工場を見に行こう」と出かけて行った。ぼくは、いまでも忘れません。東京・葛飾に国際護謨工業という工場がありまして、そこへ軍刀をさげて、下士官を引き連れて行ったわけだ(笑)。
 工場には、製造器具が二列に並んでいまして、ガラス棒がいっぱいついた器具がゴム液のなかへスローモーションのように、ゆっくり上下している。上がってくると、澱粉粉でまぶした手で一本ずつ、こう(手をすり合わせ、たぐり寄せるようにして)取り外していくわけです。それを、こっちは厳粛な顔をして見守っている(笑)。その作業員は、大体が玉の井や柳橋の花柳街の女、それに混じって女学生の生徒です。男はいない。とにかく粗悪品だというわけですから、下士官が抜き取り検査をやるわけです。
櫻田 ほう。
鹿内 検査は、どうやるのかと思っていたら、サックに水をいれるわけです。ぼくは初めてわかったけど、櫻田さんは一本にどれぐらい水が入ると思いますか。
櫻田 そりゃ、ふくれるからね(笑)。
鹿内 一升五合入る。これには驚いた。
櫻田 そんなにか(笑)。
鹿内 ええ。持ち上げたら破れちゃうから駄目ですよ。だから、のたうたしておいて水を入れると一升五合入る。そうすると、粗悪品だとピンホールがあるから、水が噴きだす(笑)。
櫻田 なるほど。
鹿内 そのゴムの原液は、みんな南方からの略奪品なんです。
櫻田 当時だと、そうでしょうね。
鹿内 飛行機で持ってくるわけです。製品は、小さな紙の袋に一個ずつ入れてある。緑色の袋でしたね。それで、これに名前をなんとつけようかと、みんなで協議したら、青森の師団の出身者で澤田中尉っていうのがいまして、これが"突撃一番"とつけた。
櫻田 そうか、突撃一番か(笑)。
鹿内 まあ、そこで検査をしてみて、ぼくは粗悪品が出るのは少し薄すぎるんじゃないかと思った。そこで、ぼくは決断を下して「ゴム液から一回で抜き取るのはやめろ。二回ぐらいくぐらせろ」と、そういってやったわけです。そうしたら堅牢そのものになっちゃった(笑)。
櫻田 感じが悪いわな、それじゃ(笑)。
鹿内 とにかく、それからは新しく作り直させたものを戦地へ送ってやった。そうしたら、そのうちにまた要注意の報告書がきた。「何月何日送付に関わる突撃一番は、罹病率ますます高し」と……。
櫻田 ははあ。
鹿内 これはおかしい。あんなに堅牢なのを送ったのに、なぜだろうと思っていたら、あとで聞くとだれも使わないというんだ。あんまりに厚く出来ちゃったからからなんですよ(笑)。いやもう、需品本部ではいろんなことがありましたよ。(P.67-70)

出典:鹿内信隆・櫻田武『いま明かす戦後秘史(上)』(サンケイ出版、1983年)

なぜ、鹿内のコンドームのことを思い出したかと言うと、ネットで富田晃弘氏の「兵隊画集」のことを検索していたら、「葵から菊へ」と言うサイトに突撃一番の実物写真が載っていたからである。今後、少しコメントを加えるつもりなのだが、とりあえず読むだけでもと考えた。文章はこちらのサイトから転載させて頂いた。