ソウルに住むあるハルモニ[おばあさん]は今でも、必死にあがく自分の声に驚いて眼が覚めるという。けだもののように襲いかかる日本の軍人を両手両足で押しのけながら、必死に抵抗している自分の声に驚いて、夜中に眼が覚めるというのだ。
日本で子どもを学校に行かせている若い母親の話をしよう。ある日学校の方から会いたいと言ってきた。教師に会ってみると、なぜ他の韓国人たちのように日本式の通名を使わないのかというのであった。この母親が「韓国人だから韓国の名前を使っているのです」と答えた。この言葉に日本人教師は「それなら韓国に帰って住みなさい」と背を向けたそうである。
解放後四十八年、一九六五年の韓日協定(日韓条約)後二十八年、日本はここにきて軍慰安婦に対して補償に代わる措置として「生活基金」のようなものを準備しているようだ。しかし私たちが要求する真相究明を行なわず、抜け目のない方法でこの問題を決着させようとするならば、問題解決にもっと時間がかかり、日本はさらに国際的に恥を上塗りするだけになるだろう。
今日まで歴史的にこの問題を処理できなかったのには、私たち韓国人にも責任がある。私たちの知識の不足がその原因だと思う。従軍慰安婦になったのは、単に彼女たちが朝鮮人女性だったからである。軍慰安婦政策は日本の朝鮮政策の集約だと考えられる。だとしたら、彼女たちは朝鮮人全体の軛を代わりに背負ってくれたのだと把握すべきではないか。しかし今日に至ってもなお、私たちは彼女たちの苦痛と屈辱を自らのものとして受け入れられずにいる。私たちに根強くはびこる女性の純潔イデオロギーのためである。
わが国の歴史で最も苦痛に満ちた時代を共有できない限り、私たち自身軍慰安婦という軛から抜け出すことはできないであろう。なぜなら自主は自由と関わる問題で、当事者である私たちが主体的に解決しなければ、真の自主と自由は得ることができないからである。この問題の解決に国連も乗り出したが、一番重要なカギは私たちが握っている。わが国の国民と政府がこの苦痛を自分のものとして理解し、真相を知らなければならない。軍慰安婦政策は朝鮮侵略政策の集約であることは先にも述べたが、この問題が解決の兆しを見せれば女子勤労挺身隊、徴用、徴兵、志願兵等の被侵略時代のすべての問題が解決の方向に向かうものだと思う。
そうした意味で、真相究明が何よりの急務であろう。真相を究明するためには、過去の新聞や公文書から発見される資料はもちろん重要だ。しかしそれにも劣らず重要なのは、元慰安婦たちの証言である。彼女たちは生きている資料だ。彼女たちはあの時代の犠牲者として今生きているのである。心身の疾病をかかえながら・・・。
それにもかかわらず、この問題が公に取り上げられることなく、隠ペいされたために、解放後四十八年経った今日でも、日本の男性はわが国にセックス観光に来るし、わが国の女性は日本に売春のため出かけて行く。
元慰安婦たちに慰安所での体験を聞くことがむごいことだということは承知している。しかしこの問題は個人的な問題であるばかりでなく、女性の問題、この国の問題、そして人間の問題である。私たちがより人間らしく生きて行くためには、どうしても抜け出さなければならない歴史の軛なのである。したがってどんなにつらくても彼女たちが口を開き、私たちが、日本が、世界中の人たちが真実を知り、痛みを共有して、二度と再びこのようなことを繰り返さないように、歴史に記録を残さなければならないと思う。
ここに、歴史を記録する作業として軍慰安婦の証言集を発刊する。彼女たちが世に自分の過去を明らかにした勇気と、艇身隊研究会会員たちの繰り返される質問に辛抱強く答えてくれた忍耐に感謝したい。そして研究会会員の正義と、人権を追求する心と、元慰安婦に対する深い愛情に感謝したい。
証言集はこれからも出版するつもりである。今回出版された第一巻には不十分な点もあるが、最初の証言集だけに強い思い入れを感じる。この一冊が、私たちと日本と世界の人たちにとって人間の裏側の側面を知る契機となるように願う。現在ばかりでなく未来にも歯止めとなって、人類の歴史上、こうしたことが難り返されないように願う。そして何よりも、わが同胞が変動する世界史の中で、どのような位置に立っているのかを直視し、しっかりと立つことができるように、この本が衝撃を与えてくれることを希望する。
一九九三年一月二日
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私がこの調査に参加するようになった動機は、とても単純なことだった。たとえ対象が異なるといえ、私も植民地時代を研究している者として、軍慰安婦の実体がどんなものだったのか知りたかったし、また韓国国内では軍慰安婦と女子挺身隊の事実をきちんと把握すらできないまま、この問題に対処しているのではないかという憂慮があったためである。私個人としては、すでに昨年春から軍慰安婦に関する既存の研究と資料の収集・検討を始め、「毎日新報』と『京城日報』に載った女子挺身隊に関する記事を収集したりしていたが、既存のものだけでは両者の関係を明らかにするには不十分であるということに気付くようになった。
なぜなら、女子挺身隊に関する資料は比較的豊富で、またそれが秘密に取り扱われたものではないため、その実体をたやすく把握することができるが、軍慰安婦は既存の研究と資料だけではその実体を明らかにできない部分が多すぎたからである。こうして、私は軍慰安婦の実体をもう少し明確に知るためには、現在生存している元軍慰安婦の聞き取り調査をしなければならないということを切実に感じるようになったのである。
去年の手帳を開いてみると、「六月十日九時、阿峴駅プラットホーム」と書いてある。そこで鄭鎮星教授に会って、阿峴洞にあった挺身隊問題対策協議会に行ってみると、尹貞玉先生をはじめ挺身隊研究会の会員たちが続々と集まってきた。まず、調査項目と軍慰安婦・女子挺身隊の年表を作成し、共同で検討するかたわら、研究・資料目録の作成と資料収集作業を私も先頭に立って同時に進行させていった。今になって振り返ってみれば、不十分な点も多々思い当たるが、おおよそ予定どおりに作業が行なわれた結果、それぞれの調査者たちは、軍慰安婦とその時代の事情をある程度把握したうえで、調査作業に臨むことができた。調査過程でわかったことだが、こうした事前の準備があったために調査が順調に進行できたようである。軍慰安婦のような複雑な問題を調査するにあたっては、この問題に関する事前の知識が不可欠なものであったからだ。
手帳をさらにめくると、六月十日以後九月中旬まで毎週「十二時、挺身隊研究会」と記録されている。始まりの時刻は午前十時と午後二時が多く、場所は挺隊協事務室か落星岱研究室がほとんどであった。今考えてみても調査者たちは、本当に一生懸命調査にあたったと思う。午前十時に始めて午後六時まで調査を検討したことも一度や二度ではなかった。調査を検討するうえで非常に難しかった点は、証言者の陳述がたびたび論理的に矛盾することであった。すでに五十年前のことなので、記憶ちがいもあるだろうが、証言したくない点を省略したり、適当に纏ったりごちゃまぜにしたりということもあり、またその時代の事情が私たちの想像を越えていることもあるところから起こったことと考えられる。
この中でも調査者たちを困らせたのは、証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケースだった。私たちはこのようなケースに対処するために、調査者の一人ひとりが証言者との間に信頼関係を築くことによってそのような困難を克服しようと努力した。そうして大部分の場合は意図した成果を得ることができたが、どうしても調査を中断せざるを得ないケースもあった。こんな場合は、次の機会に再調査することを約束するしかなかった。
私たちが調査を終えた十九人の証言は、私たちが自信を持って世の中に送り出すものである。私たちの間でも、調査の初期にはお互い違った調査態度をとることもあったが、最後には真実をそのまま明らかにすることを最大の原則にするということに全員が同意した。特に、軍慰安婦問題は植民地時代の最大の屈辱ともいえる問題であるだけに、この問題にどうやって対処するのかということは本当に重要な問題だと考えたためである。すなわち、真相の究明こそが、この問題に対処できる最も重要な原則にほかならない。それゆえ、私たちは真実をありのままに把握するために、一人の証言者に対して大体五、六回以上の面接調査を行なった。
この過程で、私たちは証言の論理的信憑性を裏付けるよう、証言の中で記録資料で確認できる部分はほとんど確認した。それでもなお、この調査に、いたらなかった点がまったくなかったとは断言しない。なぜなら、軍慰安婦の生活のような、人間以下に扱われた経験をありのままにすべてさらけだして証言するということは、誰にでも難しいことであり、またこのような調査を短い期間のうちに行なうことも無理があると思うからだ。不足している点は、もっと深みのある個別調査によって、補充されることを期待する。
一九九三年一月
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韓国挺身隊協議会が発足し、軍慰安婦問題の解決を提起し始めてから三年たつが、この証言集を韓国で出版するまで一年余りの長い作業を要した。この間、周囲の多くの方から「一体いつになったら出るのか」という催促を何度も受けた。日本政府に対して事実究明と謝罪、補償を求める運動が一層熱を帯びている状況で、この証言集が切実に必要とされたためである。しかし、確実で正確な事実究明の一助になるという点において、また価値ある歴史的資料を残さなければならないという点においても、この仕事にはさまざまな準備と検討過程が必要だった。したがって、当初の計画よりかなりの歳月がかかったのである。
軍慰安婦だったハルモニたちと面談を行ない、その話を整理する作業は思っていたほど簡単なものではなかった。もちろんハルモニたちは自分の経験を告白しようと申告をしたのだが、最も恨めしい、心の奥底にしまいこんだ話をいざするとなると、まず面談者との間に信頼の絆が結ばれていなければならなかった。私たちはハルモニたちの家を訪ね、行事のときは一緒に参加して交通の便を計ったり一緒に寝起きをしながら、ハルモニたちの痛みを共有し信頼関係を築いていった。けれど、すでに数十年たったことを老人になって思い出すのはやさしいことではない。まして今までなるべく隠そうとし、忘れようとしてきた自分の痛ましい過去を呼び覚まし、再現しようとすることはハルモニたちにはまた別な苦痛になった。慰安婦時代を再び思い起こし眠れなかったと苦しむハルモニたちに、細部の状況を何度も確認することは本当につらいことだった。
ハルモニたちに会うために、私たちはソウル、京幾道をはじめ慶尚道、全羅道、忠清道等、全国各地を訪ね歩いた。
一人のハルモニの証言を整理するために私たちは数回にわたって、長時間の集中的な面談を行ない、各事例について三回以上面談報告書を輪読し、確認すべき点、補完すべき点等を指摘し合いながら補充していった。この証言はそれを土台にして再び面談を行ない、集会への行き帰りの道や、電話を通じて何度も質問し確認した内容を、時間的順序に合わせて整理したものである。多少荒っぽくても、ハルモニたちの言葉をそのまま生かそうと努力した。また慰安婦時代を語るには、それまでの生活とその後の現在までの状況にふれないわけにはいかないが、この証言集では前後の部分は大部分省略し、慰安婦時代を重点的に載せた。載せきれなかった話は、残念だが別の機会を約束するほかない。
また私たちはハルモニたちの証言自体を整理しながら、もう一方で既存の資料を読んでいった。当時の状況を考慮しながら、再調査項目を追加することもあった。けれど当時の状況を知るための既存の資料や研究が充分にあるとは言い難かった。特に日本帝国主義下の生活史、女性史についての資料はすこぶる乏しかった。むしろハルモニたちの証言を通して当時の時代状況を知る場合もあった。ハルモニたちの話の中から、当時の庶民たちの意識と生活の様子等が生き生きと蘇ったりした。そしていくつかの既存の資料には事実の誤述があることを発見することもできた。
この証言集の日本語版を準備する間、日本政府の役人が訪韓し、ハルモニたちを直接面談した。伝え聞いたところでは一人につき三時間程度の面談だったという。通訳が入る時間、質問者が話す時間を除けば証言者の陳述は一時間くらいであっただろう。そのような面談と調査でどれほど事実に接近できたのか。結局、強制連行を部分的に認定するところまで日本政府の態度が発展したことは肯定的にとらえているが、調査を少しでも早く終わらせるための形式的な調査だったという疑問を消すことができない。
いま、このハルモニたちは年老いて、病み、孤独で、貧しく、軍慰安婦だったというおぞましい過去の人質となって生きている。私たちはこの証言集を準備する間中、ハルモニたちと一緒に暗い意識のトンネルの中でさまよっているという感触をぬぐい去ることができなかった。ハルモニたちと知り合って一年が過ぎようとしているが、最初に会ったときより記憶力もかなり減退し、目に見えて老衰している。
この証言集では取り上げられなかったが、この間に亡くなられた方も数名おられる。日帝の軍慰安婦政策は、単純にある時代の朝鮮人女性を連行し性欲処理の道具として扱ったという事実にとどまらず、一人の人間を徹底的に踏みにじり、その未来を奪い、全生涯を破壊したということを如実に表している。ハルモニたちは帰国しても大部分が結婚できず、たとえ結婚したとしても妊娠できなかった。女一人で何ももたずにどん底の生活を転々とし、やっとの思いでこれまで生きてこられたのである。ハルモニたちは生まれ変われるなら、いい人と結婚して子どもを産み普通に生きてみたいという素朴な望みを持っている。
この本が挺身隊問題の解決を早めるのに力となることを希望している。また、わが国民の中にこのハルモニたちとの温かい共感帯ができることを心から望みたい。
そして日本の良心的な人々と軍慰安婦問題の解決にむけて連帯できるならば、これ以上の喜びはない。
困難な条件とせちがらい風土、それに貧弱な調査費にもかかわらず、ほかの課題を後回しにして、全身でぶつかって共に仕事をした挺身隊研究会の会員たちに代わってこの文章を記す。また日本語版翻訳にあたって下さった東京のヨソンネットのみなさんに感謝する。