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旧朝鮮銀行(現あおぞら銀行)の金庫に眠る徴発資料

以下は、加藤正夫氏の1993年の論文、「千田夏光『従軍慰安婦』の重大な誤り」から、「日債銀には資料などない」と主張する部分を抜粋したものである。

日債銀には資料などない

第六、これは最大の問題点であるが、千田氏は従軍慰安婦の"新版にあたって"の中に”三一新書版”を出すに際し、一つだけ書きとめておきたいこととして、朝鮮総督府資料の公開、特に総務局関係資料について、軍が総督府総務局に従軍慰安婦の動員について依頼(実際は命令)し、そこから通達が各地に出され、どのくらい動員したかの報告を受けた数字が書類として残されていた、としている。
敗戦直前その資料は現地で焼却されたと伝えられるが、写し一通は朝鮮総督府東京事務所にあって、敗戦後も焼却されることなく他の書類とともに朝鮮銀行東京支店の大金庫に格納され、そのあとをついだ日本債券信用銀行にこの資料書類は引継がれているはずだと千田氏は「旧陸軍の後方担当参謀数人から聞いた」(一ページ)という。
そこで千田氏は「これの閲覧が出来れば朝鮮半島から何万何千何百何人の女性を狩り出し、従軍慰安婦にしたか正確に知ることが可能なはずである」(一二ページ)と書いているが、最大の問題点は、以上の千田氏の話が次に示すように事実無根の話、事実の裏付けのない話と推定されるということである。筆者は千田氏の著書の右の事実内容について、日本債券信用銀行総務部主任調査役佐藤悟氏に聞くため、面会して話を聞いたことがあるが、内容は次のようであった。
「私は昭和四七年の初めに日債銀の地下倉庫に保存されていた朝鮮銀行関係の資料の整理を命ぜられ、幾箱にも納めら れた資料を分類、整理し、記録するために丹念により分けたが、その中には従軍慰安婦動員に関する資料は一切なかった。千田夏光氏は本の中であらゆる筋を通して閲覧をもとめて も許されなかったと書いているようだが、資料の責任者である私に、千田氏自身からそうした資料が存在しているか否かの問い合わせは一度もなかった。この件に関しての問い合わせは、従軍慰安婦問題が大きくなり、千田氏の本に日債銀の金庫に資料があると書かれているのをみて、内閣外政審議室の担当官が問い合わせてきた一件だけで、もちろんそのような資料はなかったと答えた」ということだったが、ここでの重大な問題は、千田氏は日債銀にそうした資料があり、「あらゆる筋を通して閲覧をもとめても許されなかった」と書いているのに、日債銀の資料責任者は千田氏自身から一度もそうした閲覧希望の申出を受けたことがなかったというように、あまりにも話が違いすぎるということである。千田氏はこの件に関する筆者の質問に対して電話で「昭和三九年と四〇年の二回、日債銀当時は日本不動産銀行の受付で閲覧を申込んで断わられた」と回答したが、これが 「あらゆる筋を通して閲覧をもとめた)」ということになるのであろうか。筆者にはこうしたことからも、千田氏がいう従軍慰安婦関係の朝鮮総督府の動員をめぐる資料が実在するかに対して疑問をもたざるを得ないということになるのである。

出典:千田夏光「従軍慰安婦」の重大な誤り/加藤正夫 現代コリア(1993年2・3月号)

加藤氏は「昭和三九年と四〇年」と書いているが、加藤は千田は島田俊彦の「関特演」中公新書をタネ本にしていると書いており、千田もキチンとその旨、明記しているのだが、島田の「関特演」の初版は1965年つまり昭和四〇年である。参謀三課と参謀一課を誤記したからと言って、千田の原氏インタビューが架空のものだと主張するなら、加藤が千田と電話で話したと言うのも、アヤシイと言うことになってしまう。

そして一番の論文の問題は、担当者が「その中には従軍慰安婦動員に関する資料は一切なかった」と明言しているにも関わらず、加藤本人が「千田氏がいう従軍慰安婦関係の朝鮮総督府の動員をめぐる資料が実在するかに対して疑問をもたざるを得ないということになるのである」というような、まわりくどい奥歯にものが挟まったような結論で逃げていることにある。加藤本人も担当者の言うことを信用していいかどうか、結論を出せていないのか、文章からは、地下室の金庫に、どれだけの分量の文書が残されているのか、残された経緯は千田の言うとおりなのか。なぜ「大金庫」ではなく、「地下倉庫」なのか。1972年に資料の整理を命じられたのはなぜか、整理した目録は存在するのか、銀行に公開の意思はあるのか、目録だけでも公開は可能か、といったことが、一切書かれていないことだ。子供のお使いじゃあるまいし。

旧満州の中央銀行の金庫は、恐ろしく頑丈な当時のハイテクの塊のようなものだったそうだが、貴金属や美術品ばかりが収められ、旧満州国関係の公文書が収められたということはなかったそうだ。 しかし、実際に東京の朝鮮銀行の支店には、総督府の文書があった。

どのみち、朝鮮からの関特演時の慰安婦大量「徴発」を否定する人間は、加藤正夫や西岡力、中川八洋のような人間ばかりで、まともな研究者で(まともかどうか疑問符のつく秦郁彦先生を含めて)否定している人間などいないのだ。あおぞら銀行の金庫になかったところで、「単にウワサで、あおぞら銀行にはそういう資料は実際にはなかった」と言う結論になるだけの話である。

私は絶対にヤバい資料が残ってるハズだと思ってるけどね。

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