原善四郎元中佐へのインタビュー(千田夏光)

たとえば「関特演」というものがあった。正式名を”関東軍特別演習”と呼ばれたものだった。名前は ”演習”だがその実態は昭和十六年六月二十八日に”動員”を決意し、七月五日に動員下令をおこない、 八月十日に”開戦決意”を下すというものだった。目指す相手はソ連。すなわち対ソ戦のための作戦行動である。”作戦開始”は八月二十九日という日程まで組まれ、十月中旬までに沿海州から東部シベリアを攻略するという作戦構想になっていた。
作戦計画は参謀本部の作戦部長田中新一中将の手により練りに練られ、国民の知らぬ間に七月七日第一次動員開始、八月九日現在には北満(現在の中国東北方、ソ連との国境地帯)に約七十万の兵力、軍馬十四万頭、飛行機六百が集中されていた。この関特演という名の”対ソ戦準備作戦”はその発動寸前におさえられ、陸軍はしぶしぶ諦めることになったのだったが、ここで問題になるのはその動員の中に慰安婦の動 員もふくめられていたことだ。
たとえば「関特演」というものがあった。正式名を”関東軍特別演習”と呼ばれたものだった。名前は ”演習”だがその実態は昭和十六年六月二十八日に”動員”を決意し、七月五日に動員下令をおこない、 八月十日に”開戦決意”を下すというものだった。目指す相手はソ連。すなわち対ソ戦のための作戦行動である。”作戦開始”は八月二十九日という日程まで組まれ、十月中旬までに沿海州から東部シベリアを攻略 するという作戦構想になっていた。
作戦計画は参謀本部の作戦部長田中新一中将の手により練りに練られ、国民の知らぬ間に七月七日第一次動員開始、八月九日現在には北満(現在の中国東北方、ソ連との国境地帯)に約七十万の兵力、軍馬十四万頭、飛行機六百が集中されていた。
"関特演"という名の"対ソ戦争準備作戦"はその発動寸前におさえられ、陸軍は"しぶしぶ論めることになったのだったが、ここで問題となるのはその動員の中に"慰安婦の動員もふくめられていたことだ。"
関東軍後方担当参謀原善四郎少佐(後中佐)という人物がいたが、作戦部隊の兵隊の欲求度や所持金に女性の肉体的能力を計算したすえ"必要慰安婦の数は二万人ととはじき出し、飛行機で朝鮮に調達に出かけているのである。ここで、つまり昭和十六年には、すでに朝鮮半島は慰安婦の草刈り場になっていたことがわかる。
実際には一万人しか集まらなかったというが草刈り場になった事実は動かせない。
ではその朝鮮で具体的にどのように慰安婦は集められたのか。原善四郎氏は大阪市の南に隠棲されていた。新興住宅のなかの静かなつくりの家であった、面と向かうと温厚な老紳士であった。
「当時の陸軍は、新しい部隊が編成動員下令されると、必要慰安婦を朝鮮半島から集めることになっていたのですね」
私はそこからお尋ねすることにした。
「慰安婦のことですな。たまたま関特演のとき兵站担当をやっていました。そう、 通称で後方参謀と呼ばれる参謀です。関東軍司令部参謀第三課に属していました。 よく憶えていないのですよ。いろいろ今になって言われますけど」
「でも関特演のため、とにかく朝鮮で慰安婦を集められた。それは間違いないので朝鮮で具体的にどのような方法で女性を集められたのですか」
「はっきり憶えていないが、朝鮮総督府総務局に行き依頼したように思います。それ以 以後のことは知りません。軍としてはというより私は、それ以上は関知しない とにしていたのです」
「つまり必要な数字だけ示し、あとは朝詳総督府の責任で集めてくれということですか」「ま、そういう訳です」
「では朝鮮総督府、軍から依頼されたその朝鮮総督府はどのようにして集めたのでしょう。当時の状況下で軍の命令、いや命令でなくて依頼でも同じだが、絶対なものだったと聞いています。」
「その辺のことは私からはなんとも申されません。だが、朝鮮総督府では各道は各郡へ、各郡は各面にと流していったのではないですか。こ承知だと思 いますが、面というのは日本の村にあたります」
「すると女集めの最終責任言は面長つまり、村長だったのですか? 面長は朝鮮人 だったのでしょう」
「詳しいことはわかりません。」
「話題を変えます。七十万の兵隊は二万人の慰安婦が必要と弾きだした根拠というか基準はなんだったのですか。兵隊の欲求度のや慰安婦の女性の肉体能力から計算したと書かれていますが。」
「陸軍大学ではそんな事は教えてくれませんし、後方担当参謀業務として教えられ るのは弾薬糧株などの補給のことばかりです。だからどのようにして算出したかと 言われても困りますが、はっきり憶えていないけど、それまでの戦訓つまりシナ事変(日中戦争)の経験から算出したのでなかったかと思います。それに一部に二万人と言われてたが、実際に集まったのは八千人ぐらいだったのです。それとこんな事実もありました。集めた慰安婦を各部隊に配属したところ、中には、"そんなものは帝国陸軍にはいらない"と断る師団長が出たのです。ところが、2ヵ月とたたぬうち、"やはり配属してくれ"と泣きついてきたのです。実戦の経験のない師団長だったと思います。」
「慰安婦がいないと兵隊は男だけの集団生活ですから荒れるということですか。たとえば兵隊同士の喧嘩が起こったり兵器事故があったりする。」
「不足の事故が起こることがあるのは事実ですね。」
「すると、朝鮮人女性は兵隊の精神鎮痛剤もしくは安定剤だったのですね。日本人の女性を集めることは考えなかったのですか。考えなかったとすれば、朝鮮人女性の方が集めるに罪悪感もしくは、抵抗感を覚えなくて済むからだったのですね」
「北満の駐屯地には大連(現旅大市)とか奉天(瀋陽)の花柳街から鞍替えしてきた日本人女性もいました。」
「でもそれはいわゆる慰安婦でない。つまり普通の商売女だっったのではないですか」
「そうかもしれません」
原善四郎氏は大阪市内の各種学校に勤めているとも言われた。

出典:従軍慰安婦/千田夏光(初版は双葉社:1973年、引用文は三一書房版:1978年)