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私は自立という言葉に底知れぬ魅力を感じている。たった一人の部屋 そこにはお風呂上りに突き出たおなかをさらして歩くお父さんもパックしたまま宅急便のあんちゃんと立ち話をするお母さんも九九よりも格闘ゲームの必殺技を覚えるのに必死な弟も居なくて あたしがシングルソファにどっしり腰掛けてポテトチップス食べながらマトリックスを見てキアヌ・リーブスのサングラスに黄色い歓声を上げていても誰もとがめない そんな私だけのテリトリーなのだ、と私は信じているしそれが間違っているとは思わない 思わないったら思わないのだ。だから私はそんな私だけの世界を手に入れるためならどんなことでもする。違った、どんな手段も問わない。そのためなら家からちょっと遠い寮のない大学を志望校にする事だってかまわないし、資金繰りのために放課後の4時間ぐらいアルバイトに費やしてみせる。だって私の目的の前にそんなことはとても些細なことでしょ? 私は男の子があまり好きでない。別に女子高に通っているのは関係ないけれど 通っているのが女子高でよかったとは思う。あのつっぱった喉仏とか筋の見える手とか直線的な脚とか、そういうのが怖い。怖いというか苦手だ。そしてあの背。上からずどーんと見下ろしてくるときのあの目。あの目は女の子にはどうがんばっても作れない。だからいやだ。男の子は好きでない。だけど好きでないからといってアルバイトをサボるわけにはいかない。だってサボれば私の目的は達成されなくなる たとえその嫌悪感がその姿を見るたび膝ががくがくするほどでも だ。そしてカウンター越しにおつりを渡すとき手が触れて「ひぃ」と悲鳴を上げないようにするのに全神経を使うほどだとしても 酔っ払った息を吐きかけながら手を握られて失神するほどだとしても アルバイトをやめるわけにはいかない。だってそんなことは私の目的に比べれば些細なことだからだ と思ったけど ねぇなんか実は私って偉くないですか 私がんばってませんか。 「ちょっとアンタ目ついてんの」 カウンターに炭酸飲料と板チョコレートを押しつけてものすごく失礼な言葉を吐いたのは男の子だった たぶん。なぜたぶんかと言うと男の子はあまり背が高くなく目も大きく肌は白く アレ これだけ見たら確実に女の子なんじゃないの いやでも声がハスキーなのだ。それともただ単にボーイッシュな女の子なのだろうか それにしては唇が薄いし そうそれに私が天敵の おとこのこ を見間違えるはずがないのでやっぱりこの子は男の子なのだ そうに違いない。 「申し訳ありません。235円になります」 男の子は細い指で305円を皮製のお財布(本皮と見た)からつまみカウンターに載せた。爪がきれいに切ってあって、やっぱりこの子は男の子なのだと確信した。そう思ったらいまさらのように膝ががくがくと震えてきて 10円玉を7枚レジの中から引きずり出すのにとても苦労した。 「70円の、おつりになります」 男の子は私に手を差し出す。真っ白で滑らかな手のひらだった。私は少し躊躇して、そろそろとその上に70円を置いた。言って置くけれど私は指が触れないように細心の注意を払ったのだ。だから私と男の子の手が触れ合った というより男の子に手をつかまれたのは断じて私のせいではない。だからいきなりの接触に「ひっ!」と無様な悲鳴を上げてしまったとしても私に責任はまったくない。 「アンタ失礼じゃない? 人の顔見て震えるなんて殴られても文句言えないよ」 物騒な言葉とともに私は目の前の男の子の顔を見ることができなくなった。男の子の目はまだあの恐ろしい目ではなかったけれど私はこの子を怖いと思った。だから私は素直に(素直が一番だと人生の中で私は学んでいた)怖いと男の子に告げた。男の子はまったく動じずにばかにしたように鼻で笑って私の手を強く握りこむ。私は真っ青になっているだろう自分の顔が防犯カメラに映らないように必死でうつむいた。男の子の手は暖かく、血の気の引いた私のものとはまったく違って、そしてすべすべとした手のひらはやっぱり硬かった。 「アンタ男が怖いんだろ」 男の子があまりにも正確な答えを出したことに私は驚き反射的に顔を上げて動けなくなった。男の子の目は茶色でその周りをびっしりと覆っているまつげも茶色でそれでもこの子は男の子で 私は恐ろしさに心臓がガタガタ 違うガタガタしているのは膝だ心臓はバクバク 全力疾走するのを感じた。しかもその心臓は男の子につかまれたままの右手にあって、男の子はまた馬鹿にしたみたいに笑う。それを見た私の心臓はまた大きく動いた。 「やめたほうがいいんじゃないの、このバイト。さんに向いてないと思うけど」 はっきりいって余計なお世話だ 私がこれまでいったいどんな思いでこのバイトを続けてきたのか知りもしない男の子にそんなことを言われる筋あいなどまったくなくて おまけに私とこの子は初対面だというのになんて失礼な子なのだろう だからうなずいてしまったのはただこの子が この おとこのこ が恐ろしかっただけなのだ。私の目的の前に唯一の挫折。男の子はにっこり笑うとあっさりと私の手を放しテープをはった炭酸飲料と板チョコレートをかばんに放り込んで ピンポーンという脱力したチャイムとともに夜のくろへと消えていった。 なんてことはない 男の子が私の男性恐怖症に気づいたのは店内に長く居て私の態度がお客さんの性別よって違うことを見ていたからで 私の名前を知っていたのはただ制服の胸に留めていた名札バッジを見たからなのだと気づいたのはそれからちょうど1週間後 シフトの時間が終わって隣でレジを打っていた先輩にお疲れ様でしたと声をかけ 今日は相方が女の人でよかった 男の人だったら4時間ずっと暖かい店内で鳥肌をたててなくちゃいけないところだった なんて考えながらピンポーンという脱力した音とともに外へ出て そこにあの おとこのこ を見つけたときだった。 「アンタなんで男が嫌いなの」 男の子は黒いダウンに黒いジーパンを穿いて真っ赤なマフラーをしていた。私はその薔薇のように赤い布切れを見つめながら「怖いからよ」と答えた。 「男の何が怖いの」 「女の子にない物を持っているところ」 男の子(そう私はまだ名前を教えてもらっていないから他に呼びようがないのだ向こうは私の名前を知っているのになんて不公平)は ふぅん だか へぇ だか とにかくそういう感じの 納得してないけどまぁそういうことにしといてやるよという合いの手を入れて、結局、馬鹿だねという結論に至ったようだった。 「じゃあ俺も怖いの」 「だって男の子でしょう?」 男の子が提げているスポーツバッグには大きく「東京選抜」と書かれていて 私はそれを見つめながら 何の選抜だろうとか モダンダンスかなとか だって男の子はとてもきれいで 女の私よりずっと女の子みたいで アレ やっぱり女の子なんじゃないのこの子 なんて思っちゃうくらいだものとか そういうことを考えながら歩いていたから男の子が突然 私の手をつかんでそれとは反対側の手で私のあごをつまんでそれで鼻と鼻がぶつかりそうなくらい顔を近づけてきたときも 私はきれいな顔をしている子だなぁとしか思わなかった。 「なんで抵抗しないんだよ」 私はそれをおかしな質問だと思った。だって厭でないのになにを抵抗するというのだろう これが例えば昨夜お店に来てマルボロ2箱とビール3本とらっきょうを1パック買い上げ私の頬にすりよって「姉ちゃん今晩つきあってよ」と言ってきたメタボリックシンドロームに悩まされているであろうおじさんだったら全身で嫌悪してレジ下の非常ベルを押すだろうけれど いま目の前に居るのは禿げたおじさんじゃなく女の子みたいな顔をしたこの男の子なのだ。 「怖いんじゃなかったの」 「怖いわ」 男の子は硬くかたく握りしめた私の手を包んでそっと開かせ指を絡ませた。細い指でまるで学校の友達と手を繋いだみたいに だけどこの子は友達じゃなくてクラスメイトでもなくてお店のお客さんのしかも男の子なのだ。私の心臓はフル稼働してきっとこのままじゃ心臓の筋肉痛になってしまうだろう。そうなったらきっととても痛いけれどこの子に慰謝料を請求することはできない だって男の子の鼻は真っ赤でマフラーに負けないくらい真っ赤で頬も真っ赤で寒さに茶色の瞳がうるんでいるからだ。男の子は少し私から離れて 私の額に唇を押し当てた。男の子の背はあまり高くなかったけれど背伸びせずに私の額に触れられるくらいには男の子の背は高かった。私は心臓がこれまでで一番に大きな音を立てたのを聞いた。膝はもう震えなかった。外はとても寒くて男の子の鼻は赤くて私の手は真っ白で それでも男の子は私から手を離さなかったから きっと氷のように冷たいだろうに男の子はじっと私の目を見て 茶色い長いまつげで縁取られた目で見て 恐ろしくないやさしいうるんだ目で私を見て そして言った。 「本当はコンビニで買物なんかしなくても良かったんだ」 私はその言葉の意味を8割りぐらいしか理解しなかったんだと思う。男の子は「」と私の名をつぶやき、私は男の子の名が翼だということを知った なんてすてきな名前 そう言うと男の子はマフラーを引っぱりあげて 「当然だろ 俺の名前なんだから」 と言い私の手に絡ませた指をぎゅっと引き寄せた。男の子の「東京選抜」という字が大きく私の目に映り 赤い布切れのマフラーが意外に暖かいことに気づく 翼をもう怖いと思っていないことも。 私が素直にそう告げると 私の おとこのこ は薄い唇をつりあげて笑った。 |
サイダーブルーの海に眠る (甘い沫に身体を浸して) |