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波が足元で跳ねた。きまぐれのようにわたしの足首をくすぐって引き返していく。つかまえようとしても決してつかまってはくれないことに焦れて足を踏み鳴らすと、ばちゃばちゃと子供じみた音とともにわたしの顔にしぶきが帰ってくる。冷たさが額の
熱をうばって目にしみた。 「・・・・・・しょっぱい」 「なにやってんの」 呆れた調子の声にわたしは振り向かない。応えてなんかやらない。もっと優しくしてくれなくちゃ嫌。 「拗ねてるの?」 振り向きざま足を勢いよく振り上げる。ぱしゃっ。生意気にもやつはあっさり かわしやがった。悔しくて、二度、三度、水をふっかける。そのたびにやつはかわして、かわして、どんどんこっちに近づいてきた。ずりずりと足元の砂が沖のほうへと流れて 行く。後ろへ下がれば貝殻で足の裏を切った。ぴりりとした痛み。やつははいているジーパンが濡れるのもかまわずこっちへ来る。来んな。深いほうへ逃げてもう一度 足で水を蹴っ飛ばした。 「下着、みえてるよ」 「ちくしょう!」 脚をおさえられて片足の不安定な状態から相手の胸を突いてもよろめきさえしない。逆にこっちの背中がのけぞって、髪が波間にこぼれた。ぐいと肩をひっぱる力に抵抗して、今度は身体ごとダイビング。 冷たい世界。ごぼり、と口から泡が漏れて、それからはまったくの無音の世界。灰色。青でさえない、くすんだ色。魚なんていない、生き物なんていない、ゆらめく海草と流れていく小石、頬をかすめる尖った貝殻で構築された世界。 「」 くぐもった声とともにじゃばん、と音が戻ってくる。空気に触れて目がびりびりと震えた。咳き込むとのどが痛んで涙があふれた。目が痛い、のどが痛い、足も痛い。腕をつかむ手が熱くて身をよじった。だけどそう簡単に手を離してくれるはずもなく、 背中までまとわりつく水が重たくてしようがない。 「ばかだ馬鹿だと思ってたけど、ここまでバカだったとはね。知らなかったよ」 「あんたの知ったこっちゃないでしょ」 砂を踏みしめるたびに塩がしみる。目の前でやつの黒髪が揺れて、波にもまれて先のほうはもう くしゃくしゃだ。吹きつける風にくしゃみがでた。ちらりとこちらを振り返って、でも無言のまま浜に向かうのが悔しくてわたしの腕に絡み付いている 指に噛み付いてやった。 「・・・・・・・・・、、」 「イルミなんか魚のえさにでもなっちゃえばいいんだ」 「・・・・・・・・・」 大きなため息。なによ、なんなのよ。浜に上がってテトラポットに座らされる。もう疲れたから抵抗はしなかった。足を持ち上げられて傷をなぞられて、わたしは唇をかみしめた。わたしたちから立ちのぼる、潮の匂い。 「痛む?」 「さわらないで」 めずらしく気遣ってくれても今さらだ。くろい大きな目がわたしを見上げて骨ばった指がかかとをなぞる。さわらないで。繰り返して言うとあっさりその手は消えていった。力のぬけた脚がぶらぶらと揺れる。わたしはいま、すごく嫌なことしてる。眉間に しわが寄ってるのもわかる。最後くらい いい子でいたかったよ。 「わたしイルミなんか嫌い」 「あ、そ。俺ものそういうところ、嫌いだったよ」 「そのずるずる長い髪とか、切りたくなるくらいだよ鬱陶しいもんジャマなんだよ」 「なんでそうネガティブ思考なのかな。俺に言えた義理じゃないかもしれないけどもうちょっと別の考え方とかできないわけ」 「できねーよ。ホントあんたに言えた義理じゃないよね。てか今から死ぬ人間にポジティブシンキングを求めないでくれる」 あーヤな女。ヤな女、ヤな女。イルミの馬鹿。嫌い。ゾルディックなんか捨てちゃえばいいのに、簡単なことじゃないただ家でるだけじゃない二度とククルーに戻らなきゃいいだけじゃない どうしてできないのよそんなことが。いくら足が速くても力が 強くても毒が飲めても意味ないよ。バカだ馬鹿だと思ってたけど、ここまでばかだったとは知らなかったよこんちくしょう。 「イルミなんか、きらい」 「あ、そ」 ふさがれた唇。噛み付いてやれば鉄の味がしたけど、それでも放してはくれなかった。なんで、なんで、なんで。抱きしめてくれる身体、髪をかきまぜる手、なだめるように優しい唇。ぜんぶ知り尽くしたものだ。広い背中、まっすぐな脚、やわらかい 髪の毛。ぜんぶわたしの物だった。ほそい首筋に抱きついて子供みたいにしがみついた。 「・・・・・・、うそ、ごめん全部うそ。うそ、うそ嘘なの、ごめんわたし嘘つきだから。愛してる、イルミ、わたし愛してる」 「あ、そ。俺ものそういうところ、愛してたよ。本当に」 あいしていたよ。 頭から被った塩水が乾いてぽろぽろとはがれ落ちていく。あのまま灰色の世界に沈んでいければよかった。静かに誰もいないほかの生き物なんていない世界に一人で落ちていければよかった。砂のように崩れて波のように砕けてしまえばいい。 わたしなんか今すぐ消えてしまえばいい。イルミなんか今すぐ消えてしまえばいい。イルミがわたしの冷たさを奪っていく。でも意味ないね、もうすぐわたしはもっと冷たくなるんだから。 「・・・・・・・・・」 あやすように背中をさすってくれるイルミ。わたしの薄っぺらい肩を大事に抱きしめてくれるイルミ。愛してる。愛してる、愛してる、愛してる。愛してる。
さいごの、優しさ。 (殺されるほうと殺すほう、どちらが悲しいのか知っている人なんていないね、きっと) |