くつりとのどの奥で笑うときに細められる目が美しかった。鎖骨のくぼみも頬にかかる黒くまっすぐな髪も骨ばって少しザラついた掌も。わたしはあの指に首筋をなでられるのが好きだ。わたしがまつげを震わせると目の前の彼は笑った。何も おかしくないときに笑うのが彼のクセだった。


「ユウ――――














彼はわたしの先輩だった。ラビとつるんでよく食堂の隅にしゃがみこんでいた。なにしてるの、となけなしの勇気をふりしぼって初めて近づいたとき、彼は「しっ」とその唇に指をあてた。


「ハツカネズミ」


子供のころから彼は雄弁ではなかった。子供のわたしはハツカネズミがどうしたのかさっぱり理解できなかったけれど、ピンクの髪をふり乱して「ユウ、チーズ持ってきたさー!」と走ってきたラビを認めてようやく分かった。でもわたしたちはラビの チーズよりも後ろで包丁ふりまわしてるジェリーさんの形相のほうが心に鮮やかだったので、回れ右をして走り出した。「ユウー!」「バカついてくんな!」「なんでさ、オレ見捨てんの親友だろ!?」「誰が親友だてめーなんかジェリーに刺されて 昇天しちまえ!」「せっかくチーズ持ってきたのに!」「バレてりゃ意味ねーだろが!」「オレがんばったよ!?」「死ね」「え、ひど」わたしは笑った。

転びそうになるわたしの手を引っぱってくれる汗ばんだ手が嬉しかった。






初めてアクマを壊したときも彼が一緒だった。壊したときの衝撃で力の入らない手が彼のドアをノックしたとき、わたしは怒鳴られる覚悟だった。でも彼はわたしを一瞥したあと、ゆっくりとドアを開けてくれた。


「寒いのか」


違うと言ったのに、彼は自分の毛布をわたしの頭にひっかぶせてベッドに座った。ちょっと迷ったけれど(「男は狼なんだからいくら相手がユウでも油断するなよオレ一緒にいけないからさ」)結局その隣20cmくらい空けて座った。しばらくそのまま でいた。彼は黙っていた。こらえきれずに肩を震わせたときは、わしわしと毛布ごと頭をなぜられた。目の前を覆う毛布越しに彼の暖かさを感じた。初めて彼の前で泣いた。狼は現れなかった。

彼の心臓は一晩中動き続けていて、わたしはそれがとても心地よかった。






わたしは彼をひっぱたいたことがあった。とんでもなくその澄ました顔が気に食わなかった。彼は、ラビに対しコムイに対し果てにはリナリーに対してまで、ひどく辛い態度をとっていた。しかも理由なく。それが許せなかった。あたしの怒りをこめた手は 彼の頬に届くまえに捕らえられ、食堂から引きずり出された先の廊下は暗く人気がなかった。


「おまえが好きだからだろ」


あんまりのことにわたしは反応できなかった。彼の黒い目はどこまでも吸い込まれそうに深く、まっすぐこちらを見すえて微動だにしないのだ。思わずすくんだわたしの見つけた活路は彼の手を握ることだった。子供のとき以来の彼の手はわたしの 両手に余るほど大きく、少し荒れていた。人を守る手だ、と思った。一生懸命彼を見上げることでわたしは気持ちを伝えたかった。少しの間わたしの目を見つめたあと、彼はふっと空気を和らげて方に腕を回してくれた。怖がらせて悪かったな、 という声にわたしは首をふった。

わたしと彼をへだてる団服が邪魔だと素直に思った。















「ユウ――――


声はみっともなくしゃがれてしまっている。目の前の彼は片方の眉をあげて口端をつりあげた。


「なんだよ」


ああ、わたしの大好きな笑顔だ。

頬がぬれる。彼が近づく。散乱する建物、つぶれた手足、破けた団服、消えた武器。わたしだけが立っている。わたしと彼が。彼の頬には小さな裂傷、わたしは瓦礫にすがってようやく立てるだけなのに。彼はうっそりと笑った。





わたしは目を閉じた。見たくなかった。笑う彼。ここに倒れた仲間たち(「」)奪われたイノセンス(「来いよ」)動けぬ身体(「来いよ、」)









愛しい、彼。
(ここは戦場だ!)








目を開けたときに見えるのは、空か闇か血潮の赤か。覚悟をしていたのに予想に反してわたしをのぞきこんでいたのは彼だった。心配かけるな、と抱きしめてくれた腕は温かい。彼だ戦場のまがい物じゃない。彼だ。本物の彼だ。 ならばわたしはふり払えたのだ、あの悪夢を。彼の顔で声で掌でわたしを騙そうとしたあの悪魔。切り裂いたときの胸の痛みは忘れられない。だってあれは彼だった。きっとわたしは彼が死んだら同じ痛みをかみしめるのだろう。





わたしは彼の名前を呼ぶことはもちろん愛をささやくこともできない(だってわたしの声は戦場で使うものだもの)。だから動けないわたしは涙をこぼした。怖かった、辛かった、愛しかった。ぜんぶ知ってほしかった。いつからわたしは 彼なしでいきられなくなってしまったのだろう。こんなに胸が痛いんだよ、ねえ。目の前で彼が消えてしまったとき、彼の姿をしたモノが消えたとき、わたしは本当に痛かったの。本当だよ嘘じゃないよ、もう二度と声が出せなくてもいいと思った だってわたしの声は貴方を抱きしめてあげられないの不安にさせるばっかり。ああでも、わたしもとっても不安だったの。ねえユウ。





声はぶっきらぼうで素っ気無くてわたしの大好きな目はそっぽをむいていたけれど、丁寧に頬をなぞる指の荒れ具合にひどく安心した。

















(お願いわたしの前からいなくならないで、お願い)