ばかなこ、と彼女は言った。日に焼けて縮れた髪と水にさらしてひびわれた指と山を下りて町までヤギを売りに行く硬い足の裏が彼女の持ち物で、売り物のヤギも欠けたレンガを積み上げた家も祖母のお古で褪せた服も洗えばまあまあ健康的にきれいだけどいつも土と飼葉にまみれてみすぼらしい彼女自身ですら彼女のものではなかった。彼女は日が昇る前から働き日が沈んでもまだ働いた。夜中の彼女の眼は常にふくろうのように開かれていて俺は初めてそれを見たとき獣のようだと思った。無欲な獣。飼いならされた獣。彼女は俺を見ると鷹揚に笑い、自分の朝飯のパンを一つ分け与えてくれたり食える木の実を教えてくれたり凍えた足をさすってくれたりした。お互いがさがさの肌で擦れて血が出たけれど彼女も俺も苦しくはなかった。

彼女は時おりひどく頬を腫らしていたことがあった。はじめて気づいたのは俺が彼女に木苺を持って行ったときだった。彼女は朝から飯も食わずに搾ったヤギの乳を自分の腰ほどまである大きな樽に入れて町まで売りに行く途中で、俺を認めるといつものように大きく笑おうとして失敗した。


「どうしたの」
「ヤギに蹴られたのよ。嫌ぁね、あんたこそなんなのその顔。また殴られたの?」
「違うよ。それより市まで行くなら一緒に行こう。いいだろサラ」


そうね、と彼女は微笑んだので俺は彼女の前に回って足を払い赤土の道からできるだけ砂利を取り除こうと努力した。俺は彼女の樽を持ってやることはできなかったし、木苺をつぶさないように握っていることはとても難しかった。市に卸して彼女は解放された手でパンを一つ俺にくれ、俺は森で探し出した3つの木苺を彼女にやった。彼女はとても嬉しそうに笑っていい子ねと俺の頭を何度もなでた。木苺を食うために開けられた彼女の口の中は驚くほど赤かった。











ばかなこね、と彼女は繰り返して言った。もうあそこにはいられなくなるわ。俺は問題ねえよ、と頷いた。曇天の下で彼女の左眼はつぶれて動かず、ここまで彼女を抱えて走るだけで俺には重労働だった。村人の持つ火はもう遠い。彼女の手を握って額に押し当てると節くれてがさついた指が髪の生え際をくすぐるように動き、俺は不謹慎にも小さく笑ってしまった。自分はとても不幸だが彼女はもっと不幸だ、と感じた。俺の荒れた手と彼女の血染めの手。


「しあわせだわ」
「なんで?」
「だっていまはてぃきがいる」


彼女は切れた舌を蠢かせてそう言うと小さくくぷりと笑った。実際彼女の喉はくぷりと鳴った。俺の手は彼女の手と同じくらいの大きさしかなくて彼女の眼は三日月形に細められて彼女の夫はものも言わない。俺は血にまみれた彼女の頬にくちづけ、小さく上向いた鼻にくちづけた。


「俺、サラが好きだよ」
「あらぐうぜん。わたしもてぃきのことすきよ。ここにいて」
「サラが望むなら」


彼女は俺の眼を見て「のぞむわ」と微笑んだしそれは嘘ではなかったけれど、彼女が俺を好きだといった、それは明白な嘘だった。


「サラは幸せになりたかったのか」
「そうね。しあわせだったけどしあわせじゃなかったの。よくがでたのね。てぃき」
「うん」
「ばかなこね」


うん、と俺は囁きそのまま彼女の唇に重ねた。くぷり、と喉が鳴った。

































逃げましょ、坊や。






























(いと素晴らしき自由かな)