愛しのひーちゃん



***




ひーちゃんが浮気をした。





***


今日も仕事は遅くまで続いた。
あっちでレッスン、こっちでコメント撮り、そっちで録音。
忙しい。
マンションの前にマネージャーさんの車が横付けされたのは
深夜も深夜、丑三つ時って頃合い。

「じゃあ、明日は9時には迎えに来るから」

さらっと言いのけるマネージャーさんにちょっと恨めしげな視線をやって

「……お疲れ様でした」

だけど仕方ない、と諦めて挨拶だけして車を降りる。
お仕事があるだけ幸せなんだよ、きっと。
それだけ周りが期待してくれてるってコトなんだし。
頑張らなくちゃ。
ポジティブポジティブ。
そう自分に言い聞かせて。
ふらふらと疲れきった身体をなんとか部屋まで動かせる。
ドアを開けて、電気をつけると。





部屋のど真ん中で、ひーちゃんが眠っていた。





ひーちゃん!!


思わず上げそうになった声を手で押さえて。
私は急いで、だけどそーっと靴を脱いで部屋に上がる。
バッグや紙袋もそーっと玄関に置いて。
眠るひーちゃんの横へ駆け寄る。
くーくーと、ひーちゃんは気持ちよさそうに寝てた。
身体はその安らかな寝息と共に上下して。
近くで見ると結構長い睫毛も一緒に上下してる。



可愛い、ひーちゃん…。


前に会ったのはいつだったかな?
外で見掛けることはあったけど。
ひーちゃんがこの部屋に来てくれるのは本当に久しぶり。
ここはひーちゃんのおうちって思ってね?
って何回も言ってるんだけど。
その時は解かったような顔をするのに、すぐ忘れちゃうんだね。
イジワルなひーちゃん…。
そっと、手を伸ばす。
その薄茶の毛をゆっくり、愛しく撫でて。
それで、この部屋に暖房がついてないことに今更ながら気が付く。
ひーちゃんの身体が冷えているのにびっくりして、私は慌ててリモコンに手を伸ばした。
自分の身につけているコートやマフラーを取ると、部屋は深々と冷えていた。
もう、ひーちゃん。
こんなトコで寝たら凍死しちゃうよ?
せめてベッドにでも入ればいいのに。
私はその冷えた身体を温めようと、ひーちゃんに抱きついた。
こんなに冷えちゃって。
顔を首の辺りに埋めて、頬ずりする。
ひーちゃん、今、暖めてあげるからね?
……だけど。





「な、なに、コレ……」





ひーちゃんの首に、鈍く光る何かがあった。
慌てて顔を上げてそれを凝視すると……何か、ハートみたいな彫りの入った小さなプレートだった。
うそ…!!
私は、自分が凍りつくのを感じた。
血の気がさーっと引いていく。
ひーちゃん……。
何、ソレ?
私、そんなものあげてないよね?
第一、私がそういったものをあげてもウザったそーにして付けてくれなかったじゃない。
それなのに…それなのに……。



「ひーちゃん…」



ひーちゃんは浮気モノ。
そんなコトは解かってた。
夜更けにキツい香水を付けて来ることも、嬉しそうにお菓子を一杯ぶら下げて帰ってくる
ことだってあった。
それでも、私は何も聞かなかった。
だって、ウザい女なんて思われたくなかったから。
だから、目を瞑ってた。
でもそれはひーちゃんが私のもので、それは浮気だって思ってたから。 だけど、もしかして。
ひーちゃん、他に本命がいるの?
もしかして、そっちのおうちにずっといたの?
そっちが、ひーちゃんの『おうち』なの?
私のことは、遊びだったの………!?





「ひーちゃん!!」




大声を出して、ひーちゃんを揺すり起こす。
もう、我慢出来ない。



「ひーちゃん、なんなのよ、コレ!!」



びっくりして飛び起きたひーちゃんは、私と少し間合いを取ってこっちを見つめてる。
寝起きでちょっとだけぼーっとしてるけど大きな目は見開かれたまま。



「答えなさいよ、ひーちゃん!!今までどこ行ってたの?私、ずっとずっと待ってたのに!!」



ひーちゃんは一言も発さないまま、こちらを見つめてる。



「浮気してるの?浮気してるのね!?どこの誰よ!!」



私の目から、一滴、雫がこぼれる。
これが泣かずにいられるかっての。



「こんなに、私はこんなにひーちゃんが好きなのにぃ…」



涙が止め処なくこぼれだして。
私は俯いた。
ひーちゃんのバカ、ひーちゃんのバカ、ひーちゃんのバカ。
ひーちゃんのために、私、慣れない料理だって頑張ったし。
ひーちゃんのために、私、片付けだってした。
ひーちゃんのことを思えば、どんなにツラい仕事だって頑張れた。
ひーちゃんのこと、こんなにこんなに好きなのに……。



と、目の前の存在が動く気配がして、慌てて顔を上げると。





「うそ、ひーちゃん…!!」





ひーちゃんが私に背を向けて玄関に向かっていた。
うそでしょ、ひーちゃん。
泣いてる私をほっぽって、何処へ行くつもりなの?
ねえ!!



「待って、ひーちゃん。置いてかないで…」



私は慌てて立ち上がろうとしたけど、涙で前が曇って、自分の投げ出したコートに足を取られて
その場に転んでしまう。



「ひーちゃぁん……」



だけどそんな私にお構いなしに、振り返りもせず。
ひーちゃんは外へ出て行ってしまった。



「ひ、ひぃ……ちゃぁん……っ」


これって、もう、終わりなの?
私、ひーちゃんに捨てられちゃった? 酷い。
泣いて転んでる私を振り向きもせずに出て行くなんて……。





「酷いよぉ……ひーちゃん………バカぁ!!!」





私は、ひーちゃんの消えたドアに向かって思いっきり叫んだ。
ひーちゃんのバカ、ひーちゃんのバカ、ひーちゃんのバカぁ!!!





「あのさぁ」





寝室のドアが開いて。
振り返ると、よっすぃーが立っていた。



「夜中にひーちゃんのバカ、ひーちゃんのバカって……人聞き悪いからやめてくれる?」



「よっすぃー!!ひーちゃんが出てっちゃったの!!しかも首輪してたのよ!?
それ問い詰めたら、何も言わずに……うぅ…コレってあんまりじゃない?
雨の日にぼろぼろで野垂れ死に掛けてたトコを私が拾ってきて面倒見て、
やっとあんなに元気になったのに…うぅぅ…元気になったら、コレ!?
酷い、酷すぎるぅ……」



「だから、拾った猫にひーちゃんなんて名づけるのは反対だったんだよ」



そう言って、よっすぃーはひとつため息をつくと寄ってきて、優しく抱き締めてくれた。



「もともとアイツは野良だったんだしさ。イシカワの愛情はちょっと過剰すぎてアイツには
重荷だったんだよ、きっと」



「だったらそう言ってくれればいいじゃない!!私、ひーちゃんのためを思って!!
売ってるキャットフードは添加物が一杯って聞いて、よっすぃーにだって手料理作ったこと
ないのに、あの子のために料理したのよ?
私だって、いくつもいくつも首輪用意したんだから。
今度こそは気に入ってくれるんじゃないかって。
だけど全部、つけようとすると逃げちゃって…だから、だから私、我慢したのに。
なのに少し見ない間に、余所の人がくれた首輪ぶらさげちゃって!!!」



言ってる間に、どんどんどんどん悔しくなってきて、私はまた涙が止まらなくなる。



「うぅ…ひーちゃんのバカぁ…ずっと一緒にいようねって約束したのにぃ……」



よっすぃーはそう言って、ティッシューを引き寄せて私の頬を拭ってくれた。
ついでに鼻かみなって言われて、鼻もかんでもらった。



「よっすぃー…」



よっすぃーに抱きつく。
その髪は、ひーちゃんの毛と同じ薄茶色で。
それを見たくなくて、目を閉じた。



「ほら、もう風呂入ってきな。なんか温かいモン用意しといてやっから。
それ以上泣くと、明日目が腫れるし。明日も仕事だろ?」



私の頭をぐりぐりって撫でて。
よっすぃーはそう言うと、私をぐいっと無理矢理に立たせた。
そう……だよね。
ひーちゃんに捨てられたって。
ひーちゃんが一緒にいなくたって。
明日は来て、お仕事もやってくる。
こくっとひとつ頷いて。
仕方なしにお風呂場へ向かう。



「イシカワ」



声に振り返ると、



「その」



よっすぃーは立ったまま、手持ち無沙汰そうに手をぶらぶらさせて。
ちょっとはにかみながら





「あたしがさ、ずっと一緒にいるからさ。それで、いいじゃん?」





そう言った。



「よ、よっすぃー……!!」



「あたしは何があってもイシカワ捨てたりしないし、さ。
その、どんなイシカワも、好き、だから、ね?」



それからまた涙が止まらなくなって。
私がお風呂に入ったのはそれから1時間後で。
翌日の朝にはばっちり目が腫れてて。
マネージャーさんには怒られちゃったけど。
ひーちゃんは二度と戻ってこなかったけど。
それでも。





まあ、いっか。
よっすぃーがいれば、それで。





おわり。











その日の深夜。




0´〜`)< イシカワぁ…



;^▽^)< ダメ。明日も早いんだから。



0´〜`)< ちょっとだけ……ね?



*^▽^)< もぅ、ダメってばぁ……やぁ



*´〜`)< イシカワぁっ



*^▽^)< やぁん



                           がたがたがた
                           ニャーニャー



がばっ



Σ ^▽^)< ひーちゃん!?



ばたばたばた…



0`〜´)< ちょっとぉ!!



がちゃ



ニャーニャー



 T▽T)< ごっちん!!ごっちん、帰ってきてくれたのね!?
       半年前に出てったきり帰ってこないから
       もう、私、捨てられたのかと…



ニャーニャーニャー



 T▽T)< ありがとー、ごっちん!!
       愛してるわぁ!!!



;0^〜^)< お前、一体どんだけ猫に逃げられてんだよ…
        つーか、あたしの立場は!?ねえ!!!



今度こそおわり(w