『きみはペット?』    うちには、一匹、ペットがいる。  act.1    PM17:30    社内に終業のチャイムが響くと同時に、私は席を立つ。    PCはすでに電源が切られ、机の上は綺麗に片付いてる。    重役たちは今日は殆ど退社済み。    「お先に失礼しますっ」    秘書課の面々に深々とおじぎをして…    「あ、石川、ちょっと待って。この書類なんだけど……」    部屋を出ようとしたら、すかさず先輩の保田さんに声を掛けられる。    だけど    「それ、締めまでにまだ余裕ありますよね?処理はまた明日するんで    机の上に置いておいてください」    それじゃ、ごめんなさい。    急ぎますので。    お先に失礼します。    保田さんの鋭い視線を見ないように顔を逸らして、口早にそう続けて。    私は猛スピードで逃走を試みる。    危ない危ない。    保田さんの目なんて見ちゃったら石にされちゃって、もう二度と    会社から逃げ出せなくされちゃうんだから。    怖い怖い。    ロッカーに駆け込んで、レベッカのスプリングコートとクレエを掴んで    誰よりも早く会社を出る。    「お疲れ様でしたぁ」    だってだって。    私には早く帰らなきゃいけない理由がある。    ああ、途中でスーパーに寄って、あれもこれも買わなきゃ。    それで、お夕飯は冷蔵庫のあれと一緒にあんなのとこんなの作って。    付け合せは、スーパーで何か出来合いを買っちゃえばいっか。    最寄り駅のホームに駆け込んで。    出発ギリギリの電車に飛び乗り。    手すりにもたれながら、そんなコトを考えてた。 * * *    私、石川梨華はほんの少し前までごく普通の、つまらない日々を送るOLだった。    秘書課勤務って言ったら聞こえはいいけど……フツーのOLとそんなに変わりはしない。    お局の中澤さんや先輩の保田さんの鋭い視線に日々脅かされ。    後輩の高橋や道重の教育に追われ。    週に2〜3回は残業をして。    早く帰れた日はショッピング。    週に2回くらいは友達と遊んで。    月に1回は合コン。    出会う人たちは優しくて、退屈させないけど。    何か、違って。    何か、足りなくて。    結局、その後2〜3回会ってオシマイ。    そんな退屈な毎日がエンドレスに続いてた。    少し前までは。    それは、雨の日で。    中澤さんに押し付けられた締めギリギリの仕事を遅くまで残って処理して。    久しぶりに終電間際の電車に乗って家路についた。    マンションの向かいのコンビニで夜食に近い夕食を適当に買って    外に出たとき。    視界に入ったのは、ずぶ濡れの彼女だった。    限りなく金に近い茶色の髪から雨粒を滴らせて。    俯き加減に。    彼女はうちのマンションの軒下に立ち尽くしていた。    綺麗な子だった。    ボーイッシュなカンジで。    背が高いから、帽子とか目深に被ったらちょっと男か女かかわかんないかも。    多分、私とそんなに年は違わないだろう。    大学生か。    私みたいに短大出とか専門出とかだったら、社会人。    フリーターって手もある。    とにかく。    そんな彼女がなんだかすごく気になって、仕方なく。    通りを渡ってエントランスに入る時、思わず振り返って彼女を見た。    その頬が、なんだかちょっと…ううん、すごく赤いな。    そう思った瞬間。    彼女がふらっと揺れたかと思うと。    その場にバタンと崩れ落ちた。    「えっちょっ……大丈夫?」    慌てて駆け寄ると……身体がすごく熱くって。    「ねえ、あの、すごい熱なんだけどっ」    抱き起こすと、彼女はうっすらと目を開いて    「す…みません……ちょっと風邪気味で…」    そう言って。    ぐったりと意識を失ってしまった。    えっえっ。    ちょっと待って。    どーしたの?    私、どーしたらいいの?    周りを見渡しても、彼女の連れらしき人物はなく。    深夜の街にはコンビニの灯りが煌々と光るのみ。    えっえっえぇーーー!?    どうしたらいいの、私?    この子……どうしろっていうの!!? * * *    ドアの前で、軽く息を整える。    はぁはぁ。    携帯を出して見ると、PM:19:05    すごい。    頑張った、私。    だけど、そんな姿を見せるのはなんだかちょっと癪だから。    もう一度、深呼吸をして。    鍵を取り出した。    「ただいまぁ」    そう言ってドアを開けると。    しかし、部屋の中はシーンと静まり返っていた。    だけど、玄関先にはスニーカーが出勤したときと同じように無造作に    置かれているから彼女がいることは解かって。    「よっすぃー?」    部屋に入ると。    ソファの上で気持ちよさそうに横になる大きな身体。    あらあら、毛布も掛けないで。    ちょっと、お腹出ちゃってるじゃない。    また風邪ひいちゃうわよ?    慌てて寝室からブランケットを持ってきて、そっと彼女の上に掛ける。    ふわっと暖かな感触に満足してか、よっすぃーは    「んん」    と甘い声を漏らして幸せそうに微笑む。    ふふ。可愛い。    その柔らかい髪を撫でると、気持ちよさそうに頬をすり寄せてくる。    ホント、可愛い。    雨の夜拾ったよっすぃーは、そのまま私の家に住み着いて。    今では、私のペットになってしまった。 * * *    「あ、あの……ありがとっ…」    翌朝。    目の前でぶっ倒れた彼女は、見事に復活していた。    勿論、私の夜通しの献身的な看病のおかげ。    どうしていいか解からずに、とりあえず管理人さんに助けを求めようとしたんだけど    不在なのか一度眠ったら起きないタイプの人なのか。    管理人室は何度チャイムを鳴らしても、全く反応しなかった。    全く、こんなんじゃ常住の意味ないじゃない。もう。    ……でもさ。だからって。    まさか、そんな、マンションのエントランスに転がしとく訳にもいかないじゃない?    だって、女の子だし。    そんなコト、絶対出来ない。    綺麗な子だし。    ましてや熱出してるんだし。    30分近く、途方に暮れて。悩みに悩んで。    それで、仕方なく。    私は、私の部屋に彼女を運んだ。    コレがまた大変で。    私よりおっきいその身体を、また30分近く掛けて搬入した。    お陰で、買ったばかりのフラジールのミュールは傷付いちゃうし    バーバリーのセットアップも汗まみれ。    あー、もう。    クリーニングに出さなきゃ。    で、部屋に上げたあとも、まさか病人を床やソファに寝かせられないから    ベッドに寝かせて。    熱出して倒れたのに、身体が雨でびっしょりだったからタオルで       拭いてジャージに着替えさせて。    氷枕に湿らせたタオルを用意して。    やっと落ち着いたら、今度は彼女がうんうんうなり出して。    どうしていいか解からずに、とりあえず頭を撫でてあげたら    どんどん表情が和らいで、やがて静かに眠りについた。    だから、私は。    なんだか、放って置けなくて。    仕方なく。    朝まで彼女の髪を撫でてた。    「あの……目覚まし鳴ってるんですけど…」    肩を揺すられて、顔を上げると。    色白な顔が、間近にあった。    ……昨日はあんなに赤い顔してたのに。    「あ、私、寝ちゃって………って、えっ、今、何時!?」    「7時……」    「きゃー。ヤバい。遅刻しちゃう。今日は久しぶりに会長が出社するのよ。    秘書室総出でお出迎えなのよ。あのおじいちゃん、朝早いのよ〜〜〜」    「あの……」    慌てて飛び起きて、クローゼットを開ける。    もう、シャワー浴びてる時間もない。    髪のセットも……会社のロッカーでしよう。    ヘアスプレーをバッグに入れてって。    誰かコテ持ってたよね。    一番手近にあったクレージュのピンクのワンピースに狙いを定めて    着ていた服を脱ぎ始めると…    「あ、あの……ありがとっ…」    キャミソール姿で振り向くと、彼女の顔は昨日みたいにぽっと赤く染まった。    「夕べのコト、あんま覚えてないんだけど。助けてくれた…んだよね?」    あー…。    まあ、そうだよね。    あんなうなるくらい熱出してちゃ記憶もないよね。    「いや、そんな。確かに目の前で倒れられたときはびっくりしたけど。    困ったときはお互い様ってゆーかぁ、大したコトはしてないし〜……」    「ううん。あのまま転がしとくコトも出来たのにさ。ホント、なんてお礼を    言ったらいいか……」    ジャージを着て、照れたように頭をガシガシ掻くその姿は男の子みたいだけど。    一層赤くなった顔を隠すように俯く様子は、なんだか、すごく可愛い。    綺麗なんだけど。    カッコイイんだけど。    なんか。    可愛い子だなぁ…。    「あのさ、名前、なんてゆーの?アタシは…」    「ああぁっ」    彼女の頭の向こうにちらっと見えた時計。    それは……。    「もう7時半になっちゃう!!ごめんね、私、ホント行かなきゃ!!」    玄関に昨日転がしたままになってたディオールのトートを拾って    「お礼とかいいから。ここ、オートロックだから戸締りとか心配しなくていいし。    シャワーとか勝手に使っていいから、体調良くなったら好きに帰って」    マリクヮのお化粧ポーチからパクトを出して…    うー…ん。    仕方ない。    お化粧も会社に行ってからやり直そう。    「それじゃ、元気でねっ」    ポール&ジョーのジャケットを羽織り、シンシアのハイヒールを突っかけて。    勢いよく部屋を飛び出す。    呆然と立ち尽くす、夕べ助けた彼女に手を振り。    まあ、悪い子じゃなさそーだし。    助けてあげた訳だし。    まさか部屋に残してきたって何かするなんてコト……ないでしょ。    大通りに出たところで、タクシーを捕まえて乗車。    仕方ない。    だって、ホントに時間がないんだもん。    はあ、と後部座席に深く座って。    そういえば、あの子の名前も知らないわ。    そう思った。    だけど、まあ、もう会うこともないだろーし。    そう思って。    綺麗な子だったなぁ、可愛い子だったなぁって。    その時の私は、もう、次の瞬間には彼女のことは過去のコトのように    片付けてしまっていた。    だから。    終業後、案の定した遅刻のことで保田さんにこっぴどく叱られ凹みながら    トボトボ帰り、見上げた先に自分の部屋の灯りを見た時は    正直夕べ以上にびっくりした。 * * *    「んん………り…ちゃぁん…」    普段のよっすぃーも可愛いケド。    可愛いってよりもカッコイイってカンジ。    だけど。    寝てるよっすぃーは断然可愛い。    もう、寝言で私の名前なんて呼んじゃって。    ホント、可愛い。    癪だから。    本人には言わないケド。    「おなか…減ったぁ………」    ………はいはい。    すぐに用意しますからね。    私はため息をついて立ち上がる。    もう。    さすがペットね。    ご主人様=エサをくれる人?    全くもう。    「………っ」    キッチンへ行こうと歩き出したとき    前のめりに転びそうになって振り返ると    「よっすぃー…」    すやすやと眠るよっちゃんの片手が、しっかり私のスカートの端を握ってた。    なんとなく、その姿が哀れで。    また傍らに座り込み。    そっと。    よっすぃーの白くて柔らかい頬にキスをした。 * * *    よっすぃーは、ママに捨てられたのだと言う。    もう高校くらいのときだったから、生きるの死ぬのって問題ではなかったって    よっすぃーはなんでもなさそうに言うけど。    それ以来、おうちがあるのに帰らずに色んなところを点々としてるというよっすぃーは    多分、すごく、傷ついたのだと思う。    そして、女の子の恋人ばかり持つのは。    きっと。    よっすぃーなりの、母性への思慕の現れなんだと思う。    もっとも。    よっすぃーにこんな色んな事情を聞かせて貰ったのはもっと随分経ってからで。    出会った頃は。    よっすぃーはただただ、調子のいい愛玩動物……だった。 * * *    「おかえりっ」    おそるおそるドアを開けて中に入ると。    夕べ助けた彼女がかしこまってソファに正座してた。    「なに……どーしたの?」    混乱してる私に、彼女はまあまあ、とソファに座るように勧める。    「その、お礼がしたくてさ」    はぁ……。    気のない返事をする私に    「アタシ、すごく感謝してるんだ。一宿一飯の恩は忘れない主義」    忠義な犬のように私をまっすぐみつめて言う彼女。    「どーしたらいい?なにして欲しい?なんでも言ってよ」    しかし、その物言いはなんだかちょっと偉そうで。    「いや、だから別にお礼とかいいって…」    「それじゃ、アタシの気が済まないんだって!!」    そんな、自己満足な恩返しって…。    言いかけたケド、その子の目があんまり真剣なんで思わず飲み込む。    「なんでもします。梨華ちゃんがして欲しいコト言って」    「なんでもって言われても……」    ……    ……    ……    あれ?    「名前……」    あっって声を上げて。    彼女はまた頬を赤らめて俯く。    手がおずおずと寝室のサイドテーブルを指す。    「その、名前、なんてゆーのか気になって……郵便物の宛名を…」    ムカっ。    「そ、そんなっ」    「ごめん。だって、知りたかったから」    なんか、ちょっと、すごく、ムカっとした。    だって、知りたかったからって勝手に郵便物とか見るのってどーかと思う。    そりゃ、郵便物を封も開けずにテーブルの上に置いとく私もアレだけど。    でも、だからって勝手に見るのとかって失礼じゃない?    「……もう、いいから帰って。元気みたいだし」    「あの、その……」    オロオロする彼女に、私はすごく冷たい声を掛けた。    「出てって。お願いだから」    すると彼女は、眉を寄せて。    肩を下げて。    こくんとひとつ頷くと。    ふらふらと立ち上がって玄関へと向かう。    「ごめんね。その………バイバイ」    パタン。    音がして。    彼女は出て行ってしまった。 * * *    唇を頬から離すと。    よっすぃーがそろそろと目を開けた。    色素の薄い大きな瞳。    それが、私をくっきりと映し出す。    「おはよ、よっすぃー」    「おはよ……梨華ちゃん…今、何時?」    「もう、夜の7時です。ねぼすけよっすぃー」    「そっかぁ。お帰り、梨華ちゃん」    「ただいま、よっすぃー」    ふふっと微笑みあって。    よっすぃーはぎゅっと私に抱きつく。    ふあぁってあくびをして。    「お夕飯なぁに?」    ホントにもう……。 * * *    ドアを閉めたときの。    その背がすごくしょんぼりしてて。    私より全然おっきな身体なのに、なんか頼りなくて。    なんだか。    なんだか、すごく気になって。    気になって……。    どうしてだろう。    思わず部屋を飛び出して追いかけた。    よっすぃーが部屋を出て、ものの15分くらい。    だけど、後で聞いたところによるとよっすぃーにはすごくすごく長い時間に    感じたらしい。    もう、何時間も何時間も。朝が来ちゃうくらい長い時間。    …まあ、それはよっすぃーの誇張だろうけど。    エレベーターのボタンを押して、だけどそれを待つのももどかしく階段を駆け下りた。    エントランスに出て……もう、いないかな。どっか行っちゃったかな。    そう思って、外に出て。    そしたら。    夕べ助けた彼女は、夕べと全く同じようにうちのマンションの軒下に立ち尽くしていた。    もう、雨は降ってなくて。    月の明るい夜だった。    だけど、彼女は俯いて。    昨日のように雨宿りしていた。    その姿が、なんだかすごく寂しげで。    まるで、捨てられた子犬が夜に怯えて震えているように。    「ねえ」    私は、声を掛ける。    「行くとこないなら……うち来る?」    彼女のびっくりした顔を、月が明るく映し出す。    「今夜だけだよ」    「うんっ」    私の声を遮るように。    彼女は大声で返事して、満面の笑みを浮かべた。    可愛い。    不覚にも、私はまたそんなことを思ってしまう。    なんでだろ。    私よりもおっきくて。    ちょっと男の子みたいなこの子に。    私はどうして可愛いなんて思って。    惹かれてしまうんだろう。    それは、もしかしたら恋のはじまりだったのかもしれない、と。    思ったのはやはり、ずっと後のコト。    そして。    彼女は案の定、うちに住み着いてしまった。    「ね、ね、梨華ちゃん。いいコト思いついたよ」    ある日、よっすぃーが満面の笑みで言う。    「なあに?」    「あたし、梨華ちゃんの恋人になったげる」    胸を張って言うよっすぃーに    「……はぁ!?」    私は思いっきり呆れた声をあげるけど。    「恩返しに梨華ちゃんとずっと一緒にいてあげるよ」    「それのドコが恩返しなのよっ……大体、恋人って…」    「恋人いないでしょ?」    だから、その自信はドコから…    第一……    「失礼ねっいますっっ」    「……ホントに?」    「ホントですっ」    「………じゃあ」    よっすぃーはしばらく天井をみつめ、そして    「じゃあ?」    「ペットになってあげる」    にこっと微笑む。    「ペット?」    「そう、ペット。ご主人様の都合のいいときに甘えて、甘えさせてあげる。ペット!!」    ね、梨華ちゃん。    それって名案じゃない?    あたし、梨華ちゃんのペットになるよ……。    梨華ちゃんに、都合のいい生き物になる。    だから、可愛がってね………。 * * *    うちには、一匹、ペットがいる。    しろくておっきくて、お昼寝大好き。    名前はよっすぃー。    ヒト科のメス。    彼女との生活は、案外楽しい。
 act.2    うちには、一匹、ペットがいる。    (ホントはペット禁止のマンションなんだけどね)    しろくておっきくて、お昼寝大好き。    そして、自称・一宿一飯の恩は忘れない、忠犬。    真偽のほどは……よくわからない。 * * *    「ねーねー、お夕飯なに〜?」    そう言って、よっすぃーはキッチンの私の背に抱きついてくる。    ラブラブカップルみたい?    だけど…    「もうすぐ出来るから向こう行っててよ、よっすぃー」    「ええー。なんで?いいじゃんいいじゃん」    「暑っ苦しいの!!向こう行っててってば!!!」    「んじゃ、クーラーつける。ね、コレでいいじゃんさ」    よっすぃーはクーラーのリモコンを操作すると、また私にじゃれついてくる。    まるで、ホントの犬みたい。かまってかまって〜って。    ふざけて、私の首の辺りに手を絡み付けて。    首筋に、顔を埋める。    それが。    それがきっと、いけなかった。    「もぉ、ダメってば、真希ちゃ……」    はっとした。    確かに、それは真希ちゃんの好きな仕草だったけど。    まさか、口をついて出るなんて思わなくって。    思わず息を飲んだ私に。    よっすぃーは顔を上げた。    「マキちゃんて言うの?梨華ちゃんの恋人」    「……」    「いいじゃん、別に。マキちゃんかぁ。可愛い名前だね」    「……」    「ね、写真とかないの?見たいな、梨華ちゃんのマキちゃん」    「……」       「なにも、黙るコトないじゃん」    トゥルルルル   トゥルルルル    良いのか悪いのか、よく解からないタイミングで家電が鳴り出した。    沈黙を埋めるように。    沈黙を誇張するように。    トゥルルルル   トゥルルルル    「出ないの?」    「……」    「あたし、出よっか?」    「……」    「ねえってば」    カチャ、と切り替わる音がして。    無機質な留守録の音声が流れ出す。    「いいの。どうせ、ママだと思うし……」    「ふうん」    ピーーーーーー……    『もしもし、梨華ちゃん?あたしだけど……』    ママじゃない、声が流れ出す。    『携帯、番号変えたでしょ?だから……その、話したい』    愛しい、その声は。    『話したいんだ、梨華ちゃん。誤解だよ。ねえ、いつでもいいからさ、掛けてよ』    真希ちゃん……。    『待ってるからさ……じゃあ』    カチャ。    その音が、夜の闇の沈黙の向こうへと、静かに沈んでいった。    「………今の、ママ?」    よっすぃーの言葉に、そのデリカシーのなさすぎるジョークに    私は握ってたさえばしを投げ出して。    寝室に入って、ドアを閉めた。 * * *    「あのさ」    何時間かして。    よっすぃーがドアをほんの少しだけ開けた。    「ご飯、食べよーよ」    まどろんでいた私は、ぼんやりとしたまま視線をよっすぃーに向ける。    「一人になりたいんだったら、アタシ、外行くし」    心配そうな、よっすぃーの表情。    「だから、こっちでご飯食べてよ。ね?」    こくん、とひとつ頷くと。    ほっとしてにっこりと笑うよっすぃー。    やっぱり、こんな時でも。    可愛いなって思ってしまう。    「じゃ、アタシ、出てるし……」    煌々と灯りのついたリビングに入ると、よっすぃーは転がってたパーカーを    羽織り出す。    だけど、視界に入った食卓には…    「……よっすぃー、ご飯は?」       2人分の食器が綺麗に並んでる。    よっすぃーはこういうトコが細かい。    いつもはぐうたら寝ているクセに。    ちゃんと綺麗にお箸もお皿も並べて、食卓を整えたがる。    こういうトコに、こんなよっすぃーだけど、なんだか育ちの良さを感じてしまう。    「んー…ほら、ご主人様がさ、よしって言うまでご飯は食べらんないじゃん?    あたし、ペットなんだし。これでも、結構良く出来た賢いペットなんだよ?」    さっきみたいに、おどけて、肩をすくめて。    笑うよっすぃーが、可愛くて。    そして、なんだか、すごく愛しくて。    「行かないで」    そのパーカーの裾を、掴んでた。気が付いたら。    「ん」    「ココにいて。一緒にご飯食べて」    「解かった」    「一人でご飯なんて、寂しすぎるよぉ」    「大丈夫だよ。一緒にいる」    「ホントに?居てくれる?」    「うん。梨華ちゃんがいなくなっちゃえって言うまで。ずっとずっと、ココにいる」    だから。    忠犬よっすぃーって呼んでね。    わんわん。    よっすぃーの言葉に笑った拍子に、瞳に溜まった涙がぽろっと零れて。    それから、止め処なく。    ペットの前で、私は泣いてしまった。    自称忠犬のよっすぃーは、私が泣き止むまで抱き締めていてくれて。    そして、落ち着くと、黙って食卓に導いてくれた。    私が途中で投げ出した炒め物はよっすぃーの手で焼きうどんに生まれ変わって    食卓に乗っていた。    それはおいしかったけど、ちょっと塩辛すぎて。    それを伝えると、よっすぃーは焼きそばがなくて仕方なく焼きうどんに    なってしまったせいだ、と訳の解からない言い訳をした。    「焼きそばはすっごく得意なんだ。今度、作ってあげんね」    そう言うよっすぃーの笑顔は、まだ涙で潤んだ目のせいでどこか柔らかく    優しくぼやけて見えて。    さっきまで泣いていた癖に、なんだか、少しだけ、幸せだなって思えた。    結局、よっすぃーは真希ちゃんのことにそれ以上触れることはなかった。 * * *    それから。    人を介して、もう家には電話をしないで欲しいと伝えたせいか    しばらく真希ちゃんからの連絡はなかったけど。    ある週末。    急な来訪者で、その沈黙は破られた。 * * *    それは、よっすぃーが約束どおり焼きそばを作ってくれてる時だった。    ピンポーン    突然のチャイム。    予定してない来客なんて、一人暮らしの私には殆ど有り得ないから。    TVに向かってよっすぃーの焼きそばを心待ちにしていた私はなんだか    ドキドキしながらインターフォンに手を伸ばした。    こないだのコトもあってか、よっすぃーが気遣わしげにこっちに視線を送ってる気配がする。    でも………真希ちゃんの筈はない。絶対。    真希ちゃんは、まだ、パリの筈。    だから…    「はい」    「お休みの日に、すみません。紺野です」    ある意味、真希ちゃんよりも会いたくない相手、だった。    玄関を開けると、紺野が畏まって立っていた。    「どうしたの?アナタ、今、パリじゃあ……」    「一時帰国しました。2〜3日、こっちで事務処理をして、またパリに」    「そう……」    その先は、察しがついた。    「後藤さんのコトでお話しておきたくて」    そう言うと、紺野は耐えられないといったカンジに視線を落とす。    「その……見てられなくて。私。後藤さんが、後悔している姿を」    口元に添えた指先が、微かに震えてる。    真希ちゃんが、憎いと思った。    どうしようもなく、腹が立った。    「私が、こんなコト言えた義理じゃないって、解かってます。でも…」    声も震えていた。    屈辱?    ううん、きっと違う。    この子はそんな子じゃない。    恋しているから。    真希ちゃんのコトがホントに好きだから。    真希ちゃんを思って泣いているんだ。    可哀想な子。    「後藤さんとのコト、考え直して貰えませんか?」    なのに、真希ちゃんときたら…。    この子を、こんな遣いに出させた……。    「梨華ちゃん、その……電話…」    後ろから、おずおずと掛けられるよっすぃーの声。    紺野はびっくりして目を見開いた。    ……私が、黙ってここで泣いて暮らしてるとでも思ったのだろうか。    ううん、間違いなく、そう思っていたんだろう。    彼女は、そういう子だから。    「あの……マキちゃんて人が、留守電でしゃべってんだけど」    紺野が息を飲むのと、私が身を翻して電話へ向かうのと、どっちが早かったか。    「あ……石川さん、待って…」    『梨華ちゃん……紺野、そっち行ってない?』    真希ちゃんの声が、のんびりと電話から流れてる。    いつでものんびりとした口調の人だった。    そんな穏やかなところが、好きだった。    だけど、それがとても今は頭に来た。    「来てるわよっどういうつもりよっっ」    受話器を取ると、叫んでた。    「もう電話しないでって言ったでしょ?    それに、なに、今度は浮気相手を寄越してヨリを戻してくださいって!!    真希ちゃん……冗談じゃないわよ」    「石川さん……やめて」    紺野が半べそで部屋に上がって来たけど。    それをよっすぃーが押しとどめた。    「ねえ、紺野の気持ち、考えなさいよ。    ちゃんと、大切にしなさいよっ………」    そこまで言って、言葉が続かなくて。    怒りに手が震えて。    取り落とした受話器から、梨華ちゃん…梨華ちゃん…と連なる真希ちゃんの声。    それを、横からすっと取ったのは、よっすぃーだった。    「……聞いたでしょ?梨華ちゃん、嫌っつってんの」    すごく、低い。    聞いたこともない、よっすぃーの声。    「もう、掛けてくんな」    ガチャン、と。    よっすぃーはすごい音で電話を切って。    「うぁぁぁぁん」    泣く私を、力一杯抱き締めてくれた。    「よっすぃー、よっすぃー!!」    気づいたときには、もう、紺野はいなくて。    薄暗い部屋の中で、よっすぃーと私はただ抱き合ってた。 * * *    ベッドの中で、私はよっすぃーに真希ちゃんのコトを話した。    ふうん、て。    興味ないよって風によっすぃーは笑って。    私の髪を撫でながら、聞き流してた。    紺野は、私の後輩。    入社以来、ずっと真希ちゃんに憧れてるのを、私が一番よく知ってた。    真希ちゃんは、うちの会社の唯一の女性の重役さん。    私と同い年にして、既に専務。    ゆくゆくは系列会社の社長になる人。    現会長の孫娘なのだ。    私が入社して秘書室に配属されて、わかんないことだらけでネガティブ入ってて    いつも給湯室でこっそり泣いてたとき。    励ましてくれたのが真希ちゃんだった。    女の子にしか解かんないコトも解かってくれて。    でも、同僚のOLさんたちには言えないコトを聞いてくれて。    アドバイスをくれる。    そんな彼女に、私はどんどん惹かれ。    恋人になるのに、そんなに時間は掛からなかった。    でも。    先の見えない恋だった。    真希ちゃんにはいつも山のようにお見合い話が舞い込んでいて。    でも、仕事を第一に考えてる真希ちゃんはそれ以上に仕事が山積みで。    それに、彼女は会長の孫娘。    こんな関係がバレたら、私がクビになるどころじゃなく    真希ちゃんだって、どんなお咎めが下ることか。    だから。    いつも何かを気にしながら、怯えながら付き合ってた。    それが去年、真希ちゃんのパリへの転勤が決まった。    うちのパリの提携会社に派遣されて、勉強をしてくる。    それは、真希ちゃんにとって更なるステップアップのチャンスだった。    だけど。    連れて行く秘書は、後輩の紺野だった。    「理由は簡単。私、フラ語出来ないんだもん」    ふふっと笑うと、よっすぃーも、そりゃ残念、て笑った。    「紺野は秀才でね。言語は一通り出来るのよ。選ばれるのは当然」    でも、そのとき。    私は、何もしなかった。    必死でフラ語を勉強することも、会社を辞めて真希ちゃんを追っかけることも。    2人の関係を心配することも。    「予感はあった。だけど、何もしなかった。心配することすら」    だから、当然の結果。    じわじわと。    違和感が大きくなっていって。    そのうち、それは確信に変わっていって。    「気づいた時には、2人は同棲。ある夜真希ちゃんの部屋に電話したら、紺野が出て    涙ながらに別れてくれって言うのよ」    あまりにすんなり進むべき道に進んでしまって。    笑っちゃう。    だから。    私は、真希ちゃんに別れを告げて。    携帯の番号を変えて。    全部、リセットすることにした。    「それが、よっすぃーに会うちょっと前」    だから、よっすぃーに恋人いるって言ったのは……8割は嘘、かな。    相手は理解してくれてなくて。    私にも、気持ちが全然残ってなかったって言ったら嘘になる。    けど。    完全に終わってた。    想いは、もう。    「で、事実上も、今日で完全、フェイドアウト」    「良かった?あんなコトして、アタシ。悪いコトした?」    なんだか申し訳なさそうに聞くよっすぃーに、私は首を振って。    その手を取って、キスをした。    ううん、いいの。    むしろ……    「ありがとう、よっすぃー。よっすぃーがいてくれて、ホント、良かった…」    「梨華ちゃん……」    アタシ、好きだよ。    梨華ちゃんのコト。    好きだから。    絶対、泣かせないよ。    好きだよ、好きだよ、梨華ちゃん……。    よっすぃーの言葉に、うっとりと耳を傾けて、目を閉じた。    今は、もう、何も考えられない。    だけど、よっすぃーの優しさが、甘い言葉が疲れた私の身体に心地よくて。    ただ、ただ、よっすぃーに身を任せた。    間違ってるのかもしれない。    だけど。    それでも、良かった。 * * *    うちには、一匹、ペットがいる。    しろくておっきくて、お昼寝大好き。    そして、自称・一宿一飯の恩は忘れない、忠犬。    実は結構、頼りになったりする。
 act.3    うちには、一匹、ペットがいる。    しろくておっきくて、お昼寝大好き。    そして案外、頼りになったりして。    だから、最近………私は、彼女が気になって仕方なかったり、する。 * * *    「アンタ、一体、何年この仕事してんの!?」    保田さんの怒声が部屋に響く。    その前に立つ高橋は、俯いてふるふる震えてた。    週に1度は落ちてくる、保田さんのカミナリ。    だけど、今日はとくにご機嫌斜めらしい。    「愛ちゃんって、入社何年目でしたっけ?」    「しっ」    無邪気に聞いてくる、怖いもの知らずの道重を黙らせて。    私は手元の資料に視線を落とす。    ごめん、高橋。    だけど助けてあげられないわ。    危うきに近づかず。    今はただ、この雷雲が過ぎ去っていくのを待っ……    「石川っ」    うっ……    「アンタ、後輩にどーゆー指導してんのよ!!」    はぁ、とため息をついて資料を机の上に戻して。    保田さんのトコへ行くべく立ち上がる。    「石川さん、ファイトっ♪」    楽しそうに声援を送る道重をひと睨みして、高橋の横に並ぶ。    「それは、そのぉ…」    「なによ、何かあるならいいなさい」    そんな、石にされちゃいそーな目で睨まれたら何も言えないですよぉ。    しかも、保田さんの斜め後ろには我関せずと悠然と席に座って    明後日を向くお局・中澤さん。    怖いよぉ。    なんにも聞こえてないみたいに、爪なんて磨いじゃって。    指を伸ばして、うっとり見つめちゃったりして。    ホントは全部解かってんでしょ!?    聞こえてんでしょ!!?    怖いなぁ、もう…。    「その、ホントにすみませんでした。高橋にはよく言っておきます!!」    そう言って、頭を下げる。    必殺、とりあえず謝っちゃえ戦法。    とりあえず謝っちゃえ謝っちゃえ。    「すみませんでしたぁっ」    横で、高橋も頭を下げる。    そうそう、危うきに近づかずよ、高橋。    「「これからは気をつけますぅ」」    ひたすら頭を下げて謝ったら。    「まあ、ええんちゃう?」    明後日の方向から、中澤さんの声が降ってきた。    「高橋も反省しとるよーだし。石川も、ちゃんと指導したりーな」    「「はいっ」」    思わず、声がハモっちゃう。    た、助かったぁ…。    「まあ、先輩がそう言うなら…。高橋、ちゃんと反省しな。    石川も、これからは間違いないようにしっかり教えときなさい」    ふぅっと、息をつき。    保田さんは部屋を出て行った。    悪い人じゃない、んだよ?    だけどね、責任感が強い分、甘えを許さない。    自分のミスも、他人のミスも、許せない。    それが解かっているから、だから私も手放しに保田さんを嫌えなくて。    「まあ、しっかりなぁ」    ニヤっと笑って。    中澤さんも部屋を出て行った。    ……だから、怖いですから。中澤さん!!    キーンコーンカーンコーン    「石川さん……私…この仕事、向いてないんでしょーか。    ちゃんと気を配ってたつもりなんです。でも…」    はっ。    終業のベル!!    「……もう、帰ろ」    「へ?」    「私、もう帰るから。高橋も、ほら、週末なんだし。    嫌なコトは忘れて遊んじゃえ。で、また来週話そ?」    「は、はいぃ…」    「じゃ、また来週ねっ」    すごく複雑な気分だった。    私のミスじゃないのに、私を叱る保田さん。    でも、その保田さんはそれなりに信頼できる先輩で。    私が叱られる原因を作った、高橋。    だけど彼女は、私の後輩で。    やっぱり、私の教育が行き届いていなかったのかも。    それで叱られたんだとしたら、結局それは私が悪い訳で。    でも、私のミスじゃない。    このままじゃ、何か余計なコトを高橋に言ってしまいそーで。    泣いちゃいそーで。    ネガティブ入りそーで。    ロッカーに駆け込み、ナネットのジャケットとオルラーレを掴んで。    足早に会社を後にする。    早く帰りたかった。    早く、一刻も早く。 * * *    駆け込んだ、私の部屋。    ソファに寝転んで、TVに見入ってる彼女。    机の上にはプリングルスやキャラメルコーンの箱が転がってる。    もう。    ご飯の前にお菓子はダメって言ってるのに。    でも、そんなコトは置いといて。    そのまま駆け寄って、勢い良く抱き付いた。    「ふぇーん、よっすぃー」    「なに、またいじめられたの?お局の中澤さん?」    暖かい、よっすぃーの腕の中。    「ううん、違うの。今日は先輩の保田さん…」    「そっか。よしよし」    「よっすぃー…」    その中に包まれて。    私の、もやもやとした感情が、少しづつ薄れていく。    結局、あのまま。    私たちはあやふやな関係で。    多分、付き合ってるとか。    恋人同士とか。    そんなんじゃないけど。    でも。    よっすぃーの笑顔が。    優しさが。    今の私を支えてて。    今は、それだけでいい。    そう、思った。    「ところで梨華ちゃん、お夕飯は?」    「もう、よっすぃー。私が泣いてるのにそれはないんじゃない!?」    「あはは、ごめん。でもさ、お腹すいちゃって…」    お菓子食べてたくせに、まだ空いてるんですか、アナタは?    「仕方ないなぁ、よっすぃーはぁ……ファミレス行こっか?」    うんって言って笑って。    よっすぃーは私の頬の涙をぺろぺろと舐めて拭ってくれた。    ホントの犬みたい。    明日は週末、仕事もない。    早起きなんてしなくていい。    よっすぃーと、ゆっくり過ごせそう…なーんて。 * * *    よっすぃーには謎が多い。    お洋服とかいつの間に着替えてるの?とか。    お昼寝ばっかしててお仕事どころかバイトもしてる風ではないのに    コンビニに行くとなんか大量にお菓子を買い漁って来たりする。    お食事とかは私が用意してるけど、さすがにお小遣いまであげてる訳じゃない。    よっすぃーは、一体、ナニモノなんだろう?    ファミレスでお夕飯を食べながらそんなことを思ったけど。    「よっすぃー、ほっぺたにミートソース付いてるぅ」    「んんっ」    「もー、子供じゃないんだから、そんなに頬張んないで?誰も取ったりしないよ?」    よっすぃーの口のまわりについたソースを拭ってあげてたら。    そんなことも、どうでもいいかなって気になってきた。    うん。    今は、いいや。    今は、よっすぃーがいるだけで…。    「梨華ちゃん、から揚げ1個ちょーだい?」    「ダメー。私のなんだからぁ!!」    いつか、知るときが来たらでいいやって。    そう思った。    だけど、それは。    案外すぐに来ることになるんだけど。 * * *    今日はよっすぃーと初めてのデート。    と言っても、お買い物にデパートに来ただけなんだけど。    「勘弁してよ。んな、ヒラヒラな服着れないっつのっ」    よっちゃんの声がフロアに響く。    「ね、ね、ちょっとだけ。ね?」    ワンピース片手に逃げるよっちゃんを追いかけまわす。    だってだって。    絶対、似合うと思うんだもん。    レベッカのシフォンのワンピース!!    「よっすぃー!!お揃いで買おうよっ!!」    「ぜってー嫌だ!!!!」    そのままよっすぃーは脱兎の如くエスカレーターを駆け上り逃げて行ってしまった…。    ちぇ。    まあ、さ。    嫌がるかな、とは思ったけど。    よっすぃーっていつもTシャツにGパンとかで。    今日も、キャップを目深に被ってゴツいアクセとか付けちゃって。    男の子みたいな格好。    だけど。    絶対、似合うと思うんだよね。    レベッカとかシンシアのワンピース!!    「やめて。キショい」    千疋屋のアメショーでご機嫌を取りながらそう力説したら、    その一言で無碍に退けられちゃった。    ちぇ。    ちぇ。    お揃いで買おうって思ってたのにぃ。    「んな顔しても、無理。梨華ちゃんだけ買って来なよ」    もーう。    「せめて、アニエスとかさー。あ、タムのTシャツとかだったらいいよ。お揃いでも」    はぁ。    乙女ゴコロを解かってないなぁ。    って、乙女ゴコロとは違うのかもだけど。    「ね、着なくてもいいから。買ったげるから。試着だけして?」    「嫌。だったら、地下でスニーカー買って?」    「あーあ。ペット飼ったら、お揃いの服着せてお散歩するのが夢だったのにぃ」    冗談でつぶやいた言葉に、よっすぃーはひでぇって声を上げて。    それで、その話は流れて行ったけど。    その後、手を繋いで映画を見てお夕飯を食べて帰ったけど。    やっぱり、ちょっと残念だったな。    ワンピース……。 * * *    帰り道。    駅からちょっと距離があるうちのマンション。    タクシーに乗ろうよ?って言った私に、月が綺麗だから散歩して帰ろうって    よっすぃーが手を引いた。    お揃いのお洋服じゃないけどさ、って。    よっすぃーが茶化すから。    もーうって肩を叩いて。    でも、手をぎゅっとしたまま夜道を歩く。    なんか、いいカンジ。    幸せ、かも。    よっすぃーの肩に頭を寄せて。    「ね、ね、あれカシオペアじゃん?」    そう言ってはしゃぐよっすぃーの言葉に耳を傾けて。    なんか、いいカンジ。    「梨華ちゃん、聞いてんのー?」    昨日行ったファミレスの前を通り、公園を抜けたら、目指す我が家。    真っ暗な公園で。    覗き込んできたよっすぃーの顔に。    唇に。    吸い寄せられるように、唇を重ねた。    これって、恋なのかな?って。    考えながら。    …でも。    目を閉じながら。    恋じゃなくても。    ただ、寂しさを紛らわすだけだったとしても。    いいやって。    思ってた。    だって、ほら。    このコ、ペットだし。    癒される為だけの、キスだったとしても。    ペットだからって、言い訳すればいいやって。    そんなことを思って、よっすぃーの頬に手を伸ばしたら……    「ああああああっ」    おっきな声に私もよっすぃーもびくっとして身体を離す。    な、なになになになに!?    「ちょっと、何してんのアンタたちっ!!」    見ると、背後に立つのは私たちと同じくらいの年の女の子。    えっえっ?    こ、公園でキスとか、しちゃいけない……でしたっけ?    なんでこの人、こんな怒ってるの?    と。    いきなり腕をぎゅって掴まれて。    よっすぃーが私を引き摺るよーに走り出した。    「ちょっ…よっ……」    「あ、コラ、待てっ!!」    よっすぃーは何も言わずに一目散にマンションを目指し、エレベーターを待たずに    階段を駆け上る。    「よっ……苦しっ…」    振り返ると、例の人も負けずにガンガン走って追っかけてくる。    こ、怖いよぉ。    なに、この人。    なに、この状況。    私がなにしたって言うのよぉーーーー!!    本当に、文字通り引き摺られるよーにして部屋に雪崩れこみ。    よっすぃーは鍵を掛けて、ソファに倒れこむ。    だけど。    間を置かず、ドアをバンバン、ベルをガンガン鳴らす音。    「よ、よっすぃー…」    「いいから」    よっすぃーは突っ伏したまま、そう応える。    いいって…。    なにがいいの?    ねえ、なにが起こってるの?    「よっちゃん!!いるんでしょ、ここ開けなさいっ」    えっ…。    「……よっすぃーの、知り合い?」    「う、うーんと…あ、待って、梨華ちゃん、タンマ!!」    よっすぃーの言葉を聞かずに、ドアを開けた。    だって。    なんか、ドアの外の人、必死そうだし。    よっすぃーが躊躇してるのが、気になって……。    ドアを開けると、女の人がすごい目で私を睨んでた。    「あの、うちのペット返して貰えません?」    ペット?    ペットって………うちの犬のこと?    「よ、よ、よっすぃー!?」    思わず叫び声を上げちゃう。    だってだって。    「よっすぃー、よその飼い犬だったの!!?」    「そーだよ、美貴んちのわんこだよっ」    「わ、わんわん…」    顔を引きつらせて力なく鳴く犬に、元飼い主と名乗る女の子はズカズカと    上がって近づいて。    「ほら、首輪だってしてるじゃん」    よっすぃーの首から下がるネックレスを引っ張る。    鍵の形をしたモチーフが付いてて…って。    「コレ、美貴んちの鍵」    え、ホンモノの鍵だったの!!?    「もー、この犬っころはちょぉーっとカワイイ子みると付いてっちゃうんだから、全く。    ほら、行くよ」    そう言って、美貴ちゃんは自分の身体よりひとまわり大きなよっすぃーの    首根っこを掴むと引き摺って歩き出した。    うーん……パワフル。    じゃなくって。    「ま……」    「待ってよ、ミキティ」    私が何か言うより早く。    それまで黙っていたよっすぃーが、突然声をあげた。    「あたし、もう、ミキティのペットには戻れない」 * * *    その後。    よっすぃーとミキティって呼ばれてた人はひとしきり話して。    それで。    ミキティさんは帰って行った。    私は、なんだか聞いちゃいけないよーな、居たたまれない気分になって。    キッチンでお茶を淹れてた。     結局、誰も飲まなかったけど。 * * *    ミキティさんが出て行って。    しばらくして。    淹れてしまった三人分の紅茶を見て、キッチンでぼーっとしてたら。    いつの間にか、よっすぃーが傍に来ていて。    ぎゅって抱き締められた。    「もう、寝よっか?」    「…うん」    「先、お風呂使っていい?」    「うん」    お風呂場のドアに手を掛けて    「……一緒に入る?」    くるっと振り返って、そう言ったよっすぃーに    「バカ」    そう言って笑ったら、よっすぃーも安心したみたいに笑って。    ドアを閉めた。    それから。    私たちの間で、その話はしなかった。    そのまま、また、いつもどおりの日々。    だけど。    垣間見てしまったよっすぃーの過去に。    私はどうしても、動揺してしまって。    もやもやが取れない。    何かするたびに。    ミキティさんとも、こんなことしてたのかな?    とか。    私もいつか……あんな風にさよならする日、来るのかな?    とか。    色々考えてしまって。    「石川さん、なんか最近疲れてません?」    「あ、目の下にクマさんがいるぅ〜」    高橋や道重にそんなこと言われても。    なんか。    言い返す気力もなくて。    今日帰ったら、よっすぃーがいなくなってたら、とか。    見ず知らずの人にくっついてっちゃうよっすぃーの姿とか。    色んなことを考えて。    考えて。    それで。    ぐるぐるした頭を抱えて帰って来たら。    マンションの前にミキティさんがいた。 * * *    「仕方ない」    そう言って、笑って。    ミキティさんは手に持っていた荷物を私に放った。    「よっちゃんがさ、今はもう美貴のじゃなくてアンタのペットだって主張するならさ」    仕方ないよねって。    なんか。    なんか。    それを聞いてたら。    それまでずっと悩んでたことの答えが、信じられないことにすっと出てきた。    「違うよ、よっすぃーは私のペットじゃない」    「よっすぃーは、ものじゃない。よっすぃーは、私の好きなよっすぃー。ただ、それだけ」    ミキティさんと、違うもん。    そう言ったら。    それまで睨むような強い目で見ていたのに、ふって噴き出して。    なに、ソレ。    ミキティさんって。    なにソレ〜。    そう言って。    急にケタケタ笑い出した。    「アンタ、変なの〜。おかしい」    そう言うから、ちょっとムっとして。    「私だって、アンタって名前じゃありません」    って言ったら。    ああ、よっちゃんの梨華ちゃんだよね?って。    茶化すみたいに言うから。    梨華ちゃんのよっすぃーです!!って言ったら。    もっとウケられてしまった。    ……そんなにおかしいかな?    「あいつ、美貴んち来る前もペットだったんだ」    とりあえず、ここじゃなんだからって。    部屋に上げて、お茶を出した。    色んなうち点々としてんの。    事情聞いてる?    美貴ちゃん(訂正)の言葉に、私は首をふるふると振る。    「聞きたい?」    私は少し考えて、また首をふるふると振った。    美貴ちゃんは私の目をじっと見て、こくんと1回うなずくとうん、と言った。    「よっちゃんがさ、言うと思うけど………そのときはさ、受け止めてやってよ」    美貴はさ、その話を聞いてよっちゃんのママになろーと思った。    ほら、ペットにさ『ママでちゅよ〜』って。    気色悪いけど、あんなカンジ。    だけどさ、よっちゃんが欲しかったのは多分、そんなんじゃなかったんだろうね。    代わりじゃなかったんだ、きっと。    「んじゃ、美貴行くわ」    なんかあったら、連絡してよ。    そう言って、名刺をくれた。    美貴ちゃんの勤めるスポーツジムは、すごく近かった。    「このジムの裏のマンションに住んでるから」    なんだ、ご近所じゃん。 * * *    「ミキティ、帰った?」    美貴ちゃんが帰るとすぐに部屋に入って来たよっすぃーが、平然と言うのでびっくりした。    どこにいたのよ、もう。    いつもはお部屋でお昼寝してる癖に。    「ミキティ、なんか言ってた?」    私が座る、ソファの横の床にペタンと座って。    探るような目で、私を見るから。    私はよっすぃーの髪をゆっくり撫でた。    よしよしって。    大丈夫だよって。    「よっすぃーがうちのペットになるって言うなら、仕方ないって」    「そんだけ?」    彼女に触れる手を、ゆっくり掴んで。    よっすぃーは両手で握り締めた。    いつも温かいよっすぃーが、今日だけはとても冷たくて。    「それだけよ?」    私も両手でそれを包んで。    ぎゅっと握り返した。    よっすぃーは、目を閉じて。    私の手をその頬へと導き。    頬を、唇を、手に寄せた。    はぁっと、息を吐く。    「あたし、ミキティの前にも他の人のペットやってた。その前も、その前も。    ずっとずっと、そんなカンジだった。……梨華ちゃんは、いいの?」    「なにが?」    深呼吸するように、深くゆっくりと、よっすぃーは息を吐き。    それが指先をくすぐり。    私は少しだけ、身を震わせた。    「そんなヤツなんだよ、あたし。軽くて、人んち点々としてる、どーしよーもないヤツ」    いいの?    目を開けて。    私の手を頬に寄せたまま、私を見上げた。    黒い、黒い、大きな瞳。    潤んだそれが、縋るように私を見てた。    「いいよ。よっすぃーは、よっすぃーだもん」    さっき出したばかりの答え。    よっすぃーはよっすぃー。    美貴ちゃんのでも、その他の誰のでも、勿論、私のでもない。    だから。    「よっすぃーが好き。だから、ココにいて?」    いつか、私が美貴ちゃんみたいに捨てられる日が来るかもしれない。    だけど、それでも構わない。    よっすぃーはよっすぃーで。    拾われるとか捨てられるとか。    そんなんじゃなくて。    ただ、よっすぃーがいて。    私と出会って。    好きになった。    ただそれだけ。    それだけなんだもん。    「ね?」    よっすぃーは、その大きな瞳をさらに見開いて。    私をじっと、じっと見つめ。    そして、ゆっくりと目を細めると、私の膝に抱き付いた。    「よっすぃー…」    膝の上に頭を乗せて。    子供のように甘えるよっすぃーの髪を撫でる。    少しでも、私の気持ちが伝わるように。    「梨華ちゃん……」    それから。    よっすぃーは、ポツリポツリと。    話し始めた。    ママに捨てられたコト。    おうちに帰りたくなくなったコト。    人の家を点々としたコト。    そのうち、行くトコロもなくなって。    どうしようって街をウロウロしてたら、優しい女性が拾ってくれて。    その人の家でしばらく過ごして。    だけど、結局、そこも違うって。    飛び出して。    また街をウロウロしてて、拾われて。    それを繰り返してた。    野良猫みたいに。    「……そんなとき、梨華ちゃんに会った」    出会いも、その後の流れも。    今までとなにも変わんなかった。    だけど。    何か違ったんだ。何か。    だから。    あたし、梨華ちゃんといたい。    ずっとずっと、一緒にいたい。    ねえ、梨華ちゃん。    好きだよ。    好き。    あたしはずっと、ママを探して旅してるんだって。    いつか、誰か、何番目かにあたしを拾ってくれた人が言ってだけど。    あたしは、きっと、梨華ちゃんを探してたんだ。    ずっとずっと、梨華ちゃんを探して、野良猫になって、旅してたんだ…。    そう言って。    よっすぃーはぎゅっとしがみついた。    私はただ、彼女が落ち着くまで、その髪を背をゆっくりと撫でていた。 * * *    「似たもの同士だね、私たち」    ふふっと笑って、顔を寄せる。    今は、その……ベッドの上。    生まれたままの姿で、抱き合ってる。    感情の昂ぶったよっすぃーは、ずっと、私を抱き締めて放してくれなかった。    もう、朝になっちゃうよぉ。    今日もお仕事なのにな。    「私は恋人に捨てられて、よっすぃーはママに捨てられた」    孤独なもの同士。    そう言うと、よっすぃーも笑って。    そーだね、って言って。    私の髪を優しく撫でてくれた。    孤独なもの同士、仲良くしよっか。    そう言って、よっすぃーが首筋にキスをするのがくすぐったくて。    私はいやいやと首を振る。    だって、もう朝だもん。    私、会社行かなきゃ。    「好きだよ、梨華ちゃん。大好き」    ぎゅっと抱き寄せられて。    力の差に、私は抵抗する機会も与えられなくて。    彼女の腕の中。    うっとり目を閉じたら。    すーすー…    少しづつ、私を抱く力が薄れ。    聞こえてくる寝息。    「……よっすぃー?」    私を抱き締めたまま。    よっすぃーは眠ってしまっていた。    「もーう」    眠るよっすぃーの顔は可愛くて。    食べちゃいたいくらい、可愛くて。    「…梨ぃぁ………」    私はその頬を撫で、瞼にそっとキスをする。    そして、彼女に気付かれないように起き上がる。    「さて、お風呂入りますかぁ」    もうすぐ、朝。    寝ている時間は……残念ながら、ない。    でも、仕方ない。    可愛いペットの為に、今日も働いて参りますか。    「梨華ぁ…」    くぅくぅ眠るよっすぃー。    私の名を寝言に呼びながら。    私はその可愛い寝顔をしばらく見つめ。    支度に取り掛かった。 * * *    うちには、一匹、ペットがいる。    しろくておっきくて、お昼寝大好き。    そして案外、頼りになったりして。    彼女との関係は……まだまだ、微妙だったりする。