日本競馬に微笑む女神、スターロッチ――この偉大な牝馬について、鞘のごとき若造が何事かを語るにあたっては、まるで Nearco や Hyperion のことを語るのと同じくらいの困難を感じます。それは実は、現状、彼女を巡る言説が過剰なまでに流通しているということの裏返しでもあるのですが、はてさて、そうした状況へさらに加え入れるに値するだけの、確固たるパースペクティヴを本項が持ちうるか? …不安は尽きねど、ここは諸兄のご叱正をお待ちしつつ、筆を進めることに致します。
現今スターロッチの神話性は、およそ2つの点に由来すると考えられます。第1は抽選馬・3歳(当時4歳)・牝馬なる身での有馬記念制覇、という空前にして絶後の偉業。第2は彼女の子孫と、藤原牧場や伊藤雄二・境勝太郎両師らとの共犯関係。これらの点を検証しながら、スターロッチの実相へ近づいて参りましょう。
| スターロッチ 1957 牝 鹿 / FNo. 11-c / Fairway 系 | ||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| *ハロウェー Harroway 1940 黒鹿
| Fairway 1925 黒鹿
| Phalaris 1913 黒鹿
| Polymelus 1902 鹿
| Cyllene | Bona Vista | |||||||||||||
| Maid Marian | Hampton | |||||||||||||||||
| Bromus 1905 鹿
| Sainfoin | Springfield | ||||||||||||||||
| Cheery | St. Simon | |||||||||||||||||
| Scapa Flow 1914 栗
| Chaucer 1900 黒鹿
| St. Simon | Galopin | |||||||||||||||
| Canterbury Pilgrim
| Tristan | |||||||||||||||||
| Anchora 1905 栗
| Love Wisely | Wisdom | ||||||||||||||||
| Eryholme | Hazlehatch | |||||||||||||||||
| Rosy Legend 1931 黒鹿
| Dark Legend 1914 黒鹿
| Dark Ronald 1905 黒鹿
| Bay Ronald | Hampton | ||||||||||||||
| Darkie | Thurio | |||||||||||||||||
| Golden Legend 1907 鹿
| Amphion | Rosebery | ||||||||||||||||
| St. Lucre | St. Serf | |||||||||||||||||
| Fairy Gold | ||||||||||||||||||
| Rosy Cheeks 1919 黒鹿
| St. Just 1907 栗
| St. Frusquin | St. Simon | |||||||||||||||
| Justitia | Le Sancy | |||||||||||||||||
| Purity 1903 鹿
| Gallinule | Isonomy | ||||||||||||||||
| Sanctimony | St. Serf | |||||||||||||||||
| Golden Iris | ||||||||||||||||||
| コロナ 1942 栗
| 月友 1932 栗
| Man o'War 1917 栗
| Fair Play 1905 栗
| Hastings | Spendthrift | |||||||||||||
| Fairy Gold | Bend Or | |||||||||||||||||
| Mahubah 1910 鹿
| Rock Sand | Sainfoin | ||||||||||||||||
| Merry Token | Merry Hampton | |||||||||||||||||
| *星友 Alzada 1923 栗
| Sir Martin 1906 栗
| Ogden | Kilwarlin | |||||||||||||||
| Lady Sterling | Hanover | |||||||||||||||||
| Colna 1909 鹿
| Collar | St. Simon | ||||||||||||||||
| Ornament | ||||||||||||||||||
| Nausicaa | Gallinule | |||||||||||||||||
| 秀節 1936 鹿
| *ペリオン 1916 鹿
| Amadis 1906 黒鹿
| Love Wisely | Wisdom | ||||||||||||||
| Galeta | Ladas | |||||||||||||||||
| Panacea 1907 鹿
| Cyllene | Bona Vista | ||||||||||||||||
| Quintessence | St. Frusquin | |||||||||||||||||
| 玄香 1932 鹿
| *チャペル ブラムプトン Chapel Brampton 1912 栗
Beppo
| Marco
| Mesquite
| Sainfoin
| St. Silave
| 昭英 | 1927 鹿
Blink
| Sunstar
| *クレイグダーロッチ | Craigdarroch Grosvenor
| SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら | | ||||||
この2つの分枝には、配合史的にも興味深い点が数多く見られます。コロナは母・秀節の相似配合を元手に、St. Simon と Sainfoin、そして Ornament(Bend Or+Macaroni+Hermit)でアウトクロス寄りに決めており、一方セフトザンの娘ブゼンタカフジは、ヘレンサーフ系のホウシュウを迎えて Sunstar と St. Serf ≒ Atalanta を軸にまとめています。これらの文脈の上で初めて、より複雑・積極的なスターロッチやアーチエンゼル(1965 牝 栗 by *ネヴァービート ― 7勝。マックスロゼ&キャンドゥの祖母)、キタノベンチャー(1975 牝 黒鹿 by *ヴェンチア ― ビッグサンデーの祖母)といった配合が意味を帯びるのです。
このように、早い段階から基礎的な血脈を統合し、良血種牡馬を受け容れるための土壌をつくってゆく工夫は、近代競馬の後発(つまり輸入血統をベースとする)国にとって、大変重要なプロセスでした。農業において、最初に「根っこを引き抜き、穴を埋め、水はけを良くして」、やっと「畑を耕し、肥料を仕込み、種を蒔く」ことができるのと同じですね。御料や小岩井に入った古牝系も、後代に血を繋ぎえたものは、例外なくこうした「開拓」的過程を踏んでいます。
「スターロッチの半兄のライジングウイナーが重賞に勝っていたくらいで、本来、抽選馬になるような血筋やないんです。うちの家内の親(引用者注:騎手時代の師匠でもある伊藤正四郎調教師。伊藤正徳師の実父)と藤原さんところは、遠い親戚にあたるから、実は、正四郎も、スターロッチには仔馬の頃から眼をつけていたようです。いまと違って、あの頃は、いくら買い戻しの条件をつけても、馬が走ると平気で踏みにじるようなことが横行していたからね。藤原さんは、どうしてもこの馬だけは、牧場に戻すんやいうてね、確実に戻ってくるには、競馬会に買って貰うのが、一番やと。だから根本が違うんです」(『書斎の競馬』1999年9月号より)ともあれ、「昭和37年の正月競馬まで使い、その後は買い戻し」という条件の下、なんとか150万円(競りでは平均をやや上回る程度の価格)で中央競馬会に落札された彼女は、間もなく宇都宮の育成牧場に引き取られて行きます。
「見た目はひょろっとした牝馬でね、えらく発汗するんですわ。後から学んだことですが、この体質はハロウェー…から受け継いでいたんやね。…それも発汗しているときの方が走る系統なんです。脾腹も薄くてね、ところが、跨るとすごい、いいところのある馬なんです。芯がしっかりしていて、背筋がしゃんとしている。キャリアが浅くて、桜花賞は三着でしたけど、完成したらどれだけ走るんやろ、と思いましたわ」(前掲書)その後スターロッチは、一息入れたのが響いたか、太め残りの馬体で四歳牝馬特別で人気を裏切り、7着と初の着外に敗れます。これで世間の評価は急落…所詮は抽選馬、もう底を見せた、距離延長にも不安、などと見られるようになりました。トライアルを使って人気の下がるパターンは、あるいはライトカラー(1989年)とも似た状況だったのかもしれません。
※ 明け4歳(現3歳)牝馬による有馬記念挑戦は、古今問わずしばしば行われているものの、他にはせいぜいニットウチドリ(1973年、7番人気)、ヒシアマゾン(1994年、6番人気)が2着した例があるくらいです。牝馬の勝利自体、スターロッチと前年のガーネット(1959年、当時5歳、9番人気)およびトウメイ(1971年、6歳、2番人気)の3頭を数えるばかり。有馬の結果を受け、スターロッチは文句なしで最優秀4歳牝馬に輝きました。年度代表馬の座こそコダマに譲ったものの、古馬王者・古牝馬王者・4歳王者のすべてを破った異色の女王として、競馬史に名を刻んだのです。
こうした配合一般とその解釈について、いわゆるクロス・ニックス論を用いようとすれば、教条的な知識よりも、むしろ柔軟な思考が必要となります。ここでは、以前有芝まはる殿下。によって指摘されたポイントが、スターロッチ解読の鍵となります。同馬の6代目周辺に並んだ、4頭の馬――― Bona Vista:6x6*9、Fairy Gold:6x5、Golden Iris:6x7、Ornament:-x6*8 ―――に注目しましょう。
例えば〈I理論〉。故五十嵐良治氏が独自の血統分析理論、すなわちI理論を確立する上で明らかにしたのは、特に「優駿の血統構成には、必ず全血統をリードする主導勢力があって、その勢力を力強く支援するいくつかの別の勢力がある」(「血の提言」『週刊競馬ブック』1984年1月9日号より)ということでした。
これを受けて、現在多くのI理論ユーザーの間ではややもすると、ここで言われる主導勢力とは、代々の祖先を類似の血統で補強された〈系列ぐるみ〉のクロスであり、血統表中唯一無二の強力さを持つ場合が理想的だ、と考えられています。
しかし五十嵐氏は、そうしたシンプルな配合モデルと同じフレームで、Ribot や Secretariat のような、複数の(やや曖昧な)主導勢力による「連合」型配合、Alleged のような〈中間が断絶〉した主導勢力を中心とした「複合」型配合をも称揚していました。したがって、上記のテクストもまた十分深くに解釈され直すべきでしょう。
また彼の分析は、数代をまたがったシークエンシャルな視点、異なる時代を比較する形式を取ることが少なく、その方向での論考が十分に残されているわけではありません。こうした点を理論的に補完してゆく仕事は、五十嵐氏の直弟子である久米裕氏に限らず、広く試みられてよいはずです。
| スターロッチ 1957 牝 鹿 / FNo. 11-c | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| Rosy Legend
1931 黒鹿 | Golden Legend
1907 鹿 | Suicide 1876 黒鹿
| ▲Seclusion | Palmyra | ||
| Miss Sellon | ||||||
| Ratcatcher's Daughter
| ●Pocahontas | |||||
| Lady Alicia | ||||||
| St. Lucre 1901 鹿
| ★Feronia [F8-d] | ■Alice Hawthorn | ||||
| Woodbine → ● | ||||||
| Fairy Gold | ◆Rouge Rose →■ | |||||
| Dame Masham | ||||||
| Rosy Cheeks
1919 黒鹿 | Justitia 1896 鹿
| Gem of Gems | Souvenir | |||
| Poinsettia [F4-h] | ||||||
| The Frisky Matron | Rigolboche → ● | |||||
| Mayfair | ||||||
| Purity 1903 鹿
| Moorhen | ▲Seclusion | ||||
| Sister to Ryshworth | ||||||
| Sanctimony | ★Feronia → ■ | |||||
| Golden Iris → ◆ | ||||||
| コロナ 1942 栗
| *星友 Alzada 1923 栗
| Lady Sterling 1899 栗
| Bourbon Belle | Queen Mary [F10-a] | ||
| Ella D. | ||||||
| Aquila | Whisper | |||||
| Eagle | ||||||
| Colna 1909 鹿
| ◇Ornament | ◆Rouge Rose →■ | ||||
| Lily Agnes [F16-h] | ||||||
| Nausicaa | Moorhen → ▲ | |||||
| Verte-Grez | ||||||
| 秀節 1936 鹿
| Panacea 1907 鹿
| Arcadia | Isola Bella → ● | |||
| Distant Shore → ▲ | ||||||
| Quintessence | Isabel | |||||
| Margarine | ||||||
| 玄香 1932 鹿
| Mesquite | Sanda | ||||
| St. Silave → ★ | ||||||
| 昭英 | Winkipop | |||||
| *クレイグダーロッチ → … → ◇
SireLine 改メ HeartLine |
| |||||
ちなみに、スターロッチの半妹カミヤマトとミスコロナは、コロナから Ornament を重ねる方向で伸びています。これらの枝は、しばらくしてミホノブルボン(1989 牡 栗 by *マグニテュード ― 皐月賞、ダービー、菊花賞2着 他。年度代表馬)という華々しい成果を挙げました。以上に見たように、スターロッチの血統構成は、先代から巧みに繋いで来た見事なものでした。後にそれは、彼女の子孫において様々に読み替えられ、手を加えられてゆきます。
| アンジェリカ 1970 牝 黒鹿 / FNo. 11-c / Never Say Die 系 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| *ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗
| Never Say Die 1951 栗
| Nasrullah 1940 鹿
| Nearco | Pharos | ||
| Mumtaz Begum | Blenheim | |||||
| Singing Grass 1944 鹿
| War Admiral | Man o'War | ||||
| Boreale | Vatout | |||||
| Bride Elect 1952 鹿
| Big Game 1939 鹿
| Bahram | Blandford | |||
| Myrobella | Tetratema | |||||
| Netherton Maid 1944 鹿
| Nearco | Pharos | ||||
| Phase | Windsor Lad | |||||
| Lost Soul | ||||||
| スターハイネス 1964 鹿
| *ユアハイネス Your Highness 1958 栗
| Chamossaire 1942 栗
| Precipitation | Hurry On | ||
| Snowberry | Cameronian | |||||
| Myrobella | ||||||
| Lady Grand 1943 栗
| Solario | Gainsborough | ||||
| Begum | Blandford | |||||
| スターロッチ 1957 鹿
| *ハロウェー Harroway 1940 黒鹿
| Fairway | Phalaris | |||
| Rosy Legend | Dark Legend | |||||
| コロナ 1942 栗
| 月友 | Man o'War | ||||
| 秀節 | *ペリオン | |||||
| SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 | ||||||
| クリプシー 1975 牝 栗 / FNo. 11-c / Grey Sovereign 系 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| アローエクスプレス 1967 鹿
| *スパニッシュ イクスプレス Spanish Express1962 鹿
| Sovereign Path 1956 芦
| Grey Sovereign | Nasrullah | ||
| Mountain Path | Bobsleigh | |||||
| Sage Femme 1954 栗
| Le Sage | Chamossaire | ||||
| Sylvia's Grove | Fairway | |||||
| *ソーダストリーム Soda Stream 1953 栃栗
| Airborne 1943 芦
| Precipitation | Hurry On | |||
| Bouquet | Buchan | |||||
| Pangani 1945 栗
| Fair Trial | Fairway | ||||
| Clovelly | Mahmoud | |||||
| Udaipur | ||||||
| モンタロッチ 1963 栗
| *モンタヴァル Montaval 1953 鹿
| Norseman 1940 鹿
| Umidwar | Blandford | ||
| Tara | Teddy | |||||
| Ballynash 1946 鹿
| Nasrullah | Nearco | ||||
| Ballywellbroke | Ballyferis | |||||
| スターロッチ 1957 鹿
| *ハロウェー Harroway 1940 黒鹿
| Fairway | Phalaris | |||
| Rosy Legend | Dark Legend | |||||
| コロナ 1942 栗
| 月友 | Man o'War | ||||
| 秀節 | *ペリオン | |||||
| SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 | ||||||
| パワフルレディ 1981 牝 黒鹿 / FNo. 11-c / Nijinsky 系 | マルゼンスキー 1974 鹿
| Nijinsky 1967 鹿
| Northern Dancer 1961 鹿
| Nearctic | Nearco | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| Natalma | Native Dancer | |||||
| Flaming Page 1959 鹿
| Bull Page | Bull Lea | ||||
| Flaring Top | Menow | |||||
| *シル Shill 1970 鹿
| Buckpasser 1963 鹿
| Tom Fool | Menow | |||
| Busanda | War Admiral | |||||
| Quill 1956 栗
| Princequillo | Prince Rose | ||||
| Quick Touch | Count Fleet | |||||
| ロッチテスコ 1975 鹿
| *テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿
| Princely Gift 1951 鹿
| Nasrullah | Nearco | ||
| Blue Gem | Blue Peter | |||||
| Suncourt 1952 黒鹿
| Hyperion | Gainsborough | ||||
| Inquisition | Dastur | |||||
| スターロッチ 1957 鹿
| *ハロウェー Harroway 1940 黒鹿
| Fairway | Phalaris | |||
| Rosy Legend | Dark Legend | |||||
| コロナ 1942 栗
| 月友 | Man o'War | ||||
| 秀節 | *ペリオン | |||||
| SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 | ||||||
もしくは、これら3パターンとは別に、牝系やボトムラインの累代種牡馬に対して〈戻し交配 back crossing〉を行っていく手も考えられます。例えばテンザンアムール(1987 牝 鹿 by サクラシンゲキ ― ニホンピロマーチの半妹)がこの形。スターロッチの牝系、といっても、そのすべてがまさかスターロッチ由来(それとも*クレイグダーロッチ? St. Angela ?)の細胞質遺伝効果や伴性遺伝効果で走ってくれるわけではありません。それよりはむしろ、牝系を伸ばす最中に払われた不断の努力こそが、全体の結果としてスターロッチ系の繁栄をもたらしたのだと考えるべきでしょう。
スターロッチ牝系に活躍馬(→種牡馬)が出てきたのが比較的最近だったこと、その間牝系が中小零細規模の牧場に散逸していったことから、こうした形は今まであまり存在しませんでした。しかし代を経て、直系から強い遺伝力を期待できなくなる状況が目前に迫った今、スターロッチ牝系の血を伝える上で、この方法論は、おそらく欠かせないものとなるでしょう。
その際、「どの径路をくぐったスターロッチを、どのように組み合わせて用いるか」という問題で、先の3パターンそれぞれは、再び重要な意味を帯びてきます。
2000/08/25 ― ( Revised on 2000/10/09 )
参考 ―― 伊与田 翔「スターロッチと天の邪鬼(上/下)」『書斎の競馬』1999年9/10月号, 飛鳥新社
伊藤 元彦「マル抽最大のスター」『日本の名馬・名勝負物語』1980年, 中央競馬PRセンター
有芝まはる殿下。:「名競走馬にして、牝系を伸ばす:スターロッチ」、および「日本競馬の明星:星友」