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1.「石川一雄犯人仮説」の検討から始まった
私が最初に読んだ狭山の本は、亀井トム氏の「4人共犯説」にもとづく『狭山差別裁判 第3版』(今、手元にないので、ここに書く内容は記憶に基づいているので正確ではない)で、かなり時間を置いて亀井トム氏の『狭山事件』を読んだと記憶しいている。
素直な人間ではない私は、思いこみの強そうな運動体の主張を、そのまま信用することはなかった。4人の変死者にはびっくりしたが、そのうちの2人を含む「4人共犯説」には具体的な根拠を全く欠いている、という判断であった。
まずは、やはり警察・検察・1審裁判所の「石川一雄犯人説」について検討してみた。鑑定内容はわからなかったが、石川犯人説にはそれなりにかなりの証拠の裏付けがあると思えた。被害者体内に残された精液のB型と石川さんの血液型が一致しているし、筆跡・足跡・スコップの鑑定書があり、被害者方に脅迫状を届けに行く時に石川さんが被害者方の家を近所で訊ねたという目撃証言まである。
しかも、もっとも強くクロの印象を与えたのは、1審の間中、石川さんが自白を維持し、死刑判決を受け、2審裁判の冒頭でやっと無実を主張した、という点であった。それも、数人の弁護士がついていたにも関わらず自白・自白維持し、無実の主張も弁護士に相談せずに行ったと言うのである。
「10年で出してやると刑事から言われ、10件の別件事件があったので、10年くらい辛抱すればと思って認めた」「部落差別によって満足に教育も受けられず、法律については無知であった。また、弁護士の役割を理解できていなかった」という部落解放同盟や弁護団の主張は、へそ曲がりの私には、にわかには信じられなかった。
彼の周辺には刑務所に行った人間はいたし、鶏を盗んだなどのささいな窃盗や暴行で1件1年、10件で10年の刑務所入りを納得したというのはどうかな、と思った。特に、吉展ちゃん事件後の厳罰を望む世論からみて、死刑判決を受ける可能性が高いことを考えなかった、というのも、にわかには信じられなかった。
また、事件当日、兄と働いていたとのアリバイを述べていたがそれは嘘で、仕事をさぼって人目を避けて西武園の山の中で過ごし、所沢に移動してパチンコをし、さらに入間川駅(現在の狭山市駅)の荷小屋で時間つぶしをした、というのもなんとなく怪しい。
1日前後の彼の行動を見ても、仕事をしないで、選挙の応援をしたり、友達と野球をしたり映画を見たり、釣りにいったり、犬小屋を直したり、家のまわりでブラブラしているのである。この日に限って遠出し、人目につかない場所や人混みの多い場所に長時間いたというのも、疑い深い私には腑に落ちなかった。
さらに、警察・検察に妨害されながらも接見した弁護士達が、「やっていないなら自白するな。自白すれば死刑になるぞ」とアドバイスしなかったとは考えにくい。
しかし、一方では、2度も多くの刑事が家宅捜索しながら自宅からは被害者の持ち物が何1つ発見されず、その後、自白後の捜索で被害者の万年筆が発見されたというのは、これは警察のでっち上げとしか考えられなかった。特に、明るいピンクの万年筆は勝手場の入口の低い鴨居の上から発見されており、家人が2か月近くの間に気づかないわけがないし、警察が捜索で見逃すわけはない。また、鞄と万年筆は自白後にすぐに捜索して「発見」されているのに、腕時計の場合には、捨てた場所を自白した5日後になってやっと2日かけて捜索し、しかもその時には発見されず、その2日後に散歩中の老人がその場所から見つけた、というのである。おまけに、発見された腕時計は公開手配した腕時計と型が違うというのも、ありえない話であった。警察の捜査は明らかにおかしい。
万年筆と腕時計は警察による証拠の偽造、鞄はあらかじめ発見したものを隠しておいて自白を誘導した、というのが私の判断であったが、一方、捜査の初期段階での「現場足跡でっちあげ」「スコップでっちあげ」という主張は苦し紛れに思えた。
どうみても、警察の捜査は明らかに怪しい、しかし石川さんも何か隠している、かなりの黒の証拠がありそうである、というのが最初の印象であった。
2.「石川一雄犯人仮説」への決定的な疑問
しかしながら、その後、決定的に私をとらえたのは、「当時の石川さんにはあの脅迫状は書けなかった」という、国語学者の大野晋氏の鑑定書と小学校教師の現場経験の豊富な磨野久一氏の鑑定書であった。

お二人はそれぞれの経験に基づき、漢字力や仮名づかい、句読法、表現力などから判断されていたが、私の場合は、当時、まだ自由自在に文章が書けるまでにはなっておらず、文章を書く訓練中であったため、特に、文章作成能力(作文能力)の大きな違いについて、一番、強く確信を持つことができたのである。
その頃、私はちょうど文章を毎日書くことを仕事にしはじめた時期であり、文章を書く時には、文章全体の構成をまず決め、だいたい「起承転結」で書いていたので、「起」(今で言えば「つかみ」)では魅力的な導入を書き、「承」では本題を説明し、「転」では山場となる展開を図り、「結」では結論を書いて締めくくる、とおおまかな作戦をたて、それぞれ何を書くかメモしておき、その見取り図に従って文章を書くという訓練を毎日行っていた。
原稿用紙1〜2枚、あるいは5枚、10枚、20枚と、指定された制限字数に合わせ、「起承転結」の行数をそれぞれに割り当て、文章を書いていたが、当時は鉛筆書きであったため、何度も消しゴムで消しては書きして原稿用紙を汚しながら書いており、しかも、最後に読み返してみると、いろいろと問題があり、必ず後で手を入れていた。
その際に、特に毎回行った修正は、文章の末尾が同じ表現(「である」「である」、「思う」「思う」と続くなど)で終わるのを書き直し、同じ形容詞や名詞の表現の修正である。また、文言表現の置き換えや、文章の挿入、前後の入れ替えなども、毎回のように行っていた。
大学新聞の学生記者にははるかに及ばないものの、学生時代には一般学生よりは格段に多くの文章を書いてきていた私ではあったが、仕事について、ちゃんとそれなりの文章を自在に書くことができるようになるには、3〜5年は要したように思う。私がその後、会社を始めて、若い研究員の文章に赤を入れて修正してきた経験からみても、やはり「3〜5年」の毎日の訓練がないと、それなりの文章を書くことができるようにはならない。魅力的な文章となると「10年」である。
このような、当時の文章を書く修行中の私の目からみて、脅迫状作者の文章作成能力のレベルは、私よりは明らかに上だったのである。
まず、脅迫状は、ちょうど1ページ全体に文章を配置し、しかも、「くりか江す 刑札にはなすな」からの3行は、罫線2行分を使って大きな字で強調して書いている。しかも、最初の脅迫文には1か所の修正もなく、下書きを書いたあとで清書していることが明らかである。
特に、作者の表現力の高さは、「殺す」の脅迫を、「子供の命がないとおもい。―」「小供は死。」(体言止め)「西武園の池の中に死出いる」「子供死出死まう」「こどもわころしてヤる」の5通りに使い分け、しかも、自分を主語にした直接話法ではないことに如実に現れている。これは、当時の私の表現力をはるかに越えていた。
―「『狭山事件を推理する』第7章 脅迫状」「『新推理・狭山事件』 2 脅迫状から浮かぶ真犯人像」参照
また、字が下手くそな私には、脅迫状のような流れる筆致で、特に末筆の力を抜いてボールペン文字を書くことはできなかったし、続け字で書くこともなかった(このあたりは、書道家の綾村鑑定が指摘する通りである)。
さらに、それまで、私は普段、横書きの文章を書くことはまずなかったのであるが、脅迫状の作者は、明らかに、毎日、仕事で横書きに馴れている人物であった。
この脅迫状は、自分の「石川一雄」の名前を、やさしい「一夫」の漢字で書き、ほとんど文字を書く仕事や生活をすることのなかった石川さんには絶対に書くことができない、というのが私の結論であった。
これは、水に入って1m位も泳げない人が、オリンピックに出ることができないのと同じ位の絶対的な開きであった。
3.「石川一雄犯人仮説」へのさらなる疑問
さらに、当時、石川一雄さんが犯人ではない、と私が判断するに至った点としては、次の8点がある。
(1) 20万円を必要とするせっぱ詰まった動機がない。「私の収入は兄ちゃんのところと増子きよはるさん(仮名)の家の仕事で月に2万5〜6千円位になりますがこのうち1万円くらいを家の方に出して残りはパチンコと競輪に使ってしまいます(6/18)」「3月は、2万円くらい、4月1万5千円位、5月は2万1千円位働きました。・・この2ケ月に、西武園競輪に5回位行きまして1万円くらい費っていると思います(6/24)」「4月中の小遣い銭は全部で7・8千円位で西武園の競輪に3回位行き、パチンコ屋には、5回位行って遊びました(7/2)」というのであるから、収支バランスはとれている。ちなみに、当時の大卒初任給は18,980円であり、職人の羽振りがいい時代であった。
(2) 指紋が残りやすい脅迫状と封筒、封筒の中に入っていた身分証明書、被害者方に返されていた自転車(雨に当たらない部分)、万年筆と時計に石川さんの指紋がなかった。私は推理小説や事件好きであったが、紙類から指紋を検出する方法が開発されたという知識はなく、石川さんはもっと知らなかった可能性が高い。
(3) 脅迫状に使用したノート、封筒、ボールペンなど、何1つ石川さん方から発見されていない。被害者の万年筆を自宅に残しておいたという犯人なら、ノート・封筒・ボールペンなどはそのまま残したであろうし、警察は狭山市内でそれらと同じ種類のものが販売されていたかどうかについて、必ず調べたはずであるが、その報告書が出されていない。
(4) 被害者は下校時に「誕生祝いの食事をつくる」と級友達に話し、いつもより早く下校しながらいつもの通学路を帰らず、そこから外れた人目に付きにくいガード下に人待ち顔で立っているところを目撃されていた。しかも胃内には昼食にないトマトが含まれている。顔見知り犯と食事をした後に殺された可能性が高く、一面識もない石川さんには、犯人ではありえない。これは、アリバイ証明に匹敵する。
(5) 吉展ちゃん事件で騒然となっている時に、どんな間抜けな犯人であったとしても、脅迫状を被害者方に届ける途中、近所の家で「中田さんの家はどこだろう」と尋ねて人相を覚えられるような危険を冒すようなことはあり得ない。犯人は中田家をよく知っている人物であり、中田家を知らなかった石川さんは犯人ではありえない。
(6) 佐野屋脇に現れた犯人の声を4人の刑事、4人の民間人が聞いているが、彼らの記憶が鮮明で、石川さんが容疑者に加えられた最初の頃に、石川さんの声が犯人の声と似ているという報告書がない。
(7) 40人の警察の張り込みをうまく避けて犯人が佐野屋脇に現れ、逃走していることから見て、犯人は張り込み体制を知っていた人物の可能性が高い。石川さんが犯人ではありえない(実際、石川さんの図面では、3か所で張り込みを行っている刑事に遭遇してしまう)。
(8) 脅迫状には作者の筆記能力を低く見せる偽装工作が行われただけでなく、「車出いく」などと書いて警察を騙して張り込みを失敗させる巧妙な仕掛けがあった。こうなると、犯人は他の職人タビの足跡やスコップ、死体などについても偽装工作を行っている可能性が高いとみなければならない。警察は万年筆・腕時計などのでっち上げを行っているから、足跡やスコップもでっち上げたに違いない、という時間軸が逆になった主張よりも、脅迫状に巧妙な偽装工作を行った犯人が、足跡やスコップについても同時期に偽装工作を行った、と判断する方がはるかに合理的である。
4.「取引による自白」
その後、再審段階になって『狭山事件公判調書』などの資料を読む機会を与えられ、私が石川さんの自白・自白維持について抱いていた疑問は氷解した。
石川さんは、自白した際に「兄ちゃんなら、俺にしてくれ」と言ったというのである。兄を逮捕すると脅かされ、一家の大黒柱であった兄をかばって自白したとすると、警察官の「10年で出してやる」という約束を信じて、1審の間中、自白を維持し続けたのは合理的に説明がつく。
「兄の逮捕」と引き替えに、「10年の刑務所暮らし」を選択した「取引による自白」だと、彼は「ひたすら犯人になりきる」ことで、「10年ででる」ことを目指したと考えられるのである。
石川さんの警察官への自白は「声をたてられまいと首を押さえて強姦したら、被害者は死んでいた」というものであり、「首を押していたら死んでしまうとは考えなかった」という自白であり、「未必の故意」は認められない。無期懲役の判決で10数年の刑務所くらしで仮出所、ということもありえたのである。事実、当時の新聞は次のように伝えている。
ひところの収容生活にも慣れ、落ち着きを取りもどし、「弁護士は有期刑といっていたが、無期になっても10年も真面目にやれば出られるのなら真面目にやる」などと語っていた。(12月12日付『毎日新聞』)
第10回の公判の被告人質問では、『刑はできるだけ軽くしてほしい』と述べ、求刑までは「無期になれば10年くらいで出られるだろう」と担当の看守に尋ねたり・・・(3月9日付『朝日新聞』)
しかしながら、そんな取引を知らない原検察官は、起訴の4日前の7月5日の自白調書において「その頃は、善枝ちゃんが死んでも仕方がないという様な気持までなっており」と「未必の故意」を認める自白をさせている。社会秩序維持のために厳罰を求めたのであり、1審の内田裁判長の死刑判決に繋がるのである。
この「取引による自白」では、石川さんとしては弁護士には情状酌量の弁護を期待するのであるが、中田弁護士達は家族の言い分を認め、自白前に面会した時の印象から石川さんは無実と考え、石川さんに自白撤回を迫り、無罪弁論を行うのであるから、石川さんの希望とは正反対であり、信頼できるはずがないのである。
当然ながら、弁護士は金儲けのためにやっている、アカが政治目的でやっていると、無罪主張をすると裁判官の心証を悪くして死刑になるぞ、と警察官達に吹き込まれていた可能性が高い。そうなると、石川さんとしては、弁護士たちとは距離を置かざるをえないのである。
石川さんは拘置所で字を習い、みるみるうちに上達し、関巡査や長谷部警視に手紙を送り続けていたが、それは「取引による自白」を相手に忘れさせることなく、犯人として反省悔悟していること証明させるための必死の作業であったのである。
石川さんは、無知によって自白・自白維持したのではなく、親・兄弟の生活を守るために自白し、犯人を演じきろうと努力した、と私は納得したのである。
5.10件10年の謎は?
「10年で出してやると刑事から言われ、10件(1件は隠していた)の別件事件があったので、10年くらい辛抱すればと思って認めた」という、「取引による自白」の損得バランスはどうであろうか?
この石川さんの「10件で10年」という説明は、どうも疑問が残る。むしろ、「否認して死刑」か「自白して10年」かの選択を迫られ、「10年」の方を選んだという方が真相のように思われる。
筆跡が一致している、押収した兄の地下タビと佐野屋に残された足跡が一致している、山田養豚場から1日にはスコップが盗まれ、死体発見現場近くで見つかったスコップの付着物が一致している、被害者体内の精液とお前の血液型が一致している、手拭はお前の家に配られたものでタオルも東鳩製菓に勤めていた時に配られたものだろう、目撃証人もいるし声も似ているという証言もある、これだけ証拠があればいくら否認しても逃れることはできない、あくまでシラをきって、情状面で不利になって死刑にされるより、全部認めて10年ででられるのとどちらがいいか、金儲けしか考えていないアカの弁護士など信用するな、とさんざ言われて、「10年」を選んだように私には思える。
あるいは、私の単なる想像であるが、さらに隠している別件があって、それを含めれば「10年」という計算も考えられないわけではない。商取引では高値をふっかけ、お安くしますから買わないか、というのが普通であり、定価はもともと高値にしておくものである。警察もまた、「12件を9件にまけてやるよ」などと恩着せがましく取引を持ちかけることなどは、常套手段ではなかろうか?
なお、石川さんは9件の別件以外に、ジョンソン基地からのパイプ窃盗を隠していたことを自白撤回後に明らかにしたが、この件は基地側が盗まれたことを把握しておらず、もし警察が取引に使ったとしたらさらに別の件であろう。
「10件で10年」の石川さんの説明の「10件」の真偽はともかくとして、「○件で10年」と考えていたという可能性は高い。また「兄をかばうために、10年の取引で自白した」という説明全体は合理的である。
6.「アリバイ工作」の謎は?
石川さんは、仕事の時に職人気質で厳しく命令する兄が嫌になり、1日は兄の仕事をさぼり、別のところで働くと言って母親に弁当を作ってもらって家をでて、西武園の山の中で時間を過ごし、持参していた弁当を食べ、所沢でパチンコをし、さらに入間川駅に帰ってからは荷小屋で時間つぶしをしたという。
兄と喧嘩して仕事を休み、パチンコをして遊んだということは納得できるが、西武園の山の中で時間つぶしをした、駅前の荷小屋で時間つぶしをした、というのは、腑に落ちないところがあった。
パチンコ店が開くまで人目のつかない西武園の山の中というのは、私もその場所に行ってみたが、なぜこんな場所で、というのが率直な印象であった。
しかし、他に弁当を食べる場所を思いつかず、通い慣れた西武園に来ただけなのか、あるいはこれからどうするか、兄と折り合いをつけて職人になるか家を出て働くかどうか、一人になってじっくりと考えたかっただけかも知れない。あるいは、狭い家での7人暮らしではマスタベーションもできず、一人になりたかったということがあったのかも知れない。私自身、友人達とよくテントを担いで山に登ったり旅行したり、あるいは合宿したりすることがあったが、便所で密かにマスタベーションをしたものである。こんなことは、恥ずかしくて親兄弟にも話せない(私も高齢者になって、やっとこんなことを話せるようになった)。あるいは、彼女と密かにデートしていたため、話せなかったのかも知れない。私も彼女も親に内緒で、親が不在の時を見計らい、近所の人の目も避けて、密かに自宅に招いたり彼女の家に行ったりしていたものである。
人には誰でもそんな秘密があって、家族や他人には言いたくないものである。「車出いく」と脅迫状に書いて警察を手玉にとった真犯人がアリバイ工作をするなら、親しい友人と口裏を合わせるなど、もっと巧妙に行うのではなかろうか?
石川兄弟のアリバイ工作というのは、兄が心配して「1日は自分と働いたことにしておけ」と言ったもので、これは仕事先に確かめればすぐにバレる程度の、その場しのぎの言い訳に過ぎないのである。
反対に、私は石川さんの家族の次のような発言に注目したい。
「弟剛君(18歳:仮名)は本誌にこんな手記をよせた。
・・・たとえ僕の兄さんでもたとえどんな人でも悪いことをしたのなら仕方ありません。
それなのににがしたのでちっとしたことでとらえて、頭から犯人と決めてしまい・・・僕はぜたい(ぜったい)犯人ではないと言いたいきもちです。6月19日 石川剛」(『週刊文春』7月1日号)
「父親、石川富造さん(65)もかたわらからこう叫ぶ。
『あれだけの犯罪をおかした奴だ、犯人は死刑にしなけりゃしょうがない。たとえうちの子だって死刑にするのが当然だ! が、なぜあの晩に捕らえてくれなかったんだ・・・・』」(前同)
家族は石川一雄さんの1日昼のアリバイがないことを疑う一方で、1日夜も2日の夜も自宅にいたことから、一雄さんの無実を一貫して主張しているのである。父親の「たとえうちの子だって死刑にするのが当然だ!」という、すごくまっとうな庶民感覚の発言をみていると、1日・2日の夜には一雄さんは自宅にいた、と見るべきであろう。
「家族の証言はアリバイとは認めない」というだけならともかく、2審寺尾判決が「家族がアリバイ工作」をしたから、万年筆捜索前に関巡査がお勝手にきていたという証言が信用できないというのは不当と言うべきである。
7.石川犯人仮説は成立するか?
以上、ざっと見てきたように、石川犯人仮説には筆跡・足跡など多くの証拠があり、さらに自白・自白維持があるので、相互に補い合って完璧に有罪証明がされているように見える。しかし、よく見ると、どこか1つでも壊れると、全体が崩れてしまう、という極めて危うい構造である。
狭山事件の2審寺尾判決は、この事件の証拠構造を、鉄筋(自白)の周りをコンクリート(裏付け証拠)で厚く覆った、堅固な「鉄筋コンクリート構造物」であるかのように描いているが、それは錯覚に過ぎない。実際には一本の鉄筋(自白)にコンクリート(裏付け証拠)の足場をつけただけの「吊り橋構造」であり、一個所が切れれば、全体が崩壊してしまう極めて脆い構造である。
例えば、「石川さんには脅迫状が書けない」となるとそれだけでこの吊り橋は崩落してしまう。自白の全面崩壊である。
さらに「石川さんには最終食事を提供できない」「石川さんには被害者を連行できない(途中で逃げられてしまう)」「石川さんには合意の性交はできない」「石川さんには手に引っ掻き傷がなかった」「中田家を知らない石川さんは、脅迫状を投げ込めなかった(近くの家で中田家を尋ねた人物はもっと遅い時間に中田家に召集された刑事)」「石川さんには張り込み警官をうまく避けて、佐野屋脇には行けない」など、これらのどれか1つだけが切れても、彼は真犯人ではないことが証明されてしまう。
この吊り橋は、もはやズタズタに寸断されており、「石川犯人仮説」は成立しない。
2012年10月20日 甲斐仁志
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